文様奇譚

第13話 海南島【後篇】

大島托

探していたタトゥーは、思いもよらない場所に

三亜市の繁華街の路上で檳榔子(びんろうじ)を一袋買う。5個入りだ。先ほど新幹線の車窓から眺めていた、檳榔という椰子の木になる若い実を刻んだものと石灰ペーストとを一緒にキンマという葉っぱで包んだ嗜好品である。

図1 檳榔

とりあえずその場で一個口に入れて、歩きながらグシャグシャに噛み砕く。噛み砕き、「しがみ」ながら、口中にどんどん溢れてくる唾液を吐く場所を探す。この汁は胃が荒れるから飲み込まないのだ。インドではみんなどこでも気にせず吐いているが、東南アジアでは路上に吐くのはもはや御法度だ。街路樹のキワタの根元の土の上に、デスメタルの演出のように真っ赤な液をたっぷりと吐く。しがみカスは隣のゴミ箱へ捨てる。

石灰によって抽出された檳榔子のアルカロイドが、口内の皮膚や歯茎から吸収されて身体中に回る。久々にやると効きが強くてフラつくほどだ。さっきまであんなにかいていた汗が嘘のようにピタリと止まる。いや、実際には汗がもっと出ているのだが気分が涼しくなっているのか脳内のイコライザーの何かをアップし、別の何かをダウンする。さてと、今日も頑張らずに頑張ろうか。このDJ、すごく快適だ。

三亜市から少し山の中に入ったあたりに「檳榔谷」がある。海南島内の黎族と苗族の伝統文化全般を展示する大規模なテーマパークだ。歌や踊りを鑑賞できるステージ、機織りや刺繍の体験スペース、さまざまな郷土料理が味わえるレストラン、工芸品の作業場と販売スペース、谷越えロープウェイのアトラクションなど、コンテンツが目白押しだ。北海道のウポポイ(民族共生象徴空間)によく似ているなと思うのだが、僕にとって決定的に違うのは、何といっても文身館があることだった。

図2 檳榔谷の館内レストラン

檳榔谷にある文身館の前のオープンテラスに入っていくと、伝統のトライバルタトゥーを顔と身体に纏ったお婆さんが機織りをしていた。見渡すと何人もいる。しかも、それぞれ近づいて話しかけながらじっくりと観察してみると、みんなデザインが違う。

図 3 婦人の顔。檳榔谷で撮影
図4 婦人の喉、胸。檳榔谷で撮影
図5 婦人の前腕。檳榔谷で撮影

島内の各地方に散らばるデザインのバリエーションを一堂に見せられるように、わざわざそういうお婆さんたちを個別に呼び寄せて従業員にしているのだ。すごい。こんなふうにタトゥーを展示している博物館は、世界でもここだけだろう。

海南島の黎族には大別するだけでも五つの方言地方があり、タトゥーの部位や線表現のスタイルなどの緩やかな共通の定型はあるものの、それぞれのデザインはかなり違う。それは同一地方内でも村落や家系などでさらに変化する。

黎族の女たちはこれらの独自デザインのタトゥーを纏うことで、死後の世界で直系の祖霊たちから容易に見つけられて合流できるのだ。連綿と入れ子構造で続く無数の子宮たちは、時空を超えた同体生物でもある。

僕は今回それらの地方の山村を直接訪ねて、さまざまなデザインを生で観察しようと思ってガイドを探しまくったのだが、英語や中国の普通語ならいざ知らず、さらに黎語が話せるガイドがたった1人しか見つからなかった。しかもその人は五大方言のなかのひとつしか話せず、自分の出身地方内でしか通訳ができないということだった。

簡単に通訳できないレベルの違いが五大方言にはあるらしい。そして山の黎族、とくに年寄りたちは普通語を解さない。なおかつ黎語は翻訳アプリの対象外だった。というかそもそも文字がない。こんなに観光開発されている島のなかに、ラオス北東部ばりの山岳秘境が広がっていることを知り、唖然としながら今回の五大方言山村踏破は諦めたばかりだったのだ。

