僕の色メガネ

第四話  「活動写真との邂逅」

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

最も古い記憶

 僕の最も古い記憶は、2歳か3歳頃に保育園の押し入れの2段目から地面に置いてある布団の上に飛び降りる記憶と、『ラストアクションヒーロー』という映画の冒頭と、雨の日の横浜ムービルという名の映画館のエントランス、ロビーだ。

 1つか2つ目に古い記憶は、映画のワンシーンであるわけだ。

 僕は生まれて2ヶ月で、何かの単語を口に発して、いつも何かを口走りよく動き回る幼児だったらしいが、赤ん坊の頃から、映画館に連れて行った時だけは、微動だにせず一言も話さず、ただ一点スクリーンのみに集中している赤ん坊だったそうだ。

 僕は今でも映像作品を鑑賞し始めると、瞬時に画面以外の視界がきれいに白黒になってしまう。

「無題」

忘れられない白黒映画

 この記憶がどこまで正しいのか自分でもわからないが。小学生のある夜中にトイレに行きたくて目が覚めた。襖を開けてリビングを通ってトイレに行って、なぜかそのまま床に戻らずにリビングのテレビをつけてチャンネルを回した。砂嵐、砂嵐、砂嵐、虹色。納得したような気持ちになった次の瞬間に白黒映画が映った。映画ファンの野生の勘かもしれなかった。

 世界観は古き良き、アメリカオールディーズ50年代のようだった。丸々と太った白人の少年が、おかっぱ頭で、ピチピチの黒い半ズボンと、ボーダーのシャツを着て駄々をこねている。家にいる母親が彼をなだめて車に乗せる。病院に着いて、母親は廊下の椅子で待たされる。薄い壁やドアのすぐ1枚裏側で少年は医者の治療を受ける。医者は「じっとしていなさい。おとなしくしていなさい」と言うが、少年は駄々をこねて暴れる。そして医者は何の治療だかわからないけれど、何かの器具を少年の首に当てて何かをしようとしているが、少年が暴れ回っているせいで、その器具が動脈に刺さってしまう。その瞬間に布の仕切りと医者の白衣、顔、それに医者のメガネ、全部に吹き出した鮮血が飛び散った。少年は、やがて動かなくなり、医者は冷や汗と苦笑とため息の混ざったような態度をとった後に、少しだけ自分を落ち着けて薄い扉を開けると、待っている母に「だめでした」と告げた。そこから先はわからない。映画が終わったのか僕が眠くなって寝たのか。

 この時自分がどういうつもりだったかわからないが、想像するにおそらく次の日起きたら1日前の新聞の番組表を確認して、今見た映画が何の作品だったのか、確認しようと思ったはずだ。

 そして、次の日になって、そんなことはすっかり忘れていたのだろう。

 ただ、丸々と太った少年が、駄々をこね、首の動脈を傷つけられ、鮮血を撒き散らし死ぬだけのこの数シーンが脳裏に焼き付き、25年以上経った今でも忘れられないが、何の作品だか、いくら調べてみても結局わからなかった。

 本当にこんな作品があるんだろうか?

映画の一人時間

 小さい頃に、両親が離婚して、母親に女手1つで育てられたから一人の時間が長かった。自分の小遣いは大抵映画に使った。母が昼飯代をくれれば、僕は卵かけご飯を食って、レンタルビデオショップか映画館に出かけた。夏休みの間は、子供向けの映画がメインなので夏休みの映画館が憎かった。友達に誘われて、何回か見に行ったことがあるが、後悔して以来、子供向けアニメ映画には行かなくなった。

 友達ともよく遊んだけれど、まともな家庭がある人々と、四六時中、共に過ごすわけにはいかない。僕は学校以外の時間はほとんど1人で過ごすことが多かったから、自然と自分の好きな活動に意識が向いたんだと思う。レンタルビデオをよく借りた。部屋を暗くして、冒頭の予告編から全て見る。今思えばあの予告の長さが懐かしい。あの予告の長さはこれから入る瞑想的映画鑑賞への誘いであったような気がする。映画の冒頭のイントロダクションが映画の始まりなのではなくて、ビデオでも映画館でも必ずついていた。あの長い冒頭の予告が映画のイントロダクションだったのだ。

 そして本編。字幕を1つも逃さず、すべて読んで、当然読めない漢字も意味のわからない単語もあるのだが、気にせずとにかく全部読んで最後まで見終わる。一文字でも見逃せば巻き戻して見返した。映画を見終わって、その感情をよく咀嚼して噛み締める。しかし10歳になる前位だと、まだ大人向けの映画の意味ははっきりとわからない。あの人はなぜこれをやったんだろう?この人はなぜこれを言ったんだろう?思い返してみる。そして、その場でビデオテープを巻き戻して、また最初から見る。大筋は2回観て理解した。たいていは2泊3日でビデオテープをレンタルして、最低2回、気に入った映画は3回見て返却した。

