文様奇譚

第17話 ニューギニア島【後篇】

大島托

危険なのに価格が高い国

ブアイの生産地として名高いメケオを訪ねた。ここのブアイには甘みがあり、トびがスムーズで、たくさん食べても腹の調子を崩さない高級品らしい。友人のニュージーランドのタトゥーイスト、ジュリア・マゲアウが数年ぶりに母方の故郷であるこのメケオでリバイバルタトゥーの活動をやるというので、僕も見学に来たのだ。

ポートモレスビーを出る前にスパム、コンビーフ、イワシのトマト煮のような缶詰め類と、インスタントラーメンとコメをどっさり買って、ピックアップトラックに山のように積み込んできた。村へのお土産と自分たちの食料だ。日本よりも高い。すべてオーストラリアからの輸入品で、値段もオーストラリア価格なのだ。

図 1 パプアの代表食ラーメンかけご飯

こんな調子で移動もホテルも外人向けの安全性が担保されたものは、万事がオーストラリア価格。大自然しかない原始そのものの国なのだが、経済的な実態としてはオーストラリアの田舎にある自治州、くらいに捉えておくのが正しいのかもしれない。

この物価と治安のチグハグな状況が世界のバックパッカーたちを門前払いにする大きな要因になっていて、観光産業はまったく育っていない。僕の旅仲間たちにもここに来たことがある者はほとんどいない。便利で治安が良くて高いとか、安くて危ないとかは自明だが、危ないのに高いなんてもう意味が分からんという感覚なのだ。

島の西側半分のインドネシアのパプア州は、風景も人の顔も文化もほとんど同じだが、物価はアジア最安レベルで、治安もだいぶマシだった。少なくとも警察や公共交通手段が信用出来ないなんてこともなく、若い旅行者が普通に1人でぶらぶら旅することができるのだ。

これまでサゴ椰子やイモ類を主食としてきたパプアニューギニアの諸部族のあいだで、いまコメ食が流行している。コメは、もともと稲作文化のなかった島では国内生産の水準がまだ低く、そのほとんどをオーストラリアからの輸入に頼っている。

ということで、コメを手に入れるには物々交換ではなく現金が必要になる。人々はそのために何かを売ったり、会社で働いたりして現金を稼ぐ。こうして無数の部族たちを貨幣経済に組み込んで一律に税を課すことができるという、政府側にとっての大きなメリットもコメの流通にはある。さらにそれは、800もの異なる言語をもつ人々に共通語であるピジンを話させる動機にもなっている。

図 2ポートモレスビーの芸人

東南アジアの山地民、ゾミアの人々はコメと支配構造の密接な関係を理解していた。だからこそ意図的にコメとの距離を取り、イモ類を大事にしてきた。彼らは辛苦に満ちた歴史の果てに、選択的に再部族化した人々だった。

パプアニューギニアの人々はそんなことは知らないガチ部族だ。とにかくシンプルにコメとインスタントラーメンとコンビーフとコカコーラが大好きなのだ。ちなみに、炊いたコメに茹でたインスタントラーメンを乗せて食べるのがパプア流だ。ちなみに僕はコメに乗っけるなら断然インスタントヤキソバ派だ。なかでもペヤングが最高だと思う。

精霊のいる村

ポートモレスビーから西に4〜5時間、舗装された国道を車で飛ばした。アマゾンにとてもよく似た熱帯雨林の風景だ。違いといえば、ここにはコブウシがあちこちにいないことくらいか。

これだけの自然がありながら、生の牛肉までオーストラリアから輸入しているという。やはりどこかおかしい。コメのことといい、アマゾンなど他の熱帯地域で生産できるものは、パプアニューギニアでも十分に作れるはずなのだ。

オーストラリア政府とパプアニューギニア政府のあいだで、何かしらの秘密の取り決めがあるのではないか、と勘繰りたくもなる。それとも、大規模な灌漑農業や牧畜がどうにも性に合わないほどの、いわば“ガチ部族”的なメンタリティが、いまもなお存在しているということなのだろうか。国道を外れてデコボコの脇道に入ると、やがて辺りは一面の鬱蒼とした檳榔樹の森になっていた。

