僕の色メガネ

第三話  「禁煙のすすめ」

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

※注意

「お酒とタバコは二十歳まで」

 どうせ禁煙セラピー等の八百万煎じと決めつけずに読み進めてみるとよろしいかと思います。なぜならば人類兄弟姉妹が八十億人を突破した現在に於いても、僕が禁煙を人に勧める理由を予測できる者は恐らく皆無だからであります。

 禁欲主義者と言うものは最も貪欲であり、試練を乗り越えるという事自体とその先で享受されるのを待つナニかに向かっている時が一番の快楽である。だから僕はまず思う存分快楽を楽しんだ後に摂生するのが非常に好きです。人は僕を極端な馬鹿野郎だと言うが、その通りだと思う。「僕の辞書に中庸という言葉はない」

 この世の全てが相対性のシーソーで、そのバランスを完璧に保てる綱渡り職人は聖人だけだ。キリスト様ですらワインを飲み過ぎだとよく言われていたそうだ。僕は適度にほどほどにならば一ミリも欲しくない。

  煙を吸い込んでも何も感じない ただ肋骨の隙間から煙が沸き出て雲散霧消

  カチカチと歯を鳴らして にっこり 首がぽろりと落ちてそれを追うように

  全身の骨も小さな塵を巻き上げてパラパラと崩れ去る幻視にうなされた

 今までに友人知人に禁煙をススメ、その理由を述べてきたが、誰1人共感納得してくれた者はいない。それをここに書き記したいが、まずは煙草と僕の馴れ初めから書いていこう。

 煙草と梅毒はたった数十年間で一気に世界に広まったという。ペニシリンがある時代に生まれて幸福だ。

 百年後の人々も、あんなに原始的で生き地獄のような時代に生まれなくて幸福だ。と、この時代を酷評してくれる事を願うばかりだ。そのために現在地上にいる八十億人が一丸となって生き抜かねばと思う今日この頃だ。

 同世代の連中が13、4の頃から吸煙を始める中、僕は遅い方で17から吸い始めた。

 それまでは15歳からたまに葉巻を吸っていた。

 多分映画の影響で吸い始めたのだろうが(未だかつて葉巻を単体で吸う人物に会った事が無い故)、今になって思えば少し変わった少年だったかもしれない。群れるのは嫌いで、不登校で、埃まみれの自室にてただ映画を観たり発狂して奇声を上げたり(いつも発狂する自分を離れた所から眺めていた)、いくらか落ち着いている時は葉巻の煙を燻らせていた。いつも頭が空っぽで、脳みそは全然動いていないみたいだった。

 葉巻は煙草のように肺に入れて吸う物ではないことは知っていたので、口にためて煙で輪っかを作ったりして遊んでいた。

 ある日、映画のサントラ集に入っていた『ロシアより愛を込めて』のテーマを爆音で流し、手慣れた手つきで葉巻に火をつけた。締め切った部屋に紫煙を充満させながら、少し前に久しぶりに会った幼馴染のリョウスケとの会話を思い出していた。

 リョウスケの両親はヘビースモーカー。家の壁天井はタールで真っ黄色で、居間にあるテーブルの上に置かれた大きな灰皿は、常に吸い殻が山盛りになっていた。リョウスケも中1〜2の頃から親の煙草をくすねて吸っていた。その幼馴染に煙草を勧められても僕はいつも断っていた。するとリョウスケは「一日何百円かで煙草を一箱買って吸えば、それだけで少し幸福になれる。これを吸わないのは勿体無いよ」

 「そうかよ。でも俺は最近、葉巻吸い出したぜ。うまいよ」

 「葉巻は舌癌になるから体に悪いからやめときな。絶対煙草の方がいいって」

 僕が「そうか」とだけ言うと、リョウスケは何も言わずに、咥えていた火種がフィルターに付きかけている煙草をつまんで新しい煙草を咥えてチェーンスモークし、短くなった煙草を指先でカッコつけて投げ捨てた。

 僕はそれを見て苦笑し「おまえカッコつけすぎ」と言うと、リョウスケも照れて笑っていた。

 口に長時間煙を溜めながら天井に向かって漂う煙をぼんやり眺めながらそんな情景を思い出していると、よだれが溜まってきて床に垂らしそうになった時、いつもの癖で涎を啜ろうとした時に、口内に溜めていた舌が痺れる程濃い煙を思い切り吸い込んだ。僕は信じられないくらいむせ返り、自室の床に涎を垂らし涙目になった。

