グレートファイアウォールは越えたが…
香港を経由して海南島の省都、海口市郊外にある海口美蘭国際空港に到着した。4月の夜20時。海南島は中国とベトナムの国境あたりの海上に浮かぶ、台湾の3分の2ほどの大きさの島だ。日本ではあまり知られていないが、中国では代表的な南国リゾート観光地として知られている。
機外に出るとブワァっと蒸し暑い。さっそくスマホを起動してGoogleマップを開いてみると、ちゃんと動作している。フフフ……。情報の万里の長城「グレートファイアウォール」を飛び越える秘密のアプリ「Shadowrocket」をインストールしてあるからだ。これでGmailもFacebookもInstagramもLINEもWhatsAppも使えるようになった。この出張中に商売上の取りこぼしがなくなるのはありがたい。2度目の中国本土なのだ。抜かりはない。
空港の外に出てタバコを一本吸ってからタクシーに乗り込んだ。Hotel City Comfort Inn までお願いします。と、Google翻訳の文章を見せる。
「知らないですね、そのホテルは」
Google翻訳の会話機能でドライバーの言っていることだって分かる。Googleマップで住所を見せてもチンプンカンプンの様子。当該ホテルの情報欄に建物の正面画像があった。拡大すると城市便捷酒店と読める。
「あー、それなら分かりますよ」
城市便捷酒店。Hotel City Comfort Inn。英語に意訳してどうする。さらに中国語名を併記しないでどうしようってんだ、いったい。そうだ、思い出したぞ。ここではクレヨンしんちゃんが蝋筆小新になるんだった。グレートファイアウォールは超えたが漢字ウォールはまだ超えていないわけか。
ホテルの受付でもすべてのやり取りはお互いに翻訳アプリだった。今、中国では高校や大学の受験科目から英語を外す議論がされている。学術研究でもビジネスでも、もう必要な理解は翻訳ソフトで実際のところ充分得られるからだ。
それらのソフトの性能が毎年飛躍的に向上していくことも分かっている。今や英語を生で話せて便利なのは国際間の友達付き合い程度なわけで、そういうプライベートなツールの習得度を公の学力基準として問う必要があるのかという話だ。
もともと中国では日本よりも早い時期から小学生レベルからの英語教育を導入していたのだが、日本がやっと本格的に始めた現在、この国はさらに先のフェーズに入っているようだ。世界で最も話者の多い中国語を使う人々にとって、英語の一方的な覇権主義に対する反発もあるのかもしれない。だが、現状のテクノロジーを鑑みるととても合理的な判断だと思う。
部屋でWi-Fi環境を得てから速攻で中国のマップアプリを入れた。全部中国語表示だが、かろうじて分かる。漢字圏以外の人にはまだ厳しい状況か。周辺のグルメ情報がどんどん出てくる。どれも美味そうだ。いや、異常に旨そうといっても過言ではない。そうだ、腹が減っているのだった。
待たずに入った蛙料理屋で
繁華街に軒を連ねるメシ屋をザッと見て、誰もいないところにスッと入る。ここなら待たずに食えそうだからだ。蛙料理の店だった。まさにちょうどいい。店のイチ押しメニューらしいウシガエルの香辣鍋にする。2人前からの提供とのことだが、腹ペコなので一向に構わない。
青島ビールを飲みながら、素手でガツガツいく。骨ごと口に入れて、歯と唇と舌と頬を総動員してモニュモニュと肉を吸い取る。これは日本語で何という動作だっただろうか。「しがむ」ではない。……「ねぶる」か。日本の肉食文化はまだ時が浅いので、関連ワードがちょっと貧しいような気がする。
