自室の引き出しから探り当てたパスポートの期限を見ると、ちょうど切れた直後だった。それを持って有楽町で新しいパスポートを作った。
完成したパスポートを受け取るとき、受付のおばちゃんが「アレッ?」と言った。パスポートを凝視している。ヨーロッパ渡航を翌週に控えた僕は不安になり、「どうかしましたか?」と声をかけると、僕の顔をまじまじと見つめて「あなた10年前より若返ったわね。今の方が若いじゃない」と真顔で言った。
僕は苦笑しながら「なんだ。そうですか。ありがとうございます。何か間違いでもあるのかと思いましたよ」
「違う違う! 今の方が若いなぁと思って」と言いながら、笑顔でパスポートを手渡してくれた。
実に10年ぶりの海外旅行である。僕は旅が好きではない。ただどうしても出かけて行かなければ済まないような気がする時があるだけだ。何処かに対するイメージがあるだけで、それを確かめたくて現地へ赴く。
南イタリアに関心が向いたのはいつだろうと考えてみた。よくよく思い返してみると、10年以上前に俳優の菊地凛子さんと一緒に曲を作ったとき、彼女がイタリアの話をしてくれた。
「南イタリアのね、ハイヒールの踵のところがいいのよ。あそこよかったなぁ。名前なんだっけ? 忘れちゃったけど」
思えば、この言葉が僕の脳裏に南イタリアに対する独自の表象を想起させ、いつか行って確かめなくてはならぬ気持ちにさせられる原因になったのは間違いないようだ。
それ以前のイタリアそのものに対する僕のイメージは、『ライフ・イズ・ビューティフル』や『コレリ大尉のマンドリン』といった映画作品。それから、やはり日独伊三国同盟、そして一番に降伏してしまったというイタリアのイメージ。陽気で能天気なお人好しというイメージしかなかった。
それはそうだろう。やはり日本人やドイツ人のような、悪く言えば機械的な忠義のようなもの。そういった感情から最も遠く見える。これは偏見だけれども、とにかく僕のイタリアに対する印象はこの程度のもので、後は何も知らない。知らずに、ただヨーロッパ旅行のついでに航空券が安かったという理由だけでシチリアから入った。シチリアにも全然興味がなくて、電車から景色を眺めればそれでいいと思った。このつま先からハイヒールのピンを目指してみるつもりである。
日本から最初パリに飛んで少し観光した。ルーブル美術館に行こうと思って予約をしようとすると、枠がいっぱいで取れなかったので、下水道博物館やエッフェル塔などを見てぶらついた。後にニュースで知ったことだが、ルーブル美術館に僕が行こうと思っていた日は奇しくも大強盗が入った日であった。観覧客と強盗の間でどの程度接触があったのか詳細は知らないが、そんな大それた犯罪だったら間近で見てみたかった。
その後南フランスを少しうろついた後、マルセイユからシチリアに向けて飛行機に乗った。
10/27 晴天
青い地中海の海原にひょっこりと陸地が見えた。陸地の端っこに滑走路が見える。シチリアはパレルモの空港である。
着陸態勢に入って、あっという間に地面が近づく。ずいぶんな勢いで下降していくが、こんなもんかなと思って見ていると、あっという間に地面が近づき、着陸の激しい衝撃で機体が一度宙に浮き上がり、機内には女性の小さな悲鳴がいくつか響き渡る中、立て続けに何度かバウンドしながらタイヤは滑走路にひっついた。
それと同時に、多くの乗客による拍手の音が機内を満たした。
この拍手は一体何に対するものなのか、今になっても僕にはわからない。イタリアらしさに対するものかもしれなかった。
滑走路からターミナルまで結構な距離がある。その道筋を、飛行機がこんなに早く、うねうねと曲がっていけるものなのかと思うほどの勢いで進んでいく。この時、10年前にインド旅行したときに体験した長距離バスの運転を思い出した。あの時はもう諦観していて、道端で放置された旅客バスの炎上した残骸を見ても、明日は我が身だなとだけ思うだけで、それ以上何も感じなかった。
ターミナルまでの道なりもタイムアタックしているのかってくらいバンバンスピードを出して(実際にそうなのかもしれないし、あるいはパイロットがせっかちなだけかもしれなかった)、カーブして、飛行機がこんなに勢い良く地面を走り回れることに驚き、また感心した。
スクーターに乗る人々は大抵ノーヘルだ。大勢の少年たちもノーヘルスクーター2人乗りで、そこかしこで警察に止められ尋問を受けている。こういう風景は日本と似ている。ただ少し、こちらの方が頻度が高いようだ。
毎年多くの少年たちが事故で死んでいるのだろうな。日本では原付でヘルメットをかぶらなきゃいけなくなったのが1985年、40年前であるが、人は自分自身や肉親が頭蓋骨を叩き割るまでは解らないのである。
