地の果てへ
マハセールという魚がいる。金色に輝く鱗を持つ、ニゴイの親方みたいなやつだ。大きいものは1.5メートルぐらいになり、東南アジアの山間部からインド、ネパールのヒマラヤ山脈まで広く分布している。30年ぐらい前はマナリーやポカラの川や湖でこれを釣って遊んだものだった。この辺ならあれが棲息していてもおかしくはない。
朝の5時から貢山の街の前を流れる川辺に降りて行く。雪解け水が土砂を巻き込みながら勢いよく轟音を響かせている。やはりヒマラヤと同じような水だ。本流の脇の流れの穏やかな淵の岸辺には、何かのエサを使う投げ込み釣りの竿を立て掛けるための台座が、そこら辺の石を寄せ集めていくつも組まれている。どれも頑丈な作りだ。マハセールかどうかは分からないが、とにかくある程度のサイズの何かはいるってことだ。とりあえずルアーをブンブン全力で投げまくる。
……2時間に及ぶルアー投げ低酸素健康エクササイズの後、ホテルの朝食ビュッフェで米麺スープと包子を2セット分ガッツリいただき、しばらく前からWeChatで探し出してやりとりしていたドライバーとホテル前で合流した。
タトゥーが顔面に入った独龍(ドゥーロン)族のお婆さんたちがまだ残っている集落へは、ここからさらに車で2時間もかかる。ドライバーは白族の男で現地語は分からないため、街の高校で勉強するために現地集落からこっちに出て来て暮らしているという独龍族の女の子を通訳として助手席に乗せている。二人は普通語で会話している。
事前に聞いていたとおり標高3500メートル以上のエリアでは雪が降っていたが、すでに除雪車が稼働しているため交通断絶状態はいちおう解消されていた。ここで単独で雪にハマったら死ぬことも覚悟しなければならないような場所だ。この除雪車の配備を待つために、僕は普洱でお茶を飲んだり大理でチーズを食べたりして時間を潰してきたのだ。
雪のエリアを越えてまたどんどん山を下って行った先に独龍江郷というちょっと大きめの集落があり、そこでいったん休憩した。ここらへん一帯に散らばる独龍族の集落群を統括する村役場みたいな場所だった。習近平国家主席が直接ここまで来た時にタトゥー女性たちと会話している写真がデカデカと飾ってある。独龍族の置かれた原始的な貧困生活からの救出を偉大なる主席は約束してくれた、みたいな文面も添えられて。来たのか、国家のトップがここに。
ここはチベット自治区と雲南省の境界にあたり、ミャンマーの最北端に隣接している。その先細りしたような形のミャンマー領をほんの100kmほど挟んだ向こう側はインドのナガランドやアルナーチャル・プラデーシュ。地の果て。世界史上最もどこでもないような辺境のひとつだ。
蝶になった女性
空気が薄いため少しその辺をぶらぶら歩くだけで息が荒くなる。
またしばらく車を走らせ、やがて山の南斜面のポカポカとした陽だまりに何軒かの家が佇む小さな集落にたどり着いた。軒先で機織りをしている老婆が手を止めてちょこちょこ歩いてこっちにやって来た。顔にタトゥーが入っている。ものすごくニコニコしている。歯がない。
「わぁー、いらっしゃい、よく来てくれたねぇ。あらまあ、アナタも顔にタトゥーが入っているじゃないの、嬉しいねぇ」
背が小さい。130センチあるかないか。握手した僕の手にキスしている。とてもかわいいお婆さんだ。手を繋いだまま一緒に軒先に座ってお茶をいただく。
彼女の顔のタトゥーのモチーフは蝶のようだった。鼻が蝶の胴体部になっていて両頬から顎にかけて羽が広がっている。胴体部は触角、頭、胸、腹の描き分けもされている。蝶の頭部は眉間にまで達しているので、人間の眼や眉をも蝶の羽の模様として同化させる意図が感じられる。つまり蝶が顔に留まっているというよりも顔が蝶になっている。この女性は蝶そのものなのだ。

生命のさまざまなステージにおけるメタモルフォーゼの最終形態である美しい蝶。それは再生あるいは永遠不滅の象徴でもある。少女が大人の女性になる、この世に女性として生まれてくる、ということの悦びを喩えるには絶好のモチーフなのだ。だからこそ現代タトゥーの世界でも蝶は女たちから圧倒的に支持されているのだと思う。

