半ズボンタトゥーを継ぐ者たち
ラッダ、オッディーともっと話をしてみたかったので、コンベンションが終わった後で呑みに出かけた。言語の問題を酒で解消するのだ。というか言葉のろくに通じない相手と呑む酒ほど美味いものはない。皆試してみたら分かる。
ラッダは僕と同い年の54歳でカレン族だった。カレン族はゾミアの民であり、タイとミャンマーの山地に広く暮らしている。カレンというのは平地のビルマ族やタイ族からの呼称で、実際はさまざまな少数民族たちが含まれる「山の民」ほどの大まかな括りらしい。ミャンマー東部のカレン族は1980年代からタイ側に避難を始め、それは現在までずっと続いていて、タイ側のミャンマー難民人口は増え続けている。
ミャンマーの内戦の根本的な要因は、平地のビルマ族が主張しているミャンマーという国家と、そこに自分が属しているとはもともとまったく考えてはいない山地のさまざま民族との間の齟齬にある。これは東南アジア地域のどこの国でもなかったゾミアがヨーロッパの植民地経営の区画として、便宜的に近くの平野と一緒の囲いの中にまとめられたところから始まっているようだ。
したがって東南アジアの国々ではだいたいどこでも同じ構造的な問題を抱えているのだが、それが一番こじれているのが現在のミャンマーということになる。
山地民であるカレン族の、特にミャンマー側の僻地には現在も細々とではあるが伝統の半ズボンタトゥーが継続している集落があるという。先ほどの洋服の話に照らし合わせて考えてみると、都会の風俗から遠く隔絶した山地に暮らす彼らはいまだに日常的に民族衣装を着ていることが多く、半ズボンタトゥーが見える機会を失ってはいないのだと思う。
つまりラッダは伝統習俗としての半ズボンタトゥーの最後の世代の彫師の1人だったのだ。それが同い年であることが僕にはある種、感慨深い。
オッディーはラーンナー族とかタイヤイ族と呼ばれるチェンマイ近辺の一般的なタイ族系タイ人だ。彼はタトゥーマシンを使った現代タトゥーの彫師としてキャリアをスタートしてやってきた中でラーンナーの100年前までの伝統であった半ズボンタトゥーに着目し、それをリバイブするためにラッダに弟子入りしたのだという。


チェンマイ中心部から車で30分ぐらい南に現代タトゥーのスタジオを構えているという。今回のコンベンションの衛生基準に対応するために、彫り竿の先の針を現代タトゥーのニードルにして使い捨てに出来るようにしたり、安全性の高いタトゥー専用インクに切り替えたりしているのは彼の工夫だ。とうとうタイにリバイバルタトゥーイストが出てきた。オッディーはその最初の1人ということだ。

デザインの外側へ
まあ、何にしてもトライバルタトゥー好きがこうして3人も集まるなんてめでたいことだ。呑みねえ、呑みねえ、酒呑みねえ。今日はオイラの奢りでえ。もう言語の壁はない。
「半ズボンタトゥーにはさまざまな動物デザインが詰め込まれているが、実は全体では腿の太い円筒形をアミメニシキヘビやビルマニシキヘビなどの大蛇に見立てて柄の配置を決めているのではないか。正体はナーガ(蛇神)そのものなのだと思っている」
僕がそう言うと2人は驚いて、「オメエさん分かってるじゃねえかよ」と言う。
あたぼうよ、こちとら四六時中トライバルタトゥーのことしか考えてねえんでい。
もっと直接的にナーガであることを表した、腿全体をウロコで覆い尽くすデザインの半ズボンタトゥーもあると言って、オッディーがデザイン画像を見せてきた。いいねぇ。それならと、僕もInstagramを開いてシャオアイの全身画像を見せる。どうでい兄弟、これがうちのナーガでい。
2人は僕のほかのタトゥー画像も念入りにチェックしている。
「タクの字、オメエさんの仕事は離れた距離にも対応しているんだな」
