厳密で完璧なファッションの世界

わたしたちは着飾ることをやめない。それは、装いというものが着るひと個人を表すマニフェストだからだ。服や装飾品に過度にお金をかけることに否定的な人もいることだろう。それでも、ファッション産業は地球上で有数の巨大市場であり、それは人々を魅了していることの裏付けでもある。

ローレン・ワイズバーガーの小説を原作に映画化された『プラダを着た悪魔』(2006)は、ファッションに興味のない一人の女性アンディが、その魔力に取り憑かれていく過程を描いていて、印象的な台詞も多い。本論の趣旨を浮かび上がらせるためにも、少し、アンディの数か月を追ってみるのも悪くないだろう。

『プラダを着た悪魔』予告編 (YouTube)

社会派の雑誌記者を目指しながらもひょんなことからファッション誌『ランウェイ』の編集長ミランダのアシスタントになったアンディは、初日からファッションをバカにするような態度をとってミランダに冷酷な叱責を受ける。

ミランダのオフィスでは、数か月先の号の特集記事の撮影プランについてのミーティングがおこなわれていた。ミランダにベルトを合わせるよう指示されたファッション・エディターは、2本の青いベルトを持って、まるで違うタイプのものなので選べないと困惑する。それを端で見ていた新入りのアンディは、ふふっと声を出して笑う。「何かおかしい?」とミランダに聞かれたアンディは、「私にはその2本のベルトは全く同じに見えます。こんなのは初めてで」と返す。これが怒りを買ったというわけだ。ミランダは次のように告げる。

 “こんなの”ですって? あなたには関係のないことよね。家のクローゼットからそのサエない“ブルーのセーター”を選んだ。“私は着る物なんか気にしないマジメな人間”ということね。でもその色はブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもない、セルリアンよ。知らないでしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレを、サンローランがミリタリー・ジャケットを発表。セルリアン(空の色)は8つのコレクションに登場、たちまちブームになり、全米のデパートや安いカジュアル服の店でも販売され、あなたがセールで購入した。その“ブルー”は巨大市場と無数の労働の象徴よ。でも、とても皮肉ね。“ファッションと無関係”と思ったセーターは、そもそもここにいる私たちが選んだのよ。“こんなの”の山からね。(松浦美奈訳、句読点筆者)

このやりとりには、重要な論点が2つ含まれている。ひとつは、ミランダが指摘したように、高級服のラインからより巨大な市場へとモード(流行)が下っていくというファッション産業の構造である。つまり、どんなにファッションに興味がない人でも、最終的には不可避的にファッション産業に取り込まれていくということだ。そしてもうひとつは、2人のファッションに対する考えの違いである。「ブルーのセーター」は実用品の象徴として描かれている。一方のミランダにとっては、その色は「こんなもの」では済まされないセルリアンだ。それは軽薄と思われがちなファッションが、きわめてシリアスで厳密なものだということを伝えている。

この「厳密」や「完璧」ということばは、ファッション界ではとても重要なものである。たとえば、ジョルジオ・アルマーニを追ったドキュメンタリー映画『アルマーニ』(2000)でも、NETFLIXのドキュメンタリー・シリーズ「本番まで、あと7日」(2018)のシャネルのファッション・ショーを取り上げた回でも、これらのことばは何度も出てくる。つまり、服を作る現場でも、それを視覚的なエンターテインメントにするファッション誌の現場でも、「厳密」や「完璧」はある種のスローガンなのである。

ファッション誌に求められるのは、希望

「プラダを着た悪魔」の話しに戻ってみよう。

その後数か月、アンディはファッションには興味をもたないまま、優れたオフィス・ワーカーへと成長していく。聞き返すことも意見を言うことも許されない、悪魔のような編集長ミランダの姿も、また厳密で完璧を求めるファッション界の化身であるともいえる。ただし、ハリケーンが襲来した夜にマイアミからニューヨークに帰りたいからなんとしても飛行機を飛ばせという命令には閉口するが。

一機たりとも飛行機が飛ばなかったためにマイアミから帰れなかったミランダは、冷たく淡々とアンディを責める。さすがに限界を感じたアンディは、慰みを求めてアート・ディレクターのナイジェルのオフィスに駆け込んであれこれと愚痴を並べるが、一蹴される。

君が働く雑誌は世紀のアーティストたちを掲載した。ホルストン、ラガーフェルド、デ・ラ・レンタ。彼らが創造したものは美術品より偉大だ。日々身にまとうから。君は違うが一部の人々はね。〔目の前にある『ランウェイ』が〕ただの雑誌だと思うか? いや、そうじゃない。これは輝かしい希望の光だ。(同前)

