祈りの夜
いちばん大切なものは目に見えない。
「カヴァ」は、同名の植物の根をすり潰した粉を水に溶いたもので、サモアやハワイなどのポリネシア地域で儀式的な場面で飲用される。薬効としては鎮静や酩酊などの作用がある。つまりシャーマニックな言い方をするならば、アウマクア(祖霊)の力にコンタクトし、一座に平和な共有感をもたらすとされているのだ。
いつものようにみんなで車座に座って、今回のセレモニーを主催するサモアの彫師の長々としたお決まりの口上を聞いている。
「オレ、これ、ぶっちゃけ苦手なんだよねー。腹下すから」
「うん、なんかクスリみたいな味がしてエづくしな」
「普通にさっさとビールで乾杯でよくね?」
「ほんじゃあ、酔っぱらいポリネシア人の大喧嘩の仲裁は君に任せた」
隣に座っている、腿まで伸びる長いドレッド頭に極彩色の服を着た小柄な男と、暇つぶしにどうでもいいことをボソボソ話してクスクス笑っていた。やがてカヴァの注がれたココナッツの容器が回ってきて、隣の男が立ち上がって自己紹介を始めた。
エル・フェスティン(Elle Festin)。カリフォルニア在住。フィリピン諸部族のタトゥーを復興している。
……知っている。人類学者ラース・クルタクの本に出ていた。すごいタトゥーイストだ。本の中と目の前の本人のヴィジュアルが全然違うから気づかなかった。前より身体がかなり細くなっているようだ。ヘアスタイルも違う。……すごいタトゥーイスト……。トライバルタトゥー業界にはいろいろな仕事をしている彫師がいて、もちろんそれらの多くがそれぞれにプロとしてすごいわけだが、あくまでも僕の視点で見渡す限り、彼は唯一異次元の存在だった。
次に立ち上がって自己紹介をした僕に、「君があのタク・オーシマだったのか」とエルが言った。あの傍若無人な日本人の、とかそういう意味だったのだろうか。あの頃は生来の空気の読めない人格が災いしてよく炎上していたから。十数年も前のことだ。
Mark of the four waves tribe (以下:フォーウェイブス)。エルがまとめている、フィリピン諸部族のリバイバルタトゥーに関する、アメリカ西海岸を中心として主に西側先進国に広く展開するフィリピン系移民で構成される彫師やファンなどの実践者たちのグループだ。四つの波というのは、先史時代、スペイン領時代、アメリカ領時代、独立後の現代、といったフィリピンの主だった歴史ステージのことを例えている。
グループからは服やジュエリーなどのオフィシャル製品も数多く出ているが、メンバーは身体のどこかにグループのロゴマークのタトゥーが入っていることで確実に見分けがつく。彼らのチョッパースタイルのライダースジャケットやメンバーシップのタトゥーなどを見ると、どこかでヘルズ・エンジェルスのイメージを追っているチームなのかなという気もする。
そしてやはり、かつてのヘルズ・エンジェルスが白人限定のメンバーシップだったように、フォーウェイブスもフィリピン系だけの組織だ。ルーツという歴史観を装備した「血」の結社だ。もっとも、ポリコレが幅を利かせる現代アメリカの風潮に合わせて、現在のヘルズ・エンジェルスは人種による壁を撤廃してアジア各国にも支部を構えているのだが、こういう批判の矛先が向けられるのは社会的マジョリティとされるヨーロッパ系白人の団体に対してだけで、アフリカ系、アジア系、中南米系などのマイノリティの団体が同じ人種差別をやっても非難されることはないらしい。

公平な観点から考えると、そのポリコレには相当無理があることは誰にでも分かることだが、これには補足しなければならない大きな前提があるのだ。マイノリティとされるこれらの人々は実際のところ小学校時代からいじめの対象にされることが多いのだ。大人になってからだって何かにつけて差別される。