村に入るときに注意事項を伝えられた。トイレやシャワーに行くときには必ず2人組で動くこと。そこで何か異変があればジュリアの叔母のリタに報告する。ブアイはそのへんに吐かずに飲み込むこと。これはブアイのマナ(聖なる力)を身体の中に取り込むためだという。たしかメキシコのチャムラ族は世界でもっともコカコーラを消費するということだったが、それは身体の中に入り込む悪霊をゲップで外に追い出すためだと言っていた。物は言いようだ。

そして実を取り出したブアイの殻はすべてリタに渡すこと。その辺に捨てるとバチが当たるという。これらはすべて精霊信仰に基づく決まり事だった。この村で幼少期を過ごしたジュリアには村の精霊が我々一行を注視している様子が見えているという。彼らはとても悪戯好きなので気をつけて欲しい、と。

2日目の夜、真っ暗な部屋を手探りで蚊帳に入り、眠りはじめてしばらくたった頃、耳元でゴニョゴニョと囁く声が聞こえた。ゲゲゲの鬼太郎の目玉オヤジに似ているが、もうちょっと人間離れした、ボイスチェンジャーを介したような声だった。日本語や英語ではない。たぶんピジンでもない。そして意外なことに、金縛りのような緊迫感もなかった。僕はかつて新大久保の最初のスタジオで何度も座敷童子に遭遇しているのだが、そのときはいつも金縛り状態で身動きが取れなかったのだ。

翌朝、そのことを皆に話すと、ジュリアの娘のバサが、村にいるときはいつも左耳だけ何かが聞こえるという。たしかに僕も左耳のすぐ近くにそれが佇んでいる感覚だった。

オマエはいくらなんでもブアイの食い過ぎだって精霊が注意しに来たんだよ、とリタは笑っていた。言われてみれば、汁が滴るほどにフルーティーなブアイの美味さにつられて昨日は20個ぐらい食っていた。産地のローカルから見ても食い過ぎなのか。

水木しげるや諸星大二郎といったずば抜けた想像力を持った漫画家たちがパプアニューギニアに直観したイメージに、いつのまにか取り囲まれている自分がいた。

あの世に持っていけるもの

ジュリアがメケオに来たのはコロナ以降数年ぶりのことだった。ジュリアの親戚筋の若い女の子たちは彼女にタトゥーを彫ってもらうのを首を長くして待っていたようだった。

メケオでのジュリアの活動対象は彼女の親戚だけに限られている。家系内のタトゥー、つまりは家紋の継承みたいなものだ。その部分は彼女の強い信条になっていて、部外者はもちろんのこと、メケオの他の家系の人々にも施術することはない。

その辺の厳密な判断は、民族のアイデンティティとしてマオリのトライバルタトゥーが大々的に復興されている現在のニュージーランドに在住するアーティストらしいスタンスだと思う。

メケオでは、他の家系でもかつてはほぼ同じデザインのトライバルタトゥーが彫られていたが、現在ではだいぶ下火になっている。いまでは60代以上の女性に入っているのをたまに見かける程度だ。

現在60代以上のパプアニューギニア女性は別のアングルから見れば、裸になることに大して羞恥心がない世代ともいえそうだ。実際に、かつて裸で暮らしていた経験があるからだ。裸にならなければ見えない位置にトライバルタトゥーが入っているということは、つまりはそういうことでもある。教会や街に出かけるときにはメリーブラウスなどを着用していても、村での日常は裸ででも問題ないぐらいの感覚の中で育った世代なのだろう。

しかし、それよりも下の世代は村の中でもメリーブラウスを着て育っているため、裸になることに若干の躊躇がある。特に胸を隠す意識が強い。そうした今どきの胸隠し世代の女の子たちが、胸を隠さなかった時代のデザインを胸付近に纏うわけだから、施術所には当然に羞恥心と警戒心とが混ざり合った空気がそこはかとなく漂っている。さすがに僕は少し遠巻きにジュリアたちの施術所を眺めるだけにしておいた。いや、もちろん僕も仕事として胸をはだけた女性客に彫ることは普通にあるのだが、それと見物人であるのとでは、身分が違うのだ。

