正体不明の鳴き声
施術中にお客さんたちからよく尋ねられるのだが、僕にもよく分からない。それはいつも「アィーン」とか「アー」とか「ホッホー」とか連続的に叫んでいる。それもけっこうな大音量で。今のアパートで仕事をするようになって一年ぐらい経つが、その鳴き声の主の正体はいまだ分からないのだ。
アパートのベランダの目の前は中央本線と京王線が走っていて、その向こう側は数軒の住宅と山の斜面になっている。最初はその山の斜面の森の中から聞こえてくるのかと思っていた。仕事場から徒歩で15分ほどその小さな山を回り込んだ反対側の南斜面の中腹に僕の家はあり、その森に多様な生物たちが棲んでいるのは日常生活の中で実際に目撃してきて知っていたからだ。
イノシシ、ニホンザル、ムササビ、アナグマ、ハクビシン、イタチ、モリアオガエル、アズマヒキガエル、ヤモリ、オオタカ、ガビチョウ……。ニホンザルはコンポストの蓋を回して開けて野菜クズを漁っていくし、オオタカは捕獲したヤマバトを駐車場で貪り食っていたし、ハクビシンにいたっては家の屋根裏に長年にわたって住み着いている。だからべつに今さら何がいたってそんなに驚かない。でも家の周辺でこの鳴き声を聞いたことはなかった。
しばらく音の方向に注意していると、森から聞こえてくるのは実は反響音で、ホントの音源は線路のこちら側、しかもベランダの右手せいぜい50メートル以内だということが何となく分かってきた。どうやらそいつは向かいの山の斜面に向かって叫んでいるようだ。それぐらいに良く響き渡る高音なのだ。おそらく線路際のどこかの住宅の庭で飼育されているようだが、住宅の向こう側なのでここから姿は見えない。たまに中央本線や京王線の車窓から該当エリア周辺に目を凝らしても、あるいは画像に撮ってじっくりと拡大して見たりしても、それらしいものは確認できなかった。
これが小学生の頃だったらボールか何かをわざと放り込んで、スミマセーンとか言いつつ各住宅の敷地内をしらみつぶしに観察しに行くところだが、現在の己の(特に顔面の)状況を鑑みるとそういう行動はどうしてもシャイにならざるを得ない。下手したら通報案件だ。知り合いの小学生に確認してもらうしかないのだろうか。僕の息子は小学6年生だが、彼もまたいろいろ格好つけたりして遠慮するタイプなので、まあ頼んでも無理だろう。
お客さんたちの推測では、「熱帯原産の猿的な哺乳類」説と「鶴のような形とサイズの鳥類」説がだいたい半々だった。
最近アメリカ人の常連さんからプレゼントされたパイプ煙草を、アパートのベランダに出てゆっくりと燻らせていた仕事終わりのリラックスした午後。その生き物はいつにも増して盛大に鳴いていた。
「アィーン!アィーン!アィーン!……コンニチハ……ホッホー!」
言葉を喋るということは、たぶん……鳥なのだ。
秘境ワメナに棲む男
鳥といえば僕にとっては藤原一孝さんだ。僕の前著『一滴の黒』のエピローグでも触れた、僕よりも速くメシ食うという、まったくもって稀有なあの人物のことだ。彼は当時(2012年)、インドネシアのパプア州(旧イリアンジャヤ)のバリエム渓谷のワメナという場所で、ケータイ、パソコン、ネット関連の業務をデバイスの販売、修理、アンテナ設置、インターネットカフェなどまで幅広く手がけたり、海外からの旅行者に現地人ガイドを斡旋したりもする、「パプアドットコム」という店をやっていた。
また、現地人のお見合い用の写真を撮影し、フォトショップで盛るサービスなどもやっていて、最近では彼らの好みの基準が分かってきて大盛況とのことだった。しかし、べつにそれらの商売が彼の滞在目的というわけではなくて、本質的には趣味に生きている人であり、それが度を超え過ぎているために世間的には冒険家というカテゴライズで語ることしかできない、そんな御仁だったのだ。
ワメナは標高5000メートル級の高峰にぐるりと囲まれたバリエム渓谷内の標高1500メートルぐらいの盆地の街だ。1938年にアメリカの博物館の遠征隊の飛行機によりまったく偶然に発見され、1950年代からようやく欧米の宣教師たちが入りはじめたという彼の地は文化的、地理的に超隔絶地であると同時に、赤道直下の熱帯の大きな島の超高地、という非常にユニークな自然条件下にある生態系の秘境でもあるのだ。藤原さんは当時(2012年頃)そこで鳥類をはじめとするまだ世界に知られてはいないようなさまざまな生物群を、バズーカ砲みたいなカメラを担いで探っていたのだ。