それが今、なんとも都合よく目の前に集まっている。三亜市からアクセスが良いこともあり、このテーマパークは観光客でごった返している。そのなかで、今にも襲いかからんばかりにお婆さんのタトゥーに執着しているのは僕だけだった。まるで僕だけのために集まってくれているかのようだ。もちろん顔面タトゥーの観光客も僕しかいないのだろう。お婆さんたちも僕の頬に触れてウケている。

図6 婦人のスネ。檳榔谷で撮影
図7 婦人の膝。檳榔谷で撮影
図8 婦人の両脚。檳榔谷で撮影
図 9 婦人の脚。檳榔谷で撮影

それにしてもタトゥーのお婆さんたちは思っていたよりも若く、だいたい70〜80代だった。もうほとんど生き残っていないだろうと思っていたのに、実際のところは1950年ごろまでの生まれの人、つまり施術タイミングでいえば1960年代くらいまではやっていたということになる。

海南島のトライバルタトゥーの写真といえば、各種メディアで目にするのはアメリカ人旅行者ニコル・スミスの撮影した1930年代の古いモノクロ写真ばかりなので、僕はなんとなくそのイメージに縛られていたようだ。

蛙トーテム

文身館の内部の展示も非常に詳細だった。すでに述べてきたように、黎族は蛙トーテミズムの民で、タトゥーの主要モチーフにもなっている。とはいっても黎族のタトゥーは非常に抽象的な線模様の集合体なので、外部の者が一見しただけでどこの部分が何のモチーフと分かるようにはできていない。そのへんを一般の観光客にも分かりやすく図解してあった。どんどん歩き去っていく団体ツアー客を尻目に、川の流れの中に立つ一本の杭のように僕はその場に立ち続けて翻訳アプリのカメラ越しに展示パネルを凝視していた。

図 10 檳榔谷のタトゥーモチーフ解説
図11 檳榔谷の脚タトゥーの解説

先述した始祖の蛇のほかにも龍、鳥、牛、ひょうたんなどのさまざまなトーテムがタトゥーの構成要素になっているようだが、やはり主役は蛙紋だ。ルーツとしてというのではなく現在の強力な同位体としての蛙トーテム。スポーツチームを作るなら名前は「フロッグ海南島」一択しかないような空気に満ちている。

図12 黎族タトゥー柄

蛙モチーフのデザインは、より分かりやすいフォルムで黎族の伝統的な錦織の技術である黎錦の上にも現れる。織物という特性上、デザインは菱形ベースにまとめられていて、タトゥーよりもずっと具象的な表現となっている。この黎錦はアジアの歴史上で常に最高のクオリティを誇ってきたという。

図13 織物の蛙柄

服飾館に並ぶそれらの傑作の数々は圧巻そのもので、この黎族という人々がどう考えてもタダ者ではないことを示している。その圧倒的な先進技術は黄道婆という海南島で綿栽培と織物の修行をした本土の女性によって13〜14世紀の元代の中国本土にもたらされ、中国における産業革命の礎になったとまでいわれているのだ。

この黎錦に関する中国語論文を翻訳ソフトで読んでいる真っ最中に、現在メキシコに住んでいるDOZiNE主宰の辻陽介からLINEで織物の画像が送られてきた。メキシコ・チアパス州のチャムラのもので、デザインモチーフは蛙だった。そういえば僕がチアパス州のサン・クリストバルでゲストワークしていたスタジオは「ラナロハ(アカガエル)」で、住んでいた宿のオーナーの呼び名はサポ(ヒキガエル)だった。あそこも蛙がキーワードだった。

今まさに蛙トーテムの海南島の黎族を調べていて、黎族の織物でも蛙がメインモチーフである旨を伝えた。蛙は雨の訪れと結びつくことで農耕民族にとっては五穀豊穣の吉兆であると同時に、蛙紋様自体がじつは蛙人や人蛙でもあること、それは人間の妊婦と蛙との形状的な類似関係に基づく蛙の驚異的な繁殖能力にあやかる出産信仰であろうことなどを話し合った。オタマジャクシから蛙へと大胆にメタモルフォーゼを遂げる様も通過儀礼のモチーフにふさわしい。