ちなみに「メリーブラウス」とはパプアニューギニアで現在一般的に着られている女性の衣装で、頭からすっぽりとかぶるトロピカルな柄の貫頭衣、つまりワンピースだ。ミクロネシアやポリネシアでも、名称はさまざまだが、このスタイルの女性のワンピースはとても一般的だ。たぶんキリスト教の宣教師たちがこれらの地域に進出して来たときに、とりあえず裸はマズイからこれを着なさいと言って渡した、当時のヨーロッパのシンプルなワンピースがベースになっているのだろう。

たしか10年以上前にコンベンションで初めてジュリアに会ったとき、彼女はまだマシーンを使っていたように記憶している。それが5年ぐらい前に会ったときにはハンドポークに変わっていて、さらに今回はハンドタップになっていた。

針棒のゆっくりとした上下動作でリズムをとるのが特徴のサモア方式だった。デザイン自体も、ハンドポークの頃は細い線を主体としていたが、今回のハンドタップではもうちょっと黒のボリュームがある表現になっている。だんだんとかつての伝統の方向へとアップデートしているようだった。

メケオ伝統のトライバルタトゥーのデザインは非常に太い黒線で表される幾何学模様であり、またその手法はレモンのトゲによるハンドタップなのだ。

母親から娘に施されることが基本だったメケオのタトゥーの紋様は、これから大人の世界に入っていく娘を華やかに飾る美の継承であるとともに、死後の世界で再び親戚たちと合流するための目印になるのだという。あの世でもタトゥーは失われないという古代世界に共通する感覚だ。今、母から娘にプレゼントされるのはもっぱらメリーブラウスになっているのだが、それは果たして死後の世界にも持っていけるのだろうか。

ちなみにタトゥーが入っていないメケオの男たちは一体どうやって先祖たちから見つけてもらうのだろう。

「とてもいい質問ね。男は……そうだねぇ……1人でどうにかするからいいんじゃない(笑)」

まあ、実際のところ現世においても僕は親戚たちとはほとんど付き合いがないわけだし、それはそれで本当にいいのかもしれない。

塩のない食卓

ワム!の「ケアレス・ウィスパー」のテナーサックスによるイントロが頭の中で鳴り響いている。

80年代の男性アイドルドュオのポップソングで、特にファンでもないのだが、自然と聞こえてきてしまうものは仕方がない。その選曲しかないような風景なのだ。

見渡す限りの熱帯雨林。悠久なる大河の流れ。黄色からオレンジ、そして紫色へと移り変わる夕まずめの空。ヤマハのエンジンを搭載したボートは温い水しぶきを上げ、水草の塊を巧みに避けながらブッ飛ばしている。広大な河面には僕らの他には誰もいない。なんでまたしても釣り道具を持って来なかったのだろう。

北部のセピック川流域は、プリミティブで独特な雰囲気を持つ木彫の仮面などの工芸品で世界的に知られている。それらは、それこそ縄文土器に匹敵するような種類のパワフルな造形センスなのだ。

図 3サイケデリックな工芸品
図 4相手を威嚇するデザインの盾

さらに僕にとっては、ワニ皮を模した美しいスカリフィケーションが見ものでもある。この地域の男たちは上半身一面におびただしい数の切り込みを規則的なパターンで施す習慣がある。これはタトゥーやボディモディフィケーションの世界ではよく知られたものだ。

図 5 セピック川のスカリフィケーション

やがて、村とも呼べないぐらいの数家族が暮らす程度の小さな集落にたどり着いた。セピック川沿いのこうした集落群には道も電気も水道も通っていない。広大な湿地帯の内部にあるため、雨季に水かさが上がれば水没して流されてしまうためだ。よって家はすべて高床式。水没時の村の中の移動手段は手漕ぎ丸木舟か泳ぐのみ。秘境だ。

図 6 セピック川の夕刻

上陸するとたちまちすごい密度の蚊の群れに包み込まれる。服の上からもバスバスと刺されている。本気でガードしたいならトレーナーぐらいの厚さの服を着るしかない。熱帯雨林気候でトレーナー。冗談じゃない。このまま半袖短パンで過ごしてマラリアにかかった方がいくらかマシだ。

