僕の色メガネ

第六話  「南伊徘徊記 中編」

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

※編注:前編は→https://neworld-magazine.com/magazine/ep5_southitaly_1/

10/30

 海が青い。インディゴブルーである。青の質感が五島列島の海の色に似ている。

 パレルモから電車ごと本土の爪先に行けるはずが、シチリア島のメッシーナ駅で乗り換え場所がわからず駅を離れ、フェリーに乗って本土に入った。

 全部電車で行くよりも、一度普通のフェリーに乗り換えたことによって距離が短縮されたおかげで、本土到着後、結局自分が乗るべき電車に追いついて乗ることができた。

 シッラにとってある宿に向かう。駅からそんなに遠くない場所にあるつもりであったが、実際に行ってみると、とんでもない急斜面の崖の上に宿はあって、大きく遠回りしながら長い階段を登っていかねばならなかった。ジブリに出てきそうな南欧の風景である。

 部屋に入ると変なゴミがいっぱいあって、シーツは毛だらけで、けつ洗い専用便器の中に使用済みシーツを丸めたものが突っ込まれており、色々とカオス。初めて来た町だったので街の印象まで悪くなる。Wi-Fiは繋がらない。とても小さな街でレストランなどはほとんどなかった。それにもう時間が遅くてどこも店じまいしていた。唯一やっていたのが若いアンちゃんが営んでいるピザ屋で、大きいサイズと小さいサイズがある。「小さいので良い。どれが1番オススメ?」と聞くと、シッラというピザだというからそれを注文して、目の前にある崖の上の広場で、対岸に見えるシチリア島が淡く霞んだ怪しい夜景を眺めながら、想像していた倍大きいこのピザを平らげた。崖の上に海から冷たい風が吹き上げる。熱々の焼きたてピザが食べ終わる頃には冷たく硬くなっていた。

 シーツや毛布が汚くて使えなかったせいで 夜中に凍えて、翌朝起きると風邪をひいていた。イタリアに来たのが間違いだったんだろうかと、いろいろつまらないことを考えてしまったけれど、俺の心は全く動じない。

 この世には、糞を知るためだけの糞も存在するんだ。これでいいんだ。

 南伊の町を巡っていると色々な場所でメデューサの像やメデューサをモチーフにしたレストランなどを見かける。日本の般若のように魔除けのような使われ方をしているらしい。

「油の池のマリヤ」

 宿を出てから電車を2時間も待たねばならぬので、砂浜を歩いてみた。砂に足跡がある。大人の足跡、子供の足跡、犬の足跡、全て、いずれ風と波にさらわれる。

 僕たちは何のために歩くのか。僕らが死んだときに持って帰れるものは一体何であるか、意識させられた。

 ホームの目の前に断崖絶壁があり、そこには所狭しと草花が生い茂っていた。そこだけなぜか日本の自然に似ていた

 駅のベンチで、ただ電車を待っている時間も悪くないな。

 11時42分シッラ発の電車がホームの真横にある長いトンネルから顔を覗かせた。

 トロペーア駅に着くと心細い気持ちで明日の切符を何とか購入した。最中隣の券売機では真っ昼間から酒臭いオヤジが、テレビ電話の向こうの女の声に怒鳴られながら、チケットか何かを買おうとしていた。

 僕よりも時間をかけて何かを買おうとしている。オヤジも泣きそうな顔をして、ため息をついたり、女にたまに何かを言い返したりしながら、「こんなのもわからねぇ」みたいな事を言って途方に暮れていた。二日酔い、三日酔い、連日酔いのおぼろげな悲しい目を券売機の画面と女とのテレビ電話に交互にやり続けて時は過ぎ去る。

 スーパーに行った。レジを通した後に買い物袋を詰めるところが傾斜になっていて、ちょっと急な傾斜を下ったところに品物が行き着くという寸法になっているのだが、レジの係のお姉さんは僕の買った食べ物とか飲み物とかをバンバン投げる。炭酸ジュースなんかも勢い良く投げていく。

 この店員だって、当然悪気はない。ただこういうものだから、こうしているだけのことで。僕は全然嫌な気持ちにはならなかった。こんなものかな。全員気を使わないで済むんだったら、それはそれで楽でいい。