僕の実体験でもアメリカの旅では厳しい偏見をリアルに感じてきた。だいたいは頭のおかしな酔っぱらいとかが絡んできたりする程度だが、多数派の白人からだけではなく、少数派の黒人客ばかりの食堂で公然と追い返されたこともある。だからそれぞれの人種は自衛手段としてかたまって暮らし、人種間でお互いに交じり合うこともあまりなくなる。そしてそのことがさらなる偏見と分断を生み出していくという負のサイクルにハマっているのだ。そういったアメリカの現状を鑑みたうえで、という説明書きが、ポリコレの不平等性を裏からカッコ付きで支えている。自壊する現代思想の一端を見るようだ。
だから当然なのだが、そういったアンバランスな文脈に乗っかったリバイバルのタトゥーイストは、アメリカとカナダの北米に集中しているイメージがある。概ね自分たち有色人種と白人とを峻別した構図で捉えており、時に激しく攻撃的な言動を取ることもある。これまでいいように虐げられてきたのだから、やり返して当然なのだという理屈だ。そこでは自分の幼少期からの個人的体験は、「侵略、搾取された先祖の屈辱」という大きなヴィジョンにすでに変換されている。
僕の周りにもそのタイプはたくさんいる。その多くは僕がアジア人だからなのか、ひたすらその場にいない白人の悪口ばかり聞かされるし、人として付き合ってあまり愉快なタイプではないのでそんなに親しくはならないのだが、それらのリバイバルメーカーは、それぞれあまり時を経ずしていつの間にか消えていく。で、また別の同じような人が現れる。そのせわしない繰り返しなので、実際じっくり親交を温めるゆとりもないのだ。
なぜ彼らがすぐに消えてしまうのかを察するに、やはりどうしても作品のレベルの低さがあるような気がする。そもそも誰かに対する憎しみに満ちた当てつけだけが目的の、了見の狭いアートに賛同する客はあまりいない。タトゥーは自分の身体に纏う贅沢な娯楽なのだから。
この種の人たちはさらに、そのような自分のコンセプトが(新しいネタ好きのマスコミはともかくとして)、現実のマーケットに受け入れられない状況に嘆き、今度は返す刀で自分と同じ民族に対して、レベルが低いとか洗脳されてるとかイチャモンまでつけるものだから余計にお客さんが来なくなる。そしてもちろん作品や制作プロセス自体には愛が無いので上達もしない。そんな通常のプロの条件を満たしていない人も多いジャンルなのだ。
エル率いるフォーウェイブスは、そんなモヤっと未発達のままに出口の見えないような閉塞感すら漂わせていた領域に、2010年、ラース・クルタクの著書『カリンガ・タトゥー』とともに、圧倒的な実績という巨大な鷲に乗って突如として舞い降りたのだった。いや、1997年から地道に着々と彫っていたとのことだから、ただたんに我々が知らなかっただけなのだが、とにかくこの本を手に取った時には本当に身体がブルブル震えた。今でもこうしてあの瞬間を思い出すと、あらためて震えが走るほどだ。あり得ない物事が目の前に出現している。それが当時多くの同業者が抱いた感想だったはずだ。
君に会えて良かった。
いろいろと話を聞かせてくれ。
そろそろカヴァが効いてきたようだった。
王子のようなタトゥーイスト
すでに述べた見解からも分かると思うが、僕は人種差別的なリバイバルタトゥーイストとは距離を置いていて、自分自身の作風としても世界中の幾つものトライバルタトゥーのデザインに最大の魅力を感じ、それらを自由にアレンジし、国境も、宗教も、人種も、性別も一切問わずに、それを欲する全ての人に提供することを信条としている。たとえばイタリア・サルディーニャ島発祥のピザや、アメリカ・ニューオーリンズの黒人が始めたジャズがそうであるように。そして、作品画像をアップするだけにしておけばいいのに、わざわざ丁寧に文章でも説明していた。それが各地の民族主義者たちの逆鱗に触れて、しょっちゅう炎上して丸焦げの晒しものになっていたのだ。だからエルと僕は立ち位置がかなり違う。