僕は、資料の情報からワメナ周辺部にはトライバルタトゥーが無いのはあらかじめ分かっていたのだが、出アフリカを経て5万年以上前にこの地に到達して以降、超隔絶環境のために他の集団とほとんど交わることがなかったという観点から「地球上で最古の人種」と言われるバリエム渓谷の人々に興味があり、生でコミュニケーションを取ってみたくて訪れた。
ワメナの街はシンプルで小さい。州都ジャヤプラからのセスナ機が発着する空港、近隣の村々から芋や野菜やニワトリやブタが集まる市場、インドネシア警察や軍の施設、スマトラ島やジャワ島からやってきた入植者たちがやっている食料品店や雑貨屋や宿、欧米の宣教師たちの教会、そして藤原さんのパプアドットコムぐらいしかない。
パプアドットコムでは毎朝インターネットカフェを使わせてもらって仕事のメールの確認などをしていた。そのついでに、従業員の現地の女の子が作る和食風の賄いメシまでご馳走になったり、藤原さんの鳥の調査にお供したりもした。
そのあと午後からはだいたい市場付近から出ている乗り合いトラックを使って渓谷の村々を1日にひとつずつ回っていた。ダニ族やラニ族といった人々の土地だ。彼らは長細い瓢箪を使ったコテカ(ペニスケース)や頭の派手な羽飾りなどの衣装で世界的に知られる人々なのだが、普段からその格好で過ごしている人はもうあまりいなかった。だいたいの人はTシャツ短パンなのだ。
広く画像で出回っているコテカ姿の男たちが長い槍を持って走っている戦闘デモンストレーションなどは、事前に藤原さん経由で村に予約を入れて準備してもらわなければ見れない。もちろん有料だ。あれだけの頭数を揃えるわけだから、まあ、当たり前にけっこう高い。ツアーの団体様用プランだ。僕が滞在していた数週間の間は他の外国人観光客はいなかったので相乗りするチャンスもなかった。
それでは今はそういうのは観光客向けのショーだけの話なのかというと、はたしてそうでもない。前年には警察車両が市場近くでダニ族の子供を轢いた事故が引き金となって大暴動が発生し、ワメナ警察署は実際に弓と槍の襲撃でフルボッコにされているのだ。インドネシアからの入植者たちの商店も襲われて略奪にあっている。藤原さんのところも巻き込まれないようにバリケードを築いて中に閉じこもっていたという。実際問題としてそれぐらいの感覚なのだ。

渓谷の村々で僕は小学生年代ぐらいの子供たちと「七五三」というゲームをやって遊んでいた。知らない人のために説明すると、最初に横並びの線を7本の段、5本の段、3本の段、と用意して、互いに交代で任意の数だけ線を消していくのだ。横並びに繋がっていれば何本でも消してOK。そして最後の一本を引かされた方が負け。
これは地面に棒で線を引くだけでできる遊びで、言葉が通じなくてもちょっとやって見せていれば子供たちはルールを理解する。いつでもどこでも可能なコミュニケーションツールなので、僕は今までいろいろな部族の子供たちとこれをやって遊んできたのだ。
渓谷の子供たちには、まずこのルールを理解させることに苦戦した。この段階でこんなに手こずったのは初めてだった。おそらくこの手の遊びをやる習慣がないのだろう。
ちなみに先手を打てば誰が相手でも必ず勝てるというレベルにまで達するのがこのゲームの最終的なゴールなのだが、1日でそこまでいく子もまた珍しい。今まででただ1人、アマゾンのカヤビ族の10〜12歳ぐらいの少年だけだ。あちこちで僕が教えた七五三が子供から子供へと受け継がれていたら面白いなと思う。
部族のアイドル
カウンターカルチャーとしての無政府主義はこれまでインドやアジアの山奥でも見てきた。だがこの渓谷をぶらついてみて感じる無政府な空気は、もっとイノセントでナチュラルなものだったような気がする。なんというか、国や法というものの、内容がどうとか好き嫌いとかではなくて、そういう概念自体が存在していないような気配。選択的に部族をやっている人や再部族化した人とかではない、もともとの素の部族そのものの人、「ガチ部族」なのだ。