ここでの食事は魚や昆虫の幼虫のスモークローストとサクサク、クッキングバナナだった。魚はアフリカからの移入種であるティラピアや、やはりアマゾンからの移入種であるパクーだった。どちらも味と成長速度に定評のある種だ。ここでは外来生物による生態系の破壊などはどうでもいい問題なのだろう。どちらも15センチぐらい。旨いのだが、ほとんど煎餅といっていいぐらいカラカラに乾いていた。

図 7 魚の干物のロースト

幼虫はサゴ椰子の倒木を割って採取する4センチぐらいのやつで、カブトムシやクワガタの幼虫と同様の見た目だ。それを10匹ぐらい串に挟んでスモークする。ムニュっとクリーミーだが、味は特にない。生きたままでもイケるが、まずはじめに頭を噛み潰しておかないと口の中を噛まれることがあるので注意が必要だ。

図 8 生サゴ虫
図 9 焼きサゴ虫

サクサクはサゴ椰子の幹を擦り下ろしたオガクズを水の中で揉んで採った澱粉質をフライパンで炒めて作った、灰色をしたモチ状のパンケーキだ。メンタワイ族の主食のサグーとよく似ているが、もっとモニュっとしていてゴムみたいな食感。クッキングバナナはポクポクした食感で甘くはない。軽めのイモみたいなクセのないキャラだ。

魚も幼虫もサクサクもバナナも塩気はまったくない。アマゾンのカヤビ族の食事のことを思い出す。人類史を俯瞰した場合、塩を当たり前のように調味に使う現在の我々の食文化はかなり例外的なのかもしれない。

ワニ皮スカリフィケーション

セピック川流域の大きな村には「ゲゴ」と呼ばれる集会所がある。これは精霊たちが寄り集まる宗教施設でもある。中にはウッドドラムや笛などの楽器類や、贅を凝らした仮面などが設置されている。流域最大のゲゴを誇るカンガナム村を訪ねた。

図 10 ウッドドラム

このゲゴに入ることができるのはワニ皮のスカリフィケーションを身に纏った男たちだけ。彼らのトーテム動物であるワニと同化した者だけが入ることを許される聖域で、これもまた精霊信仰上のルールなのだ。そのため同行していたガイドはこのスカリフィケーションの習慣がない地域の人だったので、ゲゴの中には入らなかった。

が、一方で僕ら外国人旅行者は、川の入り口の街に入る前に国道沿いの売店で買っておいた一房(30個ぐらい)のブアイを手土産として献上すると、すんなりと中に入れた。謝礼を納めて楽器の演奏を聴いたり、仮面などの木彫製品を購入したりするには、兎にも角にもゲゴの中に入らないことには始まらないからだ。

そうして旅行者が落としていく金によって、この村では生産できないコメやブアイが買えるようになる。それだけでなく、楽器の演奏や彫刻の制作を担当している者たちの専業の度合いが高まってどんどんクリエイティブになっていく。つまりゲゴ自体がどんどん立派になっていくわけだから、それは精霊側にとっても良いということだった。

僕を案内してくれた人は木彫りの職人を代々家業としているという。彼は父や祖父の作品も見せてくれたのだが、そこらからは歴代の外国人旅行者に売れた作品を手がかりにして作風が少しずつ変遷していく様子が見て取れた。だから当然、現在の彼の作風が現代の旅行者の僕にとっては一番キャッチーに映る。まるで流行っているタトゥーショップのようなマーケットへの適応だ。生きた伝統とはこういうことなのだろう。ともかく、このあたりの木彫アートはすごくサイケデリックで質が高いのだ。

彼は村でのスカリフィケーションの施術も担当していて、施術は豚の牙を研ぎ上げたナイフを使用するという。また、外国人の旅行者でもワニ皮スカリフィケーションを得れば正式にゲゴのメンバーシップに名を連ねることもできるということだった。

図 11クロコダイルマン

友人のタトゥー人類学者ラース・クルタクのように、ここでスカリフィケーションをやってもらう外国人はたまにいるらしい。僕も勧められたが今回はとりあえずパスした。アジア人や欧米人ではここの人々のように傷跡が美しく隆起することはあまりない。そうなるには遺伝的な要素が必要なのだ。

