力は秘密の看破の中にあるのだが、秘密は不安に責められる人間にこそ姿を見せるのだ。
ジョルジュ・バタイユ『無神学大全 有罪者』
人間こそはもっとも深遠な、あらゆる意味でもっとも「謎めいた(エニグマティック)」隠喩であるということを、わたしたちはふたたび理解するだろうか?
G・R・ホッケ『文学におけるマニエリスム』
失地回復(レコンキスタ)——フランスで蘇る宮谷一彦
『AKIRA』の大友克洋といえば、人間の熱や体温をすべて取り去ったようなポストモダンでクールな描線、人間を豆粒のように圧するピクチャレスクな廃墟画で手塚治虫に次ぐマンガ表現の革命を起こした世界的巨匠である。しかしその大友に多大な影響を与えた激飢餓家(げきがか)・宮谷一彦の名を知る者は、今では数少ない。歴史は皮肉である。宮谷の影響を受けた大友自身が、その宮谷を時代遅れとして抹殺してしまったのだから。
しかし2024年に失地回復(レコンキスタ)が起きようとしている。フランスのエクストリームマンガ出版社Lézard Noir(黒蜥蜴!)から、5月に『Sexapocalypse Anthologie』と題された宮谷一彦の作品集が刊行されたのだ【図1】。この翻訳書に解説を寄せているゲキガマスター・宇田川岳夫に電話したところ、「Sexapocalypse(セックス黙示録)」なる謎語は宮谷の代表作『性紀末伏魔考』の訳語だという答えを得た。
日本では2017年に私小説ならぬ私漫画『ライク ア ローリング ストーン』(フリースタイル)が復刊され、宮谷没後の2022年に『アックス149号』でささやかな追悼特集が組まれたきりであったから、それ以来の事件となる。しかも昨今のコンプラ事情によるサブカルチャーの無害化・均質化の流れでは復刊困難と思われた『性紀末伏魔考』が、フランスで再評価されようとしているのだ。ふくしま政美の肉弾マンガ『聖徳太子』もLézard Noirから翻訳刊行予定と聞くし、宇田川のフリンジ・コミック論『マンガゾンビ』もブラジルのUltra Gash Recordsから翻訳がもう出る直前というから、海外という「第三の目」(エドワード・ヤン)を通じた悪趣味カルチャーの「異化」が以後急速に進んでいくことが予想される。
宮谷一彦デビューの衝撃
宮谷一彦は1945年生まれのいわゆる全共闘世代。手塚治虫が創刊した「まんがエリートのためのまんが専門誌」を謳う『COM』誌上で、耳の聞こえない少女とレーサーの少年の淡い恋愛を描いた「ねむりにつくとき」で1967年にデビューを飾る。初期は永島慎二ラインの抒情的な青春劇画を描き「青春劇画のホープ」と呼ばれ、バイクやモダンジャズ、ロックンロールやセックスなど60年代の全共闘世代が共感し憧れるような風俗を巧みに描き出すことで「宮谷エコール」(岡崎英生)のような流派を生み出し、ファッショナブルな漫画家として時代の寵児であった(バブル世代にとっての岡崎京子?)【図2】。この時代の作品は単行本『俺たちの季節』(三崎書房)にまとめられているので一読を勧める。
また宮谷一彦の代名詞ともなった、写真をトレースした超絶技巧的な見開き一枚の風景描写も忘れてはならない【図3・4】。
夏目房之介は、西洋ファインアートをもとにした水木しげる(およびアシスタントだった池上遼一とつげ義春)の稠密な背景描写と、写真の光学的映像をもとにした宮谷一彦の緻密な背景描写は本質的に異なると断った上で、以下のように述べている。
宮谷が写真模写的な風景を描きはじめた頃、「あんなの写真そのまま載せればいいじゃないか」と否定的に語る読者もいた。が、もちろんそうではない。ここで求められていたのは強迫的で稠密であると同時に、無機的でフラットな都市風景の、マンガとしての表現だったからだ。あくまでも線とトーンで模写された光学的マンガ画像でなければならなかった。写真そのものを実際にマンガのコマに取り込むと、途端に生気を失い、不思議と陳腐な平板さだけが残ってしまう。