インドネシア政府のパプア州統治のやり方には国際社会からの厳しい視線が注がれている。武力による制圧、医療的不妊処置によるパプア人の人口削減、ジャワやスマトラなど他の地域からの住民の強引な入植によるイスラム系インドネシア住民多数派工作。どれもかつて帝国主義の国々が征服者として世界各地でやってきたセオリー通りの動きではあるが、それらは今では人権侵害として国際的に批判の的になる。
だから政府もそんなに派手にはやらかせない。そういう微妙なバランスの中でパプア州内での独立論はわりと表立って蠢いている。実際に渓谷で出会って話してみた村人のほとんどが独立賛成だった。でも、それってホントに自分たち自身で国や法というものを作りたいのかというと、そういうことではないだろうとも感じた。
最近、タイ南部のマニ族と縄文人が非常に近い血縁関係にあるということがDNA研究の進展によって判明した。マニ族は数千年以上にわたり外部との接触を強く拒んで隔絶環境に身を置いてきた人々で、出アフリカから南アジアを経て東南アジアに4〜5万年前にたどり着いた最初のホモサピエンスの形質を今なお大きく受け継いでいるとされる、背が低くて髪の縮れた黒人だ。この最初の東南アジア人は、現在のカテゴライズではホアビニアンと呼ばれている。
つまり縄文人はこのホアビニアンが東南アジア海岸線沿いに北上して日本列島に入り込んだものだったということが分かったのだ。ホアビニアンの形質を色濃く残すその他の集団は、アンダマン諸島の人々であったり、フィリピン・ネグロス島のネグリトのように、北東アジア人の南下による混血の波に飲み込まれ切らなかった、なんらかの要因による隔絶環境に暮らす小さな黒人たちなのだと思う。バリエム渓谷のダニ族やラニ族に限らずニューギニア島民全体も当然そのグループの一員だ。
そういえばバリエム渓谷の車両が入って行けない奥地をダニ族のガイドと数日間泊まりがけでトレッキングしていたときに、何軒かの竪穴式住居に泊めてもらったことがあった。今までいろいろな部族の家を見てきたが、竪穴式は後にも先にもここだけだ。表の地面よりも内部の床のレベルが低く、床の地面には枯れ草がたっぷりと敷かれていて、快適だった。
そこは「男の家」ということで5〜6歳ぐらいの子供から長老までの集落の男たち20人ほどが一緒に暮らしていた。僕が家に入っていくと一番小さな子供がサッとリュックを受け取りにきて、所定の棚に収めた。そういう教育をされているようだった。男塾みたいなものなのか。他の皆は部屋の中の一ヶ所に集まって何かをしているので覗き込んでみると、日本のAVをケータイの小さな画面で一生懸命に見ていた。やはりここは男塾ということだ。
「白人、黒人、アジア人、いろいろ見てるけど日本のマリア・オザワが一番だと皆言っています」
でた……部族のアイドル、小澤マリア。これはもう決定的な事実といわざるを得ない。しかし一体何故なのだろう。誰かに研究してほしい。聞いたところによれば、この村のカップルは子供が生まれたら5年間はセックス禁止らしい。これは村の生産力に対する適切な人口調整策と思われる。余剰人口は飢餓や争いの原因となりうるのだ。
子供も5〜6歳になればある程度働き手としてカウントできるわけだし、このルールなら飽和状態での口減らしとしての悲しい子殺しや姥捨てを避けることもできる。だから新生児の父親は、5年間は空砲を撃つことに専念するしかない。
藤原さんの営業戦略はこうした村の事情を考えた上でも必勝パターンに乗っているということだ。急斜面の山の細道でジェネレーターを一生懸命に担いで運んでいる人に出会ったが、こういう需要があったのか。
隆起する皮膚
ジェネレーターの運び屋のちょっと後に頭にカゴを載せた女が歩いて来た。ガイドが著しい反応を見せる。
「ボス、お願いです。私にタロイモを奢ってください。大好物なんです」
まあいいだろう。僕も腹が減っていなくもない。1.5kgぐらいの蒸してあるタロイモを女から買って、2つに割ってデカい方をガイドに渡したら、さっそくバクバク食っている。僕もそのへんに座って遠慮なく自分のペースで食う。タヒチやハワイのやつよりも水分が少なめか。ポクポクした食感。あるいは調理法の違いだろうか。タロイモは、要するに巨大なサトイモだ。