ヨーロッパにいるロマという少しヒッピーっぽい雰囲気の路上生活者達。彼らはフランスにもロンドンにもイタリアにもいて、雰囲気はどこの国でもほとんど変わらない。そして彼らは犬や猫を抱っこして、お酒を飲み、タバコを吸いながら投げ銭を集めて生活している。この構造が僕にはあまり理解できないので、無論僕はお金を渡さなかった。ただ、僕のまだ見た目には綺麗なNikeのスニーカーが、バックパック一つの旅行には少し邪魔になって、彼らの寝袋が置いてある裏路地に置いた。10分後にマクドナルドを買って帰ってくると、そこにはもうスニーカーはなかった。
イタリアの自然や気候は美しく快適で、ただ情緒のようなものは感じられなかった。サウナに入っているときの心地よくて何も考えられないみたいな、そんな場所だ。
これははっきり言葉にする自信はないが、あえて言葉にしよう。南イタリア地方の人々は、70年代〜80年代イタリア芸術映画などで見たことがある人々の雰囲気とあまり変わらなかった。
スマホのちょっとした設定のミスに気づかず、ネットを繋げられぬまま空港駅から電車に乗ってパレルモ・チェントラーレ駅前の宿につくと、死神のようなマフィアみたいな顔つきと表情をした中年の男が受付をやっていた。恐ろしく無愛想だった。僕は鍵を受け取って笑顔で「グラッチェ」と言った。

『パレルモの路上壁画』
やっとホテルでいろいろ調べられると思ったら、ホテルのWi-Fiもつながらない。エントランスまで行って死神野郎に「ネットが使えないんだけど」と言うと、「夕方からそうなんだ。だめなんだ」とだけ言った。僕はグラッチェと言って自分の部屋に戻った。ドアの立て付けが悪くて、鍵や鍵穴もおかしくて開けるのに2分ぐらいかかった。コツのようなものがあるんだろうが、何回やっても一発では開かない。腕の良い泥棒のピッキングの方が早く開けられたかもしれなかった。僕は泥棒になれそうにない。
だんだん少しイライラしてきて、ドアノブや鍵穴を闇雲にガチャガチャいじくり回して、もしかしたら僕にはシチリアは合わないのかもしれないと思った。
荷物を置いて繁華街に向かった。そこら中しょんべんくさくて、ゴミがいっぱい捨ててあって、街灯は少なく、あっても淡い間接照明のような薄暗いもので、自分が鳥目になったような錯覚に陥った。西アジア人の風貌した人々が携帯ショップや小売店やいろんなお店をやっていて、お店の前で大きな声でヒンディー語を話したりしていた。
ぼんやりしていると、「あれ僕は今一体どこにいるんだっけ?」。さっきの飛行機の操縦の荒さ、無数の車のクラクション、とにかくアクセルをベタ踏みして、とんでもない勢いで走り去っていく多くの車の記憶を頼りに、一瞬、自分がインドにいると錯覚して、その後に脳裏から論理性を掘り起こして僕は今イタリアにいるんだと思い起こさなければならぬほどだった。
路地を一本入った場所にある、高級でも低級でもなさそうなレストランに入った。パスタとマッシュポテトと何かの魚と、パンと炭酸水を頼んだ。とんでもない時間待たされて、炭酸水とパンでお腹がいっぱいになった頃に、パスタとマッシュポテトと魚が届いた。
信じられないくらい腹がいっぱいになって、会計になったら日本円にして約8000円。まずくはなかったが、サイゼリヤと比べたら、多分サイゼリヤの方が美味であった。シチリアのような田舎でもこれくらいはするのかと少し驚いたが、観光価格なのかもしれないし、そもそもここが高いのではなくて、日本の物価が安すぎるのだ。
テレビをつけると、『ミッション・インポッシブル』がイタリア語吹き替えでやっている。イタリア語で見ていると、トム・クルーズがイタリア人のようにも見えてくるのが不思議なものだ。
10/28
翌朝起きて。すぐ移動しようと思い、パレルモ・チェントラーレ駅に行き、電車のチケットを取るために長い行列に並ぶ。自分の番が来て、お互いに下手な英語で意思の疎通を図る。
電光掲示板を指差して、電車の番号を言って「あれに乗りたいんだ」「あれはもうないよ」「もうないってどういうことだい?」「切符が売り切れたんだ」。
電車など駅に行ったら切符を買って乗るだけだと思っていた。結局僕は諦めて、2時半に出発する電車の切符を買って、自分が泊まっていたホテルに戻り、そのホテルの1階にあるレストランに1500円払って荷物を預かってもらった。
そもそもシチリアを観光するつもりはなかった。ただ列車で通り抜けるだけのつもりだった。暇なので興味のない観光をする事にした。
