退廃的表現への批判

ファッション写真に暴力的表現やポルノ的表現、退廃的表現が持ち込まれ、その中心人物がターベヴィル、ニュートン、ブルダン、フォン・ワンゲンハイムらであることは、1970年代中盤から後半にかけてしだいに知られるようになっていった。多くの批評家らが少なからず彼ら/彼女らの名前を挙げるようになっていく。

わたしたちは「ターベヴィル、ニュートン」と聞くと1975年5月号の『ヴォーグ』を思い出す。ターベヴィルの名が良くも悪くもあの「ガス室」の写真で知られたことは間違いないだろうが、ニュートンはそこに載せられた以上に議論を巻き起こす写真を同時期に多く発表していた。ニュートンは「私がフランス版やイタリア版『ヴォーグ』のために撮影した写真について、アメリカ版『ヴォーグ』の人々は非常に腹を立てていたことは知っている」と述べている1。さらに、パリ市立近代美術館のキュレーターだったフランソワーズ・マルケはニュートンの写真について次のような見解を示している。

避妊ピルの登場とともに訪れた性革命を予見するかのように、ヘルムート・ニュートンの世界に登場する女性たちは、自らの欲求を自覚し、それを手に入れる存在である。彼女たちは、女性嫌悪のマッチョに支配された弱く従順な性的対象とは程遠い。ニュートンの作品がこれほど衝撃的と評されてきた理由はここにある。彼の演出された写真は、この新たな自由の発見と、その自由が生み出す幻想を主題としているのだ。

 ヘルムート・ニュートンの写真は、女性の精神性を徐々に、しかし根本的に変えたこの革命と共鳴する。なぜなら、女性が自らの性を制御できるようになったのは史上初めてであり、それまで女性の性的行動は母性とは切り離せないものであったからだ。

 ユダヤ・キリスト教道徳のタブーは即座に崩壊した。さらにこの革命は、才能あるヘルムート・ニュートンが長年予見していたものと完全に一致していた。2

こうした意見からは、ヨーロッパとアメリカで新しい時代の女性表現の捉え方にかなり隔たりがあったこと、さらには清教徒やユダヤ教徒に強く嫌悪感を抱かれていたことが垣間見える。実際、ニュートンやブルダンらが活躍したのはヨーロッパ中心だった一方、その批判的意見の多くはアメリカから出ているのは、この時代の価値観を知るためのひとつの指標となるだろう。

一方、アメリカ出身で、ニューヨーク近代美術館のキュレーターを経て結婚を機に1930年代後半にイギリスに渡り、『ハーパーズ・バザー』のエディターなども務めたアーネスティン・カーターはやや異なった意見を示している。彼女は、1960年代にメルヴィン・ソコルスキーがモデルをプラスチックの泡に閉じ込めたり、デイヴィッド・ベイリーが妊娠中の編集者のヌードを撮影したり、イブニングドレスをまとったモデルを干し草の山に埋もれさせたりしたような写真は健全で楽しい遊びにすぎなかったという。そして、その後の60年代末以降の状況を、次のように述べる。

さらに悪い事態が後に続くことになる。〔……〕より長く続いたのは、60年代末に始まった退廃的なムードである。奇妙なことに、その口火を切ったのはイギリス版『ハーパーズ・バザー』(同誌は責任者のファッションエディターを解雇した)であり、1965年に創刊された『ノヴァ』がすぐにそれに追随した。その主要な担い手は、サラ・ムーン、ペチノッティ、エヴァ・セレニー、デボラ・ターベヴィル、そしてヘルムート・ニュートンだ。ポルノは、映画や演劇、文学を席巻した後、ファッション写真の世界をも乗っ取った。その最も不気味な点は、写真がしばしば独創的で想像力に富み、時には美しいものであるにもかかわらず――それでもやはりポルノであるということだ。そして、それはファッション写真とはほとんど無関係である。3

すでに馴染みのある名前以外ではまさしくエロティックな作風で知られたハリー・ペチノッティは批判に値するにしても、メロドラマ風の演出をした写真で現在ではほとんど人々の記憶に残らないようなセレニーや、セクシュアルというより幻想的な世界観が人々を惹きつけてきたムーンがなぜここで言及されているのかという疑問が残る。

もう少し、ムーンについて掘り下げてみよう。彼女は1941年にフランスで生まれ、1960年代にモデルとして活動するかたわら、スタジオや楽屋で待機しているモデルたちを写真に撮りはじめる。そうした経験を機に、1968年にファッション写真家に転身した。

1969年には早くもイギリス版『ハーパーズ・バザー』で表紙を担当するほどの写真家として頭角をあらわす。彼女の作風はソフトフォーカスや粒状感が強い幻想的、ノスタルジックなもので、その特徴がごく初期から見ることができる(図1)。

