文様奇譚

第6話 フィリピン【後篇】

大島托

ブトゥブトゥ族

タトゥーの入っている村人を観察するためにその辺をブラブラうろついてみた。人口700人ほどの村だ。急勾配の山肌に、迷路のように道が入り組む。

ちょうどお爺さんが昼ごはんを食べているのを見つけた。タトゥーは入ってないようだ。何を食べているのか聞いてみた。どのみちお互い言葉は通じないのだが、とにかく僕の分も出してくれた。いつもの、ごっつぁんパターンで「突撃、部族の昼ごはん」だ。サヤインゲンの炒め物。塩や調味料はなし。それとご飯大盛り。

お爺さんは凄い食欲だ。大盛りご飯をバクバク食っている。カメラが回っている。だからというわけでもないが、こっちも負けてはいられない。炒め物のわずかな油分を手がかりに飯をガーッとかき込む。コメは短粒で粘りがあるジャポニカ系だった。

ちょうどマグワイのオバちゃんが通りがかったので話を聞くと、お爺さんは山の斜面の段々畑まで出て畑仕事をやっているからたくさん食うということだ。耳は遠くてほとんど聞こえないらしい。101歳。

「ツンボのくせに大飯食らい!ワハハ!」

周りの人たちも笑っている。お爺さんも笑っている。
いろいろ凄いな、しかし。

タトゥーの入ったお婆さんはたくさんいた。概ね70代以上なら両腕と胸のタトゥーがコンプリートしているようだ。ということは、10歳で入れ始めると考えて60年前の1960年ぐらいまでは伝統が続いていたわけか。蛇のウロコの六角形パターンをメインとして中央に配置しているのは皆んな共通の部分だが、その横に来る模様に若干の個人差が伺える。ムカデや、川の流れなどのいくつかの幾何学模様だ。

お婆さんたちと話してみると、観光客たちは小さなタトゥーばかり入れて満足しているようだが、何回か通ってちゃんと両腕全体に大きなタトゥーを完成させた方がいいと言っていた。それが一番キレイなのだから、と。僕がいつも言っていることと同じだ。

ブトゥブトゥ族の踊りは腕を広げて手のひらを反らす形で、ちょうど小さな子供が鳥の真似をするように腕全体をフワフワと上下させながら、反時計回りにゆったりと旋回するスタイルだ。この踊りならやはりこのタトゥーなのだ。そういう必然性で両者はリンクしている。沖縄のハジチもそうだった。だから彼女たちにとってタトゥーは男衆にモテるための効果的なファッションアイテムであり、なおかつそれは現世のみならず死後の世界までも有効なのだと言う。部族社会を巡っていると、女の「モテ」に関するカルマの深さをつくづく認識させられる。

では男のカルマはどうなのかというと、もちろん「強い」だ。しかし、タトゥーそのものは「強く」はない。だから強さを証明するための印として間接的に使われることになる。何かをクリアするとゲットできるアイテムとしてのルールを設定するのだ。そんなゲーム性が男のタトゥーの背景にはよくあるもので、ほとんどの男のトライバルタトゥーには何らかの「強さ」のインジケータの側面があると言ってしまってもいいだろう。それが少年と男とを分かつファクターとされているのだ。

伝統が途絶えても残ったもの

現代タトゥーの事情を見てみると、男にとってタトゥーは別名「ガマン」などとも日本では呼ばれることからも分かるとおり、痛みを耐え凌いだタフガイの証としての意味も持つようだ。男同士でタトゥー話をすると、どこがどれだけ痛かったか、あるいは痛くなかったかという笑いと涙の共感がメインになる。が、女同士でその話題はほとんど出てこない。あるのは「可愛い」という褒め合いだけだ。

トライバルタトゥーと現代タトゥー、いずれにせよ、「強い」も「可愛い」もその先の真の目的はマグワイのように見える。考えてみると、人のほとんど全ての行動様式はそこを目指しているようでもあり、タトゥーもまたその例外ではないということだろう。