日本では見たことないほど大きなバンが勢い良く走ってきたかと思うと、急ブレーキを踏んで狭いスペースに縦列駐車しようとしている。その空いているスペースというのがあまりにも狭いので、僕は気になって見ていた。やっぱり狭い道に慣れている欧州人は縦列駐車がうまいのだろう、僕が「あそこに停める自信は無いな」と思いながら見ていると、その縦列駐車しようとしているスペースの後方にある石でできた平らなベンチの上に欧米人が座っている。やはり彼もこんな狭い場所に駐車しようとしている車の動向が気なるようで凝視していた。自分が座っているベンチに向かって大きなバンがバックしてくるのだから当然であろう。
車は前方ギリギリを攻め、縦列駐車のバックに入っていく。よっぽど自信があると見えて、一切の躊躇がない。これはバックモニターだとか、いろいろな部分にカメラが付いていて、簡単に駐車できるカラクリがあるのではないかと思いながら見ていたが、バンはそのまま欧米人が座る石でできたベンチにコツンと当たり、そのままベンチを後ろに数十センチ押した後にハンドルを切り返し前方に進んで車を停車させた。運転手は何も気にしていないみたいだった。僕とその欧米人は目が合って、お互いに信じられないって顔をした後に笑って親指を出して僕はその場を離れた。
パレルモ大聖堂を見て、世界中どこの観光地に行っても感じる刹那的な小さな感動を覚え、その場を後にして少し寂しい路地を進む。ノーヘルで厚いメガネをかけた少年が、舌足らずな口調のイタリア語で叫びながら、バイクのクラクションを鳴らして、ガタガタの道を全速力で駆け抜ける。学校はどうしたのだろう。授業についていけないのだろうか? もしもそうなら、僕と同じ落ちこぼれだな。
10時。Tシャツ1枚でほんの少し暑く、しかし快適でちょうどいい爽やかな午前。19度である。湿度の高い日本の19度よりも、おそらく快適なのだろう。
今まで行った場所の中では、最もインドに印象が近い。ここはヨーロッパのインドみたいな場所だと思う。
シチリアと聞けば、やっぱりまずはマフィアとかゴッドファーザーとかを思い浮かべる人が多いだろう、僕もそうだ。前にどこかで見た情報でうろ覚えだけど、シチリアのどこかの田舎村では、村民のほとんどがマフィアで、互いに報復合戦をしているうちに、かなりの人数の村民が亡くなってしまったという村があったそうだ。ローマギリシャ、アラブなど様々な文化圏によって統治されていた歴史があるゆえに、シチリア語と言うものも非常に変わった言語であり、DNAもかなり交雑している。
そして、どうしてアメリカのイタリア系マフィアはシチリア出身者が多いのかという疑問に対して、この島の歴史を鑑みれば、これは自然に答えが出るような気がする。まずは大昔からイスラム、それからローマ、それから原住民、長い間報復合戦をしてきた。そしてそれが今度は現代のマフィアの抗争につながる。そしてこの島を出て、アメリカに行った者たち、血の気の多い者たちが、またアメリカで繰り広げるという、そのような構造が見えて仕方がない。
軽く観光して、荷物を預けていたレストランに戻った。僕が荷造りをしていると、レストランの客が僕をゴミでも見るような目でマジマジと見ている。
レストランの女が、僕にシチリア弁で何か言った。僕がわからない顔をしていると溜め息をついて、大きな尻をブリブリ振って歩き去っていった。ねずみ色のズボンの尻の中心には染みが付いていた。
日本でも海外でも差別をされて良い気はしないが、リトマス紙になって便利だなと思う時もある。
嫌われてもいい。そういう低俗な人々に好かれるよりは、あからさまに嫌な顔をされた方がどれほど爽やかかわからない。
底辺からは人や社会がよく見える。
僕にとって、差別をする人間というのは蚊や害虫と同じだ。
耳元を飛び周られたらイライラはするが、それに対して真剣に恨み始めたらバカバカしいのと一緒だ。
駅に向かい電車が来る予定の6番ホームで待っていると、直前になって電光掲示板に表示された到着する電車の番号が5番ホームになった。なるほど5番かと思って移動し待ち構えていると、周りに列んでいた人々がざわざわと騒がしくなって一斉にどこかへと走り出した。何事かと電光掲示板を見ると、1番ホームに変わっている。一体1番ホームとはどこなのかわからないまま大衆についていった。やっとの思いで出発である。
いまどき車掌に切符を見せるのだが、なかなか厳しくて指定の電車にしか乗れない。そのくせ平気で何十分も遅延する。
ポニーテールのキリストみたいな風貌の車掌に「乗り換えが間に合わないので券にサインか何か書いてくれ」と言った。彼は“それは策を練らねばいけない”というような顔をして、乗り継ぎを調べ、パッドをパタンと閉じた。そして「電話して確認するよ」と言っていなくなった。
彼が僕の前に戻ってくることは金輪際ないであろう。
彼のポニーテールを目に焼き付けた後、窓の外に目をやると、今までに見たことの無い類の黄金色の夕陽が、混沌たる形式を呈した雲に飲まれて放射に輝いていた。 (中編へ続く)









