僕は特に野球好きというわけでもないけれど、大谷翔平がすごいということくらいはわかる。
毎朝家族と朝ごはんを食べた後に、ソファーに座りながらポチッとテレビをつけると、ほぼ毎日と言っていいほど大谷翔平のニュースが流れてくるからだ。
「オオタニサーン!! アメイジング!!」「オオタニ! オオタニ!」
とアメリカ人たちが興奮気味に「大谷」という名字を連呼している光景を見ると、いかに彼がアメリカですごいことをやっているのかが伝わってくる。
かといって、別に僕は野球好きでもなければ、大谷ファンでもないわけだが、実はちょっとだけ彼には特別な親近感というか、感情を抱いている理由があるのだ。
それは去年の春頃のことだったか、ある朝いつもと同じように家族で朝の支度をしていると
「ピンポーン」と早朝にインターホンが鳴った。
「こんな朝早くから誰だろう」
と、インターホンのモニターを確認すると、そこには同じアパートに住む隣人の松井さんが立っていた。
松井さんは車とバイクが大好きな50代の気さくなおじさんである。
よくアパート前でバイクを出したりしているので、会うとバイクの話を聞いたり世間話をする仲だ。
そんな松井さんが朝早くからなんだろう、と思いつつガチャっと玄関を開けると
松井さん「おはよう」
中山「おはようございます」
松井さん「中山くん、大谷翔平好き?」
と、松井さんは突然僕に聞いてきた。
中山「え? 大谷? 翔平ですか? あー……まあ好きと言えば好きですかね……すごい活躍してるし、テレビでもよく見るので」
松井さん「そうだよね、すごいよね大谷翔平!」
中山「そうですね、すごいですよね大谷」
と、何がなんだかよくわからないまま返事をしていると
松井さん「いやね、ご近所さんにも配ってるんだけどさ、もし大谷翔平が好きだったらこれあげようと思って」
と言ってポケットから一枚の写真を取り出し、僕に渡してきた。
松井さん「はい、これ」
渡された写真を見るとそこには、なんとも言えない堅い笑顔でサイン色紙を両手に持つ、私服の大谷翔平が写っていた。
しかもよく見るとちょっと若い頃の大谷翔平だった。
中山「……私服を着ている若めの大谷翔平……」
僕は早朝ということもあり、一瞬頭が真っ白になりかけたが、ひとまずは間違いなく大谷翔平であることを確認し、
「……これどうしたんですか?」と松井さんに聞いた。
すると松井さんは「色紙よく見てみて」と一言。
言われるがままに、再び写真の色紙部分を見てみてみると、そこには大谷のサインの右端に
「松井さんへ」と書かれてあった。
中山「……」
松井さん「いやあ、実は随分前なんだけどね、仕事先でたまたま機会があって、いや直接は会ってないんだけどね。大谷さんが来てるって聞いてさ! 上司に頼み込んで僕宛に一枚書いてもらったんだよ! この写真はサイン書いてもらった時に上司がスマホで撮影してくれた画像をプリントしたものでさ」と言い、続けて「貴重なものだし、最近の大谷、活躍すごいでしょ? だから御守りになると思って! ご近所さんに配ってるんだよね。中山くんにも一枚あげるね」
と嬉しそうな顔で僕に言ってきたのだ。
ここまで読んだ方はお気付きだろう。そう、松井さんはちょっと面白い人なのだ。念のためはっきりお伝えしておくが、決して変な人ではない。むしろめちゃいい人だ。
仮に初めて出会うアパートの隣人から、早朝に私服を着た若めの大谷翔平の写真を渡されたら、恐怖と困惑で一日寝込みそうな気もするが、そこは付き合いの長い松井さんとの関係だからこそ成り立つ、愉快な朝の一幕。
しかも松井さん宛てのサイン付きだ。なんと素敵な早朝の贈り物。目眩がしたのはきっと朝日が眩しすぎたからだろう。
僕は「うわあ! ありがとうございます!」と僕も大谷さんに負けず劣らずの堅い笑顔でその写真を受け取ると、
松井さんは「飾っておいたら、きっといいことあるから! ぜひ御守りに使って!」と言って満足した表情で自分の家に戻っていった。
僕は松井さんが自宅へ戻るのを確認した後、ガチャリと鍵を閉める。そして妻から「何か松井さんにもらったの?」と聞かれたので、一呼吸ついてから
「ああ、私服を着た若めの大谷翔平の写真をもらったよ。松井さん宛のサイン付きの」と答えると妻は顔を曇らせて「は?」と答えた。
うん、当然の反応だろう。
それから先ほど松井さんから聞いた、サイン写真の経緯を丁寧に妻に伝え、その日から我が家の玄関には“松井さんへ”と書かれたサイン色紙を持つ、ちょっと若めの大谷翔平が鎮座することになったのだ。
その写真が我が家に幸福をもたらしてくれるかどうかは分からないが、僕は今日も御守りとなった若い大谷翔平に見守られながら、ユニークな隣人のおかげで楽しく生活している。
