写真集『MATSUOKA!』『島根のOL』で注目される写真家・南阿沙美が心動かされた「ふたり」をテーマにしたエッセイ連載。友人、夫婦、ユニット、親子、人と動物など、属性を超えて、ふたりのあいだの気配を描き出す。

バーバーマエ

大塚駅南口のバーバーマエは訪れるたび、お正月はお正月らしく、2月には鬼のお面があり、夏は風鈴があり、季節ごとに店内が少し変わっていく。
変わるのだが変わらずに、壁や、テーブルの上、棚のあちこちにどっしりとあるのは、たくさんのぬいぐるみ、おもむろに置いてあるヘルメット、息子さんとマエさんが写った写真、昔飼ってた猫なのかな?という写真が写真立てに飾られている。
車、バイクの写真、かわいい猫や謎の外国人がいい時計してる写真、芸能人やアニメのキャラクターの写真の切り抜きや、イベントのチラシ、謎のトロフィー、警視庁グッズ……。造花。本物の植物。金魚のいる水槽。演歌歌手のポスター。大塚バラ祭り、と書いたポスターがあり、大塚でこんなのあるんですね~と聞いたら、「もう終わったんだから剝がせばいいのにねえ」とあきこさん。マエさんは「いいじゃない~、5月に大塚バラ祭りがあったんだなって、わかるし」と言うが、よく見たら、石川県の兼六園の池の写真が上からかぶせて貼られている。バラじゃないし、大塚じゃない。
以前イベントで作ったという集合写真のパネルに、なぜかM月ありさの切り抜きが混ざっていて、マエさんに聞いたら「好きなのよ」と言う。ちなみに芸能界を引退したN宮君の写真もたくさんあるので、これも聞いたら「好き」と言う。棚の一番上には立派なトロフィーがあり、何か理容のコンテストのなのかな?と思ったら、そうではなくプライベートのものだというし(詳細は教えてくれなかった)……色々と自由なのだが謎の調和がある。たまに、過激なメッセージが隠れているのではないか?と考えてしまう写真があるがツッコミにくく、でも怖くない、楽しさがある。
マジックショーのチラシが貼ってあった。お客さんが勝手に貼って行ったらしい。確かに、貼ってもよい、という店の引力のような許しを感じる。


大塚駅前にはたくさんのハトが集まっているのだが、バーバーマエの周りの電線や、お店の上の屋根にもけっこういる。ハトたちにとって良いスポットなんだろう。
前にケガをしたハトがいて世話をしてやったことがあるようで、その〝まこちゃん〟と名付けられているハトは毎日数回は店に遊びに来るという。私も一度、店に入ったら鏡の上にいたことがあって、挨拶済み。
お店の電気を付ける前から来る日もあって、あー来てると思ってドアを開けると入ってくるのだそうだ。彼氏を連れてくることもあるという。
「男にモテちゃってどうしようもないの」相手は訳もわからずついてきて、まこちゃんに連れられて店に入って、びっくりしてキョロキョロしているらしい。
「次来たらまた別のオス」とあきこさん。
「すげえモテるの。なっ!」
またある時、前はなかった虫籠があるなと思ったら、マエさんが、カタツムリを飼っているという。
「茨城のやつだからな、コレ」
とマエさんが誇らしげ。茨城のお兄さんが送ってきた野菜についてきたカタツムリらしい。
「俺の田舎のカタツムリ。だから大事にしてるのよ~」
水っけないところで大丈夫なんですか?と聞くと、霧吹きかけてるよ、シュッシュッって、とマエさんがタバコを持ちながら籠を開けようとして、大事なカタツムリに灰がかかりそうになる。「動きが速いよ~」と言われているそのカタツムリは、わけもわからず大塚の理容室の虫籠の中でゆっくり動いている。


なぜかつい寄ってしまうバーバーマエ。私はまだ一度もカットしたりパーマをあててもらったりしたことはないが、いいのかな?と思いつつ、特にそれを求められてない気がしている。
ちなみに私は髪はぜんぶブリーチしているが、ここでもこれやってくれますか?と聞いたら、やらないよー!と断られた。
壁が見えないほどのたくさんのマエインテリアのなかに、よく見るとメニューがあり、調髪、スポーツ刈、丸刈、デザインカット、アイパー、パンチアイパーなどなど、昔ながらの理容室、という趣がすぐわかる。
一度、友人のしんけ君がパンチパーマをあてるというのでカメラを持って一緒に行ったことがあった。マエさんはこのパーマの技術について色々話をしてくれて、あきこさんが淡々と巻いていく。そういえば前にしんけくんが、大体いつもあきこさんがやってくれると言うので、「マエさんじゃないの?」と聞くと、「マエさんは喋っている」と言っていたが、その通りだったのでおかしくなってしまった。