だが、そういう能書きの一切も合財も、真に力のある作品の前では本来どうでもいいことなのだ。我々はともにトライバルタトゥーに真剣に向き合い過ぎている。そしておそらく家族や彼女からその点をウザがられているであろうイカレ野郎同士として、瑣末な違いを超えてあっという間に友となり、行く先々でよくツルむようになった。自分の奇天烈な物差しで、やるなコイツと思える仲間がいることは見つけ物だ。
野生味のある不良と、絵の得意なオタクというふたつの円の重なり目のあたりに世界のだいたいのタトゥーイストは収まると思うのだが、エルはだいぶ違う。かといってリバイバルタトゥーにたまにいる学級委員長みたいなタイプでもない。
例えるならば、そう、王子だ。はじめて彼が東京の僕の家に遊びに来た時は、なぜかフィリピン大使館のクルマで空港から送られてきた。いつもフォーウェイブスのメンバー集合撮影に使われている、ディズニーランドのスプラッシュマウンテンみたいな場所は、彼のカリフォルニアの自宅の庭の一部だ。スタジオに併設されたギャラリーは展示ジャンルの特殊性もあるが、世界のどこの博物館をも凌ぐスケールだ。
タトゥーコンベンションにはメイドと執事を伴って参加してくる。なおかつそういうことに全く衒いがなく自然体で、とてつもなく育ちが良さそうだ。その一方で苦手なこともある。タヒチの大先輩彫師の家に招かれた時は、雑魚寝が嫌でホテルを予約して引き上げていた。マヨルカ島では、フォーウェイブス用の特別なテントの設営がオープニングまでに間に合ってなかったことにかなり腹を立てていた。全てのパーツが揃って地面に段取りしてあるのだから、さっさと自分で建ててしまえばいいのに、と僕は思ったものだったが。そういうところもまた王子っぽかった。
さらにエルを観察し続けて分かってきたのは、彼自身は世の中の流行に敏感な一人の現代アメリカ人だということ。土臭さがない。そしてリッチな身分のおかげなのか、社会に対するひがみや劣等感みたいな側面が感じられない、子供のように素直な好奇心を備えている。そしてそのやりたいことにかかる費用には頓着がない趣味人のようだ。
また、社交が好きなようで業界内の人間模様にやたらと詳しくて、ゴシップネタの宝庫でもある。僕はそのへんには完全に疎いので、見かねたエルが「誰それは君を弾除けに使いたいだけだから相手にするな」みたいなアドバイスをくれることもある。虎の威を借る狐みたいな存在には気をつけているようだ。彼にすり寄る者が多いのは、まあ分かる。でも僕は別に金持ちではないし鈍重なので、僕を盾に使いたい人がいたらべつにそれでも問題はないのだが……。
ほかにも、彼は自撮りがとても好きだ。集合写真もよく撮っている。これは男のタトゥーイストのなかではかなり珍しい習性なので、彼を分析するうえでは重要なポイントとなるはずだ。自己愛と顕示欲。スター志向と考えても良いだろうか。
エゴということで言えば、僕の作品に対する執着の強さ、貪欲さは、春のヒグマにも全く引けを取らないほどで、おそらく死後の成仏が危ぶまれるレベルなのだが、一方で彫り終わったらそれをどう画像に残すかとか、プロモーションするかとかにはあまり関心がない。自分の顔にも興味がない。もうちょっと人にどう思われるかを考慮するならば、僕にもフォーウェイブス的な何かが作れるのだろうか。とりあえず指を四本出すフォーウェイブスサインでエルたちの集合写真に収まってみる。
なぜフォーウェイブスは成功したのか
フォーウェイブスの成功の外的な要因を僕なりに考えてみると、まず全体の基盤として、かつてのフィリピン諸部族のトライバルタトゥーの壮麗としかいいようもない見事なラインナップが近代まで存在していた、という事実が大きいのは間違いない。
次に、アメリカ合衆国のフィリピン系という特殊な状況下にある人々の意識にとってそれが潜在的に大きな需要をはらんでいたということがある。僕もそうだったから分かるのだが、人は異国で暮らすと自分が何人なのかということをあらためて意識するものなのだ。