オイラのタトゥーを見てサイズじゃなく鑑賞距離を指摘するたぁ参ったね。本質が見えていやがる。さすがの玄人だねぇ。
「なあに、オイラたちのは遠くから見りゃあただの真っ黒黒之助だからさ」
その方が「効く」からなんじゃねえのかい、兄弟。
遠目だと真っ黒に見えるほどにデザインの密度を高めるということ。隙間を極力無くすということ。呪術的にいえばそれは結界としての強度を上げるということだ。「耳なし芳一」はそこだけお経を書き忘れたせいで耳を失ってしまったのだ。でもそれって一体どういうことなのだろうとオッディーの家の布団の上で考える。結局泊めてもらったのだ。
そういうタトゥーの人は実際にけっこういる。年季の入った彫師やコアな愛好家たちには、隙間なくびっしりと彫ってある人、さらにその上に黒のアブストラクトなどのデザインを滅茶苦茶に被せたりする人、最終的に全てを真っ黒に塗り潰す人など、確かにたくさんいるのだ。
だいたいにおいてそれは、無計画にいろいろなタトゥーを入れていった挙句に統一感や美観の面で収拾がつかなくなり、滅茶苦茶にしたり塗り潰したりするしかなかった、という文脈で語られることが多い。うちに来るブラックアウト(黒一面のカバータトゥー)希望のお客さんのほとんどは実際にそういった感覚で理由を説明してくる。
でもそれって本当にそうなのだろうか。カバーを希望するタトゥーが非の打ち所がない素晴らしい作品であったり、あるいは何もないところに最初から一面の黒塗りを希望する人だってたまにはいるのだ。黒塗りの上からさらに白を彫ってみたり、スカリフィケーションで抜いてみたりして一生あれこれやり続ける人もいる。
ごく一般的にはタトゥーはデザインが重要だと考えられている。カッコいいデザインをお客さんたちは求めているし、彫師もプロならそのためにいろいろ工夫するのだ。僕がアーティストとして標榜するのもそういうカッコよさで、ある程度の距離感で全身規模で眺めた時のバランスやコントラストを重視しているのが持ち味でもある。その領域で完璧を目指しているのだ。
が、完璧の向こう側に広がる世界があるのも知っている。デザインの外側ということだ。デザインであることを超えてなおタトゥーという体験の楽しみは存在し続ける。何よりも、1人のタトゥー愛好家としての僕自身が自分が彫ってもらうタトゥーに関しては、それがタトゥーでありさえするならばデザインはもはや何でもいいと思っているところもある。
うちで全身タトゥーを完成させたお客さんが、何年か経った後で再びタトゥーを足しにくることがある。抜きの部分が気になる。もっと黒を多くしたい。それは一聴するとデザインの話であるように思えるが、実はそうではなく正確にはデザインの外側に向かっていく話なのだ。デザインとしてはもう完成しているのだから。
ここからの工程を僕は「第二期」と呼んでいて、抜き部分に黒を嵌め込んだり、ディテールを引き算で消すように黒塗りしていくのだ。そうすることで体験としてのタトゥーが再び始まる。このプロセスによって僕のタトゥーの黒率はラッダやオッディーの半ズボンタトゥーと同様のところまで進んでいく。デザインであることのギリギリの境目まで。彫っていない部分を無くしたいというクライアントの精神衛生的とも取れるような要求にできるだけ応えるために。
一歩向こう側はただの黒だ。でも、ということは、もう一歩分は「まだ彫れる部分がある」わけで、そこまでお付き合いすることも今後は増えるのかもしれない。オッディーと話していて半ズボンタトゥーの世界にも柄を潰してブラックアウトする好き者がいるということも分かった。
「効く」という体験