……喉に詰まった。本格的にギッシリと詰まっている。水くれ、水。え? 全部飲んじゃった? 死ぬよ、オレ。
生命のピンチで極限まで研ぎ澄まされた聴覚に、小さな川のせせらぎの音が聞こえた。前方に向かってダッシュで走っていくと幅30センチぐらいの流れがあった。苦しい。流れに顔を突っ込んでゴクゴクと水を飲む。食道満杯に詰まったタロイモがゴ、ゴ、ゴ、ゴックンと移動する。胸が痛い。……どうにかやり過ごした。危なかった。
ほんの5メートルほど上流で洗濯していた女たちと目が合ったので笑顔で親指を立てておいた。息が石鹸臭い。ボエっ。
村々では指が何本か欠けた女をたまに見かけた。家族の誰かが亡くなったときに自分で石斧で叩き切ったのだという。これが弔いのスタイルらしい。悲しみの表現活動としての自傷だ。これは日本の指詰めで使うようなドスなどの鋭利な刃物でスパッといくわけではなく、グシャッと叩き潰している感じに近いからなのだろう、切り口が蛙の指の吸盤みたいに広がっている人もいた。猛烈に痛かっただろうが、なんかちょっと可愛い見た目だ。根性焼きを腕に入れている人も何人か見かけた。どれも濃い褐色の肌の上でそれが視覚的に美しく盛り上がっている。
この人たちはアフリカ人と同様に傷が大きく盛り上がる体質なのだ。島の東サイドのパプアニューギニア領にはこの体質を利用した、ワニ皮を模した美しいスカリフィケーションで知られる部族もいるらしい。先述したフィリピンのネグリトもまた全身に及ぶような大きな面積のスカリフィケーションで有名だった。ホアビニアンはスカリフィケーションの文化を携えてアフリカから東南アジアにやってきたのだろう。

MYgrations.nl撮影(https://www.wereldreizigers.nl/ja/oceanie/%E3%83%91%E3%83%97%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%8B%E3%82%A2/%E3%82%BB%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E5%B7%9D%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%A7%E7%9B%AE%E3%81%8C%E7%84%BC%E3%81%91%E3%81%9F/?srsltid=AfmBOopaYK25DzznIpoLOccj0ffX9a32rw3bMTQuVao5tY1jN69Anm3E)
北海道のアイヌのタトゥーがインクラビング・スカリフィケーションで行われていたという事実や、古事記に記述された日本の古代のタトゥーが「さけるとめ」という切り傷を想起させる呼称であることは、実はアジア地域の他のトライバルタトゥーの事情からするとかなり特殊だったのだが、今こうした縄文人が北上したホアビニアンであったという最新の知見から考えると、それはとても整合性のある成り行きだったと思えてくるのだ。
おそらく東南アジアから日本列島までの北上にともなう4〜5万年にもわたる環境適応や北東アジア人との混交によって、ホアビニアンの肌色が薄くなる過程のどこかでスカリフィケーションだけでは充分な視覚的効果が得られなくなり、その上から煤を塗り込み始めたのだろう。そしてそれが針にシフトすることなくずっと明治時代までアイヌの間では実践され続けていたということなのだ。
トレッキングからワメナに戻り、同行してくれたダニ族のガイドの家の庭でバーベキューをした。地面の穴に焼け石とバナナの葉で包んだ鶏肉や芋や野菜などの食材を一緒に入れて蒸し上げるスタイルだ。竹を割ったデカいトングで焚き火の中から焼け石を掴んで穴にどんどん入れる。
自分の村の叔父さんは人肉をこうやって料理して食べたことがあるが、自分は食べたことはない、と言う。僕は人の胎盤を生で食べたことがあると言うと、なんだ、日本人も食べるのかと言ってちょっと安心していた。ちなみに村では産気づいた妊婦は1人でそこらへんの木の枝に掴まってぶら下がってイキんで赤ちゃんを産む。産婆的な介助すらもないとのことだ。

