文様奇譚

第21話 ナガランド【後篇】

大島托

持たない旅

女将が標高5000メートルにある温泉を訪ねるツアーに空き席があるというので参加した。この旅のツレのタマキが温泉好きなのだ。僕は温泉には興味がない。まあ、もっとも温泉の方も僕には興味がないだろうとは思うのだが。

風がスカスカ通るような薄っぺらいフリースの上着とサンダルで雪降る5000メートルはさすがに厳しかったが、今回は3〜4kgぐらいの荷物で来ているのだからそれも仕方ない。これ以上の上着や靴は買いたくない。小さくて軽いリュックで身軽に旅することが、長年にわたってかさばるタトゥー道具に煩わされてきた僕にとっては何よりの贅沢なのだ。

シッキムを後にし、アッサム州のムガシルク産地の工房を見物に行った。ムガシルクとはヤママユガのような蛾の繭から取れる糸を紡いで織った黄金色の絹だ。日本では非常に高値で売られているらしい。
タマキは主にシルバージュエリーの作家なのだが、エスニックな布や小物なども扱っていて、このムガシルクをどっさりと買い込んでいた。ここまでの道程ですでにけっこうな品数を仕入れていて、荷物がだいぶ大きくなってきていたのだが、もうこのムガシルクで手持ちのリュックやバッグには入り切らなくなって、大きなボストンバックを一つ追加していた。

この街の郵便局から船便で日本に送るべきだという僕に、利益を減らしたくないから手持ちで行くと彼女は言った。そして自力ではほんの50メートルほども移動できなくなってしまったのだ。

「手が空いているなら手伝ってくれない?」

と言う。僕の手はたまたま空いているわけではない。あれもこれも切り捨てて空けている。物を持たないことに影腹を切っているのだ。

目的地のナガランドに到達する前に、僕のささやかな旅の贅沢は終焉を迎えた。

封鎖された州へ

外国からの個人旅行者が来ることをまったく想定されていない上に英語もインドの他の州ほど通じない地域なので、州内部の移動はすんなりとはいかないだろうと考えた。そこで南部の州都コヒマからではなく、北部最奥の目的地であるモンビレッジへ、隣接するアッサム州のシブサーガルから長距離タクシーで直行した。

なにせリアルな個人旅行者向けの情報があまりない。ナガランドが長く閉ざされてきた理由は政治的、軍事的なものだ。インド、ミャンマー、チベット、中国の狭間にあるナガランドは歴史上どれにも属していなかった。どの平野の勢力圏からも遠すぎる山の中だからだ。

言わばゾミアの一等地の住人というわけだ。そこがイギリスの植民地としてインドや現在のバングラデシュなどと併せて統治されていたところに、日本軍が侵攻してきた。それがあの有名な「インパール作戦」だ。

イギリスの植民地を削ってダメージを与えるために、各侵攻先の独立を支援するという戦略的立場を取っていた当時の日本軍は、ナガランドにおいては今も救世主というアングルから捉えられているところがあるという。その独立というアイデアは、日本が負けて第二次大戦が終わり、イギリスからインドが独立を果たす前からナガランド内に残り続け、やがてインドからの分離独立を求める長く続く内戦へと発展したのだ。

その内戦を力で抑え込み続けるインド政府は、ナガランドの独立を支援して自国側に付けようと目論む周辺国の工作員との接触を遮断するためにナガランド州全体を封鎖した。

以降、外国人がその内部に入るにはインド政府の指定した旅行業者が催行し、ガイドが参加者の行動を完全に監視下に置くことのできる団体旅行のみとなっていた。料金は目玉が飛び出て二度と眼窩に戻ってこないぐらいのレベルだった。なお、同様の理由で、ナガランドの人々がインド国外に自由に出ることもほぼ認められてはいない。行ってはみたいけど、そんな高級修学旅行みたいな旅、するわけないだろというのがこれまでの僕の周りの旅人たちの見解だった。