図1 『ハーパーズ・バザー』イギリス版、1969年3月号

一見するとブロドヴィッチ-アヴェドンの流れからのアレ・ブレの延長ともいえるが、カラー写真の粒状感は戦前まで一般的だったカラー写真技術であるオートクロームの質感を思わせるもので、主題のみならず、技術的にもノスタルジーを感じる人は多かったのではないかと考えられる。

また、マガジンワークのみならず、キャシャレル、シャネル、ジャン・パトゥ、イッセイ・ミヤケなどのキャンペーン広告も手がけていく。特に、キャシャレルのために撮影したフィルムは1979年のカンヌ国際映画祭で金獅子賞を受賞し、その関係は1990年代まで続く特別なものとなった(図2)。

図2 キャシャレルの広告(1990年、サラ・ムーン撮影)

「わたしにとっては、花も、庭も、女性もすべて同じものだ。わたしはファッション写真しか撮らなかった。ルポルタージュやそのほかのジャンルは手がけなかった。それ以外なら、写真を撮るつもりはなかった」と彼女はいう4。しかし、それはマーティン・ハリソンが言うように、単に「ファッション写真が唯一の表現手段であるという意味」での、純粋なファッション写真家であるという宣言と受け取るだけでよいのだろうか5

 

思想の街パリの欲望

ここで重要なのは、1950年代以降のパリという街のありようである。すでに見てきたロンドンは階級や社会制度への反抗から、新たな文化が生まれる制度の街だった。だからこそ、写真家の階級が問題にされ、人種問題が前面に出てくる。対してパリは思想の街である。50年代後半以降、ロラン・バルトやジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ジャン・ボードリヤールといった思想家や哲学者たちが人文科学の分野で広く欲望や消費について論じていたという文化的背景である。

彼らは同じ時代の違和感を言語化しようとしていたわけだが、それぞれが向き合っていた問いは実に似ている。バルトは記号や神話をキーワードに、わたしたちは目の前にあるものをそのまま見ているのだろうか、わたしたちが読み取ってしまう裏の意味は誰が作ったものかと問う。ラカンは、欲望はいかにして形成されるか、その欲望は自分のものなのかと考える。バルトの理論を踏襲したボードリヤールの問いは「わたしたちは何を買っているのだろうか?」という、より研ぎ澄まされたものだった。

いずれにしても、その答えはシンプルである。欲望は社会や他人からの視線によって作られ、広告には機能や品質よりも欲望や幻想が表される。ボードリヤールは1970年に著した『消費社会の神話と構造』で次のように述べる。

消費社会の特徴は、マス・コミュニケーション全体が三面記事的な性格(、、、、、、、、)を帯びていることである。政治的・歴史的・文化的なあらゆる情報は、三面記事という当たりさわりのない、しかし同時に奇蹟を呼ぶような形式で受け入れられる。これらの情報はまったく現実的なもの(、、、、、、、、、、)、つまり目につきやすいように劇的にされ、と同時にまったく非現実的なもの(、、、、、、、、、、、)、すなわちコミュニケーションという媒介物によって現実から遠ざけられ記号に還元される。6

ここでわたしたちが求めている「奇蹟」なるものを、ボードリヤールは「事件の現場にいあわせたような幻覚、体験者だけの感じる大戦慄」のようなものだという。「重要なのは真実以上に真実らしいこと、いいかえればその場にいなくともそこにいること、つまり幻視(、、)なのである」と指摘する。それこそが、1970年代、特にフランスを中心に広まっていったファッション写真、広告写真の新しい傾向だった。

ここで、わたしたちはある幻視に既視感を覚える。ブルダンによるシャルル・ジョルダンの広告だ。ブルダンは靴の機能や品質の高さではなく、犯罪の気配やエロティシズムという記号として提示される。そこでは階級や政治的なものが撮られているのではなく、欲望やフェティシズムが撮られ、記号の束として提示されている。もちろん、思想家と写真家の関係は直接的なものではない。しかし、同じ文化的条件のなかで思想家たちは時代の違和感をことばに、写真家たちはイメージにしようとしていたといえるだろう。そうした表現はブルダンだけでなく、フランス人写真家のムーンやパリに拠点を移していたニュートンにもあてはまることがわかる。彼ら/彼女らに共通するのは、いずれも暴力や死、退廃的な傾向が強いことである。

しかし、それぞれが描く退廃、死の様相はそれぞれ違う。ニュートンの写真には警察官や軍隊を思わせる登場人物、あるいは手錠や拳銃、葉巻といったモチーフがたびたび登場する。また、のちには政治家などの権力者をアイロニカルに写している。たとえば、フランスの極右政治家のジャン=マリー・ルペンはドーベルマンとともに映っているが、これは戦前にヒトラーがドーベルマンとともに撮られた写真に着想をえたというし、高級なスーツと磨き上げられた革靴を身につけたドイツの政治家ゲアハルト・シュレーダーは首相になる前後の時期だというのに、圧迫感のある建物の端の角においやられている(図3)。