服は着てナンボだというナイジェルの台詞に、わたしは賛成である。どんなに美しい服であっても、それは人が纏ってこそのものだ。わたしは仕事柄多くの美術展を見るが、ファッションの展覧会(たとえば、クリスチャン・ディオールやイヴ・サン=ローランの展覧会は記憶に新しいところだろう)、つまり美術館で服を見るという体験は、どうしても街中で美しい服を着ている人に遭遇したときの興奮には劣る。40年近くにわたってシャネルのデザイナーを務めたカール・ラガーフェルドも、やはり服は美術館で見るようなものではないと言っている。衣服というのは生きた芸術、セシル・ビートンのことばを借りれば生活芸術なのである。

そして、その偉大なる服たちを紹介するファッション誌には、希望が必要なのだとナイジェルはアンディを諭す。いうまでもなく、その希望(夢といってもいいだろう)を作り出す中核になるのが、誌面を埋めるファッション写真である。

ファッション誌では綿密にシチュエーションが構想され、一流のモデルや写真家たちによってファッション写真に仕立て上げられて誌面を飾る。しばしば、一般論として写真はフレームによって現実を切り取るメディウムだなどといわれたりする。だが、ファッション写真はむしろファインダーに写る空間を作り込んでいくものだから、空間支配力としての厳密性は現実を切り取るよりも高度に求められていく。「親愛なる神は細部に宿る」という格言があるが、オートクチュールやプレタポルテのような高度な服作りも、それをモチーフにするファッション写真も、細部にいたるまで人間の豊かな想像力と細やかな厳密性の賜物であるのだ。

ファッション写真とはなにか?と考えてみた時、その定義は意外と難しい。広くいえば、それは衣服を見せることを前提としたポートレート写真というのがいちばん近いだろうか。とはいえ、ファストファッションブランドの折り込み広告の写真や、ECサイトのモデルが着用した商品写真はどうか。それも広い意味でファッション写真として考えなければならない局面もあるだろうが、それが本論の主旨にはなり得ないことは、アンディとミランダのブルーのセーターのやりとりを思い出せば十分だろう。

わたしたちの目的はまず、この“希望の光”を灯し続けるファッション写真がどのように成立したのかを、ファッション誌の成り立ちから考えることである。

じつは、ファッション誌のコンテンツというのは、ファッション誌が登場した18世紀末からそう大きくはかわらない。基本的にファッション・ジャーナリズムは読者に夢や希望を与えることを目的として展開されてきたといえる。そうなると、受け取り手としての読者や、その社会背景が気になってくるだろう。それを描き出そうというのが、本連載の第二の目的である。つまり、モードの変化だけがファッション写真の表現を変化させたわけではないという視点からの分析である。実際、美術史が古代ギリシャ・ローマを起点にクラシックとアンチ・クラシックを繰り返してきたように、ファッション写真の歴史にもその転調を見てとることができる。そして、そこに根深く関係しているテクノロジーの進歩も、無視できない。

イラストから写真への移行、アナログ写真からデジタル写真への移行など、テクノロジーがファッション・ジャーナリズムに与えた大きな影響がいくつかある。とりわけ、虚栄の世界であるということがあらかじめ社会に共有されているファッション写真は、21世紀になると画像合成などのデジタル写真の技術をいち早く取り入れる実験の場ともなってきた。

ファッション誌が登場して以来、そこに現れるヴィジュアルは、常に新しいものを求め、ときには自分たちの枠組みを破壊しようとしてきた。ところが、ファッション・ヴィジュアルは崩壊をきたすどころか、そのつど領土を拡大し、輝きを増してきた。それは、写真史などという領域では語り尽くせない、独立した巨大帝国なのである。この虚栄の帝国は常に人々の耳目を集めてきたし、多くの写真集も出版されている。それにもかかわらず、ファッション写真の歴史をひもといた本が数えるほどしかないのは、単に写真の歴史の枠組みでは語り尽くせないという事実の証左ともいえるだろう。ゆえに、そこに踏み込んでいくにはパンドラの箱を開けるような、好奇心と同時に、その後の顛末を知っているがゆえの不気味な怖さがないわけではない。ファッション写真史など、かたちづくることができるのか。だが、歴史はこうも教える。最後に箱に残ったのは、「希望」だと。

ナイジェルに諭されてシャネルを着たアンディのように、絢爛と虚栄の帝国に足を踏み入れてみることにしよう。

打林 俊

打林 俊

写真史家、写真評論家。
1984年東京生まれ。2010-2011年パリ第1大学招待研究生、2014年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。博士(芸術学)。2016〜2018年度日本学術振興会特別研究員(PD)。主な著書に『絵画に焦がれた写真-日本写真史におけるピクトリアリズムの成立』(森話社、2015)、『写真の物語-イメージ・メイキングの400年史』(森話社、2019)、共著に“A Forgotten Phenomenon: Paul Wolff and the Formation of Modernist Photography in Japan”(Dr. Paul Wolff & Tritschler: Light and Shadow-Photographs 1920-1950, Kehrer, 2019)、「アンリ・マティスの写実絵画不要論における写真をめぐって」(『イメージ制作の場と環境-西洋近世・近代における図像学と美術理論』、中央公論美術出版、2018)など。
2015年、花王芸術・科学財団 美術に関する研究奨励賞受賞。