タトゥーの体験ははっきりいって「効く」。それは皮膚表面の内側にインクが入っていて、皮膚を引っ張れば一緒に伸びたり縮んだりすることに感じるシンプルな不思議だったり、痛みを耐え切った達成感と自信だったり、美しくなった自身に対するナルシシズムだったり、に由来するというように語られる。日本や韓国なら勇気を出して旧来の社会規範から飛び出した爽快感とかもあるだろう。そこから人は「成長感」を得られるのだ。タトゥーの心理学としてはそうだろう。
だが、実際のところそれだけでは説明がつかないほどに「効く」のだ。それは基本的に生理学的な分野の物事なのだと僕は感じている。
針灸師のクライアントが言っていた。タトゥーには針治療と同じ働きがあり、彫られた部位の神経組織とそこを担当している脳の領域とが刺激を受けて活性化し、超回復が行われるのだと。だから新しいタトゥーが増えるたびに今度は何の機能や感覚がリフレッシュするのかも楽しみのひとつなのだと。
このことはイタリアのアルプス山脈で見つかった古いミイラのタトゥーが針灸のツボの位置に彫られていたことや、沖縄でほんの少し前まで関節痛などに対して針灸と同様の治療目的のタトゥーがあったことなどでも分かる。
タトゥーと針灸治療は同じものだった。そこから身体装飾に特化したのがタトゥー、治療のみに進化したのが針灸術なのだ。
超回復で活性化する脳の領域という観点から見れば、確かにデザインの抜き部分はそれがまだ行われてはいない未開拓地ということなる。そこを埋め尽くしたくなる衝動は、農夫が畑を耕すみたいな感覚ともいえよう。これからは、ブラックアウトしてもまだ満足がいかないクライアントには針灸師を紹介してみるのもいいかもしれない。
トライバルタトゥーが世界中で呪術体系の中に組み込まれているのは、もともとこのような「効き」の力がベースとして備わっているからなのだと思う。


早起きして僕はオッディーのスタジオの資料本コレクションを読んでいた。ラッダはのんびりシャワー。見習い小僧のチャンウートはボングでマリファナ。
オッディーが屋台で朝メシを買って帰ってきた。ヤマソーと餅米だった。
脱ぐか、彫るか
初日でミッションは早々にクリアしたので、昼からはチェンマイ東部の「LLamados」という釣り堀を訪ねてみた。ヤマドスと読むスペイン語で、「〜と呼ばれる」という意味だ。これが釣り堀の名前とはどういうことなのだろう。

入り口の門が閉まっていて、チェーンロックがかましてある。呼び鈴は無い。中からコーギーっぽい犬5頭が吠えながら走って来て、門の隙間を潜り抜けて僕を取り囲み股間の匂いを順番に嗅いで、ようやく何かが腑に落ちたように静かになっていった。Googleマップではたしかに営業中になっている。おい、キミたち、いつまでもラリってないで飼い主を呼んでくるんだ。
が、一頭も動かない。腹を上に向けて無条件降伏しているヤツまでいる。門は高い。池の向こう側の建物まではけっこうな距離がある。
「おーい!サワディーカー!誰かいないのかー!」
人が見えた。
「おーい!開けてくれー!」
とりあえず名前の由来はもう分かった気がする。
椰子の木、パラソル、ハンモック、水上デッキ。なんだか思わず微笑んでしまうような可愛らしい南国リゾート仕立ての釣り堀だ。管理人はイギリス人の移住者だった。
オモリの付いてない、丈夫な糸と大きなハリだけの仕掛けを貸してもらった。エサは半分に切ったソーセージだ。
まるで『おさるのジョージ』の絵本の世界だ。魚の絵ばかり描いていた幼少期の感覚が懐かしく甦る。池の周りにはバンガローもあって、宿泊客が木陰のハンモックに揺られながらのんびりと釣りをしていた。上半身裸で半ズボン一丁の格好だ。
Pilot 111とのギャップがすごい。
いったいなぜ半ズボンだったのかなと考える。いや、タトゥーの話だ。
