火鍋という誤解
普段はそんなに意識していないのだが、漢字が持つ豊かなイメージを自分の脳が瞬時に理解し得るという事実をあらためて愉しく感じることがたまにある。
中国語は分からないが、字面ならアプリでも標識でもホテルの注意書きでも、だいたい何について記述されているかすぐに理解できる。その下に併記されている英語を読むより早いくらいだ。
漢字の文章は書く作業には時間がかかるが、読んで内容を理解することに関しては他の文字体系に対してスピード面でのアドバンテージがある。これは絵画的な理解能力とでもいえるだろうか。おそらく漢字圏の人の文字理解は左右どちらの脳も同時に使うものだろう。だから「書」の迫真の凄まじさを理解できるのだ。
それにつけてもちょっと意外だったのは「火鍋」というのは鍋料理全般を指し示す中国語だったことだ。すなわち鍋を火で熱するから火鍋。つまり日本でいえば湯豆腐、鶏の水炊き、すき焼き、モツ鍋、などなど中国語ではすべて火鍋ということになる。もちろん中国にだって東北、北京、香港、杭州など各地にそれぞれさまざまな絶品の火鍋がある。
が、今日、我々が火鍋と認識しているものは赤黒い油がゴポゴポと煮えたぎっている、仏典「往生要集」などに描かれる地獄の第何層目かの絵図のようなあの鍋料理のことだろう。あれは四川省の成都や重慶のスタイルだ。つまり四川火鍋なのだ。燃え盛る業火のごとき色と辛さだからこその火鍋、そういうイメージを僕は抱いていた。

それが今、世界中を席巻している。ベルリンにもバンコクにも、パプアニューギニアのポートモレスビーにもあった。実際、僕が暮らす東京の西の端、高尾は牛丼店がないぐらいの田舎街なのだが、それでも火鍋の店はある。なぜなのだろう。
現在、中国人がそれぐらい世界中に広がって暮らしているというのはまず前提としてあるだろう。これはいわゆるガチ中華と呼ばれる本土出身の中国人たちが好む本場の中華料理の代表格メニューでもあるのだ。ではなぜ広大な中国のさまざまな地域から来ているはずの彼らがこぞって四川省の火鍋に群がるのか。もちろん美味いからに決まっている。だが、もっと踏み込んでいうならばそこには強烈にクセになる感覚があるからだと思う。
怖れ、挑み、そして馴染む、という人類の愛する普遍的な成長物語が激辛料理の中にはあるからこそ、口内をギッタギタに痛めつけられれば痛めつけられるほどに、またすぐに食べたくなってしまうのではないかと思う。タトゥーみたいなものだ。これを知ってしまったらほかの鍋料理が何だかやけに物足りないような感覚にすら陥ってしまうのだ。
油蝶
そんなわけで今は四川省の成都で火鍋を食べている。この店はツケダレの具材の種類が日本では見たことがないほどに豊富だ。歌舞伎町をはじめ全国各地に展開する有名チェーン店の「海底撈火鍋」よりも多く、これはもう膨大といっても良い。
ツケダレのことは油蝶(ヨウディエ)と呼ぶ。何が蝶なのかは不明だが、とにかくこれらが横2メートル縦3段のひな壇みたいなスペースにぎっしり並んでいる。彩り鮮やかだから蝶なのだろうか。すべてをいちいち列挙はしないが、胡麻油に刻みニンニクを合わせるあたりは大定番なのだと思う。そこにさらに酢とか塩とかパクチーとか白胡麻を合わせるなど無数のバリエーションがある。1人で2種類以上のツケダレを調合している人も多い。
成都のローカルであるシャオアイに聞いてみたら本来の「碟 」という同音の、皿やお椀を意味する漢字が日本人にとっては何だかジャリジャリゴロゴロしている感じで不味そうだし、オシャレじゃないから蝶に変えたんじゃないかと笑いながら説明していた。ふーん。
ちなみに彼女は蝶のデザインのスカリフィケーションで今、世界的に知られている。タトゥーの場合でもそうなのだが、蝶は女性にとってファーストタトゥーの最人気モチーフのひとつなのだ。これは僕が彫りはじめた頃からずっと変わらない。もっと前からそうなのだと思う。