夏目房之介「スクリーントーンがマンガにもたらした「革命」」、『別冊宝島EX マンガの読みかた』宝島社、1995年、70-71ページ
高度経済成長でどんどんビル群と人口を増していく都市の重々しさ、そしてそのコンクリートジャングルで孤絶する登場人物たちの存在の耐えられない軽さが、この写真模写によって際立たされることになる【図5】。
また宮谷一彦は丸い線を細かく掛け合わせた「宮谷カケアミ」【図6】と呼ばれる技法も発明した人物でもあるから、極めて情念的な作風(ディオニュソス)と、極めて高い発明力(ダイダロス)が同居する稀有な漫画家であったと言える。
とはいえ、夏目は宮谷一彦が達成したのは単なる技術革新ではなかったと釘を刺している。「ドキュメンタリーな映像というのがテレビを通じて我々の日常に入ってきた。リアルの位相が変わったんです。それを的確にとらえてマンガに導入した人なんです」(『BSマンガ夜話:宮谷一彦』)。宮谷の写真トレースは単に技巧を誇示するためのものではなく、映画・文学・マンガといったジャンルをこえて共有され始めていたノンフィクション・ルポルタージュの時代精神を写し取ったものであった。68年の成田空港反対闘争に端を発したTBS人事闘争をドキュメントした『お前はただの現在に過ぎない テレビになにが可能か』が刊行されたのも1969年のことであったことを付け加えておこう。
とりわけ初期作品で影響力甚大だったのが、『COM』1968年掲載の「セブンティーン」という作品であった。ガールフレンドの妊娠に恐怖する主人公・俊一、そして彼の奏でるエレキギターで校内に鳴り響くローリング・ストーンズの「黒く塗れ」。俊一は彼女をおびきだして仲間に強姦未遂をおこさせ、最後には女は妊娠中絶、心身ともに弱っているところを中年男性にラブホテルに連れ込まれる。何も知らない俊一は説教してくる高校教師をエレキギターで感電させ、教師に暴行を加えようとし、止めに入ったかつての友と殴り合いをしようとするところで締めくくられる。大江健三郎の小説からタイトルを取られた、当時のカウンターカルチャーの危険な薫りがたちこめるたいへん文学性の高い作品である。リアルタイムで読んでいた四方田犬彦(1953年生まれ)がそのときの衝撃を以下のように語っている。
喧嘩、セックス、バイク、十二弦ギター……そこには東京の進学校でぬくぬくと勉強を続けている高校生には、まったく想像もつかない世界が描かれていたからだ。
もっとも驚愕を感じたのはわたしだけではなかった。中島梓も、夏目房之介も、わたしと同じ号の『COM』でこの作品を読み、ただちに強い衝撃を受けたと、後になって回想している。『セブンティーン』は十七歳の少年の無謀な通過儀礼の物語であったが、わずか十六頁にすぎないこの短編は、日本の漫画界にとっても危険な通過儀礼であった。
四方田犬彦『漫画のすごい思想』潮出版社、2017年、108ページ
「セブンティーン」は大友克洋が「SO WHAT」でオマージュを捧げた作品であることも付け加えておこう。時代の風俗をたくみに描き、文学性の高いネームを提出できただけでも、宮谷一彦は全共闘世代ならびにその下の世代たちにとって「ゴールデン・スーパー・デラックス・大ヒーローな漫画家」(いしかわじゅん)であったことは疑いない。ただ、これら抒情的でジュヴナイルな作品群に突如として挿入されるシュルレアリスム/マニエリスム的なイメージこそが、わたしは宮谷のもっとも才能を感じるポイントなのである【図7・8】。
このシュルレアリスム的な才覚の片鱗は、時代が混迷を極めていくにつれて、輪をかけて倍加していくことになる。