ブトゥブトゥ族が暮らすブスカラン村には、伝統のトライバルタトゥーが入っている男はもう残っていないようだった。先ほど昼ごはんをご馳走してくれたお爺さんにも入っていなかったわけだから、これは年代だけの問題ではない。敵を討ち取ってその首を村に持ち帰る、という男のタトゥーとセットにされていたミッションをコンプリートした人がもう存命していないということなのだ。

同じ部族同士で構成される、バランガイというもっと大きな行政単位で見れば何人かはまだ残っているという。おそらく太平洋戦争の前ぐらいまでのこの辺りでは、普通の大人の男なら誰でも皆、首狩りをやっていたのだと思う。それは限られた農地における適切な人口調節の仕組みでもあったことだろう。そこから戦後の近代化の流れの中で部族間抗争は公に政府から禁止されるようになり、首狩りミッションが男子必須の通過儀礼とされる時代は概ね終わったのだ。

男のタトゥーは先に述べたようなゲーム性に基づいている場合が多いので、そのゲームのルールに従って終了することもある。しかし、実際のところ他の部族との隣接地域にあたる村には、近代化後も農地を巡る争いがリアルに発生していて、たまに殺し合いをしていた。カリンガ州の諸部族は農耕民族であり、土地の所有に関する意識はそれほどまでにシビアなのだ。だからタトゥーの入ったお爺さんはちらほらいる、と。そして、男のタトゥーが無くなった後も女のタトゥーはしばらく続いていたが、やがて張り合いをなくすように衰退した。

グレースが自分のお祖父さんの家に連れて行ってくれた。伝統柄ではないが、タトゥーが入っているという。

ハヤトウリのスープと、またもや大盛りのご飯が出てくる。もちろんまたカメラは回っている。……ちょうど腹が減っていたんですよ。いただきます!

スープは胡椒がほんのり香るが塩気はない。めんつゆを少し入れたら最高だと思うのだが、これはハヤトウリの素材の旨味がほぼ全て。ご飯を全部スープの中に投入し、手でほぐして、ゴクゴクと飲み干す。編集の必要はない。もとより完食する主義だ。こういうことをやっているとやはりこの体型になる。そういう必然性で両者はリンクしている。食レポ芸人はデブと相場が決まっているのだ。

グレースのお祖父さんの肩には拙いタッチで人の顔が彫ってあった。よく見ると女の顔のようだ。実は、親類が殺害された事件の報復として、相手方の女性を殺したのだという。そしてその顔の絵を彫ったのだ。

彼の世代ではもう伝統習俗としてのトライバルタトゥーは行われていなかったが、敵を討ち取った者はタトゥーを入れて然るべきだという意識はまだ根付いていたので、何となくの決着としてこのような形を取った。それは彼の勇気を讃える勲章のようにも、また討ち取られた女の霊を慰める墓標のようにも見えた。

討ち取った首からは顎骨を取り外して、村の行事で使う銅鑼の持ち手部分の装飾にしている。音の霊力を高めるためだという。トライバルタトゥーと現代タトゥーの狭間の水面に一葉漂う、とても興味深い事例だった。

小さな村に90人の彫師

薄っすらと霧がかかったブスカラン峡谷はどこか器を思わせる。膨大な量の空気を湛えた巨大な緑の容器。眼下にぽっかりと開いた空間の深さに目が眩んでそう感じるのだ。向こう側の山肌は、車道を通すために大きく削られて岩盤層がむき出しになっている。それは車道の幅の何倍もの高さで、斜面の角度がそれだけ厳しい場所ということだ。観光客の増加に伴い、難工事の末に引かれた道路だという。

昔はその山の頂をはるかに越えた場所にある道路が村の出入り口だった。目測して一日で登りきれるだろうかというルートだ。天然の要塞。本来なら誰も訪れないはずの村。陸の孤島であることでさまざまな災厄を避けてきたと考える村人には、道路建設に懐疑的な人も多かったという。

