我が家の娘たち(4歳と6歳)はよく、くだらないことでゲラゲラと笑っている。
なんてことない言葉の語感や、子供お決まりの下ネタ「うんち」、変顔や変なポーズ、変な声など、とにかくなんでも面白いらしい。
「何がそんなに面白いの?」と僕が試しに聞いてみると
6歳娘「面白いから、面白い!」
4歳娘「わからない!」
と即答。本人たちはただただ直感的に「面白い」を感じながら日々を過ごしているようだ。
思えば自分も娘たちと同じように、子供の頃はよくくだらないことで毎日を楽しんでいた。
覚えていることで言えば、例えば「カンチョー」だ。両手を握り、人差し指を立てて他人の肛門めがけて指を突き刺すという、よくよく考えてみれば狂気にも近いような恐ろしい遊び「カンチョー」だが、当時流行っていたコロコロコミックやギャグ漫画からの影響か、小学校男子を中心にキッズたちは「カンチョー!」と叫びながら友達同士でお互いの肛門に指を突き刺すのに夢中だった。僕も休日のお父さんの背後にサッと忍び寄り「カンチョー!」の掛け声とともに、父の肛門に人差し指を突き刺してえらい怒られたのを覚えている。
他にも「俺はこの石を絶対に家まで蹴って帰る! 絶対に!」と一人、学校の下校時に謎の決意表明をして、道端に見つけた小さな石を長時間かけて家まで蹴って帰ったり、ただ夏のアスファルトが温かいだけなのに地面に手を触れては「ここには力が宿っている……パワーがもらえるぞ!」と友達を集めて、みんなで地面に手を当て大地のパワーを授かろうとしたり、風の噂でアロエが切り傷に効くらしいと聞いて、みんなでドラゴンクエストのように並んではアロエ探しの旅に出たりと、とにかく楽しいことしか考えていない生き物だった気がする。
そんな遠い過去に自分が通過した、想像力豊かで自由奔放な子供時代を、娘たちも今過ごしているのかと思うと「ああ、尊い時間だな」と感慨に耽ったりもするのだが、一方で親となった自分が子供の自由さに慌てることもたまにある。
先日も下の娘(4歳)が突然プールに行きたいというので、温水プールがある近所の区民施設にいった時、まだ顔に水をつけることもできない娘は、浮具を両肩につけながらチャプチャプと生ぬるいプールに浮かんでキャッキャと楽しんでいた。僕も娘と一緒にゆらゆらとプールに浮かんでいたのだが、しばらくしてプールの入り口ゲートから一人の女性が入ってきた。
みたところ60歳~70歳くらいの女性で、慣れた様子でプールサイドをスタスタと歩き僕らの目の前あたりでタオルを椅子に置くと、丁寧に準備運動を始めた。僕らはその女性が準備運動をしているのを横目にプカプカとプールに浮かんでいたわけだが、娘はその女性が気になるらしく、じーっと彼女を見つめている。
娘「……」
あまりにもじーっと見つめているので何かあるのかなと思い、僕も娘の様子を伺っていると、しばらくして
娘「……」
僕「……」
娘「…………」
僕「……」
娘「…………おばば!」
僕「!!!……やめなさい!」
娘「ふぁははは!!」
僕は咄嗟にプールの水面をパシャン!と、音が出るように叩き、どうか目の前のその人に「おばば!」というパワーワードが届いてませんように……と心から祈った。
「ふう……全く」と自分だけ肝を冷やしながらその後も、その女性が僕らの横を平泳ぎで横切っていくたびに、娘がまたあの恐ろしいワード「おばば!」を言うのでは……と怯えながらスリリングなプール時間を過ごすことに。ああ、すっかり子供の自由奔放さを管理する側の生き物になってしまった。
とはいえ、娘たちには是非とも自由で豊かな感性を大切にしてもらいたいと思う今日この頃。
かつてカンチョーをして父親に強く怒られた記憶を持つ自分としては、いつか近い未来で娘に晴れてカンチョーをされた時、決して怒らずにむしろ「ふふ、お前もついにカンチョーまできたか……」と微笑みを浮かべて、娘の成長と肛門の痛みを存分に感じようかなと思う。
いや、そんな父親は嫌か……笑。