もともと、1960年代のヴィンテージが好きなファッションデザイナーとしてキャリアを積んでいたエルはある時に偶然、かつてのフィリピントライバルタトゥーの存在に気づいて、資料を集めて研究を始めた。当時、プロの業界内でもそれはまだ全く知られていない領域だった。ネットが全然大したことなかった時代にそれをやるには学術論文を地道に漁る研究心が必要だった。
そしてだんだんと分かってきたそのデザインを、まず自分自身で大きく全身に纏った。現代マーケットに前例のないタトゥーのため、具体例として人々に示すためだ。そのタトゥーを手掛けたトンガ系アメリカ人の名手アイゼア(Aisea Toetu’u)から彫り方を学んだのはそれからだ。そして修得した技でさっそく9人のモデルに、出世払いでいいからと説得して完全なコンセプトのリバイバル作品を彫っていったのだという。自らフィリピン系アメリカ人のひとりとして、そこら辺の潜在的需要は分かっていたので、焦らずに下ごしらえから丁寧に仕込んだのだ。
「いいか、アメリカ合衆国の白人は自分の祖先がヨーロッパのどこから来たのかも分からないんだぜ。それで今じゃ根無草のように感じて不安でいっぱいなんだ。オレたちは同じ轍を踏まないようにしてるんだ」
とにかく何でもいいからと彫りはじめるうちに、金やら義理やらさまざまな現実のルーティーンに絡め取られていくタトゥーイストがほとんどだということを考えると、エルのそれらの初動には本当に無駄がなく、最短ルートで目標に向かっている。そして個人の彫師とその顧客という枠組みを超えた、協会的な啓蒙組織をいきなりスタートしたのも彫師の現実を大きく離れている。
そういえば、いつぞやのフィリピンの大洪水被害をタトゥーで支援するキャンペーンも斬新なアイデアだった。各地のタトゥーイストが特定のキャンペーンタトゥーデザインをボランティアとして無料で彫り、お客さんがその場でユニセフに寄付する仕組みだった。これはただの寄付ではなく、コミュニティ内外で特に真面目な保守層にタトゥーを入れることを同時に促進している。こういう知恵は教養とか前職から来ているのだろうか。あるいは王子として持って生まれたものなのか。
しかしそれにしても、先進国の現代社会で行われるリバイバルタトゥーに付きものである、「アイデンティティ」とは、「ルーツ」とは、一体何なのだろう。80年代以降日本でもこのワードはありふれたモノなので、今では何となく分かったように通り過ぎてしまいそうにもなるが、フィリピン系アメリカ人がフィリピン部族としての自己同一性を自覚したとして、それで何か特別な良いことがあるのだろうか。僕は日本人としてのルーツを自覚しているが、そのこと自体、嬉しくも悲しくもない。
たとえば僕にあるとすれば彫師としてのアイデンティティであり、いろいろな地域や仕事を渡り歩いた末に辿り着いた、この技の世界が非常に気に入っている。はっきりいって四六時中タトゥーのことしか考えていないほどだ。その感覚からしたら国籍や民族というカテゴリーは薄すぎてどうでもいいように感じるのだ。それらが意味するものとは一体何なのだろう。
フォーウェイブスのメンバーにKというかなり若い女の子がいた。はじめて会ったのはニュージーランド・マオリ系のイベントだった。ターコイズブルーの髪の、パンキーなノリのフィリピン系ニュージーランド人だ。カリフォルニア風のオーガニックなノリの人が多いフォーウェイブスのメンバーのなかで髪をド派手に染めているキャラは彼女だけだったから、ちょっと目立っていた。彼女は身体改造やサスペンションやアヤワスカなど、いろいろなことにチャレンジしまくっているらしかった。性急過ぎる自分探しをしているような、パンクスの若者に付きものの危うさを漂わせていた。
エルが東京に来た時には彼女も合流してきて、一緒に浅草寺に行ったり、僕の行きつけの広州市場のワンタン麺を食べたりした。東京のあとはフィリピンに飛んで、カリンガに行くと話していた。その後ほどなくして、Kは亡くなった。自殺だとか、薬物のオーバードーズだとかいわれていたが、詳細は分からなかった。