図 1 ブスカラン村からの景色

山の急斜面にわざわざ棚田を作って灌漑稲作農業を営む彼らは、かつては平地の民だったわけで、そこでの支配構造や戦乱から逃れるために深く険しい山岳地帯に移ってきた歴史的経緯がある。カリンガ州の山岳部は駐留米軍基地御用達のマリファナ生産地としても有名で、政府もあえて知らんぷりを装っているグレーゾーンでもある。

グレースの作業スペースはこの谷に面した風光明媚なバルコニーだ。従姉妹のエリヤンと一緒に彫っている。2人の顔はそっくりだ。というか村人全員よく似ているけど。

僕は腹の中心線上にムカデを彫ってもらうことにした。高尾の自宅にはたまにムカデが出るのだが、これに咬まれると灼けるような痛みがしばらく続く。今回のタトゥーは、トライバルタトゥー的文脈で説明するならば、ムカデに仲間であることをアピールしてこれ以上の咬害を避けるため、あるいはすでに咬まれてその痛みに耐えきったタフガイの証、とかなんとかそんな感じだ。

枯れた松の葉みたいな細いものを、2箇所折りたたんで小さな三角形の定規を作り、それにインクをつけて皮膚上にスタンプを押すようにして直線的な幾何学パターンを墨出ししていく。非常に高度なセンスのフリーハンドだ。インクは通常の煤と水というコンビネーションに、さらに芋や茄子を擦ってトロみを加えている。墨出ししたデザインがすぐに乾いてしまうのを防ぐためと、一本針への絡みを良くするためだという。

図 2 グレースに彫ってもらう

施術は墨出ししたラインの上を素早く大まかに彫って、余分なインクを拭き取った後に緻密に仕上げていく。音が小さい。柔らかく、軽快な感じが皮膚から伝わる。霧が晴れた空に異様にデカい鷲がゆったりと弧を描いている。

グレースは去年からヨーロッパのコンベンションに参加したり、現地スタジオでゲストワークしたりといった活動を始めていた。フィリピンの他部族のデザインのオーダーにも応じる幅の広さも身につけた。そしてそれらに先立つ形で3年前からSNSもやっている。それは当たり前のことではなかった。村は電波圏外の地なので、そのためにわざわざネット配線を敷いたのだ。

民泊の手配など、旅行会社とのやり取りもそれによって効率化した。かつて自己完結していたブスカラン村は外の世界と繋がり、今は積極的に打って出ようとしている。農村の伝統習俗として内々に愉しまれていたタトゥーは、再発見後に世界の耳目を集め、ワン・オドの人間国宝認定以降は村の主要産業へと成長した。

図 3 廃車利用のロープウェイ
図 4 盗電の嵐

毎週末にドッと押し寄せる客たちに対応するために、ワン・オドとグレースだけだった彫師は、村の若い女性たちを中心に90人にまで増えた。彫師ではない村人も、その多くがチェックゲートの運営、ドライバー、ガイド、民泊、針の制作、などタトゥー関連の仕事に携わっている。過疎の村に大きな雇用が創出され、都会に出ていた人たちが帰って来た。学校も建った。診療所も。屋根つき運動場も。まさにタトゥーヴィレッジだ。

村を支えるタトゥー経済

僕らの業界では、ここが世界で最も成功している、トライバルタトゥーから現代タトゥーへの滑らかなシフト例と言われている。もちろん、世界各地で滅びつつあるトライバルタトゥー文化のロールモデルとして注目されてもいる。が、さすがにこれはちょっと事態が大掛かりになり過ぎではないかと僕は感じる。