さきほどは口内ギッタギタだなんて言ってはみたものの、じつは油蝶としての胡麻油には辛さを抑える働きがある。正確にいえば辛さをコーティングして無力化してしまうのだ。ものすごく辛く煮上げたものを、わざわざ辛くなくして食す。カラッと油で揚げた麺を再びスープで煮て柔らかくする。
女の子の足を小さな木靴の中に無理矢理折りたたむように納めて成長させ、靴を脱がした時にその不自然に深く刻まれた足の皺から発する激臭を嗅いだ夫が性的に興奮する……。野心に満ち溢れる優れた戦略家の男のキンタマを切り落として重臣として起用する……。趣向として凝りまくるのを贅の極みとするのが中華のタチなのだろうか。
僕も初めの頃はそういうものなのかなと思って茹だった具を胡麻油につけていたのだが、最近では刻みニンニクをまぶしただけで食べている。麻辣に染まった溶けた牛脂の味、それこそがハードコアなのではないかと感じはじめてきたからだ。店内を注意深く見渡すと、そういうふうに食っているオッさんたちがたくさんいる。
僕が好きな具材はセンマイと鶏足(鶏脚じゃないよ)だ。サッと軽く茹でたセンマイでご飯を巻いていただく。丸ごと口に放り込んだ鶏足をモニュモニュとねぶって骨だけプッと吐き出す。

……瞳孔が開いて店内が眩しくなってくる。ナガランドでの修業時代を思い出す。チャレンジャーとしての気持ちが舌を通じてビリビリと蘇ってくる。やはりここは胡麻油で誤魔化している場合じゃなかったのだ。それは万人ウケを意識した、いわば未熟者たちのためのオプションなのだ。
ブルース・リー出演『燃えよドラゴン』のテーマ曲が脳内再生される。まだまだ成長できそうな予感がムクムクと湧き上がる。何かしらの大志に向かって邁進していけそうな気がして仕方がない。オッさんたちはそういうのが好きなのだ。
ホァッター!!!(と心の中だけで叫ぶ)
天府の国、成都
劉備玄徳、諸葛亮孔明、関羽雲長、張飛翼徳。これらの英雄たちが活躍した三国志の蜀の国はここにあった。長江の上流という水の利と南方ゆえの温暖な気候とが可能にする2〜3期作の通年灌漑農業、そして周りを山で囲まれた広大な盆地という戦の利を持つ四川盆地は、自ずと国になることを天によって定められている場所というイメージで現在でも「天府」と呼ばれている。大昔からずっとそういう土地だったらしい。
三星堆遺跡が成都の近くにあるので今日の昼間はそこに居た。龍山文化、夏、殷や周といった古代の黄河文明と同等の五千〜三千年前までの歴史を持つか、あるいはひょっとしたらもっと古い時代からあったのかもしれない文化の痕跡だ。これが30〜40年前に本格的に発掘調査された際には世紀の大発見として世界の歴史ファンたちに激震が走っていたのを覚えている。
ちょうど春節の期間中だったので博物館は観光客でごった返していた。メジャーな展示物の周りには人垣ができている。北京など中国北部から来ていると思われる人々は背が高い。僕の目測で日本人と比べると男性で5センチ、女性は10センチぐらい高い。男女でその比率が違う点は興味深いのだが、差し当たっての問題として僕からすれば展示物がよく見えないのには参った。なんだか中学生ぐらいに戻ったような感覚だ。
この遺跡の見ものは無数の金や青銅製の人物像だろう。顔つきが凄い。太い眉、大きくて鋭い目、がっしりとした高い鼻、角張った顎、象形文字のような耳、後頭部には太い三つ編みが一本垂れ下がっている。一見して三つ編みの髪型が「バキ」の烈海王と同じということ以外に現在の中国人を想起させる要素はないように見える。
モンゴロイドっぽさが感じられない。これはこの文明を発展させた当時の人々の姿を表しているのだろうか。それとも信仰対象として祀られた神のようなイメージ上の存在の造形なのか。
太陽信仰と思われるシンボル、食用と思われる大量の象の骨などの出土品のことも併せて、この人々はインド方面からやって来たドラヴィダ人の集団だったのではないかとする考えなどもあるようだ。たしかに目元の造形は後のガンダーラ美術の仏像にも似ている。実際インドとここを結ぶルートは地理的にもそんなに無理はない。僕の観点だとこれら青銅人物像にはポリネシア地域のモアイやティキといった偶像に通じる雰囲気があるなと感じた。