はたしてKは探していたモノをカリンガの里で見つけられたのだろうか。
山奥の秘境へ
「キャー、オニーサン、遊んでって!」
通りに面した雛壇の女の子たちの嬌声。日本語だ。店のネオン看板も日本語が多い。カジノもある。しかし、オニーサンって歳でもないだろう。せめてシャチョーサンとかにしてくれ。無理か。見るからにカネ無さそうだもんな。
チョロQみたいな可愛いサイドカーをくっつけたバイク「トライシクル」が、目覚めたばかりの夕刻の歓楽街をお客を乗せて行き交う。セブンイレブンの前には不幸そうな花売りの少女と、トルエンでラリってインスタントな多幸感に包まれた乞食の少年たち。生きることの選択肢の無さ。財布の小銭を全て与えた。既に知っている東南アジアのどこかのようでいて、やはり初めて見る風景。マニラに来ている。

とりあえずあたりを見渡してタバコを吸っている人を探すのだが、誰もいない。最近、世界中どこでもこんな感じだ。仕方がないから警官がいないことだけ確認して、なんとなく隅っこ的なスペースでタバコに火をつける。

ドレスアップしたフィリピーナと連れ立っている日本人男性は50〜60代が多いようだ。在住者なのだろうか。悠々自適のセミリタイアとかか。70〜80代って感じの人もいる。そうなるとちょっと介護の様相まで呈している。もちろん日本の老人施設よりこっちの方が断然良さそうだ。まあ、このラインナップを見れば、僕はまだオニーサンあたりで妥当だったわけか。
フィリピーナたちは全体的に小柄で手足が長く、胸が大きい。顔つきは、いろいろミックスしてきた歴史の産物で多彩なバリエーションだ。言葉の習得能力がとても高いのもそのおかげだと思われる。
とにかくみんなすごく楽しそうだ。しょせんお金の関係でしょ?なんて声も聞こえてくるけれど、サラリーマンの仕事が嘘っぱちだなんて誰にもいえないはずだ。僕も一刻も早く美人の先生を見つけてタガログ語の個人授業を受けたいところなのだが……残念ながらこれからすぐに仕事なのだ。
昭和の時代、指名手配されたヤクザが高飛びする先といったらフィリピンと相場が決まっていた。そして現地で銃や覚醒剤を密造し、それを日本に流してシノいでいたのだ。日本で問題が発覚すると、日本政府からフィリピン政府に毎度問い合わせがきて、フィリピン人のことではないのにわざわざ捜査を始めなければならない羽目になる。そういうことが延々と繰り返されてきた果てに、いい加減に嫌気がさしたフィリピン政府は内部の不文律としてこう決めた。
入れ墨の入った日本人男性は、理由を告げずに入国を拒否して追い返すこと。
なにしろ普通に人権侵害行為なので、公に大使館や入管に問い合わせてもシラを切られるだけだったが、そのルールがしっかりと存在することは、タトゥー産業に携わる者なら実際に理由も告げられずにマニラ空港で追い返されたカタギの人がたくさんいることで知っていたのだ。服で隠していてもタトゥーをある程度透視できる赤外線モニターがあるという噂だった。
最近はもうそんなことないよ、という話も聞いていたが、もし飛行機代を無駄にしたらバカバカしいのでコンベンションのお誘いなども断ってきた。だが今回、日本の大きなメディアから取材撮影の話が来たのだ。そういうビジネス目的のビザがちゃんと取れるならば話は別だろう、ということで受けたのだ。

https://www.tbs.co.jp/crazyjourney/
ところがいざ出発という段になって、「ルフィ強盗団」のニュースで日本のマスコミは持ちきりになっていたのだ。フィリピン入管施設に留め置かれている日本人男性たちが遠隔指示で日本国内の強盗団を操っていた事件だ。国内で係争中の容疑者の日本への引き渡しはフィリピン政府にとって超法規措置だった。はっきりいって大迷惑のはずだ。これはマズい。昭和の構図そのものだ。また締めつけが厳しくなるのかもしれない。まあ、でもビジネスビザがあれば大丈夫か。……え? 結局取ってないんですか? マジで!?
