食い尽くせない街
バスで西部のブキティンギに移動した。ここがパダン料理の本場なのだ。食堂では、デカいショーウィンドウの中にさまざまなオカズが一皿一皿ワンポーションずつ盛られ、ピラミッドのように積み上げられている。その種類は10〜30ほどにもなる。
その中から好きなものをいくつか選んでもいいのだが、大きなテーブルの上に全種類のオカズを並べてもらい、そこから気の向くままに取ることもできる。この方式はすごく豪華な絵面で、まるで覇者の食事のようだ。
パダン料理の代表メニューは、なんといってもルンダンだ。これは牛や水牛、鶏、魚などをココナッツミルクと各種スパイスで長時間煮込んだ料理でたくさんの種類がある。僕がナシチャンプルの中で一番好きなオカズだ。
一品だけで、すでにご飯が足りなくなるほどに美味い。ご飯をおかわりして二品目。やはり徹底して旨い。それがもっともっとずらりと目の前に並んでいるのだが、人体の構造上そんなに多くを一度に食べられるわけもない。しかもここブキティンギには、こんなパダン料理の名店がひしめき合っているのだ。
ご飯を頼まないで、オカズだけたくさん食べればいい――たとえば香港人ならそう思うかもしれない。でもオカズだけで食べることも想定している点心のような料理と、あくまでご飯と混ぜ合わせて食べることを前提に作られているルンダンやサンバルなどのオカズとでは、味付けのコンセプトが違うのだ。
残りの滞在日数と、未知のオカズの数を満腹感と焦燥感がチャンプルした不思議な頭で数えてみる。……完全制覇はとてもじゃないが無理だ。インスピレーションの一期一会でいくしかない、ウェップ。
毎日3回外に出て、小一時間ほどで腹をさすりながら帰ってきては部屋で寝ているだけの日本人客のところに、ホテルの受付カウンターの従業員が訪ねてきた。自分のシフトが終わったので、街をバイクで案内するという。もっと英会話をトレーニングしたいのだが、受付の業務で使う言葉はとても限られているから、と。
とりあえず地元で有名だという「コピルア」の農園にバイクのニケツで向かった。コピはコーヒー、ルアはルアック(ジャコウネコ)だ。生のコーヒーの実をルアックが食べ、そのウンコの中からコーヒー豆を取り出し、洗ってから焙煎したものだ。ルアックの胃腸を通過するあいだにコーヒー豆が最高の状態にまで熟成するのだという。これは非常に高価なコーヒーとして世界的に有名なので、日本の喫茶店なら一杯五千円もするという話だ。
農園の広い囲いの中にルアックが何匹か見えた。昨日の夕方、ホテルの部屋の向かいのビルの雨どいパイプをよじ登っていたのと同じ動物だ。そうか、ルアックってのは、つまり日本にもいるハクビシンのことなのか。ということは、ハクビシンに生のコーヒーの実を食べさせれば日本の田舎町でも自前のコピルアが作れるわけだ。害獣として駆除するより、よほど良い活用法かもしれない。農園の人がうやうやしく淹れてくれた一杯はかなり薄味だった。麦茶に近い。僕にはコーヒーのことはよく分からない。
ホテルマンが案内したのは…
ホテル従業員の若者はこの前まで大学の建築学科で勉強していたのだが、アルバイトで働いたホテルの仕事が気に入り、そのままホテルに就職したのだという。目の前の人に直接喜んでもらう方がCADで図面を引いているより楽しいそうだ。将来的には街の空き家を旅行者の宿泊先として斡旋もできるようなトラベルエージェンシーを作るつもりだとか。まだエアビーが出てくる前の話なのだから、なかなか良い発想だった。
街の裏手にあるモグリのタトゥーイストのところにも連れて行ってくれた。このへんの不良は、みんなここでタトゥーを入れるという。施術は電動モーターを使った完全なる手製のロータリーマシンで、デザインは爪楊枝でインクの滴を点々と皮膚上に置くだけのフリーハンド。それでバイオメカニカルデザインを彫っていた。