もちろんそれがカッコいいからだ。ではなぜ彼らはそれをカッコいいと感じるのか。そこにはカッコいいというよりもむしろその部分の身体をさらけ出すのがカッコ悪いという感覚があるのではないか。
目の前のハンモックに揺られるヨーロッパ人の中年男性はなぜ半ズボン一丁なのか。それはタイがめちゃくちゃ暑いからだ。
ではなぜ全裸になってしまわないのか。それはもちろん恥ずかしいからなのだ。
半ズボンタトゥーは東南アジアだけではなくて、さらに南太平洋にかけても広く分布していた。よく知られるのはサモアの「ペア」やニュージーランド、マオリの「プホロ」などだが、ほかにも僕が知っているだけでもフィリピン、メンタワイ、フレンチポリネシアなどにもある。面白いことにこれらは全て男のタトゥーだ。そしてこれらの人々はかつての暮らしの中では基本的に全裸やふんどし一丁だったのだ。熱帯の生活では服は必要がないどころかむしろ邪魔だからだ。
この男の半ズボンタトゥーと対になるような女のタトゥーがある。それは腿の部分だけをみっちりと覆っているが腰には何も彫らないスタイルで、太腿サポータータトゥーとでも呼べそうなシロモノだ。これもボルネオ、タヒチ、サモアなど広範囲で見られる。
もともと女の「具」は外に剥き出してあられも無さを漂わせているわけではないから腰全体を隠す必要はないのだろう。現在それが胸と合わせて厳重にカバーされているのは中世ヨーロッパの魔女狩りから始まる男たちの起こした気まぐれのトバッチリなのだと思う。女たちよ、今こそ立ち上がれ。そして脱ぎ捨てるのだ。
これらの人々はずっと熱帯にいたのではない。彼らはアフリカを出た後にユーラシア大陸を中東あたりから北に抜けて、シベリアを通ってアジアに降りてきた集団なのだ。それがさらに台湾から南太平洋に広がっていった。つまりかつてはガッチリした完全防備の防寒着レベルの服を何万年にも渡って着てきた人々なのだ。
南に降りてくるにしたがって彼らはどんどん薄着になっていった。シベリアにいた頃には顔や手の甲だけだったタトゥーが、前腕、膝下、上半身、とどんどん増えていったはず。やがて暑さが極まる東南アジアやメラネシアで、彼らは全裸で暮らす褐色の肌のホアビニアンたちと遭遇したことだろう。ホアビニアンはアフリカから中東、インド、東南アジアと熱帯の海岸線を辿った人々で、パプアやアボリジニを見たら分かるとおり、服は着ていなかったと思われる。
そこでは若干の躊躇があったのだと察する。長らく服を着ていた期間に彼らの意識の中ではすでに股間周辺の下半身をさらけ出すことに対する羞恥心が養われていたからだ。が、結局は彼らも全て脱いだ。そうじゃないと暑くてやっていられないし、泳ぐのにも適しているからだ。その際におそらく考えたのだろう。まあ、タトゥーで隠せばいいじゃないか、と。だからそれはたまたま現代の半ズボンの形に似ているのではなく、実際に彼らが全裸やふんどし一丁になる直前に履いていた半ズボンの記憶なのではないかと思うのだ。

その後も全身彫るかどうかはともかくとして、とりあえず半ズボンエリアは優先的にタトゥーで覆っておこうよ、みたいな流れが定着し続けたのではないだろうか。
ちなみにホアビニアンの直接の末裔であるパプアやアボリジニに半ズボン型のスカリフィケーションはない。これは彼らが寒い地域を経由することなくアフリカから南アジア、東南アジアの海岸伝いに移動してきた経緯とも整合性があると思う。
僕も半ズボン一丁になって木陰でビールを飲んでボケーっとしていると、地面に置いていたリールから激しく糸が出た。慌ててドラグを締めて竿を持つ。……重い。どうにもならない。潜水艦を引っ掛けたみたいなものだ。
ソーセージって「効く」んだなぁ。今回もまたソーセージが主役だったってわけか。