『ライク ア ローリング ストーン』と『白夜』——1968年の〈緊張〉を経た「わが解体」
宮谷一彦の作風が目に見えて政治的にラディカル化していくのが1969年から1970年にかけてである。無論、1968年の学生闘争の熱風を浴びたこともその要因の一つであるが、それに加えて昭和維新連盟の盟主で、財政界に隠然たる勢力を持つ右翼の大物、西山広喜の娘である前夫人西山直江とはじまった恋愛の影響が濃厚と思われる【図9】。
「観念的戦闘左翼」を自認していた宮谷一彦は、ここで政治的に右と左の緊張感に引き裂かれていくことになる。三島由紀夫(右翼)と大江健三郎(左翼)という、宮谷の相容れない文学嗜好にもそれは如実に表れているだろう。
この直江との恋愛模様を半自伝的に描いた作品が、1969年に6回にわたり『COM』で連載された私小説ならぬ私マンガ『ライク ア ローリング ストーン』である。ボブ・ディランの名曲からタイトルを引用した本作では、埴谷雄高『幻視としての政治』が引用され、マルクス・レーニン主義、テロリズムやらアンガージュマンが云々と、宮谷自身が完全に理解できているかは怪しいものの、極めて政治的な言及が増えているのは一目瞭然なのである【図10】。
またこの作品は、画村一彦という宮谷その人と思われる漫画家が主人公の、いわば「マンガ家のマンガ」である。ほぼ同時期に石ノ森章太郎が『COM』で、おなじく「マンガ家のマンガ」である耽美主義的な実験作『ジュン』を連載していたこと、また、みなもと太郎『ホモホモ7』や長谷邦夫『バカ式』のようなパロディーマンガもその直後に出現したことを考えあわせると、マンガがマンガというジャンルを振り返る自意識に達したというか、自己反省(セルフ・リフレクション)の段階に到達したことがうかがえる。この点に関して、私が中条省平にインタヴューした際には以下のような回答を得た。
そうしたマンガの自意識が形成されるためには、やっぱり歴史が必要で、それがちょうど『ガロ』と『COM』の時代だったんです。だからこそ、読者欄も批評欄もできたじゃないですか。それ以前はマンガ批評なんてありえなかった。
『機関精神史5号 特集:マニエリスム漫画の冒険』2023年、23ページ
また、この頃から宮谷一彦の作品は、その最初期から兆候として見られたシュルレアリスティックなイメージが、輪をかけて狂気を帯び始めていく。『ライク ア ローリング ストーン』で印象に残るのが、上半身がカマキリで下半身が人間の女のキメラであろう【図11】。
オスと交尾したあとに喰らいつくすメスのカマキリを、宮谷が直江にイメージ的にあてがったメタファーと思われるが、私はこれを見てシュルレアリストのアンドレ・マッソンの描くカマキリを連想した【図12】。
マッソンの親友であったジョルジュ・バタイユは『エロスの涙』でこの図版を引用しており、また宮谷は『とうきょう屠民エレジー』の著者近影では後ろの本棚に二見書房版の『バタイユ著作集』をびっしり揃えていたほど心酔していたので、影響がないとは言い切れない(宮谷の親友だった東大全共闘の芥正彦からバタイユなどの手ほどきを受けたとも考えられる)。
マンガによる革命を目指すも右と左に政治的に引き裂かれていくにっちもさっちも行かない情況、マンガによるマンガ批評という自意識、そして狂い咲く狂気のメタファー……これらは「夜のルネサンス」と呼ばれたマニエリスム芸術の徴候をうっすらと帯びてはいないだろうか。1527年のローマ劫掠という「終りの感覚」(フランク・カーモード)こそがスキゾ芸術たるマニエリスムを引き起こしたというG・R・ホッケの顰に倣えば、1968年という政治的不安と緊張こそがマニエリスム漫画を産み落としたトリガーだったのではないか。『ライク ア ローリング ストーン』に頻出する「イヴ オブ ディストラクション」というルビは、それぞれ「明日なき前夜」「僕たちの世代」「第四間戦期」といった緊張感ただようキナくさい語に振られている。その意味で「「分裂質的神経症」につかれた人間には、過渡期の「分裂した世界」こそ似つかわしいのだ」(『迷宮としての世界(下)』岩波文庫、2011年、110ページ)というホッケの言葉は宮谷にこそふさわしい。さらに言えばこうだ。