また、かつてワニ皮のスカリフィケーションは女性たちの美の文化だったとも聞いた。村の広場の木彫りのトーテムポールを観察すると、人間の女がワニを産んだり、ワニが人間の赤ん坊を産んだりしているデザインがよく見られ、両者がイコールの関係にあったことがよく分かる。それがいつしか男の度胸や忍耐力を試す色彩の強い通過儀礼へと置き換わったのだという。どのような経緯でそうなったのかは分からなかった。

ゲゴにいた年長者たちに僕の顔のタトゥーのことを尋ねられたので、これは蛇の子孫である印だと答えたら、こっちにも蛇の一族がいると言っていた。そういえばメケオのタトゥーデザインはムカデがベースだった。人が畏れつつも惹かれてしまう生物たち。

小さい頃に蛇を捕まえて弄んでいると、近所の農家の婆さんがやって来て、

「そんなことしているとバチが当たってチンチンが馬鹿みたいに腫れてデカくなっちまうんだからな!」

と怒られて怖くなって放した、という話をした。かように日本人にとって蛇は聖なる動物なのだ。でも今考えると、もっとバチに当たっておけば良かったとつくづく思う、とも。

この村でもワニを虐めたらバチが当たるのかと訊くと、それもまた金次第で、夜中にボートでワニ狩りにも連れて行ってくれるとのことだった。その後は皆で食べるのだという。なんかまあ、いろいろと融通が利く村、という感想だが、これはリアルな部族社会には共通の感覚でもある。

日本人の夜のスネークテクニックを教えてくれというので、歯ブラシの柄を丸く削って包皮に埋め込む「玉入れ」の話をしたら、それはこっちでも刑務所に入れられたらヒマつぶしにやるとのことだった。細部まで日本とまったく同じだ。はたしてこの身体改造の風習は日本とパプアニューギニアのどっちがオリジナルなのだろうか。たぶん太平洋戦争時にシェアされたのだとは思うのだが。まさか世界中の刑務所で同時多発ってこともあるのだろうか。歯ブラシの柄がプラスチックになったのはいつからなのだろう。

ところで、長老たちからは僕の英会話能力が素晴らしいと褒められた。こんなこと生まれて初めてだ。いわく、アメリカやオーストラリアやイギリスの旅行者の英語は何を言ってるのかさっぱり分からん、と。一番レベルが高いのはフランス人の英語だとも。分かる、分かる、その感覚。ネイティブ英語と国際英語は別物だ。ネイティブの英語は省略的な音の混ぜ合わせや文字表記とかけ離れた発音などの点で世界言語にはそもそも向いてない。つまり「McDonald」を「メッドゥーナウ」とか発音しているようでは絶望的なのだ。

パプアニューギニアでは実に800もの異なる言語グループの人々が国内の共通の言語として英語のローカルアレンジであるピジン英語を頑張って修得する。そして学校では世界の共通語として英語も勉強しているのだ。

学校で習う英語はシンプルで合理的なもの。そういった観点からは、僕もフランス人の話す英語はもっとも合理的な国際英語だと思う。ネイティブ英語が上手く聞き取れないことに劣等感を抱くのではなく、あなたの発音は分かりづらいですよと堂々と国際英語で指摘するセンスは大事だと思う。共通語というのは互いの歩み寄りなのだから。

さらにギャラを払って、夜に精霊を召喚する演奏会をゲゴの中でやってもらった。小さな焚き火がいくらかあるだけの暗がりの中だ。

ノーザンバラムンディというアロワナ科である魚を模した彫刻が施された6台の大きなウッドドラムを棍棒で叩いている。ボンッボンッボンッ、と深い音が響く。深いジャングルの奥に潜む何かの生物の鳴き声のようだ。

竹でできた長い笛も出てきて、それは尺八とディジュリドゥの中間のような音がしている。音ではあるが曲ではない感じ。これもまた生き物っぽい情緒がある。

皆同じリズムで叩いているのだが、あまり厳密ではない。日本の民謡の手拍子に近い。僕も混ぜてもらって一緒に叩いたのだが、なんというかこう、身体性があまりない感じ。踊りづらいというか、そもそも踊ることが想定されてないような。たとえば自然の情景描写を目的にしているような音。和太鼓とかもそういうグループだ。

