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2023.01.27

心と身体が別れる。

山下陽光
Photo: 大森克己
Photo: 大森克己

 写真家の大森克己さんのエッセイ集『山の音』(プレジデント社)が出たから陽光君、服作ってぇやーと、キンタニさんからお声がかかった。

 ライターの北尾トロさんが編集長で季刊レポという小冊子があった。そのweb版で連載させて頂いていた時のタイトルが 【1980年の山の音、江戸時代の猫】だった。 1980年の山の音は聴けないと思うと、まだ考えられていない考え方をつらつらと書かせてもらった連載でした。

 『山の音』のTシャツをすぐに作って、キンタニさんと大森さんが来て我が家で打ち合わせ。大森さんが出来たTシャツにバチコン喜んでくれて、妻が着てくれたのをサッとiPhoneで撮影してくれたのですが、その写真があまりにも素晴らしすぎて、コレどこですか? どうやったらこんな写真撮れるんすかと感動した。

Photo: 大森克己
Photo: 大森克己

 ドドドのドキュメンタリー写真家の児玉さんが戦地のウクライナに行って撮った写真集『Notes in Ukraine』(イースト・プレス)の出版記念トークに呼んでもらって話した時にこの話を振ってみたら、コダマさんから、陽光さんはiPhoneに慣れすぎているからじゃないですか? 一眼レフで撮ったら上手に撮れますよ。と言われて、一眼レフって聞いたことあるけど、ただデカいカメラじゃないの? と思っていた。

 でっ、『山の音』をパラリとめくってたら、大森さんが写真家の人からも写真が上手いと言われることについての解説と、2016年にインスタグラムとiPhoneで写真を撮ることについて編集者の岡本仁さんとトークした書き起こしが掲載されているじゃないっすか。

 これが無茶苦茶面白くて、女優とかモデルをやっている人が同業者からやたらと綺麗とか可愛いって言われることを自ら解説するようなことの写真家版なんすよ。ここまで自分の写真の技術や写真というものをわかりやすく解体して説明してくれている文章って他にないんじゃなかろうか。そして、岡本仁さんとのトークではiPhoneで写真を撮ることについて、これ書いたら自分が追い詰められるんじゃないっすか? 得する人0人で大森さんが損するだけじゃないっすか! ってことを堂々と書いていて爆笑したのでその部分引用の範囲を超えるかもですが、書きます。

大森:2015年の『SWITCH』の6月号、是枝裕和さんの特集号の中で、是枝さんが鎌倉で自分の映画のロケ場所を訪ねるっていうページで撮影をやって、その時にiPhoneで撮ったのを印刷したのが最初かな。
岡本:そういうときって、iPhoneしか持っていかないんですか?
大森:さすがにそのときはライカも持っていったんですけど、それは見せないで、リュックサックにほぼ手ぶら状態で、「今日はこれだから」って言って、ずっとiPhoneで撮ってました。
岡本:「えっ?」とか言われないんですか?
大森:言われます。
岡本:(笑)
大森:知ってる人はまだしも、初めて会った人はだいたい言いいますよね。「マジすか?」みたいな感じになります(笑)
岡本:「なめてんのか?」とは言われないですか?
大森:「なめてんのか?」と直接は言われないですが、「なめんなよ」みたいなふうに感じるときはあります(笑)。

《『山の音』岡本仁✕大森克己 インスタグラムからはじまる写真の話 P352 より》

 風呂で読んでいて大爆笑しちゃいました。

 是枝監督入られまーす!、写真家の大森さん入られます!
 iPhoneでパシャ。乙でーす。って帰っていく大森さんの姿を想像して、周りにいるスタッフがスタンディングオーベーションふざけんな! って感じのところに撮った写真が爆裂に良いわけじゃないですか、どうすりゃぁいいぜ!と思ったら、写真を撮るということの根源的なことをこの後に話し始めるんですよ。本質にぐいっと迫るから落差が凄すぎて大感動する。

 90年代に裏原宿ブームというのがあってNO WHERE というアンダーカバーとAPEの2人がやっていたお店の服を芸能人やミュージシャン、アーティストが着て大人気大行列、俺の友達面白いっしょカルチャー消費全部刺し殺すと思っていたんですが、友達が書いた本面白いっしょTシャツにしました。ってコレ全く同じやんけ! 刺し殺すぞ俺=自殺やんけ! とも思うのですが、本当だから仕方ない。