 あと印象的な作品は、『仮面ライダーZO』という作品で、これも『ラストアクションヒーロー』も3、4歳の頃に映画館で見たはずだ。

 これは明らかに子供向けの作品ではなくて、グロテスクもグロテスク。これは僕の勝手な憶測だが、ギレルモ・デル・トロ監督はこの作品に非常に影響受けていると思う。『シェイプ・オブ・ウォーター』と『仮面ライダーZO』の両作品を見れば、誰の目にも一目瞭然だろう。1番の驚きは、彼がこのような日本のマイナーな作品を観ているということだ。僕は今でもこの醜悪美的作品を数年に1度鑑賞する。

母と睡眠

 僕の母は非常に睡眠時間が短い人で、普段から4、5時間ぐらいしか眠らなかった。疲れて嫌なことがあると『ロッキー』の1、2、3を立て続けに一睡もしないで朝までかけて観ると、気持ちが明るく元気になってガッツが湧くと言って、そのまま眠らずに朝から現場仕事に出かけるような人であった。見ているこちらの胸が痛くなるほど愚直な人であった。まるで僕とは全てが正反対で、この人間から生まれてきたという事自体がこの世の不思議の深淵さを象徴としているようだ。

 こういう人物に育てられたせいで、自分がいつ眠るべきなのか分からなかった。夜、テレビで映画がやっている時は必ず最後まで見終わって、少し経って寝て、朝起きると現場仕事に出かけた母はもうすでに居ない。僕は適当な時間に起きて朝ご飯も食べずに、朝の会に間に合うギリギリぐらいに小学校に行くのが入学して以来僕の日課だった。だからもう少しよく親に管理されよく眠っていたなら、僕の体と脳みそはもう少し大きく成長したのかもしれない、などと考えたりもしたが、同時に現在の自由な精神は失われていたろうと思う。

 大人になるまで気づかなかったが、僕はロングスリーパーだ。しかし子供の頃はそんな事はわからない。どれほど眠くても、母や10歳上の兄妹たちが起きているのだから、夜になれば、眠いもの。こんなものかなと僕もつられて一緒に起きていた。「早く眠れ」などと母に言われた覚えは1度たりとて僕の記憶にはない。

 11時から12時ぐらいになると、眠気は限界に達して、僕はリビングの隣にある和室に通じる襖を開けて、扉を閉じて眠る。その隙間からリビングの照明の光と、テレビを観ている母の笑い声が漏れてくるのを感じながら眠りにつく。朝起きると母はいない。この繰り返しである。映画がとにかく僕の第一義であった事は間違いないが、2番目にはやはり母と少しでも時を過ごしたいがために、眠さを我慢していたのだろうと思う。

 子供の頃から、自由時間を最も消費した活動が映像作品鑑賞であったと思うから、いつしか、ほとんどの映像作品のあらすじや、次のセリフやキャラクターの取る態度など、予測できるようになってしまった。映像作品を見る専門家のようなものなのだから当然だ。

 しかし、人が作った作品をゆうに30年以上も見てばかりいるのも少々飽きてきた。人員と資金さえ道端に転がっていれば、そろそろ自分の活動写真を作りたいと思う今日この頃である。

優れたる映画

 役者の色気とその作品自体が持つエネルギーが、全てです。

 小手先のテクニックや面白さ、そんなものはつまらないものだ、と言えば嘘になる。やはり大金を投じて撮られた映画は大抵面白く観られるし、僕はハリウッド映画も大好きだけれども、今まで数え切れないほどの映画を見てきて思うのは、ほんとに良い映画という物は観ている瞬間に楽しいかはあんまり関係がないということ。

 見終わって1ヵ月経っても1年経っても、心にイメージが浮かび上がってくる作品。

 いつも心のどこかの片隅に住んでいて幼馴染を思い出すように心の中で懐かしむ。

 映画の中の情景、あの場所は今頃どんなふうになっただろうか、あの映画の中のキャラクターはどんなふうに過ごしているだろうか、あるいはあのキャラクターを演じた役者はどうしているだろうか、あの役者が着ていたレザージャケットはどこへ行ったんだろうか?そんな気持ちにさせられる作品というものが僕にとって最も優れたる映画です。

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

DyyPRIDE a.k.a. 檀廬影

平成元年、横浜市生まれ。日本人とアフリカ人とのハーフ。12歳で精神病と自殺衝動を発症し、二十歳よりDyyPRIDE名義でラップを始める。2011年 音楽レーベルSUMMITから1st ソロアルバム「In The Dyyp Shadow」、グループSIMI LAB 1st アルバム 「Page 1 : ANATOMY OF INSANE」、2013年 2nd ソロアルバム「Ride So Dyyp」、2014年2nd グループアルバム「Page 2 : Mind Over Matter」をリリース。2017年 SIMI LABを脱退。
2019年4月 処女小説「僕という容れ物」を立東舎より出版。
2024年 3rd ソロアルバム「THIRD EYE」リリース。