2022年春、数回ライブをした。 オファーがうれしかったこともあり、まだもう少し頑張れるかもしれないと思ったのだ。
出番前に不安がひどくなり、どうしても耐えられない日があった。外をうろうろ歩いてみたり、駅前の椅子に寝転んだりしたのだがどうにもならない。
ライブはなんとか終えたものの、終演後も身体が思うように動かず、そそくさと精算を頼み挨拶をしてライブハウスを出た。なんだか少し変な空気になってしまい申し訳なかったが、限界だった。
家に帰ると、心の底から安心した。そこからは全くオファーもなく、ただただすねて過ごした。

バンドをやっていた頃、痩せていることがステータスだった。身長がそんなに伸びなかったこともあるが、小学生の頃の体重をキープしていた。ソロになってからはオーバーするようになり、100gの増加でも焦った。
細かく管理していた体重はストレスで数キロ増え、太った姿を見られるのが嫌で、どんどん人に連絡できなくなった。そもそも誰に何の連絡をしたらいいのかわからない。
音楽で知り合った人たちは友達だろうか。仕事で付き合ってくれていただけで、本当は違ったのかもしれない。暇なので余計なことばかり考えてしまう。

朝起きた瞬間から、今日は何を食べて、いつ酒を飲むか。太らないためにはどうしたらいいか。そんなことばかり考えていた。
スーパーに行くと、頭が真っ白になった。どうしたらいいのかわからず、何も選べなくなってしまう。混乱して、惣菜コーナーと菓子パンコーナーの前を何往復もする。どうしよう。全部買ってしまいたい。でも絶対にやめた方がいい。でも。一度こうなってしまうと止めることができない。しゃがみこんで泣きたい。どうしよう。どんどん焦ってわけがわからなくなってくる。今日は食べない日にしようと思っていたのに。
焦燥感と共に帰宅し、買ってきたものを怒りと共に食べる。どうせだめならもう何をしても同じだと、ウーバーイーツを頼む。お腹なんかみじんも空いていない。怒りが止まらなくなる。
いつかまた、誰かと笑いながら食事をしてみたいと思うが、とてつもなく遠い夢のように思える。この先、生きていて楽しいことがあるとは到底思えない。気づけばどんどん良くない方向に向かっている。完全にどこかで選択を間違えてしまった。
とりあえず、今日生きていられればそれでいい。意味はなくとりあえず生きるだけ。時が過ぎるのをひたすら待つ。

過去に「〇〇さんや〇〇さんはツアーの前に毎日10キロ走っている」と聞いてから、ワンマンが近付くと毎日10キロ走るようにしていた。ステージに立つ人間はアスリートでいなくてはいけないと思っていた。
体重管理も10キロランニングも、もう何年も前からできない時が増え悩んでいた。数年前はできたのだから、今もできるはずだと思ったが、走る距離は次第に7キロになり、5キロになった。
大きなステージに立つ人たちはみんな当たり前にやっている努力かもしれない。だけど私には継続できそうにない、無理のある設定だったのだと思う。最低限そのくらいはやって当然だと思っていたため、できない自分を責め、認めるのにも時間がかかってしまった。
私はずっとイメージ通りの「ベストな自分」をやりたかった。そういう無理をした20代のやり方を続けるのは、もう限界だったんだと思う。今思うと、なにもかも見直す時期だったのだとも言える。

激安のウイスキーを飲みながら、お笑いのYoutubeを見る。その時間だけが唯一の救いだった。お笑いなど昔は全く興味もなかったが、音楽や映画よりずっと気楽だった。何も知らない世界はいい。たまに、自分が笑っているのを自覚した。生きていて笑う時間が1秒でもあるのはすごいことだと思った。
まさかこんな風に人の命を救っているとは芸人の人も思わないだろうな。頭ではわかっていても、リアルには想像できないような気がした。自分もそうだったと気づかされた。きいちゃんの音楽に救われましたと泣きながら言ってくれる子の気持ちを、私は本当には想像できていなかったかもしれない。
思春期の頃に救われた音楽は私にも勿論たくさんあった。だけど30過ぎて追い詰められた時に、こんなにお笑いなどの娯楽を頼りに生きることがあるなんて、今までは想像がつかないことだった。
昔夕方の飲み屋で見た、空虚な顔の男性が浮かぶ。スーツ姿で歩きながらストロング缶を飲む眉間に皺を寄せた顔の男性も。もしかしたらあの人たちも、毎日こんな感じで生きていたのかもしれない。早く死にたいと思いながら重い岩みたいなものを喉元までぱんぱんに詰め込んで、なんとか必死で生きていたのかもしれない。
* * *
この頃の経験から、本当に好きなことは、絶対にやめてはいけないのだと知った。どんなに辛くてもやめるより続ける方がよっぽど楽だ。好きで好きでたまらなかったこと、長く愛してきたことを、突然ないもののように扱うのは、きっと不自然なことだった。すねて孤立したりせず、しんどくてももう少し、人を頼れたらよかった。
「楽」という発想がこの頃の私にはなかった。楽は手抜きであり、よくないことだと思っていた。だけどもう、手抜きだろうがなんだろうが、生きてさえいられればいい。とにかく1日1日生き延びることのほうが大切だった。

この頃は家族が体調を崩し、さまざまな手続きや引っ越しを手伝っていた時期でもある。もう頼れる人がいないという、先行きの見えない不安が常にあった。お金や制度のことなど勉強しなくてはならないこともあり、ひとりで生きていかなくちゃ、と責任を感じていた。
この年の春に、これだけは作っておかなくてはと「愛だけは」という曲を作った。希望というものを見つけなくては、生きていけない気がした。記憶がなくなる前に届けられれば。そういう切実な思いがあった。
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もう一度、なにかに夢中になってみたかった。お酒以外だったらもうなんでもいい。なにか少しでも興味が湧きそうなこと、心が動きそうなことがほしい。
ある日、中高時代の友人がSNSに海で拾った石の写真をあげていた。宝石みたいですごくきれいだった。いいな、どこなんだろう。DMをして、場所を教えてもらうと、逗子からさらにバスで行った海岸らしかった。かなり遠かったが、行ってみようと思った。つまらなかったら酒でも飲んで帰ればいい。
逗子駅からバスに乗り、海が見えてきた瞬間、とてつもなくわくわくした。そうだ、私は海が好きだったんだ。まぶしい太陽が大好きだった。うれしい、感情が動いている。一瞬でパワーを取り戻していく自分にびっくりした。そこは地元の人たちしかいないような、静かな岩場の海岸だった。

美しい石やシーグラスが、足元に大量に広がっていた。どれも1cmに満たないくらいで、キラキラしていた。黄色、赤、緑、水色。感動して、夢中で拾い続けた。砂への太陽の照り返しが強く、まぶしくて目が見えない。気持ちよくてくらくらする。気がつくとあっというまに4時間くらい経っていた。こんな楽しいことがあれば、しばらくまた生きていけるかもしれない。
ここから毎週、往復5時間近くかけて、ひとりで海に通うようになった。貝や石のことで頭がいっぱいで興奮が止まらず、夢中で眠れなくなった。命が燃えている。まだ生きられる。しかも自分の力でちゃんと見つけた。うれしかった。