単独の彫師がこなす仕事量というのは、もの凄く流行っている人も普通の人もまったく変わらない。それは大量生産の利かない個人的な手作業なのだ。捌ききれない客数を目の前にしたとき、その限定された枠、つまり個人であることに、留まるか否かを決めるのはとても大きなチョイスとなる。一職人か、会社か、だ。そして一度グループ化に舵を切ったなら、あとは成長し続けるしかない。それが会社の存在意義だからだ。

しかし、余計なお世話というかまったくもって失礼な話なのだが、ワン・オドがこうして活躍し続けることが出来る時間は、人類の生物学的データに照らし合わせるともうかなり少ないと言わざるを得ない。それを継承し、いずれ村の経済システムの主軸までも任されるグレースは当然、Xデーに備えはじめているのだ。

プロレス団体ではトップのカリスマが死ねば御家騒動が勃発して、いくつもの正統派を名乗る団体に分裂し、それぞれがだんだんと弱体化していき、やがては全てが滅びるということになる。御家騒動で分裂した団体のどれかが伸びるということは少なく、まったく新しいカリスマがどこかから現れて新しい団体をぶち上げ、次の天下を取るというパターンが定番だ。カリスマに教えを乞い付き従ってきたタイプの人々が、自身でカリスマ性を発揮したり新しいアイデアを発明したりするのは難しいということなのだろうか。

和彫りにはその他の江戸時代発祥の芸能全般にも見られるように、襲名という代変わりの方式が今でも見られる。「〜代目、彫〜」というよく見るやつだ。一職人の名前が屋号としてブランド化し、世代を超えて継続していく。実際、伝統習俗であるトライバルタトゥーの彫師の営みは、歴史上ずっとそのような職能家系による専業だったりしたわけだから、このスタイルにはもともとよく馴染む。が、現代のタトゥーのマーケットでは情報の解像度が格段に上がり、もはやショップ名や屋号を気にする段階は終わっていて、客は徹底的にアーティスト本人の力量だけを見てくるようになっている。

図 5 テレビ番組『クレイジー・ジャーニー』(TBS系列)に出演

グレースに彫ってもらったあと、一緒にワン・オドに挨拶に行った。僕はブトゥブトゥ語はおろか公用語のタガログ語も分からない。村に入って以来ずっと作業場の外からは見かけていたのだが、なにしろタトゥー待ちの人々の行列が凄すぎて、今まで近づくことすらままならなかったのだ。

一定の人数ごとに村のガイドがついていて、互いにトランシーバーで連携しながら希望者がワン・オドの作業場である20畳ぐらいの土間に入るタイミングを測っている。だから列が途切れることがない。客は皆んな、彫ってもらってからワン・オドと記念撮影をする。週末は一日に120人ほどがワン・オドから施術を受けるという。現役彫師最高年齢というだけではなく、一日の施術数でもぶっちぎりの世界記録保持者なのだ。

図 6 アポ・ワン・オド(https://mega-asia.com/women/hot-takes-is-old-a-bad-word-to-call-women/)
https://mega-asia.com/women/hot-takes-is-old-a-bad-word-to-call-women/

彫るデザインは決まっていて、直径5ミリほどの点を3つ並べるというシンプルなものだ。なるべく沢山の観光客たちの期待に応えることが出来るように、1人あたりのデザインをここまでミニマルにしたわけだ。

ワン・オドは今日の仕事が全て終わり、作業場の端っこにある焚き火でお湯を沸かしていた。挨拶と自己紹介をして、いろいろ話を聞かせてもらう。おそらくはダライ・ラマがそうであるようにワン・オドもまた気さくな人だった。