西側世界では中国政府によるウイグルやチベットに対する仕打ちがよく取り沙汰にされているが、自分たちの仲間につけておきたいインド政府がナガランドやカシミールに対してやっていることにはだいぶ蓋をしている感がある。そのどれもが住民による投票を行えば独立が決まる地域であろう点では同じなのだが。

軍のゲートを何事もなくパスし、未舗装の悪路を砂利穴に落ちないように気をつけて走り、昼過ぎにモンビレッジに入った。あてにしていた宿に行ってみると、外国人の団体ツアー客で満員とのことだった。この街には他の宿泊施設はないらしい。

部屋が空いている日程をブッキングして、とりあえずいったんシブサーガルに戻ろうという僕を尻目に、タマキが粘って交渉して従業員の部屋を空けてもらっていた。

女性の支配人からお腹が空いているならオムレツとトーストを作りましょうかと聞かれたので、何かローカルの食べ物がいいかなと答えた。外国人にはここの食べ物は無理ですよ、と彼女は笑った。どうしてもというなら門を出てすぐの交差点に軽食屋があるから見てきたらいい、と。

シッキムでご飯をご馳走になったときに付け合わせで出てきたトウガラシは、世界最強として名高いブート・ジョロキアだった。そのレベルの違う辛さにひとしきり感心していると、これから行くナガランドにはもっと凄いナガチリというのがあると教えられていた。だから覚悟はできている。

地面に直で立てた柱に板を雑に貼り付けただけの掘立て小屋の前でドライバーたちが休憩している。何か食べている人もいる。肉のスープとコメだ。僕も同じものを頼んだ。出てきたものをよく見ると、肉は豚の背脂のキューブ状のブロックだった。脂肪だからスープにプカプカ浮かんでいる。部族の大好物アブラマシマシだ。肉は入っていない。

スープを一口飲む。脂と塩とチリのみのシンプルな味だ。塩気が強いのでご飯をスープの中に放り込んでかき混ぜて食べる。ユッケジャンクッパみたいな感じの美味さだったので一気に完食したが、やはり辛さが桁外れだった。間違いなく今までの人生で食べたトウガラシの中で最も辛い。口の中で宇宙開闢が起きたかと思うほど痛い。辛すぎて、一体ホントはどれぐらい辛いのかが相対的に分からなくなるような感覚だ。たぶんその実力の全てを理解するだけの味蕾のキャパシティが僕にはまだ備わっていないのだ。

瞳孔が開いたせいで世界が眩しい。頭から汗がほとばしる。今この指で目元やチンコを触ったらえらいことになるぞ。俄然ハイになってきた。ワハハ。

首狩り族

僕にとってナガランドはトライバルタトゥーの地だ。モンビレッジ周辺の北部地域は州内32部族の中でも最も派手なタトゥー文化を誇ったコニャック族とその氏族たちの居住地なのだ。

「コニャック」とは「黒面人」を意味する。顔全体を覆う面積のその黒いタトゥーは戦士の証だ。この辺りは、州南部の都市から始まったキリスト教の布教が最も遅れてやって来た地域でもあり、そういう理由でまだタトゥーの入っている世代の人々を普通に見かけることができる。キリスト教の布教はトライバルタトゥー文化の終焉を意味しているのだ。

図1 コニャック族の女

一方、世界的にはナガランドといえば、何といっても「首狩り族」だろう。世界を見渡せば首狩りをやっていた部族は非常にたくさんある。たとえば日本では戦国時代に敵将を討ち取った場合には、その首を切り取って自陣に持ち帰って武勲の証としていたり、また刑罰として斬首した罪人の頭部を晒し物にしたりしていたわけで、これらも充分に首狩りだ。殺した相手の頭部を切り取ったり、その頭蓋骨を何かしら特別視したりするのは人類の行動パターンとしては普遍性があるともいえる。