緊張! 過度の緊張。これがマニエリスム的表現身振りの極端な筆跡(ドゥクトゥス)を決定する。情熱的な、非合理な表現衝迫が——この緊張を通じて——いわばその第二の表現局面(ファーゼ)において人工的、構成的、外道的に、計算の、奇矯な(エキセントリック)計画の表現となる。
G・R・ホッケ、種村季弘訳『文学におけるマニエリスム』平凡社、2012年、390ページ
「極度の緊張」を抱えた1968年の時空が、つげ義春『ねじ式』を生み出したのはやはり偶然ではないのである。そして宮谷にとってホッケの語る「マニエリスム的表現身振り」、すなわち極度の実験性・前衛性が極まるのが、『COM』に1970年9月~12月にかけて連載された「白夜」という問題作である。手塚治虫創始の『COM』を主戦場とした宮谷にとって、「白夜」で跡形もなくストーリーを解体したことは、手塚ストーリーマンガに対して強烈なアンチテーゼのメッセージを放つことになる。「霧中飛行者の嘆息」(『COM』1970年7月号)で宮谷が書きつけた言葉は鬼気迫るものがある。「狂気と錯乱は鉄腕アトムを飼ったブタに対する凶器となり得るか 真実を語る狂人の群れのみが奴等を恐怖足らしめ得るのではないか」。『ガロ』では手塚治虫に「狂人」と呼ばれた佐々木マキが同趣向のストーリー解体、コマとコマの因果律を否定するマンガを描くだろう。
「白夜」のほとんど内容なき内容は、以下のようなフラグメントから構成される。焼きつける太陽のなか十字架を運ぶキリストが一ページ12コマにわたって描かれ、反対のページにはまったく同じ内容が描かれ、コマの下には最初から何百回でも読み直すようにと手書きの指示がある。殺人を犯した青年と令嬢の逃避行。『ライク ア ローリング ストーン』の続編。タイトルページだけの物語。突如スリリングなカーチェイス。キリストの足の実写と題された『月刊ムー』じみた写真。絵を欠落させた編集者との言葉だけの哲学談義。耽美幻想ふうの男女の性愛譚。ルイルイという名の天使の童話。そして刺々しい詩と血痕のアクション・ペインティングがコマを埋め尽くす最終話「ぎゃあ」【図13・14】。
これら宮谷の断片的なマンガ群に挟まれて、真崎・守、上村一夫、池上遼一らのマンガ家友だちが「のっとり」と称して自らの原稿を載せる【図15】。
それぞれの挿話は脈絡もなく混在し、絵のタッチもばらばらで、他の漫画家の飛び入り参加もあって統一性を与えることはほぼ不可能な代物である。四方田犬彦が本作のエッセンスを見事に摘出した一文を残している。
いったいこの『白夜』という作品は、作品として成立しているのか。またそれを、宮谷の作品と呼ぶことができるのか。ここにはサブカルチャーの商品として成立する漫画作品の制度的なあり方を根底的なところから解体しようとする、強い意志だけが存在している。高橋和巳の遺著が『わが解体』の表題のもとに刊行され、映画監督ゴダールが作品の起源としての作者という観念を否定するフィルムを発表していったとき、漫画において〈わたし〉という制度に解体をもたらそうと試みたのが、こうした宮谷の一連の作品であった。
四方田犬彦『漫画のすごい思想』113-114ページ