共存しないトライバルタトゥーと文字
僕はいつものようにタトゥーを探していた。三星堆遺跡人の金属加工技術は素晴らしく、青銅器の表現はエッジが立っていて緻密なので縄文土偶のような淡さがない。つまり服、装身具、肌などの表現分けの解像度が非常に高いためタトゥーやスカリフィケーションらしき表現を探すのは容易なはずなのだ。

実際、最初のフロアですぐに見つけた。ベストや腰巻きの衣装の外側に伸びる腕や脚には、しっかりと模様が入っている。ゴッツリした太めの渦紋で構成されるそれはトライバルタトゥーの法則どおり、同じものが左右対称に両腕脚に表されており、また複数人が寄り集まる形の出土品にも全員同じパターンが入っていた。

半ズボンだけ着用して上裸のキャラには胴体部にも同様の柄が入っていることが見て取れる。五千年前の四川盆地のトライバルタトゥー。非常に具体的な表現だが、それがタトゥーやスカリフィケーションであろうという解説は特に無かったように思う。北方からこの地に進出して来たモンゴロイドならタトゥー、南回りの古代ドラヴィダ人だとしたならばスカリフィケーションの可能性もあるとかが妥当なのかなと僕は感じる。
これだけの技術を誇っていた三星堆遺跡の人々だが、じつはここからはいまだ文字が見つかってはいない。このこともトライバルタトゥーと文字とがほとんど共存せずに入れ替わると考えている僕の見立てどおりだ。
なお出土品の表面からは絹繊維も検出されているということから彼らが当時すでに絹織物の技術を持っていたことも分かっているそうだ。このことは先の章で書いた海南島の黎族が世界最高の絹織物技術を長きにわたり独占しながらも無文字社会をずっとキープしてきた事実を想起させる。ひょっとして両者には何か直接的な関係でもあるのだろうか。そういえば黎族には金属の武器を自分たちの祖先が初めに開発したのだという言い伝えもあった。
話の全貌が僕の脳のキャパシティよりデカくなるにつれて急に眠くなってきた。誰か代わりに考えておいてください。寝る。
明日は飛行機で雲南(ユンナン)に向かおう。
中国領内のゾミアへ
雲南省は中国南端に位置する広大な山岳地帯だ。長い国境線によってミャンマー、ラオス、ベトナムに接している。ここらへんは、〜族自治州みたいな地名の寄り集まりで構成されている。省全体の人口の3割以上を、26にも及ぶ少数民族が占めている。国境の向こう側も同じような山岳少数民たちの宝庫だ。つまりここは中国領内のゾミアなのだ。
まずは最南端の西双版納(シーサンパンナ)に直行した。じつは長年ここが気になっていたのだ。ここは傣族の自治州で、かつてはひとつの国だった。この傣族はタイ系民族の一つであるタイルー族のことだ。この前、ラオス北部のポンサリー周辺をバイクで流していた時にもよく出会った人々だ。
そのポンサリーは国境を挟んですぐ東側にある。西側の国境の向こうにはミャンマーのシャン州が広がっていて、そこに暮らすシャン族もまたタイ系の民族だ。南にはゴールデントライアングルがあり、その先がタイヤイ族が住むタイ北部へと続く。山の麓や平地に住み、コメを栽培し、大きな社会を作る志向性を持つ人々だ。
最近、中国の若手俳優が偽の求人広告によって誘い出され、身柄を拘束されてミャンマー内のオンライン詐欺グループの拠点で強制的に詐欺活動をさせられ、家族が身代金を払ったおかげで解放されたという事件があった。
わりと名前の知られている芸能人が頭を丸坊主に剃られた状態で救出されるというヴィジュアル的なインパクトと、そこでは未だ数千人規模のさまざまな国籍の人々が監禁されているという情報によってこの件は世界的なニュースになった。英語を使えるので特にインド人が重宝されているのだとか。
この俳優を含めた多くの中国人たちが、SNS上の求人広告によって比較的に山が険しくないこの西双版納あたりに集められ、機密性の高い仕事だからとか何とか言われてスマホを没収され、夜中に徒歩で国境を越えてシャン州に入り、そこで車に乗せられてミャンマー東部のタイとの国境沿いにある幾つもの詐欺拠点の監禁施設に送り込まれ奴隷労働に従事させられていたのだ。