マシンの針が移動しながらインクの滴を次々と拾っていく。だから針を浸すためのインクキャップがないのだ。何なんじゃこれ。はじめて見る術式だ。「あんたかなり変わってんね」と言うと、彼は「だろ?」とばかりに親指を立てて微笑んだ。
ホテルに帰り、従業員の若者に最高に面白かったと礼を言うと、「原始時代のタトゥーもあるんですよ」と言って写真のアルバムを見せてくれた。木の皮のフンドシ一丁の男の全身が、線模様のタトゥーに覆われていた。
「オレ、だんぜん小澤マリア派だから」
そのメンタワイ族の男は、海風に長髪をなびかせながら渋くそう言い放った。おそろしく流暢なオージー英語で。
竹一本の橋
ブキティンギからバスで港町パダンに移動し、そこからシベル島行きのボロい木造のガレー船に乗った。夕方に出て翌朝に着く長旅だ。せっかく目の前に並んだ最高のルンダンたちに別れを告げて、メンタワイ族のタトゥーを見に来たのだ。やはり僕にはオンもオフもない。
小澤マリア派の男は島の海岸地域のサーファー宿で働いていて、外国人の僕をサーファーだと思って話しかけてきたのだった。シベル島はサーフスポットとして世界的に知られているらしかった。この男には写真で見たようなトライバルタトゥーは入っていない。タトゥーを見たければ、ボートで川を上って島の内陸部の村に行けばいるとのことだ。
男は、「子供の頃は警察官になりたかったはずなのに、いつのまにか警察官に捕まる側の人間になってしまった」と言いながらジョイントを巻いて舳先で吸っていた。何で警察官になりたかったのか聞くと、「だって制服着て、銃持って、一般人に命令してカッコいいじゃん」とのことだった。
日本のAVは売買も所持もインドネシアでは違法だ。ちょっとした見た目のカッコよさと引き換えに諦めなければならない代償としては、小澤マリアの存在はあまりにもデカすぎる。だから彼は、警察派ではなくて小澤マリア派なのだ。蒼井そらとの比較の話とかではない。
朝方に島の港町に着き、モーターボートで川を登っていく。グネグネと蛇行する熱帯雨林の茶色い川だ。平底の木造ボートの中にはどんどん水が浸み出してくるので、柄杓でこまめに掻き出さなければならない。
3〜4時間かけてだいぶ内陸に入ったあたりでボートを岸に寄せ、船頭が両手をメガホンにしてジャングルに向かって大声で叫ぶ。
「ホワーッ!」
猿の鳴き声を真似ているようだ。ちょっと間をおいて今度は森の奥からホウーッと声が返ってきて、やがて目の前に木の皮のフンドシ一丁の男が現れた。全身にタトゥーが入っている。片手に山刀。口にくわえた葉巻のタバコから立ち昇る煙。真剣な表情。かなりのホンモノ感だ。この頃の僕はまだナガランドやイリアンジャヤを訪れていないので、こんな原始人を生で見たのは実際のところ初めてだった。
とりあえずブキティンギのホテル従業員から教えてもらって買ったタバコの葉の1kgの塊を差し出し、道案内を依頼した。タバコのほかにもビーズや安全ピンを買ってある。貨幣がほとんど流通していないという話を聞いていたからだ。
泥沼には橋として竹が一本かけられている。その上を平均台を歩くように進んだが、すぐに落ちて膝まで泥に埋まった。平均台の上は平面だが、竹は円筒形なわけで、断面図で考えると靴底はわずか一点でしか接していない。しかもその竹は濡れているのだ。これはものすごくシビアなバランスだ。いや、はっきりいって靴やサンダルでは最初から無理ゲーなのだ。
さっさとワークブーツを脱いでフンドシ男と同じように裸足になる。裸足の足裏は竹の円筒形に合わせてたわむ。特に足指が重要で、親指と小指で竹を掴むような感じでグリップを利かせることができるようになったら落ちなくなった。
メンタワイ族
2時間ほどで泥沼エリアを抜けて、川で脚や腕、ワークブーツを洗って休憩していると、男がそのへんの木の皮を剥ぎ取ってきて、それを河原の平たい石の上に置いて握り拳ぐらいの丸っこい石で丹念に叩き潰し始めた。ただの木の皮が見る見るうちに繊維組織っぽくなっていく。仕上げに川の流れの中でもみ洗いすると天然の不織布となった。僕のフンドシを作ってくれたのだった。