また、彼は若い頃から藤原さんにとても良く面倒を見てもらっていて、いつも鳥の調査のアシスタントをやらせてもらっているし、コテカと羽飾りの正装で東京に行ってテレビ番組にも出演したことがある、とも言っていた。
コテカは竿部分は収納しているが、玉袋は完全にむき出しだ。それで日本のテレビに出演して大丈夫なのだろうか。というかまあ実際大丈夫だったんだから玉袋は問題ないということなのか。ふーん……。
やがて香ばしく蒸し上がった食材の中から、さらに葉っぱに包まれたオニギリ大の何かをガイドは僕に差し出した。
「これね、一番美味いやつだからぜひボスに食べてもらおうと思って。さっき市場で特別に買ってきたんですよwww」
開けてみるとブタの背脂だけの塊だった。アブラマシマシじゃないか、これ。今度東京に来たら二郎に連れて行くよ。やっぱり僕らは遺伝的に近いのかもしれない。
藤原さんはその後日本に帰ってきて、今では毎日のように東京の某川付近でもっぱらカワセミを撮影しているらしいことはFacebookで拝見している。
鳥でも獣でもない
どえらく遠い場所に来てるはずなのだが、実は日本とほとんど時差がないので、いつもどおりの朝6時に自然と目が覚めた。そしていつもどおり寝覚めのタバコに火をつけつつ部屋の窓を開けたのだ。
するといきなりすぐ目の前の空間をフルーツバット(オオコウモリ)がバタバタと羽ばたきながら横切っていく。デカい。まるで黒い傘が強風に煽られて空中を舞っているみたいだ。しかも犬みたいな顔をしている。辺りの空を見渡すと、それが何羽も飛んでいる。夜中にずっと活動して、今からねぐらに戻って行って逆さにぶら下がって眠るところなのだろう。
オーストラリアのアボリジニがブーメランを投げてコウモリを狩るという話を思い出した。それを初めて聞いたときは日本の小さなコウモリを思い浮かべて、そんなもの獲ったって仕方ないだろうとか思っていたが、たしかにこのサイズなら相当に食べごたえのある立派な獲物だ。
まだ鳥と獣が争っていた古き時代。鳥からも獣からも仲間はずれにされていたコウモリは、どちらかの勝利に貢献すれば仲間に入れてもらえるかもしれないと考え、鳥軍が優勢であるときには翼があることをアピールし、自分は鳥であると主張して戦った。獣軍が盛り返してくると、今度は自分には毛が生えていることを理由に獣側について戦っていた。
やがてエミューとカンガルーという大将同士の直接対決を経て和解に至ると、コウモリの出番はなくなってしまい、ガッカリして洞窟に帰って行った。
しかし今度は鳥と獣の争いに呆れ果てた太陽が地上に出て来なくなってしまうという大問題が発生し、鳥と獣は話し合った末に、コウモリにどうにかならないかと相談した。
コウモリは得意のブーメランを地平線に向かって3回投げた。そして太陽はふたたび昇ってきたのだ。この功績によって、コウモリは朝日の昇る時間に姿を見かけても誰からもいじめられなくなったのだという。
入国前の注意事項とは
東京の目黒にあるパプアニューギニア大使館にVISAの申請に行ったとき、受付には誰もいなかった。警備員なども含めて、どこにも誰もいないのだ。敷地の門も建物のドアも開いているのに。コンニチハーと例の鳥のように声を張り上げていると、やがてどこからか係の女性が出てきた。
「え!?ツアーではなくて個人で行くんですか?危ないですよ?」
2024年1月のポートモレスビーの暴動騒ぎはもちろん知っている。新しい税制で給料が減ることに腹を立てた警察官たちによるデモが無政府状態を生み出し、首都ポートモレスビー丸ごとの大暴動というカオスに発展してしまったのだ。これは国際的なニュースだった。
でもすでに半年近く経過していたので、そろそろほとぼりも冷めた頃なのではないかと思ったのだ。平時からポートモレスビーの犯罪率が世界最悪の水準なのは知っている。もとよりカッパライやカツアゲに遭うぐらいのことは覚悟しているのだ。
一週間後にVISAを受け取りに行ったときには、その係の女性は僕のいろいろな活動内容を把握していて、取材に役立つようにと現地情報満載の本までプレゼントしてくれた。そして、