 15歳ごろの僕は正気を失い様々な概念や習慣を無意識のうちに消失していた。その中で少し印象的なものが換気である。1、2年間くらい窓を開けた記憶が全くない(それ以外の記憶もほとんど断片的にしか残っていないのだが)

 幼少期から10代までの間1番好きだった匂いはシンナーの匂い。ガソリンの匂い、パーマ液の匂い。歯科医院の匂いで中でもシンナーの匂いは特別好きであんまり好きだからやめられんだろうと思い、僕は吸わなかった。といっても、時代はガスパンの時代でシンナーを吸っている人間は周りにいなかったが、ガスパンにしたって脳を酸欠状態にして酩酊感を引き起こすだけのものだと言う事を知っていたから、ただでさえ頭が良くない僕がそんなものを吸って、もっとアホになってしまったらとても生きていけるとは思えず吸わなかった。

 恋は叶わず頭は弱く心は壊れていて無気力で生きていける気がしなかった。精神病と思春期特有のメランコリーのダブルパンチを喰らっていた

 初めて吸った煙草はたしか兄貴の部屋に転がっていた金マルのロングだったと思う。これを持って近所の公園に行った。

 広い公園には誰もいなくてベンチに座って煙草に火をつけた。葉巻の洗礼を受けていたせいで全くむせず煙草はこんなに吸いやすい物なのかと妙に感心して、自分の肺にタールの膜が出来上がっているのを想像した。

 青い空に浮かぶ絵みたいな雲を眺めながら

 流石にニコチンの影響は煙草の方が如実で、ヤニクラでめまいがしてそのままベンチに横になって空を眺めていると、空と自分との間には一時なんの隔たりもないように思えてその刹那、自分が地上にいる事を強く意識して泣きたいような気持ちになった。

 子供の頃から家族全員が煙草を吸う家庭で育った僕は、嫌煙家であったはずなのにいつの間にかチェースモーカーになり、トイレでも風呂でも吸うようになった。母親にタバコ臭いから吸うなと言われても「気にすんなよ」とか言って聞かなかった。

 二十代で体を壊し、禁煙にチャレンジした。初めてのニコチンの離脱症状は酷くて、激しい苛立ちと不安感と現実が溶け出していくような意味不明な感覚に襲われ、それを紛らわすために強い雨の中をサイクリングしてずぶ濡れになった事を昨日の事のように思い出す。灰色の空とずぶ濡れの肉体と、それを載せて回るタイヤの空気の抜けかけた小さな車輪の折り畳み自転車。僕はいいしれぬ多幸感に包まれて笑っていたと思う。何も考えられない曇った意識でただ一つだけ頭の中には、アルバート・ホフマン博士が偶然LSDを発明してしまい自らの手に数滴(と言っても通常トリップするのに必要な量の数百倍で発狂するレベルらしいが)滴らせてしまい、手の皮膚から吸収し、研究所での仕事を終え自転車に乗り帰ろうと走っていたところ「万華鏡の中を走っているような感じになってしまいそれはとても美しかった」という博士の話を思い出し、彼が得た感覚は、今の僕と似ているんじゃなかろうかと考えてみたりした。

 僕は強迫観念をいくつか持っていて、今思えば何も意に介さない野生児のようだった子供の頃から変なこだわりだけは拭い去ることが不可能で、それを実際にやってみるまで頭にそのイメージがまとわりつくというものがあったが、歳をとるにつれてひどくなっていった。子供の頃は木の上とかジャングルジムの上とか、そういう高い遊具の上などから飛び降りなければならないような気持ちに襲われて、しかしそれをやれば怪我をするのは目に見えているから「やってはならぬ」と自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど頭の中にそのイメージがまとわりついた。僕は何日でもそのイメージを無視し続けたが、ある時に実行するまで。そのイメージは頭の中から離れないことに気がついた。それから先はあまり躊躇することなく実行していた。ブランコで思いっきりこいで、ブランコの周りにある柵を飛び越える。高い木の上から飛び降りる。刃物を見つけたら、自分の手を切りつける。

 ある時、踵に激痛が走り、病院に行って診てもらうと踵から足首に向かって斜めに深くひび割れていた。

 8歳の時、目を瞑って、小学校の廊下を全力疾走してコンクリートの柱に激突した。永久歯に生え替わったばかりの前歯を折って、担任や親にことの経緯を聞かれ、どうしても目を瞑って廊下を全力疾走しなければならない強迫観念に駆られたという本当の事は言えず「廊下を走っていると窓の外に虹色の鳥が僕と並んで飛んでいて、その美しさに見惚れている間に壁に激突した」と珍しく嘘をついた。