図3 ヘルムート・ニュートン《ジャン=マリー・ルペン》(1997年)

ここから見えてくるのは、ニュートンが権力をむしろ批判的に捉え、人間の本質として暴力や権力的退廃を暗示していることである。他方でブルダンの表現は前回も触れたように、シュルレアリスムの非現実性・超現実性と結びついた暴力的な退廃で、それは死の瞬間、もしくはその直前・直後として表現される。

ところが、ムーンの写真には暴力的要素はないし、モデルがレンズを誘惑するような過度なセクシュアルさもない。では、アーネスティン・カーターはなぜ、ニュートンやブルダンとムーンを並列に取り上げたのだろうか?

これは、1960年代末にアメリカでニュー・ドキュメンツや社会的風景という枠組みで、個人的な視座でドキュメンタリー主題にアプローチする写真家たちが登場してきたこととも無関係ではない。50年代まで、戦後の欧米社会は経済成長による中産階級層の拡大、消費社会に沸いた。そこでの理想は良い仕事、良い家庭、あるいはそれを体現する良い消費といった単純なものだった。それが1960年代後半になると、アメリカでは公民権運動やベトナム戦争の泥沼化で国家やメディア、学校といった公権力が語るアメリカ像と個人の経験のずれが生じていた。政府はベトナム戦争が勝利に向かっているという。しかし、テレビでは焼ける村や死体などの無惨な戦争が映し出される。ヨーロッパでも、旧来の価値観に疑いの目をむける状況はやはりあった。

いま話題にしているフランスでは、1968年の5月革命によってやはり国家や学校といった公権力や旧来の理想に疑いの目が向けられるようになる。注目すべきは、そうして理想が崩れ去っていった不確実性をどこに向けるかということである。ごく簡略化すればアメリカではそれが「自己」という役割を核に個人的な視座のドキュメンタリーというありようを生むきっかけになったわけだが、フランスの芸術が向かったのは退廃的表現だった。

退廃(デカダンス)というのは、そもそも美しいものは永遠ではないという緩やかな時間的な死のメタファーでもあり、そのあとには崩壊や死が待っている。失われることへの魅惑や死を美と結びつける感覚はフランスでは19世紀から見られる。オスマンのパリ大改造によってパリは洗練された近代都市へと変貌していく。街並みは生まれ変わり、百貨店ができ、ガス灯が夜の街を照らす。物が溢れ刺激的な体験が増え、文明が成熟しきった結果、シャルル・ボードレールのように退廃や病を美しいものと見なす感性が成立する。光と影、華美と退廃はその後に訪れる世紀末の文化の象徴でもあった。

つまり、ブルダンやパリを拠点に活躍したニュートンとムーンは一見正反対に見えるが、実は退廃性という意味では同じ根をもっているといえよう。それは成熟した戦後社会に再来したデカダンスでもあるし、崩壊の予兆でもあるのだ。こうしたフランス的な欲望は、1970年代の文化的背景とも軌を一にし、物ではなく欲望を売るゲームとなったファッションや広告と結びついていったのである。


  1. Helmut Newton Portraits, Quartet Books, 1987, p. 18. ↩︎
  2. Françoise Marquet, “Helmut Newton,” Helmut Newton: Work, Taschen, 2000, pp. 13-14. ↩︎
  3. Ernestine Carter, The Changing World of Fashion, 1977, p. 146. ↩︎
  4. Martin Harrison, Appearances: Fashion Photography Since 1945, Jonathan Cape, 1991, p. 242. ↩︎
  5. Ibid., p. 242. ↩︎
  6. Jean Baudrillard, La société de consummation: Ses mythes, ses structures, 1970; 今村仁司、塚原史訳『消費社会の神話と構造』紀伊國屋書店、2015年、p. 30. ↩︎
打林 俊

打林 俊

写真史家、写真評論家。
1984年東京生まれ。2010-2011年パリ第1大学招待研究生、2014年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。博士(芸術学)。2016〜2018年度日本学術振興会特別研究員(PD)。主な著書に『絵画に焦がれた写真-日本写真史におけるピクトリアリズムの成立』(森話社、2015)、『写真の物語-イメージ・メイキングの400年史』(森話社、2019)、共著に“A Forgotten Phenomenon: Paul Wolff and the Formation of Modernist Photography in Japan”(Dr. Paul Wolff & Tritschler: Light and Shadow-Photographs 1920-1950, Kehrer, 2019)、「アンリ・マティスの写実絵画不要論における写真をめぐって」(『イメージ制作の場と環境-西洋近世・近代における図像学と美術理論』、中央公論美術出版、2018)など。
2015年、花王芸術・科学財団 美術に関する研究奨励賞受賞。