 本好きだし、友達が何書いてんのか、興味あるからドチャクソに献本して頂くんですが、あちゃまーすってツイートしたくないんすよ。裏原このヤローテンションの自分もいるから、献本されようが自腹で買おうが面白くなかったらツイートしたくない。もっと言えば面白くてもツイートしたくない。

 140文字じゃ語れないんすよ本なんて。

 さらにスマホとネットが好きすぎて、本が一切読めなくなっている時にワクサカソウヘイという方から『脱セイカツ記』(河出書房新社)という詐欺の見本帳みたいな本が届いて、スススッーーと本が読めるようになった。本って読めなくなるのは簡単なんだけど、何かのきっかけに読める時が来る。前回本が読めなくなった後は48日間オナ禁することで風がふいただけで勃起する感受性を手に入れてしまい、武器としての資本論 (白井聡著)を読むことが出来た。

 本を読めるようになるとズズズっいっ〜と読めるので、今回はそのタイミングで600ページを超える沢木耕太郎『天路の旅人』を読み終えて、アルガリと恋髪 刺繍されたロンTを作りたくなった。その後も正月に放送された家ついて行ってイイですか? でガンで亡くなったイノマーがん日記のTシャツを作ってくれませんかとパートナーのヒロさんから依頼があった。

 俺って川名潤って名前だっけ? というほどに、自分が読む本にやたらと川名潤という名前が書いてあって、色んな本を読むのに作者が同じってことはないだろうから、寝ぼけて自分が書いたのかなと思うけど、川名じゃ無かったし潤でも無かった気がするから、【水菜が旬】って名前で活動していこうかと思って検索したら美味そうな水菜のツイートが沢山出てきた。スクショするまでもなくその日の晩御飯は、しゃぶしゃぶに美味そうな水菜が乗っていて、夢が実現したと思った。

 俺くらいの志だったら毎日低めの夢が速攻で叶うので、夢と希望は低いに限る。

 コロナ禍で家を出れない、誰にも会えないのをドゲンカセンカ主人とか言いながら、直島に住んでいる下道基行さんと電話での会話を収録する山下道ラジオを始めた。最新回の161回で下道君が関西空港で話しながら途中で隣にいた人が音楽を鳴らしたのかなんだかよく分からず中断するハプニングがあった。下道くんの心と身体が全部関空になってしまって収録ができない状態になった。

 聴いてるこっちには、何のハプニングなのかわからないんだけど、こういう違和感は大好きで、思い出した違和感がある。1996年くらいに初めてPHSという携帯電話を持った時のこと。高円寺のPAL商店街を歩いていたら父親からの着信があり、東京で長崎弁を外で話す違和感が強烈にあった。

 初めてだから覚えているわけではなくて、それに近いことは頻繁に起こっていて、地方のグループYoutuber やTikToker が無理して標準語で話すんだけど本気になったらついうっかり方言が出てしまったり、熊本出身のくりーむしちゅーの2人は九州→東京だから方言がお互いで出にくいけど、宮崎出身のとろサーモンの2人は九州→大阪→東京で大阪弁がメインだけど、宮崎出身の後輩芸人のYoutube にでると宮崎弁になる時の心と身体が分離してしまう感覚は東京と関西弁外の地方出身者にはうーむ! と唸る感覚だと思う。

 この違和感とは違うんだけど、忘れてしまう感覚ってのがあって、忘れたらその時に思っていた感覚はもう思い出せない。

 かつてブルーハーツをかっこいいって言ってはいけない時期があった。
 こんなことを書くと嘘つけ! と思うかもしれないけど、本当にあったよなと2005年頃にダウンタウンが一番面白いと言ってはいけない時期に思い出したことがあった。

 いやいや2つとも嘘だろと思うかもしれないけど、その時の日記がある。
https://blog.goo.ne.jp/bashop/e/6195b755459ea9471990eda42eab7ae8

 2005年に、ブルーハーツをかっこいいって言ったらいけない空気を思い出したらイノマーがそのことを書いて
いてくれたのがとてもうれしかった。
https://tower.jp/article/feature/2002/09/07/100033488/100033489/100033491

 イノマー本のTシャツを作るにあたって、イノマーが人生最大の仕事と自身で言ってるブルーハーツのベストアルバムのライナーノーツを28歳の時に依頼されて書いた文章をヒロさんと打ち合わせする前にブックオフをハシゴしまくって手に入れて、歌舞伎町の地下の居酒屋で読んだら恥ずかしくなるくらいにボロボロに泣いてしまった。これをどうにかもっと沢山の人に読んでもらいたいと思って、キンタニさんにOCRという魔法をお願いスキャンして文字化してもらったら、バンドをパンドと表記されたり、ピートルズと読み込まれたりしたおかげで何度も何度も牟田ることで、イノマーがどこで句読点を打つのかがわかるようになったり、イノマーのリズムを掴めるようになった。