 僕の場合、数字の語呂合わせや、あらゆる記憶や表象がまとわりついたり、中でも少し特殊な縁起担ぎ系の症状が特に酷く、これは世間ではあまり聞き馴染みがないのではないかと思う。

 煙草をやめた瞬間が完璧でなければならない症状が一番酷く、繰り返す度に成功ルールが増えていく仕組みらしかった。

 例えば、二十本入りの最後の一本に火を着ける瞬間、最初のひと吸い、最後のひと吸い、火を消す瞬間などに嫌いな物や人物や醜い昆虫などを思い出してはダメで、禁煙後に目があった人、話した人、体が触れた人、目を覚ました後に初めてイメージするもの等全てが完璧でなければならず、これをクリアできないとまた煙草を一箱買う所から再スタートしなければならなかった。

 何度このルールを無視しようとしても、クリアするまで最後の煙草の火種の消える朧げな光と瞬間が脳裏に焼き付いて、気にしないようにと思い何かをやろうとしても手につかなかった(だから強迫観念なのだろうが)。

 このせいと、精神病の発作が起きて死の衝動に駆られる時に、それを紛らわすために喫煙するせいで数百回は禁煙している。

 普通、ニコチンが切れると、イライラしたり、吸いたくて、堪らなくなったり、そういう強い衝動に駆られ自己意識の細かな差異に気が付く余裕がない。

 しかし、幾度となく、禁煙を重ねていくと、イライラもしなくなる。極端に吸いたいという気持ちもなくなる。ただ、ニコチンが切れたことに依って、ぼんやりとした霞の中を彷徨っているような酩酊感にも似た意識状態が味わえる。この感覚がいつしか僕の心を捉え、タバコを吸っている瞬間よりも離脱症状が好きになってしまった。

 それが知らぬ間に僕の新しい愉しみを見つけるきっかけになり、これを繰り返すうちに禁煙中の離脱症状を嗜む為に吸煙するようになった。

 話が飛散し過ぎて、何が何の話だか読者を混乱せしめ、煙に巻いたような感じになってしまったかも知れぬが、ここで初めに言っていた事を思い出してほしい。

 そうです。今まで友人知人に話して誰一人として共感してくれなかったというのが、僕が発明したこの「ニコチン離脱症状遊び」です。

「禁煙」

 僕が酩酊に及んでいる時に友人が煙草を吸っていると、僕はその煙草を手に取って悪ふざけのつもりで「おまえまだこんなに体に悪い物を吸っているのか?」と言って「こんな毒はやめた方がいい。僕が代わりに吸ってやる」。

 そういう冗談を言いながらそのまま全部吸ってしまう。我ながら二日酔いで目覚めた翌日に苦笑するしかない有様だ。

 年中、僕がもらい煙草をしているM氏に煙草をねだった折、あんまり貰ってばかりで申し訳なくなった僕は千円払おうとした。

 しかしM氏は断固として受け取らない。

 僕は千円を払うためだけの口実に「じゃあこれで一生煙草もらいます」。

 するとM氏は「ええよ」と言って千円を受け取り、僕と会い顔を合わす度に煙草を渡されるようになり、余計に申し訳のない事になってしまった。

 このニコチン離脱症状遊びにも飽きてきたし、そろそろすっかり禁煙してもいいかもしれない。

 このニコチン離脱症状遊びは、禁煙を考えている方や吸煙をもっと愉しみたい方に大変おすすめです。

 本気で煙草をやめたい人は、この離脱症状遊びを百回くらいやると多分その内楽しくなった後に段々ばかばかしい気持ちになって禁煙できると思いますので、是非お試しあれ。

※注意

非吸煙者はくれぐれもこの快楽を味わう為に吸煙しないように。

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

平成元年、横浜市生まれ。日本人とアフリカ人とのハーフ。12歳で精神病と自殺衝動を発症し、二十歳よりDyyPRIDE名義でラップを始める。2011年 音楽レーベルSUMMITから1st ソロアルバム「In The Dyyp Shadow」、グループSIMI LAB 1st アルバム 「Page 1 : ANATOMY OF INSANE」、2013年 2nd ソロアルバム「Ride So Dyyp」、2014年2nd グループアルバム「Page 2 : Mind Over Matter」をリリース。2017年 SIMI LABを脱退。
2019年4月 処女小説「僕という容れ物」を立東舎より出版。
2024年 3rd ソロアルバム「THIRD EYE」リリース。