「共同幻想」の終焉
マーティン・ハリソンは、「ごく一般的な話題を除けば、1970年代以前、ファッション写真が公の場で議論されることはほとんどなかった」と述べている1。それが公に語られるようになる、言い換えればファッション写真の展覧会が開催されたり、その歴史が編まれるようになるのは1970年代半ば以降のことだった。
その最初期の例として挙げられるのが、1975年から76年にかけてニューヨーク州のホフストラ大学エミリー・ロウ・ギャラリーを皮切りに、ボルチモア美術館やシカゴ美術館に巡回した展覧会〈ファッション写真の60年〉展である。この展覧会ではカタログは発行されなかったが、残された会場風景写真や展評を見るかぎり、その出品数は膨大なもので、ファッション誌に写真が使用されるようになった1910年代以降の60年を網羅的に扱った展覧会だったようだ(図1)。

その展覧会評を『ニューヨークタイムズ』に執筆した美術評論家のヒルトン・クレイマーは、ファッション写真をフォトジャーナリズムの多少特殊性のある一分野で、広告芸術のひとつの形態であると位置付ける。そしてそれが芸術的関心の対象へと転換しつつある理由について、人々のものの見方が大きく変化したと指摘する。
そのなかでも最も重要なのは、写真表現における「真実」や真正性とは何かという、われわれの視点の変化である。ドキュメンタリー写真の慣習が比類なき権威を誇っているかぎり、ファッション写真が美的規範として認められる可能性はほとんどなかった。ドキュメンタリーの伝統において重要なのは、あるいは重要だと考えられているのは、現実への忠実さであり、あらゆる意図的な作為——とりわけ、ファッション写真の核心をなす演出された照明、ポーズをとらされ着飾った被写体、そして加工されたプリント——はその根本的な目的への違反とみなされるのだ。ドキュメンタリー美学の基準で判断すれば、ファッション写真は容認しがたく、虚偽に満ちた虚構にほかならない。
しかし、ドキュメンタリー的な姿勢は、もはや成熟した写真や写真の歴史に対するわれわれの見方全体を支配するものではない。第一に、われわれはいまや、ドキュメンタリー写真そのものが、独自の美的戦略と、(認められていないが)独自の虚構の体系を備えたひとつの様式であることを、鮮明に認識している。2
クレイマーの意見をいま一度整理してみよう。まず彼は、ファッション写真はフォトジャーナリズムの一分野だが、多少の特殊性があるとしている。これは、ファッション誌が広い意味でジャーナリズムの分野に入るということを念頭においている。ただ、そこで「多少特殊な」という留保をつけたのは、いわゆるニュース的な要素をもったフォトジャーナリズムとは、そのあり方が異なるからだった。つまり、いわゆるフォトジャーナリズムは写っているものが真実であるという共同幻想のうえに成り立っているのに対し、ファッション写真ははなから虚構に満ちているのが大きな違いだということだ。
とはいえ、もはやジャーナリスティックな事実や真正性に立脚した写真だけが写真の見方とは言えないというのが、クレイマーが打ち出した大局的な視点だった。
すでに見てきたように、1960年代後半からフォトジャーナリズム、ないしドキュメンタリー写真は個人的な視点に立脚したものが台頭してきていたし、あらかじめ組まれたストーリーに沿って取材して誌面を組んだフォトジャーナリズムは、必ずしも善悪のはっきりした真実のストーリーとは誰もが思っていなかった。そうした写真を主体としたグラフジャーナリズムとよばれるあり方は、アメリカでは特に『ライフ』誌が牽引していたが、その『ライフ』も広告収入の低迷による発行部数の縮小やテレビなどの新たな情報メディアの台頭によって、1972年に休刊にいたった。こうした視覚のパラダイムシフトは、クレイマーがいうように人々のものの見方を大きく変え、その影響はファッション写真にまで波及していったのである。
「絶対的視点」という神話の終焉
だが、70年代半ばになってファッション写真が公に語られるようなものになったといっても、その表現を即座に同時代のアートシーンと接続させることは、批評家たちにとっても簡単なことではなかった。なぜならば、そこには前提として語られる「歴史」が共有されていないからである。
実際、この展覧会のあとを追うように、1977年から78年にかけてはロチェスターのジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館、サンフランシスコ近代美術館など各地で〈ファッション写真の歴史〉展が開催されたことは、ファッション写真への芸術的関心が高まっていることを裏付けているといえるだろう。
その先駆けとなる〈ファッション写真の60年〉展に戻ってみよう。クレイマーはどのように見たのだろうか。カタログや評論が残されていない同展において、クレイマーの視点は貴重な証言となり得る。
