2020年、コロナ禍に入って正直安心した。堂々と休める、それが本心だった。みんなが足並み揃えて強制的に休む謎の安心感。自分だけが孤立したり置いていかれる感覚にならずに済む気がした。音楽や映画が無理になってしまった代わりに、ラジオやお笑いのYoutubeに時間を費やすようになった。暇なので早寝早起きが身につき、1日1曲の弾き語り動画と、1日1枚の絵をSNSにアップした。ルーティンでこつこつ続けていくことは心地よかった。

毎日作っていたコラージュ

ライブハウスで大きな声で歌えないストレスはあったものの、家で歌える小さな曲を作り、小さな声で弾き語りをする癖が、この頃についた。動画を撮って編集したり、お酒を飲んで生配信したりすることも楽しかった。

自転車で行ったことのない場所へ行き、毎日クタクタになるまで動き回った。やることがなくて、歌いたいエネルギーだけは爆発しそうで、なんとかむりやりにでも身体を動かしていないと、なにもかもが止まってしまう気がした。

9月に、前年末から決まっていたワンマンライブがあり、厳しい人数制限などが強いられた中ではあったが、周りの方たちに協力してもらい、なんとか開催することができた。大きな声で歌わせてもらえる環境、ライブハウスがあることは当たり前ではないのだと、改めてありがたく思った。

渋谷WWWワンマンライブ、厳しい人数制限の中開催した

あっという間に2021年になり、何もしないまま一気に時間だけがワープしたような、不思議な感覚だった。自分は2020年のまま何の変化も進歩もしていないのに、世の中は確実に動き出していた。コロナ禍なので休んでいる、という体にしていたものの、ライブのオファーはほとんどなかった。体調不良により、今までさまざまなライブを断ってきてしまっていたのだ。自業自得だと思った。

ライブを再開していく人たちをSNSで眺めながら、私はずっと福祉の仕事で食い繋いでいた。ライブがなくなっても、仕事がなくなることはなくありがたかったが、同時に、重い障害を持つ方たちに自分がコロナをうつしてはいけない、という強い恐れも抱いていた。

もし自分がライブハウスでコロナに感染し、彼女たちにうつして万が一のことがあったら、一生後悔すると思った。悔いても悔やみ切れない。当時ライブハウスや飲食店は徹底的に「悪」とされるムーブだった。自分の行動、選択に責任を取れる自信がない。同じ障害者介助の仕事をしている知人ミュージシャンたちはライブを再開しており、なんだか自分だけがまじめすぎるような、神経質すぎるような気がして焦った。

少しずつ活動を再開していかなくてはと思うものの、なかなかスムーズにいかない。辛い時には海外に行けばいいという、過去に見つけたはずのやり方ももちろん意味がなく、次第に追い詰められていった。

「光合成」という曲を作った。終わったことは終わったとはっきり自分で歌いたいと思っていた。絶対に前向きな曲にしたかった。

今後も曲を作れる自信がもうなかったので、これが最後でもいいと思えるよう、制作に打ち込んだ。いつかこれが事実になるように、理想や願いを詰め込んだ。

やり切ったと思った。人に伝わろうが伝わらなかろうが、もうどうでもいい。とりあえず今の自分にできることはすべてやった。

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友人が作る『Veils』という自主制作映画の主題歌を書き下ろすことが決まっていた。正直「光合成」で燃え尽きてしまい、何をどう作ればいいかとても悩んだ。

女性同士のウエディングをテーマにしたLGBTQ映画であり、どうしても希望のあるラブソングにしたかった。ただ、恋愛がトラウマになっていた私にとって、向き合うのが苦しいテーマでもあった。

どんどん神経質になってしまい、一語一句が気になり、1日に何十回も録音と修正を繰り返していた。かける時間や労力が曲の出来と比例しないことは、もう経験から十分にわかっている。それでも当時の私は、世の中に「良くない」音楽を一曲も増やしたくない、なにがなんでも最高の曲にしたい、と頑なに思っていた。そういう自分を完璧主義だと思っていたが、今思うとただの驕りにも思える。思い返すと恥ずかしくなるが、真剣だった。

曲はどうやってもできず、接続詞が「を」なのか「で」なのかみたいなことに、大袈裟ではなく20時間、30時間かかるようになっていた。自分でも異常だと思うものの、どうしてもやめられない。

母音が違う箇所はそろえたい。そうなるとメロも変えたい、コードも変えたい、構成も組み直したい。いろんなバージョンを何パターンも作ってしまったことにより、どれが最適なのか決められなくなってしまった。正解などなく自己満足なことはわかっていたが、どうしても自分の中で、納得する答えを見つけたかった。

最後の2行を書き終えた瞬間、なにか大きな風が吹いたようになった。すべてが報われたと思った。最高の曲ができた。自分は天才だ。一気に脳内のなにかが入れ替わった感じがした。

