文様奇譚

第8話 スカリフィケーションの旅【前篇】

大島托

フランクフルト

ひとりぼっちのときに

そういえば小学校の頃、フランクという友達がいた。外国人ではない。昭和の田舎町では本物の外国人なんて生で見たことはなかった。この場合のフランクはフランクフルトの略であり、フランクフルトといえばデカいソーセージの代名詞であり、またデカいチ◯コの隠語でもあった。あの頃は全国各地の小学校にフランクと呼ばれる内気な少年と、アンドレと呼ばれる大柄な少女がいたのではないだろうか。

ちなみに僕はあらゆる食肉の中でソーセージが最も完成された製品だと思っている。だから初めてドイツのフランクフルトを訪れた際には、まず本場のフランクフルトソーセージ(フランクフルター・ヴュルストヒェン)を探したのだが、当地では単に「ヴルスト」と呼ばれていた。それに化学調味料とカレー粉をかけた「カリーヴルスト」があちこちの屋台などで売られていて、観光名物B級グルメになっていた。

これまたドイツ名物の「ケバブ」と同様、大量に受け入れている移民の影響で出てきた食べ物だ。が、味や焼き加減は、はっきり言ってそんなに大したことはない。僕は学生時代、縁日のテキ屋でフランクフルト売りをやっていたことがあるのだが、それと同程度のやっつけ感だった。

フランクフルト売りは、テキ屋の屋台の中でも初心者に割り振られるイージーな仕事だろう。日本でソーセージやハムの店を出すなら「本場ドイツで修行してきた」というのは営業の殺し文句だと思うのだが、実際のところそんなものはほぼ幻想だ。世界的に見ても日本人はけっこうソーセージ好きな人々で、したがって日本のソーセージは、街角の職人モノからスーパーの大量生産モノまで味に関してはわりとレベルが高いのだ。

ただ、種類に関してはドイツが圧倒的で、日本では見かけないものがたくさんある。たとえばサラミやおつまみカルパス以外のドライソーセージを日本で見かけることはほとんどないが、このジャンルはドイツではとても豊かだし、各地方ごとに特有の美味いやつがあるような感じだ。

クナッカーとかラントイェーガーといった、加熱なしの冷燻乾燥で仕上げてある、歯ごたえたっぷりのドライソーセージは、完成した生態系を誇る古い森の中に、ひときわ高くそびえ立つ巨木たちのようだ。移動のバスや列車の中で、公園の芝生の上で、川のほとりのベンチで、バーのカウンターで、ひとりぼっちでこれとパンを一緒にかじると「母をたずねて三千里」の詩情も漂ってこようかというものだ。だから、これはみんな1人で食べるのだ。

身体改造を動かす力

まあ、チ◯コやソーセージの話はこれくらいにしておこう。ドイツ有数の大都市であるフランクフルトは銀行などの金融機関が多く集まることで有名な場所だ。そこでのコンベンションやゲストワークなど、いろいろな理由で立ち寄ってきた街だ。そのフランクフルトにオッフェンバッハ美術学校(HfG)という美大があり、そこのヴェルナー・ロルケ教授の招待で「縄文族」展を校内ギャラリーで開催したのは2017年のことだった。

図 1 フランクフルトでの展示

ヴェルナーの見立てとしては、我々の縄文族というタトゥープロジェクトの出現の遠因には2011年の東日本大震災の大規模な社会的ダメージがあるのではないかということだった。僕もケロッピー前田も、その時点までそういうふうには捉えていなかったのだが、あらためて外からそう言われるとそこには一定の納得感もある。

同時にカップリング展示されたのは、ドイツ人ジャーナリスト、オリバー・ベッカーの写真作品だった。彼は紛争地のアフリカ・南スーダンにおけるスカリフィケーションの流行に着目し、何度も現地へ命がけで突撃取材を敢行していた。スカリフィケーションとは意図的な創傷による瘢痕を用いた身体装飾のことだ。現代の一般的な日本人の感覚からすると少し理解を超える物事かもしれないが、これはおそらくアフリカ大陸でホモ・サピエンスの祖の猿人の体毛が薄くなってきた時代にまで遡れるような長大な期間にわたる風習のように思われる。

オリバーによると、スーダンにはもともと、他のサハラ砂漠以南のアフリカ地域全般と同様に、古代からスカリフィケーションの習俗があったのだが、それらは近代国家として形を成してくるに従って徐々に下火になっていたのだという。それが、内戦が続いて無政府状態になったことで一気に再び盛り上がりを見せているらしい。