「パスポート写真には顔のタトゥーがないですね?」
と、入国審査官。
「(ギクっ!)えっ、ええ、最近入れたんです。タトゥーが大好きで、今回はカリンガでタトゥーを入れてもらいに来ました。アハハ」
「あぁ、なるほど。ブスカラン村ですね。それでは良い旅を」
(フヒィ……)どうにかセーフだった。
フィリピンの人間国宝
カリンガ州。フィリピン、ルソン島北部の山岳地帯。かつては全土で盛大におこなわれていたフィリピン諸部族のトライバルタトゥー文化の名残りが最近までブトゥブトゥ族によって実践されていた地域であり、そのなかでもさらに彫師が最後の最後まで残っていたのがブスカラン村だ。彼らのトライバルタトゥーは、蛇の鱗を表す六角形の連続パターンが身体を広範囲に彩ることで世界的に有名だ。
夜通しバンで飛ばして明け方に着いたカリンガ州は雨だった。目的地のブスカラン村はもう谷を越えたすぐ向こう側だ。村に入るためのチェックポイントでIDを登録する。ここからは歩きだ。ひとりの中年女性の村人の道案内で谷を降りていく。
「日本ではセックスのこと何ていうの?」
まぐわい。
「……マグ……ワイ。マグワイ!! ワハハハハハ!」
マグワイ……グワイ……ワイ……
やまびこが谷に響き渡る。
人間は両親の交わいから産まれ、自らもまた交わうために生きている。……+1÷2+1÷2+1÷2+1÷2+1÷2……。それは世界共通の摂理で、どこの国から来た旅行者の心にも響くのだ。
オバちゃん、どうやらシロートじゃないね。ワハハ! さっそくブトゥブトゥ語の個人授業の先生を見つけてしまった。
それにしても結構な数の観光客とすれ違う。平地の都会から来たフィリピン人たちのようだ。雨でぬかるんだ山道に四苦八苦している。もう一歩も動けない様子で激しく肩で息をしながらうずくまっている人もいる。顔面蒼白だ。まるで苦行の巡礼だ。
そう、これは一種のお宮参りみたいなものなのだ。御神体は霊験あらたかなる雌の大蛇様、アポ・ワン・オド、106歳。最後の、そして現役の伝統彫師であり、フィリピンの人間国宝なのだ。

https://inkppl.com/en/magazine/ink-people/vogues-oldest-cover-model-106-year-old-philippine-tattoo-artist-takes-the-spotlight
世界遺産にも指定されている棚田の奇観を眺めていると、谷の急斜面を登った先の村の入り口には、ちょっとした店がある。タトゥーを入れに来たお客さんたちはみんなここで、長さ15センチほどの竹の棒に柑橘類のトゲを垂直にセットしたモノを買うことになっている。これが施術で使う道具で、自分用の新しい針を携えて彫師の家に行くというシステムなのだ。衛生面でのイメージが良い上に、民芸品としても丁寧に可愛らしく作ってあり、記念のお土産に最適だ。トゲ部には持ち運び時用の保護キャップまで付いている。こんなもの初めて見た。

さらに彫師の側からしてみれば、お客さんが新しくセットされた道具をそれぞれ持って来て、そのまま持ち帰ることで施術後の片付けや次の段取りといった作業がカットされ、彫る作業が格段に効率的になる。本当にいったい誰が考えたのだろう。
新たな技術の継承者
今回あらかじめ連絡を取りあっていたグレースが出迎えてくれた。ワン・オドの一番弟子だ。20代半ばだが、子供の頃から彫師をやっているのでキャリアは長い。先にワン・オドを最後の彫師と形容してみたが、これは彼らの伝統習俗としてのトライバルタトゥーを手掛ける最後の彫師ということだ。その伝統が途絶えてから長い時間が経った後に、ワン・オドの存在は外国人の学者や旅人から再発見され、世界的な現代タトゥーの盛り上がりとも相まって、外国からのお客さんが頻繁にブスカラン村を訪れるようになったのだ。