ハイテンションになり、そこから毎日寝ずに制作をした。そのままMV制作をし、英詞翻訳もつけてもらった。何億再生もされるかもしれない。世界中をまわることになるかもしれない。とんでもない空想が広がり、すべての人たちに感謝した。なんて幸せなんだろう。生きていてよかった。きっと伝わる。やっと私の音楽がわかってもらえる日がきた。こういう根拠のない異常な“むてきいちゃん”は、よくない予兆なのだった。アメリカに行った後と同じ感覚だ。

リリースは映画公開前だった。リリース後、いつもと変わらない再生数やSNSのリアクションを見て、我に返った。そうだ、いつだってどれだけ頑張っても状況は変わらないのだった。何を勘違いしていたのだろう。なんだか段々不吉な予感がしてきて、自分はもうだめなんだ、という思いに変わっていった。突然やってきた躁状態からの落差にやられてしまった。天才がごみになった気分だ。

思えば昔からいつもそうだった。ワンマンやリリースの度に多幸感に包まれたが、毎回思ったような結果は出ず、落ち込み鬱状態に陥り、活動を一時休止することになる。しばらくして創作意欲を取り戻し、なんとかまた活動を再開する。ずっとそのくり返しだった。多分そういうインディーミュージシャンは私だけでなく、多くいると思う。そうやって理想通りになれない自分に疲れ果て、みんなやめていくのかもしれない。

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2022年、年明けには弾き語りワンマンライブを計画していた。ほとんどライブがなかったため、無理矢理にでもなんとか動き出したかった。

久しぶりのワンマンということで、ありがたいことにすぐソールドアウトしたのだが、今回の落ち込みはいつもより酷かった。日にちは刻々と迫っていくものの、アコギの音が怖くて弾くことができない。歌おうと思っても疲れていて声が出ない。何をしようと思っても集中できず、焦るばかりだった。

開催2日くらい前になって、いつも通り熱が出た。ライブ前にプレッシャーで熱が出るいつものやつかもしれないとはどこかで思いつつ、ご時世的にコロナの可能性もある。当時は少しでも発熱したら、即ライブを延期や中止する流れがあり、相談した結果、ワンマンライブは延期することになった。

延期したからには陽性であってほしかった。陰性では困る。何のために延期したのかわからなくなる。どうか陽性でありますように。

結果は陰性だった。自分の精神的な弱さが招くいつもの体調不良だ。恒例となっているこのライブ前の発熱を言い訳にして、ついに逃げてしまったと思った。コロナ禍で仕方なかったとはいえ、嘘をついたような気がして、罪悪感でいっぱいになった。

精神的な不調でライブを飛ばしたことは、今まで一度もなかった。情けなくなり、もう人前で歌えないと思った。

なにもかも全部やめて休みたい。ひとりになりたい。このライブ延期がきっかけで活動をほとんど休止した。わざわざ公にはしなかったが、SNSさえ更新しなければ、勝手に活動は休止になる。ライブオファーもなければ、目先の予定もない。自分がいてもいなくても、何も変わらない。何もせず、ただ静かにじっとしていたい。

どこからを鬱と呼ぶのかわからなかった。昔からこういう極端な落ち込みはあった気がする。だけど、この時はいつもと少し違う感じがした。とにかくまぶたが重くて開けられない。鏡を見ると見たことがない顔だった。試しに外に出てみても、足が重くて前に進まない。サングラスとマスクと帽子がないと人が怖くてスーパーに行くこともできない。とにかく人が怖い。

メルカリで録音機材などを処分した。物が多すぎて、もう自分に管理できないと思った。大切にしていた観葉植物たちは枯れ、飼っていた金魚の世話ができなくなった。自分のことでいっぱいいっぱいで、他の生き物にエネルギーを割くことができない。いろんなものを手放したが、音楽をやめるつもりはなかった。これは今が異常な状態なだけだと、どこかでなんとなくわかっている自分もいて、ギターは売らなかった。私はきっとまたいつか、歌うに違いない。漠然とその気持ちは残っていた。だけど音楽関係のものが視界に入ると不安になるため、歌や音楽、一番好きだったものを、生活から消した。

SNSからいなくなれば、今のご時世、生きているか死んでいるかもわからない。みんな一瞬で私のことなんか忘れるだろう。完全に心を閉ざして、拗ねてしまった。春には2年前からずっと延期になっていたライブが決まっていた。今思うとそれだけでも本当にありがたいことだったのだが、当時の私には恐怖でしかなかった。

坂口喜咲

坂口喜咲

坂口喜咲(さかぐち きさ)
歌手 / 作詞•作曲家
東京都出身。
2011年、バンド HAPPY BIRTHDAY のVo.Gt.としてデビュー。2015年のバンド解散後からは、本名でソロ活動を開始。弾き語りからバンドセット、楽曲提供やナレーションなど、自由な表現スタイルで活動中。