が、我々がいわゆる「首狩り」としてイメージするのは、国という大きな枠組み同士の戦争や、あるいは突発的な個人による殺人ではなくて、部族や村落などの小さな集団による習俗としての行為で、それが現在進行中もしくはそれに準ずるほど近い時代まで行われていたようなケースだろう。その中でもさらに、首=頭部という物体そのものに対する執着が、敵の殺害という本来の目的をも凌ぐような色付けを施された習俗ならばなおさらそれっぽい。現代世界におけるその代表格がナガランドというわけだ。

今まであちこちでいろいろな首狩り部族の男たちに話を聞いてきた。イケイケに凶暴化した仲間もいたけれど、本当は怖ろしくて逃げ出したかった人もいた。社会的な圧に抗うことは叶わず戦士にさせられて、やりたくなかったが敵を殺した。そしてその後で故郷に帰ると盛大なお祝いが待っていて、その複雑な気分だったと。

そういうナイーブな話がベースとしてあるのは、皆兵制度と実戦経験がセットになっている場所なら国だろうが部族だろうが変わらない。イスラエル人の仲間たちも同じような話をしていた。日本の太平洋戦争もそうだった。

ナガランドでもそういう話は聞いたが、それだけではない独特なノリをもっと強く感じた。なんだかそこにはサッカーとか野球の話をしているような、憎しみや悲しみの感情とは無関係な軽さが漂っていたのだ。

老人たちのしているネックレスの真鍮のペンダントヘッドは人の顔を模していて、それは今まで狩った頭の数を示していた。まるでスポーツの得点とか優勝トロフィーみたいだ。僕が見た範囲で一番多かったのは横並びに七連のやつだった。それをキリスト教に改宗した今でも日常生活の中で普通に身につけている。

ナガランドの首狩りは彼らのアニミズム信仰によるものだ。人間の頭には大地に豊穣をもたらす霊力があり、それが村に沢山あればあるほど望ましいとされてきた。この風習が土地や資源をめぐる争いや武力の誇示の産物ではないことは、狩り取る対象が相手方の戦士である男だけではなく女も子供も含む全ての人間の頭であることや、その手法が集団同士の真っ向勝負などではなく物陰に潜む待ち伏せや夜襲に限られるということからも分かる。

つまりこれは戦いというよりも、まさしく狩りなのだ。領地の拡大や奴隷の労働力などよりも、とにかく頭そのものの数が重要だったのだ。狩り取った頭たちは、長い棒に刺して高々と集落の入り口に飾ったあと、鍋で煮て、肉や脳みそを取り除いてツルツルの頭蓋骨にして、ズラーっと祭壇に供えられた。19世紀末や20世紀初頭の写真資料に見るその様子は圧巻だ。

その頃の欧米列強は世界各地に植民地を開拓する際にさまざまな首狩り族に遭遇し、それらを平定してきたわけだが、ゾミア最奥のこの地を占有してきたナガ諸部族の首狩り文化のあまりの盛大さにイギリス軍は手をこまねき、公式見解としてはずっと統治外のままの状況が続いた。このことによりナガの首狩りは世界的に有名になったのだ。

そしてこの首狩りの風習とタトゥーは密接に紐付けられている。モンビレッジ周辺のコニャック族の男の場合、襲撃に参加すれば男の証として顔を覆う面のようなタトゥーを、さらに首狩りに成功すればヒーローとして胸にV字型のタトゥーを彫ることになっているのだ。

図2 コニャック族の男

王のいる国の夜

ミャンマーとの国境線上に跨るロングワという集落を訪ねた。ここがバプテストに改宗したのはナガランドの他の地域よりもだいぶ遅れた1970年代だったとのことで、その分まだかつての暮らしの面影がたくさん残っているということだった。

入り口付近の家の日向の庭先で稲の脱穀を手作業で行っている年配の男の顔には例の真っ黒のタトゥーが入っていた。

広場には「マヒンドラ」というインド製の白い大型4WD車が4〜5台連なって駐車していて、ヨーロッパ人の団体観光客が民芸品を買っていた。皆白髪の老人たちで、男たちは大きな一眼レフカメラをぶら下げている。きっと隠居暮らしの裕福な夫婦の旅なのだろう。イタリア語とフランス語が聞こえる。