辻さんのパートナーであるアーティストの大小島真木は、現在彼の地で臨月を迎えようとしている。蛇のイメージを具現化する縄文タトゥーを全身に纏った辻さんの子を産む真木ちゃん。やがて真木ちゃんは顔や身体に蛙モチーフのタトゥーを彫って、息子と結ばれるのかもしれない。そこで彼女から新たに生み出される子供たちはいったい何の祖になるのだろうか。

身体から生まれた文字

檳榔谷のレストランで黎族料理を味わった。茹でた鶏肉、ローストした豚肉、揚げたコイ科の川魚、餅米、カボチャとサトイモと豆のスープ、サツマイモ、トウモロコシ、トマト、野菜の浅漬け、茶碗蒸し。

素朴なベトナム料理という印象だ。茹で鶏にタレをつけて食べるご飯は、日本ではタイ料理のカオマンガイとして知られているが、中国人社会では一般的に海南鶏飯と呼ばれていて、海南島を代表する料理として認識されている。が、実際のところ東南アジアのどこの地方においても郷土料理なのだ。

図14 黎族の伝統料理

ベトナム料理は、唐辛子と花椒と油に制覇される前の中華料理そのものであるといわれているのだが、我々が普段食べることのできるベトナム料理はレストランで供される手の込んだものしかないので、実際これくらいの素朴さが日常食のリアリティなのかもしれない。そしてコイ、カボチャ、サトイモ、豆、トウモロコシといった食材にもゾミアとの共通性を強く感じる。

街の専門店では、鶏を茹でる際に塩などの調味料を一切使わず、ココナツウォーターのみで仕上げる料理を「原味椰子鶏鍋」と呼んでいる。これこそが真の海南島スペシャルだと僕は思っている。

ココナツウォーターの爽やかな甘味と鶏の出汁が溶け合ったスープの、まったく予想外の旨さにショックを受けてしまった。1人で食っていたのに思わず感嘆の声が漏れてしまったほどだ。日本国内のレストランでこれを味わうのはなかなか難しいと思われるので、近くのベトナム食材店などで生の椰子の実を4個ぐらい買って、自分でそれをカチ割って汁を取り、シンプルに鶏の水炊きをやってみてほしい。茹で上がった鶏肉の付けダレはニンニク生姜醤油などで充分に雰囲気が出ると思う。

食後にレストランの外の植え込み付近で檳榔子をしがんでマッタリ落ち着いた。こうして禁煙の場所でも嗜めるのはとても良い。帰りの飛行機の中にも持って行こう。

今日、生で黎族のタトゥーを目の当たりにし、さらにその詳細なデザインモチーフの解説を読んでいて実感した。象形文字にそっくりだと。いや、正直いってそのままだと。デザインのプロから見て、描線の性質がまったく同じものなのだ。

図15 古代象形文字。黎族タトゥーにそっくり

古来、中国語においてタトゥーは「文(ウェン)」、そして象形文字もまた「文」なのだから、両者が同じなのは別におかしくはない。でもそのことは現代ではまったく関連付けて考えられてはいない。

まあ、おそらく黎族のトライバルタトゥーから中華の象形文字は生まれた。金属加工や錦という他の画期的発明が彼らの手によるものであったように。そうして文字を持った大方の黎族は漢民族と同化していったのだろう。

海南島の黎族が現代まで文字を持たなかったのは、東南アジアの山岳民たちの場合と同じく、文字というものが運命的に背負う、男性主導の大きくて中央集権的な性質を嫌った上での意図的な選択なのだと思う。文字になる直前の段階のタトゥーを保持するままに留めたのだ。もし文字をそのまま採用していたら、そのときにタトゥーは失われていたはずだ。まさに今、徐々に最後の瞬間を迎えつつあるように。