 ブルーハーツが好きなイノマーが自分よりも10歳も年下のゴーイングステディーが出てきた時に手放しで大喜びできることって、自分が中年で10歳下の若者を評価するのってやりたくないと思うんんだけど、なんでそれが出来たんだろうか?そのことをヒロさんに聞いたら、イノマーがブルーハーツの少年の詩のナイフを持って立ってたという詩に10年以上持ち続けた違和感を峯田君がさいたまスーパーアリーナでのグリーンデーのフロントアクトでのMCで話したことについて腑に落ちたと書いている文章を見せてくれた。これまたたまらない美文で、イノマーの情けなさや下ネタなどは語られやすいけれど、彼の美しすぎる文章についてあまり話されていない気がする。

 「いつだってよ、親が悪いんじゃねんだよ。先生が悪いんじゃねんだよ。政治家が悪いんじゃねんだよ。みんなの中には魔物が棲んでいて、俺にも棲んでいる。いつまでもそいつと仲良くしてることはねーんだ⋯⋯ だからよく聞け!! 少年よ、ナイフを持て!! 少年よ、ナイフを持て!!そのナイフでよ、嫌いな奴を刺すんじゃなくてよ、自分の手首をかっ切るんでもなくてよ、そのナイフで未来を切り開け!!絶対楽しいから」

 何でこんなことがわからなかったのかと。自分や誰かを傷つけるためのナイフではなく、未来を切り裂くためのナイフだと。ヒロトもすごいけどやっぱり峯田君すげぇわ」と書いている。

 イノマーはダウンタウンにおける島田紳助のようなものを感じていて、1995年に書かれたブルーハーツのベスト盤のライナーノーツにまだ誕生する前のゴーイングステディが宿っているとしか思えない文章を見つけた。

 1995年にエモいという表現は無かったけど、このライナーのファーストエモはブルーハーツの1st アルバムが出た時のイノマーのエモがたまらなくて歌舞伎町の地下居酒屋で大粒の涙が出たんですが、テキストをスキャンしてもらって牟田ってる時に書かなくてもいい余計なことが書かれていて、当時禁じ手であったパンクロックはいすくーる内での具体的すぎる愛だの恋だのがゴーイングステディ結成前の峯田氏の心臓を撃ち抜いたのではないか? と思わせる一文がこの文章です。

 僕はふと考える。10年前、ニーハイに《ア・ストア・ロボット》で買ったラヴァー・ソールを履いて、CASH FROM THE CHAOSと胸に入ったロング・スリーヴのTシャツを着ていた、三つ編みの女の子はこの曲を聴いただろうか? 「1000のバイオリン」にちゃんと出逢えただろうか? 僕がダビングしてあげたブルーハーツのライヴ・テープはあのきちんと整理されたカセット・ラックに今でも収納されているだろうか? スミマセン。どうでもいいんだそんなことは!! ただ⋯。「1000のバイオリン」を聴く度に、僕はひどく頭が混乱する時がある。僕の友達はこの曲を聴いて、7年間勤めていた会社を辞めた。 

《『THE BLUE HEATRS EAST WEST STORY 』(イーストウエスト・ジャパン)ライナーノートより》

 紳助竜介の解散会見で、当時無名だったダウンタウンらの登場で解散を決意したと言った紳助は自分が作った漫才を自分の才能を超える無名の新人にバキュンとやられて解散したんだけど、イノマーはその逆で逆走して、自分のエモーショナルを受け取って現れたブルーハツをも凌駕してくる若者に乗っかってオナニーマシンというバンドを始めるって中年が絶対にできない離れ業を披露して負ける気で負けに行ってる。

 ブルーハーツのライナーでは、このアルバムはあんまり聴いてません。スンマセン。とかこれまた書かなくていい余計なことが書かれていて、イノマーガン日記で一番弟子のフジジュンさんが、ブルーハーツのライナーの模写というかテンションでイノマーの歴史を描く美しすぎる師弟愛が完成しているんですが、その中でフジジュンさんがきちんと2010年頃のイノマーはアル中で最低過ぎたので会ってないと書いてくれたおかげで、イノマーの文章と心と身体の距離を理解することが出来た。