当の本人は、独龍族の女性は皆入れるのが普通だったから子供の頃から入れたが、世の中が変わって大きな街なんかに出かけたりするようになったら、他の人たちには顔にタトゥーは入っていないものだから目立ち過ぎて恥ずかしい感覚があると言う。だからアナタが来てくれて嬉しいの、と。慣習としての美だからこそ、その慣習がない社会の中ではやたらと目立ってしまうのはたしかに僕も身をもって知っている。彼女の手を握る指に少し力がこもる。

これを入れておけば誘拐されずに済むと当時の周りの年配者たちから言われた、とも。「トライバルタトゥーあるある」だ。これは主に小さな女の子たちにコミュニティーの伝統であるタトゥーを入れさせるための一時的な方便にすぎないケースがほとんどだと僕は思っている。
西郷隆盛は奄美大島に島流しになっていた時にハジチ(現地伝統の手の甲のタトゥー)の入った女性、愛加那を現地妻としていた。男が女を真剣に愛するのにタトゥーがどうこうとか本来関係ない。婚姻に関してタトゥーの有無が問題になったりしているのは相手を不動産や車なんかと同列に査定するような極めて現代的でセコい、愛とは関係ない現象なのだ。
一方で、たしかに今、中国の農村部では深刻な嫁不足が起きている。これはかつての産児制限下における農家の跡取りとしての男児の優先的選別の結果だ。女児は堕胎されたり戸籍に載ることもなく捨てられたりしてきたのだ。
その穴を埋めるためにミャンマーの山村などから年頃の女性が攫われ、人身売買されている。それを買った農家により監禁状態で子供を産まされているという事件が実際にいくつも報道されている。
地域コミュニティーがグルになってこの行為を隠蔽してきたことも判明している。この場合、人身売買業者は平地では買い手がつきづらいであろう顔タトゥー女性をわざわざ攫うことはしないだろう。
だから誘拐回避は現状まったく根拠のないことでもない。でも現在の独龍族の女性たちは顔タトゥーはやらない。べつに誘拐されても良いと思っているわけではないだろう。情報量が急激に増し、自分たちを取り巻く他者たちの姿の解像度が上がってその方便が通じる世の中ではなくなったというだけだ。
近代までの長い人類の歴史の中で山地民たちが被ってきた誘拐や侵略は圧倒的に平地国家勢力による労働奴隷の獲得が目的だった。そこでは顔にタトゥーがあるかどうかなどは全く関係ない。体が動けば十分なのだ。今、ミャンマー軍事政権は制圧した地域の山地民を強制的に徴兵して他の山地民との戦いの最前線に投入している。ほぼ死ぬためだけの使い捨て労働力。これがホントの労働奴隷の姿だ。平地の奴らはそんなに甘くないぜ。
顔面タトゥーは最後ではない
今一度ここがどこなのかを確認してみよう。先にナガランドがすぐ近くにあると述べたが、ここはミャンマーとバングラデシュ、インド北東部の国境あたりに長く南北に横たわるアラカン山脈、パトカイ山脈の北の端っこ辺りになる。その南部にあたるミャンマー領にはチン州諸族のマガン、ムーン、チンといった部族が展開している。彼らは顔面タトゥー部族だ。そこから北にインドのマニプール州、ナガランド州、アルナーチャル・プラデーシュ州と伸びる。もちろんそこに暮らしているのもまた全部顔面タトゥーの部族たちなのだ。
ナガランドの東側に位置するミャンマーのザガイン管区の人々がどうなのかは、僕はちょっと散歩したぐらいでじっくり旅をしたわけではないし資料でも分からないのだが、自分たちと同族だとナガランドの人たちは言っていた。独龍族は、そこにダイレクトに接している、もっというとその内の一部族そのものなのだ。
だからこの地で顔面タトゥーが入っていることにはそもそも何の特殊性もない。この人たちにどうして顔にタトゥーを入れているのかという質問をすること自体がナンセンスなのだ。現代日本の社会において何故あなたは顔にタトゥーを入れてないのですかと聞くのと同様のナンセンスなのだ。
今ずらりと挙げてみたアラカン山脈、パトカイ山脈の部族たちは移動性を備えた焼畑農業の人々なので他所から労働奴隷を攫ってくる必要はない。むしろ一定のキャパを超えると集団が分裂していく傾向があるのだ。だがかつての彼らは何よりも人間の頭を狩り取ることを求めていた。そしてその際、狩り取る頭の顔にタトゥーが入っているかどうかなんて全く問題ではなかった。山地の奴らだってそんなに甘くないぜ。