 自分は気にしないけど、人にだけ求めるのはもちろんだめだが。

 日本みたいにいろんなことを細かくきれいにきっちりやることは素晴らしいと思う。僕は外国に行ってもやっぱりその日本人としての姿勢を崩すつもりはない。しかし心を疲弊させてまでやることではない。人間の人生とか心とか、そういうものの方がもっと大事だ。

 細かいことに神経質になり、他人にも厳しい目を向けて神経をすり減らして、自殺するぐらいだったら、レジで炭酸ジュースを投げたり投げられたりする方が、どれだけ豊かな人生を送れるかわからない。どれだけそちらの方が精神的に豊かかわからない。

 南伊男子は車もバイクもアクセルは基本的にフルスロットルでベタ踏み。アクセルは回せるだけ回しているような音を響かせて走っている人が大半だ。駐車場だろうが、どこだろうが関係ない。自動車メーカーがエンジンの高回転耐久データを集めたいなら、南イタリアはぜひともオススメである。

 普段はのんびりしているのかもしれないが運転する時だけは気が短いのだろう。

 そして交差点や、交差点すらない場所で右折したい時、左折したい時、まるでウィンカーなんかついてない乗り物を運転しているみたいに、突然曲がる。方向指示器を点滅させるのは多分野暮なのだと思う。

 そのうち轢かれるんじゃないかという気持ちで過ごした。どれだけ自分で気をつけていても、どうにもならない運命というのもある。

 僕が死んだら火葬にしてくれと親友に言って日本を出てきた。棺桶の中でウジ虫に食われるのはごめんだから。まぁ、これも日本文化に慣れ親しんでいる故のつまらぬこだわりであろうけど。

 欧州の修道院やトンスラやあの衣装がなぜか懐かしい。日本人にとっての僧侶を見るようなものだが、僕にはそれ以上になじみがある。

 それはヨーロッパ全体的に言えることかもしれないが、旅行者で観光している黒人は僕一人だ。黒人はあまり外に出かけないらしい。みんな何をして過ごしているんだろう。

 崖の上に連なる古く荘厳な建物が見下ろすビーチを散歩していると、波しぶきを浴びた少年の肌が夕日に照らされて輝いている。それを見て、僕は思い出した。あの少年の南イタリアの今日のこの日が、僕の30年近く前の江ノ島の海であろうか?

 幼少期、海にも行ったはずだが、あまり印象に残っていない。ただ唯一覚えているのは、幼なじみと江ノ島まで自転車で向かい、江ノ島に着くときにはもうへとへとで、みんな海を見つけて喜んで一気に海に入った。すると一瞬にして3人まとめて溺れ、僕一人だけはうまく岸に戻ってきたが、後の2人は防波堤の先端を巻く渦によってぐるぐるぐるぐる巻かれてどうすることもできない。

 僕は助けを求めて、少し離れた場所に走って行った。すると、途中にサーファーがいた。そのサーファーに助けてくれと言って、友達が溺れている場所まで行ってサーファーに助けてもらった。

 あのサーファーがいなければ、幼なじみ2人は2人とも死んでいたと思う。そのサーファーが偶然そばにいたばかりで、それ以外に人影一つなかった。

 女性のブラジャーなしの胸を視界から消すよりも、火の中に手を入れて涼しいと感じる方が簡単かもしれない。

 いすゞの社員だった俺の爺さんがエルフと命名したトラックが、南イタリアにも走っている。これは日本人として素直に誇るべきことですね。

 10/31

 トロペーア発、ラメーツァテルメ行きに乗る。

 乗り換え時間に駅前のカフェで「ここの席空いてるかい」と中国系の女性に聞いた。小さな声でどうでも良さそうに何か呟いた。空いていることがわかればそれで十分だ。

 隣に座ってしばらくすると、腹が前に突き出た二日酔いヅラのおっさんが何も買わずに席に座る。少しして、さっきの中国人がタバコを咥えて火をつけると、立ち上がって近づき「一本くれ」と言った。