地面に敷いたゴザの上には木、骨、角、真鍮、布、ジュエリーなどが並んでいた。だいたいは新しいものに煙で燻すなどのエイジング加工を施したもののようだった。マニアが欲しがるようなヴィンテージものはすでに海外に流出しているようで、僕はバンコクのチャトゥチャック市場でそういうものを見たことがある。

売り子の女たちの中にはタトゥーが入っていた。顔や前腕、ふくらはぎなどだ。ここまで70代以上の男にしか見られなかったのと比べると、わりと若い30〜40代もいる。

顔と胸のタトゥーがコンプリートしているお爺さんが、山刀、フンドシ、ベスト、頭飾りの正装で写真モデルをやっている。もちろん有料だ。

団体観光客たちが帰ってマーケットが片付いた後、泊まれる部屋があるというのでここに泊まることになった。夕飯はサツマイモのツルと鶏肉の激辛スープとコメだった。すでに何日か修行を進めてきたので具材の味も、トウガラシのカプサイシン含有レベルも、塩味が岩塩でまろやかな甘味があることもだんだん分かるようになってきた。外国人の僕がナガチリを食う様子をローカルが賞賛してくるのが嬉しくてどんどん調子が出てきたのだ。意外にも僕は褒められると伸びるタイプだったようだ。僕は食後に「男の家」に行ってみた。

男の家は戦士を育成するための寮みたいなもので、少年から長老までの男たちが暮らす家だ。これは戦闘を重んずる部族の村ではよくある生活スタイルだ。ロングワではそれが若者、中年、長老とさらに分かれていて、僕は王と長老たちの家に招かれた。

居間に入るとオピウムの甘い匂いが立ち込めていた。東南アジアスタイルの阿片パイプが回っている。皆仕事帰りのようで、今日も一日お疲れさん、みたいな空気だった。バーみたいな感じだ。僕は挨拶して空港の免税店で購入したジャックダニエルとモンビレッジで買っておいたコカ・コーラをセットで献上したら、たいそう喜んでもらえた。

オピウムとキリスト教は、我々の獰猛さを怖れたイギリスによってこの地にもたらされたのだ、と王は言った。東南アジアスタイルのパイプのことを尋ねてみると、我々は昔は中国南部やラオスのあたりにいて、焼畑農業をやりながらどんどん移動してきて今ここにいるわけで、あの辺には今も親戚みたいな部族がたくさんいる、とのことだった。

ここでのオピウム喫煙の写真を撮ってインターネットや本で公表しても大丈夫だと言う。ここは私の国であり、インドやミャンマーの法律は通じないのだから、と。

実はナガランド内のすべての地名はそのすべてが国名で、それぞれに王がいるのだ。ナガランド州はつまりナガランド連邦だったのだ。そしてナガ諸族はミャンマー側にも無数のこうした国々を展開している。

ロングワで首狩りが行われたのはバプテスト教会に入信する1970年代までだったが、ミャンマー側ではもっと最近までやっていた国があると王は言っていた。

ロングワには30歳ぐらいでタトゥーが入っている女もいた。話を聞くと、あの女は首狩り戦士の何番目かの若い妻で、首狩り戦士の妻が入れることになっている絵柄を慣習に従って最近入れたのだ、と言う。つまり、首狩りが行われなくなった今でもそのシステム自体はまだ生きているわけだ。これは興味深い。

さらに、そうした首狩り妻たちのタトゥーは死後の世界でも見えることから仲間を見つける目印になっているという「いつもの話」があり、そういう話があるにも関わらずやはり男のタトゥーにはあの世で仲間と合流するためというイメージは特に無かった。……やっぱり男は死んだらただそれだけなのだろう。

首狩り文化が終了して狩ったり狩られたりの緊張状態が解除されたのは良いのだが、それで男のタトゥーの習慣まで同時に無くなってしまったのは寂しい。首狩りではなくて、今の社会において一人前の男と目される基準に達したならタトゥーを入れるようなルール変更があっても良いんじゃないかと思う、と長老の1人は言った。