そうして再び彫られるようになったタトゥーは、かつての伝統とは地続きではあるが、現代タトゥーのニーズに基づいてアレンジされたモノとなった。つまり、伝統的なオーバーオールのデザインから旅行者の時間的制約に合わせたワンポイントデザインにシフトしたのだ。グレースが継承者として弟子になったのはこのタイミングであり、したがって彼女はカリンガ村のタトゥーの新しい局面の、最初の彫師ということでもある。
その技がいま、いよいよ円熟の領域に差し掛かっている。SNSやネット記事などを見ていて、「僕も彫ってもらいたいなぁ」と思っていたのだ。ワン・オドは象徴的な存在として、通常ならとっくに引退しているタイミングをはるかに超えて村や世界のために現役を続行しているわけだが、当然、職人として最盛期ではない。往時のトライバルタトゥー技術のリアルな精度をいま体現しているのはグレースなのだ。僕は自分でもさまざまな素材を使ったタトゥーの実験をしているので、レモンのトゲのハンドタップ手法で安定した結果を出す彼女に心底感嘆していた。たぶん、それは成人してから練習するのでは遅すぎる、両利きならではの技なのだ。
ちなみに、カリンガ地域をはじめとするフィリピン諸島に存在していたさまざまなタトゥー部族たちは、近世の記録としては金属製の縫い針を使ってタトゥーを彫っていた。彼らは作業効率を上げるために鉄の縫い針を何本もまとめて丸針や平針を組んでいたのだ。フィリピン諸島で金属加工が始まったのは、1565年からのスペインによる占領統治よりもはるかにずっと前、日本とほぼ同様の2000年ぐらい前まで遡ることができる歴史があり、人々は早くから鉄の針を普通に使っていた。だから近世まで残っていたフィリピン諸部族のタトゥーは、必ずしも石器時代の風習そのものということではないのだ。
ブスカラン村にも鍛冶屋があり、鉄の農具や武器を自前で制作している。おそらくワン・オドより前の世代の彫師たちもそうした鉄製品の針を使っていたはずなので、柑橘類のトゲという石器時代的な古式手法をあえて使い始めた彼女の活動は、それ自体がすでに今日的なリバイバルの色彩を帯びていたと僕は考えている。
ドライバーが作る旨いメシ
マニラからブスカラン村まで夜通し運転してくれたドライバーは、勝手知ったる様子で宿の厨房にあるカマドを使って我々取材班のご飯を作ってくれていた。しょっちゅう外国人やマニラの観光客を連れてこの村に来ているのだ。朝方に立ち寄った街でガッサリと仕入れた材料で旨いメシを次から次へと作っていく。だいたいガイドとかドライバーは料理のプロでもあることが多い。
フィリピン料理では豚肉がとても大事なようだ。豚肉の素揚げのガリッとくるディープな揚げ具合にはメキシコのチチャロンを思い出す。香辛料と水飴で仕上げた中華由来の甘いソーセージは僕の大好物だが、フィリピンではこのカテゴリーがかなり一般的なようで、いろいろな種類がある。揚げ物、炒め物、すべてラードで香ばしく仕上げている。豚肉を知り尽くしているような雰囲気がある。そして全般的に辛くないのが特徴だ。
コロンブスが新大陸から唐辛子を持ち帰ってから五百余年。今ではアフリカ、ユーラシア大陸全域に行き渡っているのだが、アジアではおそらくフィリピン、台湾、日本の島嶼部3カ国の料理だけがまだ唐辛子の本格的な洗礼を浴びていないように思う。だから一見それは地理的な要因にも見える。
唐辛子は中毒性があるので、徐々に食卓を席巻していく性質がある。それこそ40年前は辛子明太子やキムチ程度で日本人はヒイヒイ言っていたものだ。30年前から始まった激辛食ブームだって、今のガチ中華やガチ印度なんかと比べると当初はまだまだお子様ランチみたいなものだった。だから、段階を重ねて少しずつ日本人も唐辛子に慣れてきていると言ってもいいだろう。
それでもまだ日本食というカテゴリー内での唐辛子は、七味唐辛子やタカノツメなど、とても限定的な脇役に過ぎない。将来的に日本料理は韓国料理のように真っ赤になるのだろうか、それともヨーロッパ各地の料理のように唐辛子をさりげなくやり過ごすことになるのだろうか。