 おっさん「ありがとう」

 女性「どういたしまして」とそっけなく言った。

 他人に興味がなさそうなこの女性が、タバコをやりその上返事をするとは意外だった。

 だらしない体をしたオヤジが他人に煙草をねだる。誰も意に介さない。イタリアの低い自殺率の理由がわかった気がした。

 イタリア人ですらも、乗り換えとかホームとか悩みながら電車に乗っている。

 僕がホームで座って待っていると、イタリア語で「〜行きの電車はここで合っているか?」と聞いてくる。

 レッチェ行きの電車が来て適当に座ってまだ動かぬ窓の外の景色を眺めていると、周りで「俺の席はそこなんだ」というようなやりとりを見かけ、もしやとチケットを見ると席番が書いてある。(外見は同じなのだが指定席のある列車とない列車があるらしい)

 ドアの内側に書いてある車両番号と席番を頼りに、アジア人の尼さんと白人のあんちゃんのボックス席に座る。「なんだ、こいつ」みたいな顔をされたので「ほらここだろ?」とドヤ顔でチケットを見せると「ちげえよ、あっちだよ」と厳しい顔と口調で言われて退散、車両を移動。

 そこは三番車で僕の席は二番。どうもおかしい、やはり僕の席はあそこだ。あんちゃんに「あんた完全に勘違いしているよ」と言うと、彼は驚いた顔をしたが、そばにいたおっさんが「ドアの内側の番号は関係なくて、ドアの外に書いてある番号、ほらここが二番だ」と教えてくれた。ここでネタバラシされた。どの車両にいるのかは車内からはわからない仕組みである。

 電車に乗るのも一苦労だが、これは僕ばかりではない。イタリア人ですらも迷い彷徨い、僕に聞いてくる有様だから仕方ない。

 ものすごく疲れている状態でアラゴン城に行こうとしたが、なんとなく城に入ってはいけないような気がした。入るともっと具合が悪くなるような気がした。でもせっかくだし入りたいなと思って入り口まで行ったが入れなかった。

 こういう時は大抵自分の意思とは関係なく阻まれる。

 今回旅をしていて思ったのは、やっぱり自分の持っていた常識というものがどんどん破壊されていくから、旅行っていうのは楽しみももちろんあってもいいけど、ソレを壊していくという意味で、自分が行ったことない場所や全然言葉の通じない場所に定期的に行かないとダメだなということです。これは一生習慣づけていくといいんじゃないですか。

 オトラントに着いて荷物を置いてからパン屋に行った。店員のあんちゃんに「ピザあるかい?」って言ったら顔をしかめてわからないふりをしている。「ピッザ」「ピッツァ」など少しずつ発音を変えてジェスチャーも交えながら何回も言ったが、わからないふりを続けている。

 たまたまそばにいた他の客が「ピザだよ」って無愛想に店員に言った。

 店員は気に入らなそうに「発音が悪いからわからねえ」みたいなことを言っている。

 その逆にありがとうと言ったが返事は無くいなくなってしまった。

 イタリア本島の足の甲の辺りはまだ悪くなかったが、かかとのほうに来てからかなり人種差別的な経験をすることが増えた。

 10代の時に日本人の叔父と話していると「黒人は分が悪い」と言った。そんな事をわざわざ自分の甥っ子に言う彼の神経の異常さはさておき、彼の言ったことは事実だ。それを今回の旅行で改めて思い知らされる次第であった。

メモ

明日の心配なんかしても意味がない。生きてさえいれば人生何とかなるし、もしどうにもならなかったとしても、最悪死ぬだけだ。全然大したことじゃない。

俺はいろんなことを計画して実行するのが趣味みたいなものだから面白いからやっているけど、心配だからやるのと、面白いからやるのを混同してはいけない。

何のために生きるんだろう。意味なんてない。意味がないとしたら、楽しくなきゃ嫌だ。楽しくない人生を生きる意味はない。全てを体験するためだけに生きている。

 (後編へ続く)

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

平成元年、横浜市生まれ。日本人とアフリカ人とのハーフ。12歳で精神病と自殺衝動を発症し、二十歳よりDyyPRIDE名義でラップを始める。2011年 音楽レーベルSUMMITから1st ソロアルバム「In The Dyyp Shadow」、グループSIMI LAB 1st アルバム 「Page 1 : ANATOMY OF INSANE」、2013年 2nd ソロアルバム「Ride So Dyyp」、2014年2nd グループアルバム「Page 2 : Mind Over Matter」をリリース。2017年 SIMI LABを脱退。
2019年4月 処女小説「僕という容れ物」を立東舎より出版。
2024年 3rd ソロアルバム「THIRD EYE」リリース。