顔は現代タトゥーでは最後のチョイスと目される難所で、他の部位はすべて入っているような愛好家でも躊躇する禁断のエリアなのだ。意を決してやったとしても顔の周辺部からじわじわと様子見しながら伸ばしていくとか。そういう位置づけなのだ。手の甲もそれに準ずる。どちらもどのような服装からも露出するから社会的な覚悟が必要なのだ。
でも僕が今まで実際に触れてきた部族たちのそれは全然違う。真逆と言ってもいいぐらいだ。顔はファーストタトゥーの部位なのだ。ダントツの優先部位。理由は当然、目立つから。一番効果的なファッションだからだ。厚着した極北の民族にとっては顔が唯一の露出部位だからというだけではない。服を必要としない気候で真っ裸で暮らすアフリカの部族たちにとっても顔に施すスカリフィケーションが第一に重要になる。それがトライバルタトゥーというものなのだ。
なぜタトゥーを入れているのですか、という問いのベースにはタトゥーが入っていない状態が通常であるとする意識がある。歴史の記述は何千年前には〜族にはタトゥーがあったことが確認できる、というだけだ。つまり誰かが文字で記述した最初の資料が根拠になっている。それはあたかもその年代からそのタトゥーが始まったかのような印象も放つ。それまではタトゥーの入っていない真っさらな状態だったというイメージ。
それは違う。完全に誤解している。人類はアフリカ大陸を5〜10万年前に出た時点で、すでにそれを持っていたというのが僕のイメージだ。人々はタトゥーと共にユーラシア大陸やアメリカ大陸に広がっていったのだ。タトゥーもスカリフィケーションも消えたのは、灌漑農業による余剰生産力から国家的なシステムが出来上がり、その大きな社会で文字が発明され普及してからという、長い人類史上で見ると極めて短くて新しいフェーズに入ってからのことなのだ。
その証拠にほんの100年ほど前までは夥しい数のトライバルタトゥーが世界のあちこちで実践されていたわけだし、今でも国家の縛りが及ばない辺境の無文字社会にはこうしてトライバルタトゥーが残っているということなのだ。このどこでもないような土地にこの人たちは最初からタトゥーと共に移住してきたのだ。
とても愛らしいお蝶夫人と深い抱擁を交わした。

一通のメッセージから
帰りの車の中でスマホを開けるとSNSで僕の三星堆遺跡のポストを見た中国人の彫師からメッセージがきていた。まったく知らない人だ。
「まさか今、四川省に滞在されているんですか?」
今は雲南省の外れの独龍族の集落にいると返すと、ぜひともお会いしたいのでそちらに伺ってもよろしいでしょうか、ときた。雲南省の中心都市、昆明の人らしい。
貢山の串焼き屋で待ち合わせをしたらタトゥーだらけの四人組がやって来た。挨拶して作品アカウントを見せてもらうと皆ブラックワークを得意としている彫師だった。全般的にとてもスタンダードな感じのドイツやイギリスのスタイルのブラックワークで水準は高い。このタイプは日本にはいない。僕が北京コンベンションに参加したのはもう7年前にもなるのか。その時中国人ブラックワーカーはジウジだけだった。中国のマーケットは相変わらず急速に変化し続けているようだ。
彼らは僕の作品を純粋にブラックワークの観点から見ていて全身作品の完全性に憧れているのだという。
僕の全身作品のバランス感覚は世界中の多くのトライバルタトゥーから影響を受けているということを話した。僕だけではない。今日のブラックワークはもともと1980〜1990年代に現代の彫師たちがトライバルタトゥーをアレンジすることから始まった。今回の独龍族訪問もただのエスニック趣味ではなく、今後の創作のインスピレーションになっていくのだ。
三星堆人のタトゥー、海南島の黎族のタトゥーと初期の象形文字との近似性、なども話した。
中国のブラックワーカーである君たちには面白いことがたくさんやれるように僕からは見えるよ。
「雲南省で彫師として暮らしているのにそういう面がまったく見えてなかったです。明日さっそく独龍村に行ってみます。海南島や台湾にも行きます」
まあ、種は蒔いたかなってことで。