どうせならさっきのワークブーツで泥まみれになる前にくれよと思いつつ、裸になって腰に巻いてみたがかなりゴワゴワしている。着けていればそのうち柔らかくなるというが、それまでのあいだ、尻の割れ目付近の皮膚が若干心配だ。男のフンドシは熟れた赤茶色で、僕のはまだフレッシュな生成色だ。頭の後ろで無造作にゴムで縛っていた僕の長髪も、男のそれと同様にお団子状にまとめられている。
「あんたシケレイそのものに見えるな」
シケレイというのはどうやらシャーマンのような存在らしく、男はそのシケレイだった。シケレイは人間古来のスタイルを大切にし、歌って、踊って、薬草を取り、フンドシ一丁で全身にタトゥーを纏っているのだという。……たしかに話だけ聞いていると、我ながらそんなに遠くもないような気もする。

メンタワイ族は二千年以上前にスマトラからメンタワイ諸島に舟で渡ってきた人々で、この隔絶した環境の中、現代まで長きに渡って忘れ去られた記憶のカプセルのように孤立してきた。
しかし、その静寂は第二次大戦を経て独立国家となったインドネシアの政府によって破られる。政府はインドネシア域内すべての人々に公用語としてのインドネシア語の習得と、イスラム教、キリスト教、仏教、ヒンズー教といった巨大宗教のどれかを信仰することを強いたのだ。
国家と巨大宗教は一卵性双生児のようなもので、たいてい2つでセットになっているものなのだ。これらの宗教では人間の庶民を真ん中にして上に神、下に悪魔、さらに神と庶民の間には支配階級、庶民と悪魔の間には奴隷階級、といったような垂直階層構造の世界観を持っていて、国家の支配構造を正当化するようになっている。つまりそこでは神は人よりずっと偉くて高いところにいる設定なのだ。
一方で世界中の部族たちの間で一般的なアニミズム信仰では、概ね神々や精霊たちはそこら辺にたくさんいて、偉くも卑しくもない。そして鬼と神も違うものでもない。人を含めた森羅万象に上下はないのだ。が、それだと効率的に統治しがたいので、国家をまとめることが急務だったインドネシア政府は信仰の自由度を狭めたのだ。というかアニミズムを禁止した。
その度重なる通告にも従わないでいた(いられた)、特別な資源など何もない遠隔諸島のメンタワイ族に対しても1990年代には本格的な強硬措置が取られた。海沿いの平地に国が人工的な街を作ってメンタワイ族を移住させ、無理矢理に服を着せ、髪も短く切ったのだ。
そういう動きを嫌った人たちは、内陸部のさらに奥深くに移っていったのだという。小澤マリア派の男はその頃の警察の強権的な姿と、それにヘイコラ平身低頭するだけの親たちを見て、幼心になるなら警察サイドに限るな……と思ったのかもしれない。
メンタワイ族の家は深い森の中で孤立している。隣の家まで歩いて1時間ほどかかるくらいに孤立している。高床式でデッキには壁がなく風通しが良い。その床下ではブタが飼われていて、何やら丸太のようなものをもぐもぐと食べている。柔らかそうだ。

なんか旨そうだなぁ、と思ったらすぐに僕の食事としても出てきた。丸太の正体はサゴ椰子で、オガクズ状に削り出したものを水に晒して絞り、水底に沈殿した澱粉質のものを取り出して乾燥させるのだ。それをバナナか何かの葉でスティック状に包んで囲炉裏で焼き上げたものが、彼らの主食「サグー」だ。
硬めのパンぐらいの食感で味はとくにない。それをみんな一度に10本ぐらい水も飲まずにムシャムシャ食べている。僕は初めは3〜4本ぐらいで腹一杯だった。オカズは焼き魚とかドリアンなどがあったりなかったり。基本はサグーをひたすら食う。