たとえば西アフリカでこの感じで演奏したら、きっとブーイングだろう。そういえば街やラジオで流れているパプアニューギニアの現在の流行曲も、タイや日本のそれに近いノリがあって、リズムセクションがかなり軽視されている。

ここの人々は見かけはほぼアフリカ人と同じ黒人で、違うところと言えば鼻が大きくて手首が太いことやワキガが強いことぐらいなのだが、この違いの部分が何なのかというと、それはたぶんデニソワ人との混血によるものなのだ。ニューギニア島の人々はデニソワ人のDNAをもっとも多く保持する現生人類だ。デニソワ人と掛け合わさることによってホモサピエンスはアフリカのあの素晴らしいリズム感を失った。その代わりに我々が得たものは一体何なのだろうか。

なにやら皆が食べていたので、僕もその茹でピーナッツ的なナッツとミツバみたいなハーブ野菜、生姜のカケラを一緒にひと掴み、口に放り込んでモグモグと噛み締める。なるほど、口持ちの良いスナックなのか。やっぱり塩気はない。

もうトゲではやらない

ポートモレスビー中の市場を廻っている。全国各地からさまざまな地産品を携えた売り子たちが来ているはずだし、その中にはトライバルタトゥーの入っている人もいるだろうと思ったからだ。

タトゥーの入っている人自体はけっこういた。近づいて見てみると現代サモアタトゥーデザインを腕に入れてる男性が多い。ポートモレスビーのタトゥーショップで入れたのだという。こっちではサモア柄が流行っているみたいだ。他にはアメリカントラディショナルや和彫りもあった。でも肌が黒いので鮮やかには見えない。そういった観点からはサモアなどのトライバル柄が正解だと思う。

パプアニューギニアのパターンが入っている女性にも出会ったが、若い世代の人はやはりタトゥーショップで入れている人が多い。自分の地元のデザインをショップに持ち込んで彫ってもらっているらしい。都会のタトゥーショップに、ガチ部族の人が伝統デザインを持ち込みで彫りに来るのか。面白い。

なぜ伝統手法のトゲで彫らないのか聞いてみたら、時間がかかるし、仕上がりもキレイじゃないからとのことだった。トゲで彫ったタトゥーが入っているのは市場では40代以上か、僻地からやって来た人という印象だった。

図 12 どこでもタトゥーを見せる

顔一面にトライバルタトゥーが入っている女性と出会った。僕より若い40代後半ぐらいか。彼女は隣のニューブリテン島西部のコンベ族の人だった。刃物で切った傷に煤を擦り込む方法、インクラビング・スカリフィケーションで一日で完成したのだと言う。これはぜひとも施術をじっくり見てみたいし、自分の肌にもくらってみたいところだ。今回その時間はないが、また次回の楽しみができた。

図 13 ニューブリテン島のコンベ族
図 14 前腕外側
図 15 前腕内側

ポートモレスビーあたりでトライバルタトゥーが入っている女性たちはこの周辺に暮らすモトゥ族が多いということが分かってきたので、滞在ホテルの目の前のツアーガイドに伝統スタイルの彫師を探してもらって訪ねてみた。

図 16モトゥ族の女性

彫師はポートモレスビー湾岸部のハヌアバダという水上集落で暮らしていた。僕らが集落に入っていくと物珍しさから人々が集まってきた。日曜日で学校が休みということもあり、子供たちもたくさんいる。外国人がここに来るなんてことは基本的にないのだろう。

モトゥは漁の民で、沿岸の海に高い杭を打ち、その上に住居を構える暮らしを好むようだ。だがここは首都近郊ということもあり、明らかに過密状態で、家々の生活廃棄物を海が自然に処理できるキャパシティを超えている。干潮時にはヘドロの臭いが強くなる。昭和の東京湾の臭いだった。

その彫師はボゲアシという、70歳くらいの女性だった。代々彫師を生業としてきた家系の最後の一人だという。最後に彫ったのは、もう16年前になるらしい。最近はこの集落でも入れたい人は皆タトゥーショップへ行ってしまうからだ。