胸のV字デザインは虎の頭の模様を表していて、その者が虎のように優れていることの証なのだから、それはべつに首狩りに限らずともいいだろう、とも。

虎のようにあるということについてしばらく考えてみた。猫ぐらいにしておいた方がいいんじゃないかなと僕は思った。

犬を食う街へ

部屋に帰るとタマキがひどく怯えていた。女たちの家で料理や手工芸などを見たりして時間を過ごした後で自分の部屋に帰ると、1人の若い男が「夜這い」をかけてきたらしいのだ。断ってもしつこく付きまとい、やがて脅迫めいたことまで言ってきたらしい。このあたりの集落の雰囲気からすると、夜這いはいかにもありそうな話だ。

まずはタマキ自身がどうしたいのかを落ち着いて確認した上で、出来る限り抵抗して逃げるという方針が決まった。問題は、荷物を捨てて今のうちに暗闇の中を逃げ始めるか、あるいは次にそいつが来た時に僕が対応し、その様子を見てから判断するか、だ。

これまでの経過を聞く範囲では、しつこいナンパ以上の悪意は感じないし、僕としてはその男の目を見て話してから判断したいところだ。単なる夜這いなら僕が部屋に戻った時点でゲームオーバーなのだし。

もしもそれ以上の悪意がある場合は……ヤるかヤられるかしかない。ここはインドやミャンマーの法の外なのだ。必要なものはだいたいあるが、今回はガムテープを持って来なかったことが悔やまれる。

上手いこと音を立てないようにそいつを長時間に渡って無力化し続けることができるだろうか。最近の運動不足の甚だしさが不安だ。それとも、この期に及んでもまだ生かしておこうなんて考えは甘すぎるのか。虎にならなければならないのか。

地元警察が籠絡されているとするならば、ミャンマー側のザガイン管区の方に逃走すべきなのだろうか。向こうでも同じことか。でも、最初から複数人で来られたらどっちにしてもヤられる。腹を括ることぐらいしかできない。

そのまま何事もなく朝が来て、寝不足のままタクシーを拾ってロングワを後にした。

州都コヒマのマーケットには犬や猫が巾着袋から頭だけを出した状態で売られていた。そこらへんの定食屋に入るとメニューはだいたい豚の背脂か犬の内臓の2択が多かった。その他の部位の肉や鶏や魚などは、わざわざレストランで供するようなものではなく家庭向けの食材というノリだ。つまり豚の背脂と犬の内臓が最高のグルメなのだ。犬の内臓は犬のフレーバーがしっかりとある。犬を撫でた手に残るあの匂い。豚や牛や羊の肉にそれぞれの匂いがあるのと同じことだ。ということはつまり、人間にとって一番クセのない食肉は人間の肉なのだろう。

ナガ諸族は歌うことが大好きな人たちだ。すべての農作業の行程や村の行事にそれぞれ独自の歌があり、それを皆で輪唱することでグルーヴィーに日々を生きてきたのだ。

バプテスト教会がこの地にすんなりと浸透したのは、彼らが「歌う教会」だったからという面があるという。コヒマまでグチャグチャでガタガタの未舗装路を、街から街へと少しずつ移動してきたのだが、各地のホテルにはよく聖歌隊がやって来て歌を披露していた。

♪Here comes the sun〜, doo doo doo doo〜♪

ビートルズの曲を凄く楽しんで歌っていた。ちょっともったいないような気もするんだよなぁ。

♪It’s all right 〜♪

後年、ヨーロッパのどこかのコンベンションでコニャック族の写真をブースに飾っている彫師がいたので話しかけてみると、ロングワのオピウムや犬の内臓のことをクッソミソにこき下ろしてきた。怖い思いをさせてしまったのであれば僕からも謝る(今ではちょっとした仲間意識もあるので)。でも頭と胴体がくっついたまま帰ってこれたキミはまだラッキーな方だと思うよ、と伝えた。

大島托

大島托

1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主宰。
黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。
世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。
2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「縄文族(JOMON TRIBE)」を始動。