若かりし四方田が「とてもかなわない」とシャッポを脱いだ——というのも中三(15歳)商業誌デビューで「アルチュール・ランボーの再来」(後藤護)と呼ばれた——中条省平はさらに一言に凝縮して「ビートルズの『レボリューション9』だよね」と語った。編集者・岡崎英生との迷宮じみた対話のなかで、宮谷一彦は「白夜」が何を目指した作品であるかを自己解説している。「ぼくは自分の作りだす虚構の中でも因果律を否定したいんですよ」。たしかに「白夜」は断片相互の結びつきを拒絶し、各々孤絶したものとして同時存在している印象を与える。
「いわゆる劇画は 時間の流れ・歴史の記述ですから…前後への連続を断って同時間での画面空間の拡がりができたら と考えたんです 出発点はひとりで始め 序々に人が増え 細胞分裂せる原生動物のように ただエネルギーだけが渦まいている」。ここで宮谷のいう「原生動物の細胞分裂」のエネルギーとは、ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』の有名な議論を参照した可能性が高い。先述したように宮谷はバタイユ思想の信奉者であった。
さらにこう続く。「因果律の記述より空間拡大へ………そのプロトタイプがY誌に発表した 輪舞」。Y誌とは議論相手の編集者・岡崎英生が担当をつとめた『ヤングコミック』のことであり、「輪舞」は『ライク ア ローリング ストーン』と「白夜」を繋ぐミッシングリンク的立ち位置の実験作であった。この「輪舞」で印象的なのは、当時の「異端」のバイブルの一冊に数え上げるべき栗田勇訳の『ロートレアモン全集』(人文書院)が一コマ使って大々的に描かれている点であろう。サメとの獣姦、家ほど巨大なナメクジ、シラミの礼讃、ハエの素晴らしい潰し方の長々と続くレクチャー、ドラゴンと大鷲の怪獣バトルといったイマージュが数珠つなぎとなった恐怖動物誌の傑作であり、以降コラージュアートの金言となった「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の出合い」を寿いだロートレアモン『マルドロールの歌』が収録されたこの全集を引用することは、宮谷のシュルレアリスムへの接近をダイレクトに物語るものだ。
そしてさらに宮谷のバタイユ思想への接近を裏づけられそうな見逃せない一文がある。「すなわち存在の下痢 あるいは荒野の大脱糞 または妊娠中絶中毒性の想像力」。これはバタイユがマルクス・レーニン主義の「高級唯物論」の観念性に対してアンチテーゼとして唱えた、「低級唯物論」のきわめてオゲレツで幼児的な物質性にちかい発言だ。イヴ・アラン=ボワいわく、
バタイユの「物質」とはウンコ、笑い、卑猥な語、狂気のことである。それは、あらゆる議論を中断してしまうもの、理性が「数学的なフロックコート」を着せることができないもの、いかなる隠喩的置換にも向かないもの、あてがわれるままに形を受け入れたりはしないものである。バタイユによれば、物質とは私たちを誘惑する廃物のことであり、私たちの最も子どもっぽい部分に訴えるものである。というのは、この物質が繰り出してくるパンチは退化的、退行的なパンチ、反則技(ロー・ブロー)だからである。
イヴ=アラン・ボワ「アンフォルムの「使用価値」」、イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・E・クラウス、加治屋健司ほか訳『アンフォルム 無形なものの事典』月曜社、2011年、33頁
「ウンコ、笑い、卑猥な語、狂気」……これらは1970年~1971年にかけて発表された『性蝕記』(虫プロ)、『性紀末伏魔考』(青林堂)収録作品を埋め尽くす汚わいのモチーフとなるであろう。次回は政治運動が退潮するにつれて、キャリア至上もっとも糜爛したエロスとデカダンスの世界に墜ちていった宮谷のダークサイドを論じたい。