近代以降人口密度が上がり、複数の部族が混ざり合うように暮らしていた地域で、国家というタガが外れたのだ。大量虐殺事件が頻発する中で疑心暗鬼にとらわれた人々が縋ったのは同族意識であり、顔面のスカリフィケーションの復活には自己の所属部族集団を誰の目にも明らかにするマークとしての具体的で切実な役割があるのだという。

現代日本には表立った部族間や国家間の紛争というものはないが、震災時の原発メルトダウン事故で混乱状態となり、技術立国としての国際的な信用も失って弱りきっていた日本人には、ルーツによる紐帯が求められていたのではないか。危機的状況におけるアイデンティティの行方として立ち現れる身体への回帰運動のひとつとして「縄文族」タトゥープロジェクトなのではないか。ヴェルナーの問いかけは深い。

もしあの時点で縄文族が大きな社会的な現象と言えるほどに日本国内でヒットしていたならば、その読みは作り手側の意図を超えて正解だったと言ってもいいと思う。が、実際のところはそんなにヒットしていたわけではなかったし、むしろタトゥー業界には裁判沙汰で逆風まで吹いていた。我々が意識してやっていたのは大衆のニーズに応えることではなく、ちゃぶ台返しのようにそれを刷新してしまおうという乱暴な企みだったのだ。

せっかく美大の中での展示だったので、ついでに学内の教室で講義もやらせてもらって、学生たちとコミュニケーションを取った。ベルリンの壁崩壊という象徴的な出来事の当事国であったドイツは、それ以降の新秩序模索のダイナミックな現場であり続け、同時に現代タトゥー文化の実験的な最先端を常に突っ走ってきていた。

僕が尖り過ぎて日本の営業が苦しかった時期にも、ベルリンやフランクフルトのスタジオはいつでも手を差し伸べてくれていた。だから縄文族の掲げる「一万年前、一万年後」というタトゥーの普遍性に関する考えも、実はここではすでに哲学的に消化されているようだった。

日本のイベントでの質疑応答で繰り返される素人目線スタートのやり取りはなく、核心部分を理解した上での良い意見がポンポン出てくる。近い卒業生には成功したタトゥーイストもいて、名前を聞くと知っていた。ジャン・コクトーみたいな線画でクィアでポップな画題を得意にしている、今注目の若手のデイビッド・スチェッサーだ。

なるほど、そうか。さっきコーヒーを飲んだ学内のバーの壁のグラフィティはやっぱり彼のものだったのか。試しに展示会場中にライブで彫るためのモデルを募ると、その場で2秒で全ての枠が埋まった。地元フランクフルト出身の女子学生とブラジルからの男子留学生だった。

とはいえ、ヴェルナーの指摘する構図は現代のタトゥーを含むありとあらゆる身体改造に関わってくる大きなものだと感じる。難しい話ではない。たとえば『マッドマックス』や『北斗の拳』などの舞台となる無政府状態における登場人物のド派手な身体改造は、たとえファンタジーだとしても、それを自然だと感じる我々見る側のイメージによって支持されているからこその演出なのだ。そういうプログラムが我々に内在しているということは気に留めておいて損はない。

北京

五千年の執念が詰まったスナック

各国のスナック菓子にはそこに暮らす人々の好む味覚がとても分かりやすく表れる。父の社員旅行のお土産で初めてアメリカのスナックを食べた小学生の時は、スター・ウォーズに出てくる別の惑星の味がした。ずいぶん長いことお世話になっていたインドのそれは徹底的にマサラトリップだった。そういうのを経て日本のものを顧みると、何味を謳っていようともベースに醤油と味醂の「旨味」が必ず効いていることも分かる。

「辣条(ラーティアオ)」という最近大流行のスナックには、中華の味覚が凝縮されている。すなわちそれは、香ばしくて、辛くて、ビリビリして、甘い。そしてもちろん油っこいのだ。小麦粉製品らしいのだが、油揚げや湯葉のような質感は精進料理系の大豆製品を思わせるようなところがある。

豆腐で有名な湖南省の名産品なので、たぶん製法も似ているのだろう。牛とか鴨とかの字が入った商品名が多いのも、肉の代替品のベジタリアンフードがルーツだからだろう。ベジタリアンフードだが優しい薄味とかではなく、あくまでもギットリと濃い。動物の殺生を避けるという縛りの中でも、あるいは身体の健康や美容を考える上でも、まだどれだけ楽しくガツガツ食いまくれるのかを追求するという方向性に、インドとはまた違う種類の五千年の執念を感じる。──そう、ヨガと太極拳の違いのような。