 人生最大のチャンスは誰にでも一度はやってくるからその球をいつでも全力で打てるように準備しておけと。ブルーハーツライナーの依頼が来た時のことを回想して書いたこれまた超美文があって、これってまさにバイトやめる学校やんけ! と思って何度も読み直してたんですが、その文章を書いたのが2011年の震災後の10月で、フジジュンさんが書いたイノマー年表によると酒で最低だった時期だというのがわかる。

 実際にバンドどついたるねんがイノマーみたいになりたくないよと歌ってCDを渡しに行ったのもその頃である。

 そしてブルーハーツのライナーを書いたのが1995年。阪神大震災、地下鉄サリン事件ととんでもないことが起きた1995年と2011年にこの二つの美文を書いているんだけど、世相が全く書かれていないが故に今も美しいまんまになっていて、これは書く行為に緊張感を持っているからこそなんだけど、何だけど、心底どうでもいい余計なことを書いてくれてたりするから、時を経てまるで違う着眼点を持つことができる。

 手描きのみで書かれたイノマーのガン日記はとても読みにくく、独自の丸文字がDって書いてるのか「か」って書いてるのかわからず、文字数は少ないんだけど、意味がわからずとっつきにくいんだけど、2018年7月にガンを宣告されてから書き始まるんですが、読みにくさを堪えてどうにか12月6日まで読んで欲しい。

 ファーストエモがあります。ハイスタは、久しぶりの活動再開でファンが待ってたけど、オナマシはどうだ? だれも待っててくれなかった。ハイスタには客がいる。俺たちにはいない。比べるなって? 比べないからいけないんだろ。みんな比べてんだよ。とブッチブチなエモがあって12月8日までそのテンションが続きます。

 文章における緊張感をバチバチに持っていたイノマーが書く矛先が自分自身に向かう時に今まで持っていた文章とは違う側面だけが描写され続けていくのはとても辛く、思い通りにいかない自分自身の身体に違和感を持ち続けながら、読み続けると浮かび上がってくる文字の力の弱さと身体がどんどん乾いていく感じを文字がドキュメントし続けてとても辛い。

 プラスチックスの中西俊夫、ラッパーのECD、劇団悪魔のしるしの危口統之。この3人は2017〜18年にガンで亡くなった。
 中西俊夫は自分の身体が健康になること以外への興味がなくなっていきながらも、健康への興味と執着が尖りまくっていて実践しまくっててかっこよかった。危口さんが癌になってから疒日記というnoteで闘病記が始まった。

 癌になったことを公表してから友人知人から、○月○日何時から空いてる? と稽古場を予約するような連絡がたくさん来て、対応できないし迷惑だと書かれていたのが新鮮だった。疒日記の6回目が有料で、美しい12文字に1000円払うことが出来て嬉しかった。それから更新頻度が落ちながら、悪い予感がずっと続いて、それを思うのが辛すぎて、危口さんのアカウントをミュートにして自分から更新されているのかを見にいくようにした。そうしないと、いつ訃報が入るかもしれないと思うとそれに向き合う事ができなかった。

 こちらの思いよりもテクノロジーの方が進化しまくってるから、少しアナログにしておかないと思いが装置に置き換えられて消費することに加担してしまう。そこに無意識でいるのは辛い。

 ECDの闘病ドキュメンタリーを佐々木賢人がディレクターとなってがんばれECDが公開された。ECDの良さを教えてくれたのは佐々木賢人ことフクユーだった。どんどん痩せていくECDのドキュメントはカッコよく見えた。

 イノマーの家、着いて行ってイイですか? は危篤から峯田氏の声で奇跡の復活を果たして自宅に帰れるまで元気になりながら、最後の最後の絶命するまでをテレビ史上で始めて放送されたのではないだろうか。がんで戦った下ネタパンクロッカーではない、彼の美しい文章を集めまくりたい。

 最後に、大森さんが広島のシャコが美味すぎる店、源蔵について書かれた文章。これまた美文なので広島に行きたくなってきた。

 

大森さんの写真を意識して筆者が撮った写真!コレで大森さんの写真が上手すぎる事が証明された!

 

※現在、スタジオ35分で開催中の大森克己スライドショーで源蔵の画像を見ることができます。

 
 

山下陽光

やましたひかる
1977年生まれ。途中でやめるという手作りのクオリティ低め、値段低めのファッションデザイナー。
下道基行、影山裕樹と新しい骨董というユニットも。
コロナ禍で見つけた新しい趣味 わさび採りに夢中。
著者にバイトやめる学校(2017)タバブックス