
2017年、ひとりでアメリカに1ヶ月行ってみることにした。年に一度、東京、名古屋、京都で弾き語りワンマンを開催する以外はほとんど音楽活動をしていなかったため、なにか日常に大きな刺激を与え、変化を起こしたかった。
空港でレンタルしたポケットWi-Fi の調子が悪く、日本との連絡やSNSが思うようにできなかった。だけどそのおかげで日常で起こるさまざまな衝突からも強制的に離れられることになり、久しぶりに解放感ある一人旅になった。

ニューオリンズに着くと、凄まじい青空と太陽が全力で殴りかかってきた。あまりに圧倒的で、日頃の憂鬱が一瞬でぶっ飛んでしまった。
当時ニューオリンズは治安が悪化していたらしく、途中で銃声のような音も聞いた。観光客を見てもアジア人は自分しかいなくて、明らかに自分だけ浮いている感じがした。私が子供に見えるのか、大きなTシャツが滑稽なのか理由はわからないが、何度か指をさして笑われることもあり、なんだかとても恥ずかしく不安になった。自分はマイノリティなのだと身をもって実感させられる、貴重な体験だった。
町中では常に爆音で生演奏がされていて、みんなが歩きながら大声で歌い、どこもかしこも踊りまくっていた。私は歌うことも踊ることもできず、ただただ文化の違いに圧倒されていた。
賑やかな繁華街から1 本逸れると、一気に空気が変わり、人ひとりいない道が続いた。突然、車の影からふらっと現れた酩酊状態のような人に、叫びながらペットボトルを投げられ、心臓が止まりそうなほど驚いた。
はじめてのひとり海外にしては少しリスキーだったかもしれないが、退屈していた私にとってとても刺激的な体験だった。日本にいる時はあんなに辛かったのに、いざ死を身近に感じると猛烈に生きたくなるらしい。これからもし生きるのが辛くなった時には、無理してでも海外に来たらいい。自分なりにひとつの解決策を見つけた気分だった。

次に向かったインディアナ州では、紹介してもらったご夫婦の家に2週間ほどお世話になった。家の周りにはリスが駆け回り、広大な自然が広がっていた。だだっ広い一軒家には、ドラムセットやアンプがあり、自由に音が出せるようになっていた。毎日たくさん遊んでもらい、ビールを飲んでギターを弾き、ひたすらのんびり過ごした。
彼らはみんなやさしく、私の誕生日にライブを企画してくれた。弾き語りをさせてもらい、サプライズでケーキまで用意してくれた。私は皮肉を込めてバンド名を「HAPPY BIRTHDAY」にしていたくらい、誕生日には変な執着があったのだが、こんなに笑って過ごせる誕生日は久しぶりだった。旅って最高だ。いろんな人に出会える。しあわせ。本当に心が動いた時って、使い古されたありきたりな言葉しか出てこない。

次に移動したニューヨークでは、さらに脳が爆発するような快感を覚えた。私はニューヨークに特に憧れも興味もなく、 とりあえず行ってみるか、 程度の気持ちだったのだが、 なにもかもが想像を越えてきた。とにかく息が吸いやすい。自然体でいられる。どんな自分も受け入れてくれる空気に感動した。
知人や友人にもたくさん会い、アポロシアターや教会のゴスペル、音楽フェスやライブハウス、美術館にも片っ端から足を運んだ。ストリートで即興で歌ったり、オープンマイクに飛び込みで参加したり、居合わせた日本人の方にギターを貸してもらって弾き語りもした。
多くの人が歌いながら生活していた。特に、トイレ掃除や力仕事をする人たちが、まるで自分を励ますかのように歌いながら働いている姿には、激しく胸を打たれた。常に鳴っている音、音、音。今まで悩んでいたことすべてが小さく思えた。
本当に様々な人種や宗教の人たちが、同じ空間に存在していた。自分の高い声や、この変わった響きの日本語も、個性的でおもしろいと思えた。日本人女性として、これからも日本語で堂々と歌っていこうと思った。
ニューヨークでは、全然睡眠を取らなかった。やりたいことが多過ぎて、頭がいっぱいだった。何ひとつ残さず吸収したくて、朝から晩まで歩き続けた。全身むくみと疲れでパンパンだったが、完全に気力が勝っていて、命の炎が燃えたぎっている。猛烈なエネルギーだった。ただただしあわせで、生きる喜びに満ち溢れていた。

日本に帰国して、私のエネルギーは150%に充電されていた。なんでもできる! 生きててよかった! 最高! しあわせ! 完全にむてきいちゃんだった。怖いものがひとつもない。こうなってしまうと強かった。
2018年、クラウドファンディングで2nd Albumの制作に取りかかることにした。そこから、すべてを取り返すように活動し始める。クラウドファンディングは、ありがたいことに設定金額を大きく上回り達成し、想像以上に多くの人たちが待っていてくれたこと、信じて応援してくれたことに、感動で胸がいっぱいだった。
自分のやりたいことを全部やろう。開き直って作った作品だった。この時期一緒に演奏してくれていた「坂口喜咲とシーパラダイスの皆さん」と名付けたサポートメンバーも、たくさんの力を貸してくれた。彼らのおかげで曲がどんどん生まれ変わり、何倍もの輝きを増していった。制作はやっぱりとても楽しくて、とにかく夢中で作った。支援してくれたファンのみんなを始め、ほんとうにたくさんの方々に支えてもらって、3年ぶりのアルバムが完成した。
ありがたいことにプロモーションも組んでもらい、特に大阪では、ラジオやTVなど様々なメディアにも出演させてもらった。インストアライブやお店での展開もしてもらい、『地下鉄』は関西のテレビ番組のエンディングでも使っていただいた。

音楽活動はとても充実していて、毎日忙しかった。だけどそれと並行し、パートナーとは大きなトラブルが起こっていた。今回ばかりはもう無理だった。なんとかリリースまで辿り着けたものの、明らかに脳が壊れていき、身体と心がバラバラになっていくのがわかった。
細かい説明は省きたいが、もう限界だった。頭が冷たくなって、身体が動かなくなった。心療内科に行こうと思うものの、なかなか行動に移せない。小さい頃から夜は眠れなかったし、繊細だったので、どこからが病気なのかとか、どこからがおかしいのかがわからなかった。
脳の蛇口みたいなものが開きっぱなしで、感情を抑えたり、我慢することができない。毎日同じ悪夢を見続けフラッシュバックが続き、もう自分の努力ではどうにもできなかった。
関係はどんどん悪化した。このアルバムの制作中に、今度こそ絶対に別れると決意し、タイトルを『あなたはやさしかった』と過去形にした。確かにたくさんやさしくもしてもらったが、どんなにひどいことをされても、彼ほどやさしい人間はいないと本気で信じていたんだから、異常だったと思う。
音楽は、いつだって私を光の方へ導いてくれる。いつだって私を行きたい未来へ連れていってくれる。音楽だけは、私を助けてくれる。歌えば光になれる。とにかく逃げたい。ひとりになりたい。アルバムタイトルが現実になるように生きたい。
それでも別れることができなかったのだから、異常な関係だったとしか言いようがない。