最初は新スタッフのシャオアイ(小愛)が中国からお土産としてどっさり持って来たのだった。一口食べて弟子たちや日本人のお客さんたちはみんなギブアップして水を飲んだ。僕と相方の彫あいは辛味リミッターが解除されていて、その奥の派手な旨味を感じることができたので、仕事の合間にちょびちょび食べていた。そしてそれが全部無くなると、いつしか自然と足が大久保通りの中華食材スーパーに向かっていた。

逆輸入される和彫りのヒーローたち

北米とヨーロッパの全てを合わせた20万人に匹敵するタトゥーイストが、たったの一国内に存在しているという噂を聞いて北京に出向いたのは2018年のことだった。ちなみに日本の専業彫師はわずか1000人ぐらいのものだ。

日本から見ればほんの隣の地理関係にある中国ではあるが、彼我の境には情報の万里の長城とも言える「グレート・ファイアーウォール」が張り巡らされていて、お互いに向こう側のことはよく分からないようになっていた。GoogleやYouTube、Facebook、Instagramなどが排除されている社会の人々が西側世界のタトゥーイストのことなんて知りようがないし、逆に微博、WeChatといった向こうでメジャーなソーシャルメディアの存在を、実際に現地を訪れるまで僕は知らなかった。

廊坊国際紋身芸術節は、こちら側の世界の業界では「北京コンベンション」として知られる中国最大のタトゥーコンベンションだ。例の情報防壁のおかげでこちらからのエントリー方法は実質上無いようなものだったが、知り合いの知り合いを手繰ってどうにか潜り込んだ。

図 2 北京コンベンション

事前に大会ホームページで500人を超えるエントリーアーティスト紹介欄の作品画像を片っ端からチェックしたところ、ようやく1人だけ僕と詳しい話が通じそうな参加者を見つけた。ジウジ(九吉)という幾何学模様系のブラックワークのタトゥーイストだ。手描きフラクタルとも呼べそうな作風がユニークで技術レベルも非常に高い。ちなみにポリネシアンやベルベルのようなトライバル系のタトゥーイストは全くいないようだった。これには新鮮な驚きがあった。いくらなんでもそんなことってあるのだろうか。

コンベンションに入ってから、その他の大多数をじっくり見渡すと、まあだいたいこちらの世界と同じ各ジャンルが展開していたのだが、特に目立つのは和彫りだった。和彫りにもクラシック、リアリスティック、モダン、アバンギャルド、というようないろいろ異なるテイストがあるのだが、そのどれもが唸るほどに見事な出来だった。

基礎となる画力が非常に高いのは、旧ソ連邦のアーティストたちがやはりそうであることを考えると、共産圏のアーティストの特徴でもあるようだ。デッサン重視の古典的美術教育を修得しているということなのだろう。さらにもうちょっと踏み込んで分析を加えると、毛筆による書画の線の感覚に関しては彼らの文化こそがその起源にして中心だという事実を忘れてはならない。とにかく線が生きているのだ。

江戸時代に始まった和彫りの柄には、龍や鯉のほかにも人物画が多いことは一般的に認知されていると思う。「九紋龍史進」「花和尚魯智深」「張順の水門破り」といった、たとえ名前は知らずとも誰しも見覚えぐらいはある豪傑たちの姿は、浮世絵師・歌川国芳の大ヒットシリーズ「通俗水滸伝豪傑百八人之壱人」の絵をそのまま刺青の構図にアレンジしたものだ。水滸伝は中国の明の時代に書かれた大衆小説で、腐敗した国家権力の打倒を企てる反乱軍の英雄たちの活躍を描いている。これが鎖国下の江戸の庶民たちには大受けだったのだ。

そうやって中国のレジスタンスヒーロー達のカッコ良さを日本の浮世絵のスタイルで描写したものが和彫りの定番となり、そこから200年の時を経た現代では、日本のアウトロー風のカッコ良さの象徴のようにして、抑圧的な政策下に置かれた中国の庶民たちに逆輸入されて流行っている様子はとても面白い。