蛙の肉は田鶏などとも呼ばれ、よく鶏肉に例えられるのだが、実際はもっとキメが細かくて柔らかい。なんとなく茹でた真鱈に近いと思う。比較するとウシガエルは大きくてプリプリ、青ガエルは小さくてフワフワした感じか。いずれにしても香辣味によく合う。まともに目が開けていられないぐらいに汗びっしょりだ。
夢中になってねぶりまくっていたら、いつのまにか店内はお客たちで混み合っていた。このパターンが僕にはじつに多い。ひょっとしてこれは仙台四郎型神話の一種なのだろうか。顔面タトゥーはチラ見えチ◯コに匹敵するとでもいうのだろうか。まあいいか。
この美味さに着目して日本にもウシガエルが移入されているが、定番の食料にはならなかった。ほかにもそういう生物はたくさんいる。ザリガニ、ライギョ、ソウギョ、レンギョ、ブラックバス、ブルーギル、ティラピア、アメリカナマズ、ジャンボタニシなどなど。どの種も日本の生態系には定着したが、食料としては定着しなかったのだ。僕はソウギョ以外は全部食べていて、どれも旨かったのだが、ライギョとアメリカナマズとウシガエルはとくに素晴らしいと思う。
この前、ハノイで食ったライギョの鍋「チャーカーラボン」もかなり良かった。が、これらの美味は日本人の食に対する保守性や、飢餓を知らない時世のせいで完全に黙殺されている。
小学生の頃、近所の水田の用水路に行くと、足元の草を小さくちぎって釣り針につけた。岸や浮遊物の上に座っているトノサマガエルの目の前でそれをヒラヒラと虫のように動かすと、すぐさま飛びついてきて簡単に釣れるのだ。
捕まえた生きたままのトノサマガエルに大きめの釣り針を掛けて、今度はライギョやウシガエルを釣る。ライギョは水草の隙間の水面でパシャパシャやって誘う。ウシガエルは土管の中を狙えば一発でくる。ザリガニを釣る場合はトノサマガエルを地面に叩きつけて伸ばし、皮を剥いて素っ裸にしてエサにするとよく釣れる。
裸に剥いた蛙は体型といい色といい、まるで小さな人間のようだった。それを巨人族になった自分たちが爆竹を肛門に挿して破裂させたり、炎天下で乾かしてミイラにしたあげく近所の家の牛乳ポストに入れたりして、もて弄ぶのが楽しかった。
中学生くらいになると、そういった幼い残虐性は身を潜め、かわりに気色悪いという感覚が強くなっていった。僕がキショいと思ったものは、素っ裸の蛙だったのか、それともそれによく似た人類の裸だったのか。人の全身を覆いつくすようなスケールのタトゥーを手掛ける現在の僕の職業的な意志とそのことは何か関係があるのだろうか。
タイムラインに現れた蚩尤
ホテルでシャワーを浴びてからベッドでFacebookを開くと、タイムラインの一番上に杷の部分が蛙を模したデザインの古代中国の鉾の画像が出てきた。AIが今の僕に最適な情報を選んだのだろうか。位置情報や街頭のモニターの顔認証、会計時のカード使用履歴から。まさかな。でも、いずれはそうなるだろう。
画像は『縄文時代にタトゥーはあったのか』でお世話になった国書刊行会の編集者、伊藤嘉孝さんの投稿だった。今ちょうど海南島で蛙を食ったばかりで、さらに海南島の黎族(りーぞく)にとって蛙はトーテム的な生物でもあることをコメントすると、伊藤さんから「蚩尤(しゆう)」というワードが返ってきた。あの、キングダムの羌瘣(きょうかい)がトランス状態に入ったときの蚩尤?