元々、しんけくんたちが運営している「Hand Saw Press」というリソグラフスタジオの大塚で行われるプロジェクトで、マエさんにも撮影をお願いしたのが知り合うきっかけだった。その前の年の集合写真に写っていたパンチパーマに色眼鏡でニコッとしているおじさんが気になっていたのだ。
この人にお願いできるかな?と聞いたら、「マエさん? 多分大丈夫」と。それでイベントのチラシのために写真を撮らせてもらった。
またある時、神谷圭介さん主催の「画餅(えもち)」という演劇プロジェクトの公演の宣伝チラシのための撮影で、アートディレクターのいすたえこさんから、「撮りたい場所がもう決まってて、たぶん南さんも知ってる、バーバーマエなんですけど」と話があった。いすさんも別の企画で、マエさんとこと関わったことがあるらしかった。人気店ではないか。
話が早い。撮影については事前に、いすさんからマエさんに連絡はしてくれていたようだった。
公演に出る6名のヘアメイクと着替えを別のところで進め、先に私だけ電車に乗ってバーバーマエに到着。
どうもどうも、今日撮るの私なんです、よろしくお願いしますとお店に入るが、お客さん1名をあきこさんがカットしていて、ソファで待っているお客さんが1名。
マエさんは「今日の撮影なんなの?」と、内容は理解していない様子。下北沢でやる演劇の宣伝の写真、お店で撮らせてもらうってことで、お願いしていたみたいですけど、と、伝える。
店内はそれほど広くないが、みんなが来る前にテストもしておきたいし、ちょっと遠慮しながらもストロボを立てたり、準備させてもらう。もうすぐ撮影するメンバーがヘアメイクを終えて到着するのだが、大丈夫なのだろうか……。というところでまたお客さんが来る。どうする。
バーバーマエはもう50年あるお店で、お客さんも年配の方が多い。予約制ではないので、ふらっと近所の人や、馴染みのお客さんが遠方から不意にやってくる。
先にやっていたお客さんのカットを終えて、あきこさんが奥の方に消え、お昼ご飯か、すこし休憩に入った。ソファで待っていたお客さんの番だが、同じくソファに座っていたマエさんがやるのかな、と思ってたら立ち上がらず、ずっとお喋りしている。
あきこさんが戻ると、次のお客さんは椅子に案内され、カットが始まる。そういえば、マエさんはあんまりやらない、とは聞いていたが、ほんとにやらないんだなー、お喋りするサロンだ。

メンバーが到着して、店内は普通に営業しているから、皆があれ?となる。6人ひとりずつの写真と、6人集合の写真を撮らなければいけないのだけど、とりあえず、店の外で撮れそうな写真を、1人、2人撮影。なんとなーく店の様子を見ながら出入りしているうちに、お客さんはいるけどなんか大丈夫な気がしてきて、「ちょっと、このへんで撮っていいですか?」とマエさんに聞いたら、いーよいーよ、と言うので、メンバーを一人だけ呼んで、ストロボもたいて小声で撮影を始めた。
70代くらいのお客さんが髪を切られているが、あきこさんとお喋りしながら、こちらのこともそれほど気にしていないように見える。時々マエさんも会話に加わり、会話の様子がおもしろくて、逆にこちらが笑うのを我慢しながら撮影。
残りのメンバーは4人。バリエーションも欲しいので、お客さんが髪を洗う台に移動したタイミングでカットする椅子のところで撮ったり、だんだん、この通常営業のなかそろりそろりと撮影しているのがおもしろくなってきて、マエさんやあきこさんやお客さんが入った写真も撮ったりしてみた。みんなこちらを気にせず、いつものバーバーマエ。むしろこちらが透明になっている気さえした。
お客さんがカットを終えて、お店を出る時、すみません失礼しました、と挨拶しながら、壁にかかっていた上着を、私が料亭の女将のようにお客さんの腕に通させていただく。店から出る時は他のメンバー、スタッフの撮影隊が十数名、まるで何かのお祝いのように挨拶しながらお見送りする形となり、お客さんも少し頬を赤らめながら、嬉しそうに帰っていった。