中国におけるブラックワークの先駆者

実際に会って話してみると、ジウジは僕より一回りほど若かった。会った瞬間に思わず日本的にペコリとお辞儀をしてしまった。中国人と日本人に顔つきの違いなど実際ほとんどありはしないのだが、何というか、度を超えた日本人顔なのだ。どこに行っても必ず日本人に間違われるんですよ、と言って彼も苦笑いする。どうやら世界中を旅してきたらしい。

彼は中国におけるブラックワークのパイオニアだった。中国内で初めてボディーサスペンションを実践した人でもある。そして、ジャグラーとしても広く知られているらしい。ジャグリングは、もともとサーカスや大道芸などのプロの演目だったような、さまざまな道具を使ったトリッキーな身体操術の総称だ。それらがヒッピー文化においてアクティブな瞑想法として捉え直されて以降は自分でやってみてなんぼの娯楽となっていった。

僕の世代のトランスパーティーシーンではボールやクラブ、デビルスティック、ポイ、とかが流行っていたものだった。なんだか身近すぎるプロフィールを持つこの男が以前からの知り合いではないことがあらためて不思議だった。並行世界や異世界転生物語の中にいるような感覚に陥る。これまで訪れた世界各地の辺境などとはまた違った種類の隔絶感だ。

コンベンションが終わってから北京のジウジのスタジオに招かれた。高層ビル上層階のセレブ感の漂う立派なスタジオだ。彼は1時間500ドルの超売れっ子だったのだ。そんな高額ギャラ彫師は僕の知り合いでは他にはいない。そのスタジオのロビーでコパンガンの友人彫師ジェイ(Tikiroa)と一緒にトライバルタトゥー講座を開いた。

コパンガンはフルムーンのトランスパーティーで有名なタイ南部の島だ。ジェイはそこに20年以上住み着いてる。彼はニュージーランドのマオリ族で、タイのサクヤンの手彫り手法である「バンブー」の使い手で、なおかつマルケサス諸島のトライバルタトゥーのデザインを専門とし、さらに技術が高過ぎてマシンで彫っているようにしか見えず、せっかくの手彫りの有り難みが減ってしまう、という何重にもヒネリが入りまくった世界で唯一のファニーな変わり者だ。

聴衆はジウジの周りのプロやジウジのやっているタトゥースクールの生徒たちだった。ジウジの同世代の仲間たちは男ばかり。生徒たちはほとんどが女性で、美大に在学中で掛け持ちという人が多かった。

講座では、クレイジートライバルからポリネシアン、ベルベルといったトライバルタトゥーの種類、そしてインドのメンディーの手描き幾何学紋様の流行を経て、それらのトライバルタトゥーのような特定のルーツには囚われない現代先進社会トライバルタトゥーとしてのコンピューター幾何学模様のドットワークの大流行、など今日の西側世界におけるブラックワーク全体の概要を画像を見せながら説明した。

そしてその後で、これだけの巨大タトゥーマーケットである中国でこれらのジャンルが、ジウジという唯一の例外を除いて見事なぐらい全く入って来ていないのはなぜかという点についてみんなでディスカッションした。

日本と中国の共通点

中国語でトライバルタトゥーは「部落紋身」となる。日本語と中国語ではちょっと語彙の概念やニュアンスに違いがあるようには感じるが、日本語内では差別的表現としてすでに消えたこの「部落」という語彙は、もともとはただのコミュニティの状態を説明するニュートラルなものだったのが、時間の経過の中でその実体に対するその他の人々のネガティブなイメージと直結したため、「同和地区」という語彙に置き換えられたのだと思う。

精神分裂病が統合失調症になったり、メクラやツンボが何度も呼称を変えたりとか、この種の名詞の置き換えはパチンコ屋の新装開店のようにしょっちゅう繰り返されるのだ。中国における部落は主に言語や文化を異にする辺境の地域集団を指しているので、社会のマジョリティである漢民族との違いは大きい。

また、かつての戦いに負けて周縁に追いやられた者と、勝って中心に居座っている者という歴史的関係性もある。以前の夷狄(いてき)という呼称が差別用語として廃されて、部落というワードになったとのことだが、そこに潜むネガティブな響きはどうやら日本社会のそれと似たようなものらしい。そしてそれが翻って良識ある善人にとっては下手に触れてはいけない腫れ物みたいなセンシティブな感覚もあるという。ますます日本の状況と似ている。