「とにかく毎日タトゥーを彫ることができて、たくさんの人たちに喜んでもらえる今が幸せ。ラース君が見つけてくれる前までは本当にヒマで寂しかったから」

分かりますよ、師匠。僕もタトゥーを彫ってないと自分が存在してないような気分になりますからね。我々、結局そこが全てなのかもしれませんね。

焚き火に照らされた腕に蛇の鱗がチラりと浮かんでは消える。この人たちはその昔、台湾から渡ってきたのだ。台湾にも蛇をトーテムとするタトゥーがあり、そのパターンも彫る手法もこことよく似ている。その台湾の人たちは大陸から渡ってきた。文字が開発される前の古代中華圏の人々は蛇を祖とし、それを表すタトゥーを纏っていたと考えられる。おそらくそういう蛇のタトゥーはさらなる人類の歴史の最奥までずっと途切れることなく繋がっていることだろう。その長大な蛇の頭が今、目の前にあって舌をピュルピュルと出して僕の体温を感知している。この世の謎の全てを解くことが出来る毒蛇だ。せっかくなので僕にも教えて欲しくなった。そう、たとえば人がこの世に生まれてくる理由、とかを。

翌朝一番で3本の強烈な毒牙にかかって、僕はブスカラン村を後にした。
こういうのはじっくり後効きしてくるんだよね、経験上。

ルーツは民族を超えて

ランプレドットは、牛の各種臓物をトマトベースのスープでトロトロに煮込んだ、フィレンツェ発祥のモツ煮だ。それをパニーノという白いコッペパンに挟んでいただく。僕はどこの土地でも常にモツ煮を探しているので、ここでも到着して以来毎日あちこち食べ歩いてきた。昨日、広場に向かう途中で塩気がわりと強めでコリアンダーがどっさり乗ってる、いかにも肉体労働者向けの旨い露店をそこらへんで見つけたので、皆んなにも勧めたのだがやはり誰も乗ってこない。

結局、女子タトゥーイストたちの意見で中央市場に行くことになった。いつものトライバルタトゥー界隈の仲間たち10人ぐらいとコンベンションからの帰り道だ。たしかあそこの上の階は洒落たフードコートになっている。生ハム、ペコリーノ、ポルチーニ、トリュフ。女子たちは赤ワイン片手に全部を少しずつ食べたいというバランス重視の欲張り経験主義者が多いようだ。僕もそれで異論はない。とりあえず目についた旨そうな物を食うだけだ。

図 7 イタリア・フィレンツェで撮影

さっそく何だか分からないが、良さげな佇まいの茶色い饅頭みたいなやつがあったので買い食いしてみる。――シコシコした歯応えがする。どっしりとスモークの効いたモツァレラチーズだ。はっきり言って、美味い。

ちょっとこれ食ってみろよ、エル。

「んー、オレはハンバーガーにするから大丈夫」

お、おまえさん、ルネッサンスの都、フィレンツェまで来てハンバーガーなんかい。アメリカ人過ぎるにもホドってもんがあんじゃねえのかい。

「君だってさっき内臓がどうとか言ってなかったか?」

へ?そうだっけ。ところでさ、ブスカランの師匠のところに行ってきたよ。都会から来たフィリピン人観光客でごった返してた。

昔、君は本国のフィリピン人たちは母国の文化にはまったく興味がなくて、皆んなで白人文化に憧れてそれを真似してるだけだって言ってたけど、この10数年でそのへんはだいぶ変わったんじゃないのかな。

「それは、アポのことを白人たちが褒めそやすもんだから、それがクールなんだと思ってまた白人の真似してるだけだよ。それ以外のことでは基本的に部族のことを田舎者扱いしてバカにしてるんだからさ。それはまだ本当の理解や誇りじゃない。フィリピントライバルタトゥーを彫りはじめたローカルタトゥーイストもこまめにチェックしてるけど、個別のカスタマイズをしてあるうちの作品の丸パクりとかやっちゃって何にも工夫がないしさ」

また、そんな厳しいこと言ってる。白人にもフィリピン本国人にもダメ出しした上で成立する、フィリピン系国際人のアイデンティティ、ってちょっと特殊すぎないか?あと、どこまでがトラッドでどこからがオリジナリティかなんて高度な見分けをビギナーに求めても仕方ないし。