その後、結局1人で山の中にある黎族の自治区を3つほどぶらぶらと泊まり歩きながら回ってみた。街中のいたるところに黎錦の蛙紋と同様のマークがシンボライズされて設置されている。と同時に中国共産党のスローガンもたくさん張り出されていた。

「社会主義核心価値観 。
富強、民主、文明、調和、 自由、平等、公正、法治、愛国 、献身、誠実、親切」

図16 社会主義スローガン

メシ屋とか民族博物館などで、そこらへんの黎族の人たちにも話しかけてみた。スマホをいじっている人は概ね中国普通語の文字が使えるということだし、それなら翻訳アプリでやり取りができる。

消される「文」

前腕に入れた金魚の現代タトゥーを、レーザーで除去している最中の女性もいた。就職や結婚で不利になるから消せと親からいわれているという。タトゥーに対する社会の印象は悪く、たとえそれがかつて伝統のトライバルタトゥーを実践していて、今でも身内にそういう年配女性がいる黎族であっても同じことだという。どこかの国でもよく聞く意見だし、べつに驚きはない。

各自治区の博物館にはトライバルタトゥーに関する展示がなかった。民族衣装の展示のマネキンにもタトゥーは描かれていない。そこの学芸員に聞くと、それが共産党の方針なのだという。これもまたどこかの国の役所の方針と同じなので理解はできる。とすると檳榔谷はずいぶんと踏み込んだ施設ということになるわけだ。

プロの彫師なりのきわめて一面的な考えではあるが、文明化とは、タトゥーの「文」が文字の「文」にシフトチェンジすることである。一人一人の体表面を彩っている文が、紙の上に示されて不特定多数の意識空間で広く共有されることが文明化なのだ。タトゥーでもあり文字でもあるこの「文」は、心を表現する遊び、みたいな概念だったのだろう。文明化によりトライバルタトゥーは消え、派手な民族衣装がさっぱりした無地の服になり、あんなに凝っていた土器もいきなり素朴な無地の器になる。

形象の極みからある瞬間に生み落とされた文字は、これまで形象を尽くしても尽くして表現しきれなかったある種のもどかしさを解消する画期的な遊び方だったのだろう。

紙の上の文字を介した意識の共有を至高の価値とするシンプルな見た目の時代はとても長く続いた。が、レコード、ラジオ、電話、映画、テレビ、インターネット……やがて紙の上の文字に頼らないさまざまな新しい遊びがだんだんと増えるに従って、選択的に文字を遠ざける新しい無文字層が社会の中に出現した。

日本でいえば、文字を茶化してさっぱりした意識空間から引きずり出してギトギトの当て字にしてチーム名やキラキラネームにし、絵文字だけでやり取りをし、髪や服やバイクや車を、縄文土器に匹敵するぐらいダイナミックに装飾し始めた。その新しい無文字民から再び現代タトゥーは始まったのだ。

この方向性は対話型AIや脳内埋め込み端末の出現によってさらに深まることになるのだろう。この新しい「文」のフェーズを何と呼ぶのか僕はまだ知らない。「文解化」なのだろうか。

檳榔谷の文身館のフロア担当の係員とWeChatで繋がったので、伝統工芸の実演ブースエリアでタトゥーのリバイバルもやったら外国人観光客に絶対にウケるよ、とそそのかす。伝統技能が続いて村にお金が入るのなら良いことずくめじゃないですか。やる気のある娘がいたら台湾やフィリピンやインドネシアから指導者も呼べるから、と。

そういえば、檳榔谷の民族工芸品店で黎族の鼻笛が売られていて、一瞬、民族楽器コレクターのケロッピー前田の顔が脳裏をよぎった。街でも売っているだろうと思って買わずにいたら、結局、以降どこにも見かけなかった。

ていうか、蛙、いた。すごく身近におそろしくデカいのが。その蛙が蛇の縄文族の写真を撮っていたのだった。我々は蛇に恐怖しながらもどうしようもなく魅せられる者たちだった。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことなのだ。

まあいい。
そろそろ日本にカエルとするか。

大島托

大島托

1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主宰。
黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。
世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。
2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「縄文族(JOMON TRIBE)」を始動。