日本にやって来たばかりの身体の大きな欧米人観光客が、「美味しい」と言いつつ意外にもご飯や麺を完食できなかったりするのは、不味いのに無理してお世辞を言っているからではない。意識の表層では美味しいと感じていても、食べ慣れないものに対して脳がまだ100%のゴーサインを出していないから唾液があまり出ず、すぐに満腹になってしまうのだと思う。
僕はいろいろな家にお世話になりながら、3日目から10本いくようになった。家庭ごとのサグーの違いも分かってきた。モチみたいなのがあるかと思えば、カリッと焼き上げたものもあり、薄い酸味があるもの、ココナツフレークが入ったもの、挙げ句の果てにはバターを使ったものにまで出会った。
バターはその家に最近まで8カ月間下宿していたフランス人の研究者が、家の横の小さな川の涼しい場所にバターベルを置いていったのだという。絶海の孤島の電気のない熱帯の森だというのに、なんというバターに対する執念のすさまじさよ。たしかにこのサグーはバタートーストそのものだ。ハチミツを塗ってもしてもいいだろう。……もし僕が長期滞在するなら、砂糖醤油&海苔か、おたふくソース&マヨネーズ&カツオ節&青海苔でいくだろう。サグー自体はそれぐらいプレーンな食べ物なのだ。
サグーを振る舞ってくれた奥さんたちにビーズを渡した。女が何重にもしている首飾りや、男のヘッドバンドの材料なのだ。女のタトゥーは男のとはまたデザインが違う。
狩りにもついて行った。道具は1メートルほどの長さの弓と猛毒の塗られた矢だ。以前、スペインの撮影クルーが誤って自らの足の甲に矢を落としてしまい、わずか30秒ほどで死亡するという事故があり、それ以降は旅行者には矢は触らせないことにしたそうだ。そんな毒で獲った動物を食べても問題ないのかと聞くと、火で料理すれば毒は消えるのだという。ということは、この毒はストリキニーネなのだろう。これを水に流せば魚も獲れる。漁は女の仕事のようだった。

一度、10〜15メートルほど頭上の猿に矢を射かけて外した。野生のブタ用の木の杭で作った囲い罠もチェックしたが、何もかかっていなかった。
治療寸劇
何日かぶりに森がいきなり開けて、家がいくつも寄り集まる集落に出た。そこでは、河口の街の人たちのようにTシャツと半ズボン姿の人が多い。男女ともタトゥーの入っていない人が大半のようだ。おまけにただの掘っ建て小屋に過ぎないが売店まである。
貨幣経済はないというホテル従業員の話は、ちょっと前の情報みたいだ。道案内のフンドシ男ラウラウに、「ちょっとコーラでも飲もうよ」と言うと、これまでに見せたことがないような嬉しそうな表情になった。僕も久しぶりにコーラを飲んでみた。普段、仕事場や自宅でコーラを飲みたいと思うことはない。ブラックコーヒーかビールだけだ。それがなぜ僻地ではいつもコーラを飲みたくなるのだろう。なぜこんなにも特別な味がするのだろうか。美味い。冷えてないけど。
歯をギザギザに研ぎ上げた二十代ぐらいの女がニコッと微笑みかけてくる。美しい。ここまでの道中でお世話になった家々の老婦人たちにもいたが、若者の口元に全部揃った歯の状態のそれをあらためて見ると、これは美しさの追求なのだということがよく分かる。とても洗練された清々しい感じなのだ。この姿に慣れたあとで普通の歯の人の笑顔を見ると、なんだか馬みたいで野暮ったく見えてしまうぐらいのものなのだ。
コーラのあとで集落の周りの森で薬草採りをした。傷薬、下痢止め、頭痛薬、ただの野菜、など用途を説明しながら採っていく。けっこうな量だ。それを抱えて集落に戻ると、ある1人の子供が腹痛のために身を捩って苦しんでいた。5人のシケレイが正装である花飾りのついた鉢巻をして集まっている。さすがにこの段階で、これは僕に治療の儀式を見せるための集落を挙げてのエンタメ寸劇なのだということは分かった。