「アメリカの社会では今、アイデンティティを持てないことが慢性化した問題になっていて、オレたちは文化的なルーツを自覚することでそれがちょっとはマシになると思ってるし、実際、フォーウェイブスの皆んなの生き方はトライバルタトゥーを入れた後で、より満足度が上がってる。そしてフィリピン本国にもいずれそういう段階がくるし、そのときに役に立てればいいと思ってるんだ」

んー、知ってると思うけど、実際、ブスカラン村の人たちは殊更なアイデンティティなんて持ってなさそうだった。自分自身が何者かなんて考えるだけのチョイスの幅なんて無くて、食っていくために目の前の現実一択で生きていて、またそれでOKって感じだったけどね。そういうOKなオリジナルの人たちに向かって、OKじゃないリメイク側が同じように悩めよっていうのも変な話でさ。

アイデンティティ・クライシスってのは何も自分のルーツを知らないアメリカの白人だけの話ではなく、先進国の社会ならどこでもあるわけで、日本だってモロにそうなんだよ。とりあえず食うに困らなくていろいろな選択肢に囲まれていれば、どれにしようか迷いに迷うのが人間なんだよ。オレ自身もそれで若い頃はずっと旅してたわけだし。

そして、そういう種類の心の空白を、タトゥーのマジカルなパワーが皮膚を介して埋めることもあるっていうのが、先進国の人々に発見されて始まったのが現代タトゥーの流行だろ? それは死と生の仕組みを人間に分からせる力があるからね。別にルーツと関係ない絵柄でもそうやって充分にイニシエーションとして個人のアイデンティティになるんだから、それがルーツや歴史と関連していたらさらに納得感が増して楽しいってのが、君のフォーウェイブスや、それに影響受けてスタートしたオレの縄文族みたいなタトゥーなわけだ。

「んー、論理は完璧だけどちょっと正論過ぎるかもな。少なくとも現代アメリカのお客さんたちはそうは思ってないよ。ルーツトークが流行ってるんだ」

先祖、祖(アンセスター)というワードについてもずっと考えてきた。親や祖父母、面識があって名前が分かるあたりまでの人たちは、祖先というよりは家族という感じだろう。祖先というのはそれよりも奥の、名前も判然としない宇宙的に膨大な数の人たちのことを主に指す概念だと思う。

よく、「うちの先祖はサムライで」なんていう人がいるけれど、そんなのはたとえば父系だけを辿った何世代か前にそういう人がいたというだけの恣意的な話で、先祖の全体を見渡せば農民も職人も商人もエタも非人もまんべんなくいるはずなのだ。逆に言えば誰しもがサムライの子孫であり、大名、将軍、天皇、始皇帝、チンギスハーン、アレクサンダー大王の末裔だろうし、縄文人、デニソワ人、ネアンデルタール人ときて、遍く始祖のアフリカのメスの猿人ルーシーに流れを発しているのだ。ひたすら+1÷2で循環するように更新してきたのだ。

それらを別の言葉で表すとすれば、もはや該当するのは「人類」くらいしかない。今、僕らは日本人やフィリピン系アメリカ人のタトゥーイストだったりするわけだが、そのアイデンティティなんかは直接の子供にすら受け継がれるかどうかも怪しい。DNAだけで見たって、子で半分、孫で25%、曾孫12%というようにどんどん薄れて拡がっていく。そして薄れる分だけ他の人の要素が増えて、その時々でそれぞれ独自のアイデンティティを持つ。だから子孫もまたただの「人類」でしかない。人類、それが祖先の本質、というのが僕の意見だ。

カヴァのセレモニーで召喚される祖霊アウマクアとは、サモア人にとっての祖先というだけではなく、人類全体の普遍性の別名である。誰もがそれを共有して臍の緒で繋がっていることが分かればハラカラとして仲間になりやすいということだ。人が祖先に頼りたくなるのは孤独を感じているときなのだから。

