
2024年、6年ぶりの3rdアルバム『FRUITS ALBUM』をリリースした。一文字が気になって何十時間もかけたり、神経質で続けられなくなった時期を経て、這いつくばって書くような、そういう作り方はやめようと決めていた。
はじめからそのつもりで制作を始めたのもあって、今までとは比べ物にならないほど、力を抜いて制作することができた。
「Rose」は一晩で書いて、なるべく書き直さなかった。強い言葉も入れず、うまれたての赤ちゃんへの愛みたいな、シンプルでまあるい曲になったと思う。考え込まずに作ることができて、うれしかった。
アルバムタイトルも深く考えず、直感で決めた。果物のことを考えるとわくわくする。美しくておいしくてだいすきだ。小さい頃いつも、母が食後に出してくれた冷たいりんご、梨、苺。無意識に果物の曲タイトルが増えてきていることにも気付き、自分が、どんどんただの素直な子供に戻っていってるような気がした。
横文字タイトルにしたのも、ホワイトアルバムみたいでかっこいい、という適当な理由からだ。力が抜けて、軽くなった今の自分を表していると思った。
前作から6年と、ずいぶん間が空いたが、以前とは全くちがう、続けていけそうなやり方で、再び動き出せたことを、うれしく思った。

新しいサポートメンバーにも恵まれ、数年ぶりにバンドセットでもライブができるようになった。今のサポートメンバーに出会えたことはとても大きい。続けることの素晴らしさを気づかせてもらい、自分はこれでいい、という自信もついた。
ミニギターを手に入れて、ギターが楽しくなったこともあり、強固だった「絶対にハンドマイクで歌いたい」という思いも次第に薄れていった。
2025年春、ラフに録ってもらおう、と弾き語りアルバムの制作にとりかかった。結果ゆったりペースでの制作にはなったが、2026年1月、今月リリースのアコースティックアルバム『光になってあなたに会いにいく』が完成した。

このアルバムの制作中、ライブで行った沖縄で、現地のバンドやミュージシャンたちから大きな刺激を受けた。嘘のない純粋なエネルギーは、まるでSNSがなかった頃のような衝撃があり、自分がいつのまにか失ってしまったものもそこにある気がした。自分は一体、誰の何を気にして、今の振る舞いをしているのだろうか。突然ふしぎに思えて、なんだか自分が、すごく俗っぽいものに思えた。それは落ち込むとかではなく、新鮮な気づきと驚きだった。
私は環境に影響を受けやすく、周りに黒があれば黒を、白があれば白を、少しずつ受け取ってしまう。特にこの1 年は無意識に、東京というせわしない街の空気を、かなり受け取っていたことに気づいた。
沖縄で出会った人たちは、音楽そのものを純粋に楽しんでいるように見えた。それはすごく美しくて、胸を打つものだった。
どこかで自分を鈍らせて、世の中に順応しようとした瞬間があったこと、ほんのささいな違和感を感じていたことなどが、浮き彫りになった感じがした。
東京に帰ってもこの気持ちを忘れたくないと、まっすぐな気持ちで「光になって」という曲を書いた。今月リリースのアルバムに収録し、この曲の歌詞がアルバムタイトルにもなっている。沖縄ではないが海の曲だ。
沖縄のゆったりとした空気感を忘れたくなくて、しばらく意識して過ごしたが、またすぐに東京のペースに戻っていった。いつか、沖縄や、どこか遠くの島でも制作、録音をしてみたい。

神経質で繊細なことは、東京で生活する私にとって苦しいことでもある。自分の感度を、どこまで取り戻していいのかは、正直今も手探りだ。鈍らせている感性のおかげで、安定して活動できていることがわかっている。都会らしい生き方なのかもしれない。
人に言わないだけで、精神科や心療内科に通っている人、服薬している人はとても多いと思う。そういう事実を、もっとみんなが当たり前に知識として知っている世の中になってもいいと思う。心の風邪とか、目に見えないもののような言い方をするから誤解を生むのであって、精神的な不調は、脳の病気だ。
表現活動をする人たちにとって、精神的な不調はつきものだとも思う。正直、もっともっと、みんなが気軽に話し合えるような空気になったらいいのにと思う。
「売り捌くこと」をビジネスとする人たちにとっては、病と共に生きるアーティストの気持ちなど、考える余裕がないのかもしれない。だけど自分とは違う人たちに少し思いを馳せてみること、想像力をはたらかせてみることは、平和への一歩なんじゃないかといつも思う。それだけで救われるアーティストの命が、きっとたくさんあるはずだ。

2025年は、ソロ10周年だと気づいた。活動自体はもっと長いし、10年丸々活動できていたわけでもないのだが、祭りやお祝いごとは多い方がいい。2025年はお祭りモードでいこう! 勝手にそう決めた。
このタイミングを逃したら二度と歌うことがない気がして、10周年ワンマンでは、バンド時代のシングル曲も歌った。昔の自分だったら絶対しなかったことだ。なんてことないようだが、私にとっては大きなことだった。
キーが合わなくて何度かやめようか悩んだが、再現しようとせず、今の自分で歌えばいいか、と思えた。下手でもやらないよりはやった方が楽しそうだと思い、ハンドマイクの曲だったが、ギターを持って歌ってみた。
明るく元気な曲なのに、泣いている子が見えた。歌ってよかった。今も誰かが喜んでくれる楽曲が残っているということはしあわせだ。わかりきっていることだけど、当時の気持ちや感覚を蘇らせる音楽は、やっぱりすごい。

段々わかってきたことだが、私はその場が「ハッピーになる」のが好きらしい。そういえば昔からずっとそうだった。人が喜んでいたり、うれしそうにしているおだやかな場所にずっといたい。誰しもそうかもしれないが、ギスギスして緊張感が強く、罵声が飛び交うような場所には、身を置きたくない。そんなところで生きるのは自分がかわいそうだ。
おだやかに生きることは、何年か前まで、確実に不可能だった。どれだけ頑張っても、泣き続ける生活を、ずっと変えることができなかった。あと一歩早くてもよかったとは思うが、ぎりぎり間に合った、とは思っている。自分の人生を、自分の手で取り返すことができた。今、私の世界は私が守ることができている。
辛いことがあっても、昔よりは自分を助ける方法がわかっている。それがとても心強い。あの頃よりは確実に経験値がある。解決策がなにもわからなかった10年前とは違う。年を重ねてよかった。

毎朝起きて、カーテンを開けるたび、ああいい天気だ、しあわせだ、と思う。なんておだやかなんだろう。こんなに泣かない日々を送れるようになるなんて、想像したことがなかった。不安や恐怖で動かなかった身体も、今は無意識に動く。
音楽をやめないこと。私の人生ではこれが絶対だった。最初からわかっていたのに、不自然に逆らおうとしたから苦しかった。私が作る音楽が、誰かのこころをそっと癒したり、少しだけ味方になれるような、そんな役割を果たしてくれたら、いいなあと思う。そんなことを、いつも願っている。