伝統的なハンドタップは、3〜5回は繰り返して彫らないと充分な仕上がりにならない。それでもいいのかとボゲアシは念を押して説明してくる。それはこっちとしては折り込み済みだ。僕らも彫師なので、日本で同じやり方で続きをやれば問題ない。

トゲを枝ごと使うハンドタップ

今回の僕のツレは彫師のチヒロだ。彼女は四国の高知県、四万十市を拠点に柚子のトゲを使ってハンドポークするという非常にユニークな作風のアーティストだ。そんな植物のトゲに特別なこだわりを持つ彼女だからこそ、タトゥーショップのマシンではなく古来の手法に惹かれ、今回ボゲアシに彫ってもらうことになったのだ。

旅の途中でチヒロに爪切りを貸してくれと頼んだら、「その辺の石で削りましょう」と言われた。人材においてまったく不足なしだ。

レモンやブーゲンビリアのトゲのついた枝を丸ごと針棒にし、それを布を巻きつけた棒でクッションを利かせながら叩く。最初に墨で皮膚の上にデザインを描いておいて、その上から叩くのだ。そしてデザインが乾き切らないように炭を粉にしたものと水を混ぜ合わせたペーストを途中で適宜塗り重ねていく。

図 17 モトゥ族のタトゥー道具

トゲを枝ごと使用している点が、僕がこれまで見てきたハンドタップ手法の中でももっとも原始的だ。カリンガや海南島でもトゲは使われているが、そこではトゲを枝から外し、別の棒にセットし直している。

小学校高学年ぐらいのボゲアシの孫娘たちが施術を熱心に見守っている。ちょっと前までならタトゥーを彫り始める年頃だ。やはり興味があるのだろう。顔立ちはタヒチの女の子のようだ。ここのモトゥ族の人々はいわゆるパプア顔とはかなり違う、ポリネシア人のような顔つきをしている。肌色も薄めで髪も縮れが緩い。

パプアニューギニア国内のトライバルタトゥーの部族は、ほとんどすべてがこのような海岸線沿いや島嶼部に分布している。内地の部族にはスカリフィケーションの習俗しかないのだ。

そしてそれらの事実は、おそらくタトゥー文化がもともとのニューギニア島民には存在せず、後代にハンドタップという特殊なタトゥー技術を携えて台湾からフィリピン、ミクロネシア、ポリネシアにまで展開していった人々によってもたらされたものであることを示している。彼らは高度な航海術と並外れた身体能力を持っていたのだろう。

ボゲアシは高齢であることに加えて久しぶりのセッションだったこともあり、すぐに疲れてしまった。このままでは予定していた作業をコンプリートできそうになかったので、我々のガイドであるアイバもタッピングに加わることになった。彼女もハヌアバダのモトゥ族で、この部族のトライバルタトゥーがトゲのハンドタップで入っており、作業はよく分かっているということだった。

大丈夫かいなと思ったが、実際のところ全然問題なかった。もともとそういう家庭内の手工芸のノリがある物事なのだろう。休憩中にアイバはモトゥ族のタトゥーデザインを紙にさらさらと描いて見せてくれた。完璧だった。こういうことはモトゥ族の女にとっては当たり前のことらしい。

作業が無事に終わってボゲアシに対価を尋ねたら、そんなのべつにいいよ、今日は楽しかったよ、みたいなことを言っていたので、アイバの決めたギャラをとりあえず渡した。このセッションの動画はSNS上でものすごい勢いでシェアされて、48万回以上も閲覧された。この先、多くのお客さんたちが彼女の元を再び訪れるようになればいいなと思った。

帰りの飛行機の中で急激な寒気に見舞われた。都内のクリニックで検査した後、国立国際医療研究センターに送られた。前に黄熱病の予防ワクチンで来たことがある。感染症の専門機関だ。

熱帯マラリアと三日熱マラリアの混合タイプだった。日本人では激レアケースらしい。セピック川だ、間違いない。診察を受けている間にも各地の大学病院や製薬会社から血液サンプル提供依頼のファックスがどんどん届く。

「なぜ予防薬無しでそんなところに行くんですか?」

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり、って言うじゃないですか。

大島托

大島托

1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主宰。
黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。
世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。
2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「縄文族(JOMON TRIBE)」を始動。