西双版納の街中にはネット上で知り合っただけの人物を安易に信用してついて行ってはならないという趣旨の注意喚起がアナウンスされていた。これらの件は国家やその法の外側からネットという広大な海に接続することによって生まれた新たな海賊みたいなビジネスだ。
中央の政府と周辺の少数民族が交戦を続け、実質上の無政府状態が続くミャンマー山岳部と、警察を含めた大方の役所が賄賂でどうにでもなるカンボジア。この二つが、現時点でその中心地域といわれている。爆撃されるかもしれないリスクを取るか、ユスリやタカリに応じ続けるか、という選択になる。
「ヤツらは誘拐した人々を暴力によって労働奴隷化して搾取している」
ここら辺の平地と山地で互いにそう言い合っている図式は本当に長い長い歴史を持っている。分かっているだけでも4千年間とかだ。いや、平地同士でも山地同士でも同じことだ。たぶんこれが、どのような社会においても当てはまる本質の一面なのだろう。だからこそ誰にとってもイメージをしやすいし、「向こう側よりはまだマシなこっち側の奴隷の身分の自分たち」という相対的なガス抜き効果があるから支配者側が好んで流布している言説なのだと思う。
コスプレ観光客の街
西双版納の中心街はタイのどこかの観光地といった風情がある。建物の様式、街に流れるタイ歌謡曲、タイ料理屋。トロピカルフルーツの数々。気候もじっとりと暑い熱帯そのものだ。タイ式マッサージ店もたくさんあるが、そこに風俗の気配が全くないのが中国領であることを感じさせる特徴だろうか。
エビ、イカ、挽肉の入った春雨サラダ、タイ料理定番ヤムウンセンの名店を中国アプリの高徳地図で調べて行って食べてみる。こんな内陸部なのに魚介が新鮮だ。東南アジアからの仕入れルートの太さを感じる。そういえばラオス北部の商人たちは皆ある程度の普通語を解していたことも思い出される。とにかくムッチャ美味い。ご飯がやたらと進む。
通りを眺めているとコスプレ姿の観光客がとても多い。貸衣装店がたくさんあるのだ。タイ族の衣装を着てメイクや髪型もバッチリ極めた女の子たちが目抜き通りを埋め尽くしている。もっと正確にいうと、タイの正式な民族衣装を中東のベリーダンサーのようにセクシーにアレンジしたものを着て寺院や川のほとりでポーズを取って、彼氏が撮影している。やはり当然セクシーポーズだ。
これにいくらか画像加工を施してからTikTokや微博などのSNSに投稿するのが楽しいのだろう。なにしろ皆ポーズが堂に入っている。彼氏の撮影機材もちゃんとしているどころではない。興味深い。
この後で普洱(プーアル)、昆明(クンミン)、大理(ダイリー)、香格里拉(シャングリラ)と回ったのだが、どこもそれぞれの当該民族のかつての文化のテーマパーク的なエキゾチックな街並みや通りが観光客向けに計画的に作られていて、そこにも貸民族衣装店が軒を並べており、コスプレ姿の観光客が「映える」写真を撮れるようにセッティングされていた。どうやらコスプレツーリズムは一大産業になっているようだった。
ご飯を食べた後、ちょっと裏通りに入っていくと地元民と思われるお爺さんが咥えタバコでバイクに荷物を積んでいた。前腕にタトゥーが入っている。ラオスのポンサリー周辺で見たパーリ語やサンスクリット語の経文と図形のコンビネーションの古いタイプのサクヤンとまったく同じものだった。ここでも若い世代にそれは見かけない。若者の腕に和彫りがちらほら見えるぐらいだ。
国境線で分かたれていてもやはり同じタイルー族だったわけだ。おそらくちょっと前までは半ズボンタトゥーもあったことだろう。
明日からは今回の目的地である貢山(ゴンシャン)独龍族怒族自治区へ新幹線と乗り合いバンで少しずつ向かう。現地では中心街と村々を結ぶルートの標高3500メートル以上の地帯が雪で麻痺しているという情報が入った。この真夏から真冬へと一気に横断するということか。なにせ雲南省はデカい。タイぐらいの面積があるのだ。