で、どうなんだい?そのハンバーガー。

「正直なところ、今までの人生で食ったハンバーガーの中で一番旨い」

マジで!? ハンバーガーのエキスパートをしてそこまで言わしめるか? オレも買ってくる。……ヤベェなこれ。パティがミディアムレアで肉汁がこんなにも芳醇に…
やっぱりハンバーガーはフィレンツェに限る。

兄弟の絆

2024年、ブスカラン村は年明けから騒がしい。

ラース・クルタク再訪のニュースをFacebookやInstagramで見ていたと思ったら、今度はフォーウェイブスがラップのミュージックビデオの撮影をするという。いったいどういうノリなんだ。

エルが「今回は絶対に参加しろよ」と言ってきた。僕はパリとモーレア島への直近二回をキャンセルしていた。何をって、フォーウェイブスの集まりをだ。隠しているつもりもないが、実は僕はフォーウェイブスのメンバーなのだ。非フィリピン系のメンバーはラースと僕しかいない。

マニラのマラテ地区のホステルに集まったオーストラリア組と合流し、バンでブスカラン村に向かうときに、アポ・ワン・オドが大統領賞の表彰式典に出席するというニュースを見た。人間国宝に対してさらに与えられる賞といったら、国民栄誉賞みたいなものだろうか。それが明日の午前中だという。ということは、彼女はちょうど我々と入れ違うようにしてマニラに滞在中というわけなのだろうか。

恒例の谷越えを終え、昼前に村に着いて一本目のタバコに火をつけると、遠くから轟音が聞こえてきた。音はどんどん大きくなる。黒くてシャープな形の軍の戦闘ヘリコプターが村の上空に現れた。村の外れに着陸し、それからワン・オドとグレースが降りてきた。朝方に村を立って式典に参加し、昼前に舞い戻って来たということだった。待っていた観光客たちがブワァーっと集まる。まるで何かの宗教画みたいな光景だ。人混みがすごすぎて、近づいて挨拶する隙間もない。

去年と比べても、さらにドえらいことになっている。地元カリンガ州の街にある国立南ティンラヤン高校では、伝統のハンドタップタトゥーを実際に習得するコースができて、50人の生徒が入学したとも聞いた。先進国間のそれと比べるとずいぶん遅ればせながらトライバルタトゥーというものに目を向けたフィリピンという国が一気にトップに躍り出て、そのまま前人未到の領域に入っているようだ。

さまざまな偶然が折り重なり、いつの間にか本人の感覚とは掛け離れた巨大な神輿の上に据えられてしまった素朴な一介の村の彫師であるワン・オドに、いろいろな辺境の彫師たちの、のどかな暮らしを見てきた僕は少し同情した。

ミュージックビデオの撮影は村中場所を変え、ワン・オドやグレースとエリヤンを交えたりしつつ何カットも収録した。トライバルタトゥーの復興を讃える内容のラップだ。このまま南太平洋各地で撮影を重ねていく予定だという。
僕がメンバーや観光客たちとの記念撮影でたまにやっていた縄文トライブのポーズにエルが食いついてきた。例の、縄文の「J」とトライブの「T」を組み合わせたウルトラマンの光線攻撃態勢みたいなやつだ。

「え、それ何? めっちゃイケてるじゃん! ビデオの中でも皆んなでやろうぜ。縄文族とフォーウェイブスは兄弟だ!」

両腕をクロスした「JT」の形をそのまま下に反転させると「フォー」になるとか、熱心にカミさんや娘たちに説明して、若干引かれている。

図 8 縄文族のポーズ

いや〜、実はこれさ、何で今さらそんなにファニーな感じを出さなきゃいけないんだとか言われたりしてさ、周りからはあんまり好評ってわけでもないんだけどさ……。

君だけは気にいるだろうっていうのは何故だか知ってたよね。ありがとう兄弟。

大島托

大島托

1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主宰。
黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。
世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。
2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「縄文族(JOMON TRIBE)」を始動。