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サマージャム'23
サマージャム'23
ずっと海を見ている。スマホのアプリでよく知らない国のラジオを流しながら。
ビーチは海で遊ぶ若者で賑わっている。
潰れた海の家のようなボロボロの家屋を見つけて、そこの日陰で折りたたみ椅子にずっと座りながら何もしないで時を過ごす。
朝はゲストハウスでモーニングのトーストやサラダ、フルーツを食べ、昼はコンビニで適当なものを買い、夜は食べたり食べなかったり。
言葉の通じない国で、ただぼんやりしてしまっている。
いちおう滞在の期限は決めてるが、本当に帰国するかわからない。
生きて帰れるか、わからない。
港町の繁華街は昼間歩くとまったくしけてるが、夜になれば色彩は鮮やかに艶かしく、どす黒さを伴って光る。
ある一角にはロシア女性の売春バーがかたまっているという。売られて船で来たのか。
前を通ったらビリヤードバーがあり、中には大柄な白人女性たちが、死んだような目をしてたたずんでいた。遠くからでも肌質が悪いのがわかる。あんな女を抱く男たちもいるはずで、そこに金を出すほどの価値の快楽があるとはなかなか思えない。ひとの欲望は果てしないものだ。
いつだったか、繁華街の端のいかにも安っぽい定食屋に、ロシアの母娘がいた。二人して異国にたどり着き、どんな心持ちで暮らしているのだろうか。祖国の味からはほど遠いスープを啜っている寂しい横顔を見ながら思った。
通りにはわざとらしく刺青を見せて歩く男たちがいた。彼等がこの街でどんなシノギをしているのか。ロシア女性だけでなく、色んな人間を食い物にしているのはわかるが、彼等こそ誰かに食い物にされてるはずだ。激しい刺青は、彼等が死をすぐそこに感じてることから来る恐怖や、不安を弾こうとしている精一杯の虚勢に見える。
酒、薬物、女、ひとの命。
何でも金を払えば買えるような街に良心など、どこにも眠ってはいない。
街や路上に巣食う狂気と殺伐さを隠すように、夜通し、どこからか低音を割れるようにブーストしたダンスミュージックが流れ続け、カラフルな照明が足元を照らす。
通りすがる男女。
男にぶら下がる女は、こちらを一瞥して、憎々しげな顔をして唾を吐いた。
それが何を意味するかは、永遠にわからないと思った。
淡々と過ごすことを第一にしているので、こんな繁華街には足を踏み入れる気はなかったが、三、四日に一度は立寄ってしまう。何をするわけでもなく。
今は本当に贅沢で幸せな時間を過ごしていると身体の底から実感する。
自国にいて、朝から晩まで一心不乱に働き、妻と子、愛人の顔色を常に伺い、必死で地雷を踏まないよう、息を潜めていた頃は本当に苦しかった。
今、ようやく、周りの風景を眺めることが出来る。
そして、今まで大切だと思っていたものを手放しても、何の悔いもない自分に驚いている。
きっと、どれも少し前の自分には切実に必要なものだったはずだが。
異国に来たら、色々やることは決めていた。
はじめの一、二ヶ月は今までやりたくてもやれなかったことをやろうと思っていた。絵でも描こうかとスケッチブックや色鉛筆を持って来ていたが、こっちに来たらまるでそんな気にはなれなくて、ぜんぶ捨ててしまった。文章も書きたいと思ってノートパソコンも持って来たが、殆ど開いていない。なかなか読めなかった分厚い本も、なんでこんなもの読みたかったのだろうと思っていたが捨てた。
スマホで音楽を聴ければ十分だった。
ただ、サウナの後に水風呂に入りたくなるように、この繁華街の隠しきれない悪の空気に触れないと身体が持たない気がしている。
誰にも会わないし、先のことを何にも考えられない日々は起伏のない道をただ平穏に歩いているようで、たしかに事故はないが、何かが物足りない。
サウナと水風呂を交互浴することにより、無理やり体内に刺激を与えて神経を鍛えられるのか、何かが漲ってくるような感覚を、平和なビーチと悪の匂いしかない繁華街を交互に歩きながらつかもうと思っているのかもしれない。
渡航する前に学生時代の友人が、この国に住んでビジネスをしていることをフェイスブックでたまたま知って連絡を取った。彼のやっているビジネスに興味を覚えたので現地で会おうとメッセージを交わしていた。そのメッセージの中の「繁華街にだけは行かない方がいい」という文言を見て、彼と会う気がなぜかなくなって、また、過去の色々な繋がりも面倒臭くなりフェイスブックを退会した。
自分にとって、仕事、家族、愛人、友人など、それぞれ生活を形成するパズルのピースのようなものを、一旦ゴミ箱に捨ててしまっても、特に何も困らなく、むしろ清々しく機嫌よくいられている。
さて、これからどうしよう。
会社には、しばらく休む、としか連絡していない。
どうでもいいか。
保険やら税金やら貯蓄やら、今まで寸分の狂いもなく支払ってきたのは何だったのか。
今から繁華街の裏通りで銃を買って、こめかみに銃弾を撃ち込めば、そんなものはまるで意味がなくなる。
いや、残された家族に金は支払われるか。
自殺でも死は死か。
今日は強い酒を飲んで、早く寝よう。
珍しく、夢を見た。
小さい頃、家族で旅行に行ったことが夢になって蘇った。
両親、妹と、在来線に乗って、海のある街に行き、民宿へ泊まった。
砂浜で家族と遊んでいた。
子供の頃の思い出は宝だと、よく言うが、そんなことがあったことをずっと忘れていた。
実際はたぶんそれほど楽しくなかったような思い出ではあるが、夢の中では恥ずかしいくらい思い切りはしゃいでいた。
引っ込み思案の自分は、本当は思い切り笑って、家族とはしゃぎたかったのかもしれない。
ふと、繁華街で見たホームレスの人たちが頭によぎった。
飲食店のゴミ箱を漁って、不衛生な残飯にありついてまで生きようとしていた。
あれは人間なのかよ、とつい思ってしまっていたが、あれこそ人間の姿だろう。
彼らは自殺なんてしない。
どんなに汚れてようが、不衛生だろうが、心の中に何か宝物を大切に抱えているから生きようとしているのだろう。
やっとわかった。
勘違いかもしれないが。
目が覚めたら、泣いていた。
ずっと海を見ている。スマホのアプリでよく知らない国のラジオを流しながら。
ビーチは海で遊ぶ若者で賑わっている。
潰れた海の家のようなボロボロの家屋を見つけて、そこの日陰で折りたたみ椅子にずっと座りながら、何もしないで時を過ごす。
朝はゲストハウスでモーニングのトーストやサラダ、フルーツを食べ、昼はコンビニで適当なものを買い、夜は食べたり食べなかったり。
言葉の通じない国で、ただぼんやり過ごしてしまっている。
いちおう滞在の期限は決めてるが、本当に帰国するかわからない。
生きて帰れるか、わからない。
わからない状態がここまで長引くとは思わなかった。
私はなんて頭が悪いんだろう。
嬉しくなった。
とよたみちのり
1970年生まれ。1995年にTIME BOMBからパラダイス・ガラージ名義でCDデビュー。以後、ソロ名義含めて多くのアルバムを発表。単行本は2冊発表。
詩集『ゴッサム・シティからの葉書』(25時)、発売中。
photo by 倉科直弘