1人のシケレイがさっそく薬草を調合して子供に飲ませる。他の者たちは葉っぱのたくさん付いた木の枝をシャンシャンと振りながら、反時計回りに動き、独特の涼しげな節回しの歌をハモって歌っている。日本の神社の榊の枝を使う祈祷によく似ている。酷似しているといってもいい。場を祓い清めているのだろう。子供はあっという間に安らかな様子になり、シケレイたちは歌い終わってそれぞれの座に着いた。
とくに何か言われたわけでもないが、次は僕の番だ。誰がくれたのかも憶えていないが、どこかの神社の御守りがリュックの内ポケットのファスナーのつまみに結んであったのを思い出した。それを開いて中から大祓詞が書かれた紙片を取り出し、子供の前に進み出て、思いきり神主っぽい節回しで詠唱した。これは寸劇どうしの交流なのだから、本職じゃないなんて照れている場合ではないのだ。気持ちだ。最後に木の枝を左、右、左と大きく降って深く礼をして終わった。これがジャパンのやり方だ。我々は深いところでよく似ている。
「やっぱりあんたはシケレイだったんだな」
セッションの後で、脚を引きずった若者が僕のところにやって来た。タトゥーはまだ入っていないがお団子頭&フンドシ姿だ。シケレイ予備軍か。ふくらはぎの傷が感染症を起こしてグチュグチュに化膿していた。かなり深い。ものすごく痛いだろう。脚の付け根のリンパ節もグリグリに腫れ上がっている。すでに身体の他の部位にもあちこちに転移している。これは寸劇ではない。
手持ちの薬ポーチからデトールを出して消毒して包帯を巻き、抗生物質を3日分渡した。インドの山の薬局の強力なやつだ。ここにそれがあるのかないのかは分からないが、とりあえず酒は絶対禁止だ。そして8時間刻みで一錠を必ず飲むように教え、もしそれでもダメならさっさと腹を括って下界の港街の病院に行って点滴治療を受けないと死ぬぞと伝えた。
シケレイの美学
タトゥーを彫るのもまたシケレイの専業のひとつということだった。タトゥーなら今はどこそこのシケレイが一番上手いなんていう話を聞いて、そこを訪ねてみた。
男も女も全員がもれなく彫っていた昔とは違って、最近のメンタワイ族の若い世代の多くはタトゥーを入れないらしい。政府の圧力に敢えて抗ってまでそれを入れるのは、シケレイとして生きていくことを強く望む者だけになってしまったのだ。そしてそれは主に男みたいだ。あとは外国人のタトゥー愛好家たちがわざわざ彫られにやって来ることが増えてきたという。
ちょうど施術しているタイミングだったので、僕も日本人の彫師だと自己紹介して観察させてもらった。針棒も叩き棒もほんの15センチ程度と短い。皮膚を張るストレッチャー役はおらず、一人でペシペシと彫っている。針は一本針で、街で手に入れた安全ピンを開いて棒の先にセットしてある。昔は森の植物のトゲだったらしい。彫師への手土産にはこの安全ピンが喜ばれるとホテルの従業員から聞いていたので、一袋献上した。
インクは油の煙の煤を鍋底から集めたものにサトウキビジュースを混ぜたものだ。それを棒で身体の上に墨出しして、その上を針でなぞるように刺していくのだ。なるほど、そうか。ブキティンギの彫師のあの変わった彫り方は、このようなインドネシアに古くから存在してきたトライバルタトゥーの手法を参考にしているのだということに、いきなり合点がいったのだ。
「タトゥーはただオシャレとして入れるんだよ」と彫師シケレイは僕の機先を制するようにして言った。オレたちシケレイにとってはカッコつけるのがとにかく大事なんだ。シケレイがダサかったら話にならない。それにタトゥーを入れたら心と身体が一つだってことがよく分かる。それもシケレイとしてすごく大事な理解になる。
外国の人たちはいつも、この部分のデザインがサゴ椰子なんじゃないかとか、タトゥーが入ったらメンタワイ族の大人の証なんじゃないかとか聞いてくるけど、そんなことはぜんぜん大事じゃないんだよなぁ。何かズレてるんだよなぁ。ハハハ。ただオシャレだからやってるんだって。キミも日本のシケレイなら分かってくれるよな?