元々あきこさんの旦那さんが、マエさんの友人だったという。
50年ほど前、マエさんの長男が0歳の時お店を始めて、2歳になる頃、あきこさんが働き始めた。なのであきこさんは子どもたちの成長もずっと見ているしよく知っている。
ここにいると、お客さん相手の会話だったり、私とお喋りしている時もそうなのだが、マエさんとあきこさんが同時に話すことがよくあり、これは何かに似ている、なんだっけ……とずっと思ってたら、テレビの副音声だ!
2人の意見が全く逆、ということはあまりなく、同じ意見を右と左から聞いているとなんだか不思議な感覚に陥るのだが、時々マエさんがあきこさんに「なっ!」と声をかけることで耳で別々に聞いていた話が集合したような気持ちになり、我に返る。これがなんともクセになる体験でたまらないのである。
マエさんが冗談を言って、「おれは若いからさ。ナァ~に言ってんだ! ナァ~に言ってんだ!」と自分でツッコミを入れると同時に、あきこさんはマエさんの半分くらいのボリュームで「きもちだけね、きもちだけ……」と呟く。


料金は20年変わらず。「本当は上げたいのよ、でも近所の人はいいけど、電車で来る人もいるから、歳取っちゃってると申し訳なくて」
「お金儲けやろうと思ったらこんなことやってる場合じゃないよ、目つきも違うよ。いいんだよ」
定年もないから、というマエさんは74歳。
いつもあきこさんがお客さんのカットをしている。腕がいいから、認めてるの、とマエさん。同時に2人来たら、2人で1人ずつやるの?と聞くと、「いや、あきこさんがほとんどやってるから。俺やんない。本当に知ってる人しかやらない」
やればできるの? 「やらない」
「あんまりやりたくないのよ」マエさんはよく店から姿を消すらしい。いつも知り合いが店に来たら、近所の喫茶店に行ったりしている。
「私は接客、営業」
確かに、あきこさんがカットしている間、マエさんもお喋りしたり(やはりこの、あきこさんとマエさんのトークに挟まれるのがかなりいい)、お客さんが帰る時は「いや~なんかいいことないですかね社長! やんなっちゃうね~。また来てくださいね~! よろしくお願いします~」と、いつもニコニコ見送っている。
「でもやることはやってんだよ私」
たとえば? 「カット以外。特殊技能。たとえばハサミ。といだり直したり」(マエさんの名誉のために言うと、私はマエさんがお客さんのカットをしているところを一度見たことがある)。

あれ? マエさんどこ出身だっけ。「茨城だよ。若い頃は原宿にいたんだよ」
え! 原宿。「当時は今の原宿と違うよ」
タケノコ族のもっと前? 「オリンピックの前」
「ぺんぺん草生えてた」「歌を習ってたんだよ」
芸能の道に行こうとしていたという。それでぷらぷら遊んで何やってんだと思った茨城のお父さんが、銀行マンで、よく渋谷から銀座線で浅草まで行って担当していた理容室で相談していたらしい。なんとなくマエさんもそこに遊びに行くと、「そこの浅草の親父さんが、優しくて、職人とも仲良くなって、手伝うようになって泊まるようになって、そのうち床屋の通信教育を受けないか?と、なる気もないからなんとなくハイハイ言ってたらいつの間にか。浅草の劇場に出入りもしてたら親父が、休みの日は銀座の床屋で講習会があるってんで、遊ばせてくれなくて……」
「まんまとはめられちゃったんだよね」とあきこさん。
「床屋なんてなる気なかったのに。俺合わないの床屋」
「しょっちゅうそう言ってるもんね」
「やりたくないの」と言って、火曜から日曜の週6日、もう50年以上ずっと営業している。
バーバーマエは、床屋ではないのかもしれない。

 

 

これまで9回にわたって連載してきた「ふたりたち」が、2022年11月22日(いいふたりの日)に、撮り下ろしのエピソードも加え単行本として左右社より刊行されます。

踏み込みすぎるちょっとだけ手前で写しとられた人生いろいろ。
こんなふうにまっすぐ人間を見られる南さんがうらやましい。――都築響一

 

書籍情報

ふたりたち
南 阿沙美


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体裁:四六判/並製/カバー装
頁数:204頁(カラー写真頁含)
定価:2,000円+税
刊行:2022年11月22日
ISBN 978-4-86528-344-0 C0095

南阿沙美

南阿沙美

Asami MINAMI
写真家。写真集『MATSUOKA!』(Pipe Publishing 2019)『島根のOL』(salon cojica 2019)。
ホームレス支援活動もしておりみなさまの捨てるのもったいない不要品回収中!