トライバルタトゥーが日本を含む中華圏以外のアジアのマーケットに入ってきた時は、その言葉の意味するところはほとんど意識されることなく、ただ単に「トライバル」という名の白黒のデザインのスタイルと理解されて普及したのだった。これがもし部落紋身や部族刺青や同和タトゥーだったら、1980年代後半の日本では流行らなかっただろうと思う。

現に自国内のアイヌのシヌイェや沖縄のハジチといった正真正銘のトライバルタトゥー文化は「トライバル」流行以降も本当にごく最近までの長きに渡り顧みられることはなかったのだ。当事者からも、その他多数からもだ。まとまろうとする力が優勢に働いている間は各々の違いを際立たせるアクションは変に自発的に抑えられるものなのだ。何かのスポーツのルールみたいなものだろうか。

まあ、日本でも中国でも何でも、まとまるにはとりあえずセックスが一番効果的だと僕は思う。気を使って変な遠慮ばかりしていても何もどうにもならない。当事者でもあり、その他多数でもある人間が具体的に増えたらいいだけなのだ。

とりあえず今日の彼我の現代トライバルタトゥーの有無は、外から来る情報を表義的に変換する漢字の文化と、とりあえずカタカナなどで表音変換するにとどめて様子を見る文化の違いが大きかったようだったが、結局、ジウジとジェイ、それから僕の共通点は、触れてはいけないとされる門の扉を、自分の手でこじ開けて、向こう側に広がる異世界を自分の脚で旅せずにはいられない性分というところなのだろう。

我々はスポーツをやっているわけではないのだ。だから、まあ、そういう類いの人間のやっていることが、今、ある程度の商売的な成果につながっているなどというのは、ある種の誤解や、何かの偶然の作用も多いのだろうとは思う。マグレってことなのだ。生徒さんたちには反面教師にしてほしい。

蛇肌をまとうスカリフィケーションアーティスト

ジウジのスタジオスタッフにシャオアイという女の子がいた。僕よりふた回りは若い。中国で唯一のスカリフィケーションアーティストで、今回の北京コンベンションが初の全国規模のお披露目だった。前職は看護師、父親は医師で、その環境や知識を活かして独学でスカリフィケーション技術を身につけていた。コンベンション後の打ち上げパーティーで、彼女は全身を蛇のウロコで覆い尽くすというエクストリームなアイデアを僕に打ち明けてきた。

もともと中華で文身(タトゥー)そのものを示していた「文」という文字は、その形成プロセスの初期の象形文字の段階では、人が腕をやや広げて立っていて、その胸に緩やかな渦巻き線が2本対称に向き合うようなマークが象られている様子を描写したものだった。

「キングダム」の羌廆(きょう かい)の鉢巻の模様と言えば分かるだろうか。この渦巻き線マークこそが古代中華のタトゥーデザインを象徴している可能性があり、またそれは蛇を意味していると思われた。青銅器に表現された紋様の変遷を見ると、この蛇の徽(しるし)は、やがてその後に現れた鳥の徽と合体して、空を飛ぶ蛇の徽となる。それがつまり今日まで連なる龍の信仰だ。そしてスカリフィケーションはタトゥーのオリジンであり、その渦巻き線はそもそもスカリフィケーションで創られていたのかもしれない。そういう話を彼女にした。

さっそく北京で2セッションを行い、その後シャオアイは新大久保の僕のスタジオに拠点を移し、その身体に徐々に纏われていく蛇肌タトゥーは、彼女自身の着エロ自撮り趣味とも相まって西側世界で知名度を得ていった。

ジウジのタトゥースクールの生徒の1人、マンマンはジェイと僕の講座に影響を受けてポリネシアンタトゥーを本格的に勉強し始めた。そして彼女は翌年の北京コンベンションではマルケサスのトライバルタトゥーデザインの辞書本『テ・パトゥ・ティキ』をちゃっかり独自に中国語訳にした本を販売するとともに、中国初のポリネシアンタトゥーイストとしてデビューした。

ジウジは、妻をはじめとする家族や多くの弟子たちの反対にやはり一切聞く耳を持たず、あっさりと離婚、廃業し、道教の新米道士として山中の道観(寺院)で仙人修行の生活に入ったという。シャオアイはそんな師匠を、ロールス・ロイスにだって乗れたはずなのにショボいインチキ占い師に成り果てたアホ扱いして呆れていたが、正直なところ僕は先を越された感でハッとした。それ絶対面白いやつだろ。

大島托

大島托

1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主宰。
黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。
世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。
2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「縄文族(JOMON TRIBE)」を始動。