ファッション写真界において、セシル・ビートンやアーヴィング・ペンに勝る才能は存在せず、ジョージ・プラット・ラインズやジョージ・ホイニンゲン=ヒューンの作品の一部も、彼らと同等の(第一級の)レベルにある。しかし、本展に出品されている著名な写真家たちのなかには、単にお飾りの名前に過ぎない者もいる。ここで展示されているマン・レイの写真は際立った特徴がまったく欠けているし、エドワード・スタイケンの写真は、彼の多面的な経歴を知る者にとっては興味がないわけではないが、彼の特別な才能というよりは、ありふれた手腕を一貫して示しているに過ぎない。デュアン・マイケルズの写真は高揚したレトリックが支配する雰囲気のなかである種の控えめで気取らない雰囲気を狙っているが、単に退屈なだけだ。そして、そのレトリックの効果を最大限に引き出すことに特化したリチャード・アヴェドンの写真は、実に退屈である。3
当然、あるものの評価というのはその時代によって変化する。そのときに興味深いのは、まだ歴史になりきっていない近過去の事物は概して否定的に評価されるという点である。ことに、ファッション写真で絶対的な地位を築いてきたアヴェドンの写真が「実に退屈」と断じられているのは注目に値しよう。
だが、歴史的な視点だけでなく、常にコンテンポラリーとしてファッション写真を扱っているファッション誌の編集者のなかでも、1970年代になるとアヴェドンの表現が時代にそぐわないものと見なす向きはあったようだ。グレース・ミラベラは『ヴォーグ』の編集長となった1971年に、アヴェドンについて次のように感じたと述べている。
リチャード・アヴェドンもまた、過ぎ去りゆく時代に囚われているように思えた人物のひとりだった。彼は依然としてファンタジーや舞台的な演出を通じて服を表現していたが、それがどれほど見事に仕上がっていたとしても、1971年においては時代遅れに映った。わたしは『ヴォーグ』に気楽さ、動感、そして生命感をもたらしたかった。そして、アヴェドンのあの壮大な演出からは、そうしたものは得られなかった。4
これは、作り込まれキラキラとした従来のファッション写真が重視してきた表現が前時代的と見なされつつあったことを暗示している。クレイマーはそれを「レトリック」、ミラベラは「壮大な演出」と呼ぶ。ここで思い出されるのが、1970年前後に写真芸術の分野であらわれてきた「ニュー・ドキュメンツ」や「社会的風景」といったことばで括られた写真家たちの視点である。彼ら/彼女らの表現は従来の二項対立的なフォトジャーナリズムのありかたに変化をもたらし、ファッション写真と接続する回路を作ったのは先に見たとおりだ。そうした緩やかな接続が、ここにきてグラフジャーナリズムのみならず、ファッション写真の世界にも広がったと見ることは間違いではないだろう。
ゆえに、ミラベラがいう気楽さや動感、生命感がアヴェドンのような完全無欠な演出的表現では得られないというのは、『ライフ』の休刊とは無関係ではないといえるだろう。つまり、ジャーナリズムが善悪のはっきりしたストーリーを絶対としていたとすれば、ファッション写真は演出された幻想的で非現実的な世界観を絶対としていた。いずれもその成り立ちはことなるが、同じルーツをもつ要因によって、それぞれの「絶対」は終焉を迎えたのである。
視覚的スキャンダルというゲーム
だが、ファッション写真はより曖昧なもの、日常的なものへの探究へと向かったわけではなかった。1970年代初頭になってファッションが自己表現、自己主張となる。ファション写真それに呼応するかのように、より実験的、あるいはスキャンダラスな表現へと進んでいくこととなる。
では、1970年代当時の「コンテンポラリー」なファッション写真の表現はどのようなものだったかといえば、その代表的な一例が、ヘルムート・ニュートンのような写真にほかならない。わずか半年ほど前の『ヴォーグ』に掲載され、〈ファッション写真の60年〉にも出品されていたと考えられるデボラ・ターベヴィルのあの公共浴場の写真を引き合いに、クレイマーは現代ファッション写真の表現について嘆く。
近年の作品の中には、その倒錯や暴力への嗜好ゆえに、実に背筋が凍るようなものもある。デボラ・ターベヴィルが1975年に撮影した、シャワー室にいるモデルたちの写真は、本展で最も美しく構成された作品のひとつだが、その『マラー/サド』を思わせるイメージは、わたしたちがファッション写真の境界を越え、より病的な領域へと足を踏み入れてしまったのではないかと考えさせられる。ヘルムート・ニュートンの写真を見れば、もはやその疑問は消え去る。ここでのファッションへの関心は、殺人、ポルノ、恐怖への関心と見分けがつかない。セックスは、もちろん、あらゆるファッション写真における不変のテーマだが、ニュートンの作品においては、それがあまりにも騒々しく不快なものとなり、その写真は別のジャンルの基準で評価されることを強いるほどだ。ニュートンの写真が我々に告げているのは、ファッションそのものが今やポルノ文化の一部門となったということかもしれない。もしそれが真実なら、わたしたちが知るファッション写真の歴史――そしてこの展覧会で大部分が記録されているその歴史――は終わりを告げ、何か別のものがその座を占めていることになる。5