分かるよ、もちろん。普段の僕の目の前のリアリティとまったく同じだから。…つまりシケレイっていうのはシャーマンというよりも…ていうかそもそもシャーマンてのはじつはもっとこう……アレなんだな……ワハハ。やっぱ似てるよな、オレたち。
こういう本物の部族にもっと生で会ってみるのも悪くないなと思った。
こうしてここから僕の部族巡りの旅は始まったのだ。
しかしまあ、皆相当なヘビースモーカーだった。切れ目なくずっと葉巻きを燻らせている。先導してくれているラウラウだけではない。すれ違う人の多くがくわえタバコ状態なのだ。僕は箱入りの紙巻きタバコもどっさり持って来ていて、それをチェーンスモークしていたのだが、くわえタバコ中ではない人たちはほぼ全員がそのタバコを分けてくれと言ってくる。
いや、すでにくわえタバコなのに言ってくる者までいるのだ。そうなるともう「浦安鉄筋家族」の大沢木大鉄なみの愛煙家ということだ。なんだか笑いが込み上げてくるが、とりあえず全員に1本ずつ差し出して火もつけてやる。その一連の動作が滞在中延々と続き、やがて僕の動きは西部の男の早撃ちモーションっぽくなってきた。
相手がタバコをくれと口を開きかけた瞬間に、左手の親指と人差し指と中指でタバコを1本その唇に差し込むと同時に火をつける。フンドシに挟み込んだタバコの箱の上蓋はあらかじめ切り取ってタバコを抜きやすいようにしてあるし、ライターはいつでも左手の薬指と小指で握り込んでいるのだ。
フェンシングの突きのように素早く一挙動でタバコに火をつけて、わずかにステップバックして範馬刃牙のポーズをキメたりもした。彼らが「週刊少年チャンピオン」を読んでいるはずもなかったが、僕のバカバカしさはちゃんと通じていて皆笑い出す。
ちなみにその頃のライターはアホみたいにチャイルドロックが固かったのだが、それをスピーディーに動作させるためにライターの底部を左手の小指の側面で支えていたら、とうとう何日目かに亜脱臼を起こしてしまった。そこらへんの木の幹を思い切りアイアンクロウで握って自分で関節を嵌め戻したのだが、じつはそれぐらいハードな道のりでもあったのだ。
剣術なら「後の先」というのだろうか。そういうタイミング芸をこの旅で修得したような気がする。今ならもうちょっと良い攻防になるかもしれない。あのジャッキー・チェンの師匠とだ。
いや、もうこっちもいい加減に大人なのだし、それなりに老獪に、生きた虫をエサにして渓流竿でさっさと釣り上げてしまおう。そして今度こそはゆっくりとナシチャンプルに好みのルンダンを乗せて食おうではないか。
そうしよう。