1. ホテルは事前に決めて、そこの手配する送迎車だけを使うこと
2. そこらへんのタクシーやバスには絶対に乗らないこと
3. 街を1人でうろつかないこと
などの念を押された。そこまでなのか。そこまで自由、いや危険なのか。
いちおう出発する前に古弟子のカケハシ君を呑みに誘って、もしものときは現在施術中のお客さんたちの続きの作業を担当してくれるように頼んでおいた。
赤い嗜好品
パプアニューギニアの人たちの歯は総じて赤い。例の檳榔を噛んでいるからだ。現地では「ブアイ」という。東南アジアよりもう少し大きく育てた実の、外側を歯で噛み割って中のコアの部分だけを取り出して口に入れる。そしてキンマの葉っぱの代わりにここでは「ダカ」という紙巻きタバコぐらいの太さのひょろっと細長く、苦み走った味のする野菜を石灰につけて一緒に噛むのだ。

檳榔を噛む習慣はアフリカから南太平洋地域まで幅広い地域に存在しているが、こんなにも嗜む人が多い土地は他に見たことがない。子供から年寄りまで、また男女を問わず、皆モグモグやっている。が、その割にはあまり道路が赤い汁で汚れてないなと思ったら、噛んだ後、汁は吐き出さないでそのまま飲み込んでいる人が多い。
そんなことをしたら胃が荒れるんじゃないのかと思いつつ、さっそく試しに僕も飲み込んでみたが、とくに腹痛や下痢は起きなかった。1日10個ペースでも問題ない。そればかりか効き目が長続きしてお得な感じまであるではないか。僕の今までの檳榔人生は一体何だったのだろうか。
ブアイ売りの露店はいたるところにある。車で移動していると、喉が渇いたり小腹が減ったりしても、そうしたものが手に入る店はほとんど見かけないのだが、ブアイはどこでも売っている。
この衣食住に直接関係のない嗜好品は、元来食料などを部族内で自給自足しているはずのこの国において、最大級の流通物のひとつのようにも見える。ほとんど貨幣に匹敵しているのではないだろうか。実際にローカルに聞いてみると、その認識で間違いないと言っていた。ブアイを通貨単位名称にしてもいいくらいだ、と。
ブアイはもともと、マレー半島あたりの固有の植物らしい。それが今日アフリカから南太平洋まで拡がっているのは人為的な移植によるものだ。もちろん、その実を嗜好品として利用するために。
その歴史はインドなら紀元前、東南アジアでも千年以上前まで遡ることができるという。紀元前や千年というのはつまりそれらの地域で文字の使用により歴史を記述することが始まったことによる文献資料があるということだ。つまり、ブアイを摂取する習慣がその時代に始まったというわけではない。そのずっと前から続いてきたものなのだろう。

では、ずっと前というのは一体どれぐらい前なのか。5万年前にスンダランドの現在のマレー半島あたりに到達し、そのままニューギニア島やオーストラリアの原型であるサフル大陸に渡った人類はすでにブアイをモグモグやりながら丸木舟か何かを漕いでいたのだろうか。
ブアイだけを噛んで充分に効くならシンプルにそれでいいと思う。人間は目の前にある未知のものはとりあえず試しに食べてみる性質があるのだから。でもそこにキンマやダカといった他の植物を合わせ、さらに貝殻や珊瑚を焼いて作った石灰を加えるのだ。まったく偶然にそのコンビネーションを人が一度に口にする確率といったら天文学的な母数になると思う。きっとそれは偶然によるタトゥーの発生の確率どころの話ではないだろう。タトゥーなんてそのへんで転んで怪我するだけでも成立する可能性があるのだ。
だからおそらくこれは、ある程度そういう因果関係を分かった上での確信的なラインナップなのだ。アルカリ性の液体、例えば焚き火の灰を溶いた水などに、ある種の植物に含まれる「トび」成分であるアルカロイドを抽出する働きがあるという事柄は、はたしてどれぐらい昔から経験的に知られていたのだろうか。
そういえば、南米アンデス山脈の先住民たちもコカの葉と石灰を一緒に噛んでいる。もしホアビニアンがすでにブアイ中毒だったとするならば、それが栽培できない気候帯にあえて突き進んでいった縄文人は、やっぱり今日の日本人に連なるような真面目な集団だったんだろうなぁ、とも思うのだ。