クレイマーの意見はもはやターベヴィルの作品を褒めているのかどうかもわからないほど軸足が定まっていないが、作り込まれた美しい虚構の世界から一転して、「殺人、ポルノ、恐怖」といった主題が台頭しているのはたしかだった。
ここでは言及されていない――つまり同展に出品されていなかったのだろう――が、フボブ・リチャードソン、クリス・フォン・ワンゲンハイム、ギィ・ブルダンらの作品にも、往々にしてそのような傾向を見出すことができる。これらは、同時代の日本の広告写真についてしばしば言われた「ヴィジュアル・スキャンダリズム」、すなわち驚きのための驚きといったような、虚構の世界の次なる展開を示していよう。1970年代になると、こうした展開はファッション誌のみならず、ブランドの広告でも展開されるようになった。特に、ブルダンの表現は耳目を集めたもののひとつだ。
ブルダンは1928年にパリに生まれ、1948年から49年にかけての兵役中に空軍で写真の技術を身につけた。画家を目指していたようで、兵役後の1950年にはパリの画廊で油彩とデッサンの個展を開く。翌51年にはマン・レイに弟子入りし、その後も絵画の制作や展示を続けるが、54年にフランス版『ヴォーグ』の編集長エドモンド・シャルル・ルーと出会い、同誌の55年2月号にはじめてファッション写真が掲載されたことで、ファッション写真家として活動するようになる。最初に掲載された写真のうちの一枚は、諧調の整った端正な黒白写真のなかに、いかにも師がマン・レイであることを感じさせるシュルレアリスムの雰囲気を纏っていた(図2)。

以後、ブルダンは美しい諧調と口当たりのいいシュルレアリスム的な違和感を武器に、フランス版『ヴォーグ』を中心にファッション写真家として活躍していく。
1970年代になるとシャネルやシャルル・ジョルダン、イッセイ・ミヤケ、ヴェルサーチなどの広告写真を手がけるようになる。なかでも1975年に手がけたジョルダンの広告は、これが高級女性靴ブランドの広告なのかと疑いたくなる写真である(図3)。

血痕やチョークで輪郭線が象られた人の姿は、決定的な場面を表現することを周到に避けながら、断片的情報から殺人現場や交通事故現場を思わせる。高級靴ブランドの広告なのに事件現場、事件現場なのにそこにピンク色のジョルダンの靴。不謹慎だが眼が離せないヴィジュアル・スキャンダリズムとシュルレアリスム的発想が融合し、異化効果が往還するような表現はヒッチコック映画のようでさえある。
実際、ブルダンはヒッチコックの映画に強い興味を抱き、ヒッチコックが多用した「マクガフィン」という概念に魅了されていたという6。マクガフィンとは、登場人物たちにとっては重要だが、観客にとっては実態はどうでもよい、物語を展開させるのに重要な役割を担うアイテムのことである。この広告でいえば、ジョルダンのピンク色の靴はまさにマクガフィンにあたる。こうした広告によって、ジョルダンの業績が上がったという証言はある7。だが一方で、ブルダンはニュートン、フォン・ワンゲンハイムとともに、ファッション写真に暴力表現も持ち込んだ写真家という評価を下されることともなっていく。
グレース・ミラベラは「ファッションはゲームになった。その根源は70年代後半にあり、デザイナーたちはレーガン時代の繁栄と密接に結びついて王様に祭り上げられた」と述べる8。これは、ファッション写真にも少なからず当てはまるだろう。不謹慎、不愉快。だが目が離せないという視覚のスキャンダルの追求は、視覚的ゲームにほかならない。もはや、美しい絵空事を表現するファッション写真の時代は終わりつつあった。
- Martin Harrison, Appearances: Fashion Photography Since 1945, Jonathan Cape, 1991, p. 233. ↩︎
- Hilton Kramer, “The Dubious Art of Fashion Photography,” New York Times, 28 December, 1975, p. 28. ↩︎
- Ibid. ↩︎
- Grace Mirabella, In and out of Vogue, Doubleday, 1995, p. 145. ↩︎
- Kramer, op. cit. ↩︎
- Hannah Marriott, “Inside the Surreal World of Guy Bourdin,” (https://www.theguardian.com/fashion/2015/mar/05/surreal-world-guy-bourdin?utm_source=chatgpt.com 2026年6月14日閲覧) ↩︎
- Ibid. ↩︎
- Mirabella, op. cit., p. 14. ↩︎