Wikipediaで調べてみると、蚩尤は揚子江から南の地域を勢力圏に置いていた九黎という人々の祖とされる神話上のキャラクターで、金属製の武器を発明した功績のイメージのためか全身が金属化した化け物のヴィジュアルでも表される。この蚩尤は、漢族の伝説上の祖とされる黄帝に討たれ、敗れた九黎の生き残りはさらなる南方に逃げ延びて三苗(さんびょう)と呼ばれる集団となった。現在の海南島の黎族は、三苗の中の一民族なのだという。
もう10年以上前にシンガポール国籍で東京在住の黎族の若者にタトゥーを彫ったときのことを思い出した。私たちの祖先が金属を加工して使っていた頃、漢民族はまだ石と木を使っていました、と。確かにそう言っていた。つまり蚩尤は今でも黎族のルーツとして認識されているということなのだろう。
じつは、古代中華文明の青銅器の象徴的モチーフである化け物、神獣である饕餮(とうてつ)は、この蚩尤とイコールなのではないかという説もあるらしい。なにしろ物が金属器ということもあり、なかなかに説得力がある。饕餮は僕の妄想世界では中華におけるトライバルタトゥー消滅期の超大物キャラクターなのだ。キタキタキタという感触とともに良い眠りに落ちた。
黎族のルーツ
翌日は海口市から海岸沿いに新幹線で南部の三亜市に向かった。美しい海と砂浜に面した、観光客たちにとっての中心地だ。だが車窓から見える島の中央から南にかけては、ほとんど山岳地帯だった。海南島は海から突き出た山なのだ。つまりここはヒマラヤ山脈から東南アジアに連なる例の巨大な山塊の一部ということになる。ゾミアなのだ。海側にわずかに広がる平野には、ひたすらに椰子の森が続いている。ココヤシと檳榔(びんろう)のようだ。

6人家族と思われるグループが通路を挟んで反対側の座席テーブルの上で、丸ごとのデカいスイカを切って食べはじめた。幼稚園ぐらいの子たちが競って志村けんスタイルでスイカにむしゃぶりつき、床がビチョビチョになり、赤ん坊を背負ったお母さんが楽しそうに大声で叫んでいる。車内ではあちこちからロシア語も聞こえる。
昨夜の続きで神話のことを考える。
黎族のはじまりには大蛇の卵から生まれた半人半蛇の黎母という存在がいたという。この黎母は姉と弟の2人の子を産んだが、あるときに大きな洪水が起こり、ひょうたんに乗り込んで助かった姉弟以外のすべての人間は滅んでしまう。
子孫を残すために一計を案じた姉は、弟に「島を一周する間に最初に出会う女と結ばれろ」と諭して旅に出した。その間に姉は、自らの顔と身体に刺青を施したのだ。やがて島を回ってきた弟は、姉を姉とは分からずに結ばれて子をもうける。これが黎族となり、このときから黎族の女は刺青をするようになったのだという。

AFPBB News(https://www.afpbb.com/articles/-/3158880)
これは中国本土の伏犧(ふくぎ)と女媧(じょか)の神話を思い起こさせる。もともとは中国南部の神といわれる伏犧と女媧は人頭蛇身の兄妹であり、やはり洪水をひょうたんで乗り切り、伏犧が縄を発明し、女媧がその縄と泥を材料にして人類を創り出した。
このような「洪水ひょうたん兄妹結婚」型の神話はさまざまなバージョンをともなって東南アジアの山岳部にも広く伝わっている。それにしても、蛙トーテミズムで知られる黎族の始祖が蛇とは。そこは蛙に変換しないのか。
別バージョンの黎族の話では、黎母はオスの犬との間に息子をもうけたが、狩りに出た息子がそうと知らずに夫である犬を殺してしまった。黎母は自ら刺青を彫り、息子と結ばれて子を作る、という話もあった。
こういった黎族の創世神話から僕が感じるのは、母系社会の出産信仰のようなものだ。子を産むという究極の目的と比べると、相手は弟や息子といった血縁の男だろうが、はたまた異種のオスだろうが大した問題ではないという基本方針なのだ。

なお、伏犧には金属製武器を開発したという言い伝えもあり、そこが昨夜の蚩尤とオーバーラップしてもいる。そしてその蚩尤は饕餮ともオーバーラップしている。おそらく金属製武器など中華文明の発祥に関わる多くの事柄は中国南部で生まれ、黎族をはじめとする現在のゾミアの人々たちはかつてそこにダイレクトに関わっていたのだろうと感じる。









