綺想とエロスの漫画史

07 バタイユを生きた激飢餓家——宮谷一彦『性紀末伏魔考』『生戀』と憂鬱の解剖【後篇】

後藤 護

私は、不易の真理を追い求める古典主義との対立を強調するために、 この言葉を用いるのだ。つまり、マニエリスムとは狂熱の追求なのである!

ジョルジュ・バタイユ『エロスの涙』

世の中に対して孤立した態度を取ることだけが
マニエリスム芸術家にとって唯一の防御手段となった。
自分では世の中に生気を吹き込めぬと悟ったとき……

アッキーレ・ボニート・オリーヴァ『裏切者のイデオロギー』

田園に死す——『性紀末伏魔考』

ここから論じる『性紀末伏魔考』(青林堂、1973年)の収録作は、すべて1970年11月25日の三島事件以降に描かれたものであることは強く考慮すべきである。また巻頭言の「KING アクタに……その 生命 短かかりことを祈って」なる文言は、三島由紀夫と討論した東大全共闘の芥正彦と始まった交友関係を示しており、芥が関わっていた寺山修司の『地下演劇No.4』には宮谷も「少年少女文学全集」というマンガを寄稿している【図1】。

図1 宮谷一彦「少年少女文学全集」、『地下演劇No.4』所収(図版提供:宇田川岳夫)。宮谷は『とうきょう屠民エレジー』(ブロンズ社)の後記で芥正彦について触れている。「劇団駒場の主催者で、昨年『地下演劇』三号『ホモ・フィクタス』を八千部自費出版し、七千八百部返品として戻ってきたそうです。無論これは、彼の才能がいかにすさまじいかを語る以外のものでないと、僕は信じています」。

『とうきょう屠民エレジー』(ブロンズ社、1973年)の後記では芥正彦を「ジーザス・クライストの再来」と評するほどであるから、70年代初頭の宮谷一彦に多大な影響を与えたことが伺える(同単行本の著者近影に二見書房のバタイユ著作集が何冊も置いてあるのは、芥の影響ではないかと勘繰っている)。

寺山の名を出したが『性紀末伏魔考』は「寺山修司が映画『田園に死す』で描いたような血とエロスに彩られた故郷への愛憎を描いた作品集」(宇田川岳夫『マンガゾンビ』太田出版、1997年、17ページ)になっている。そして「それまでの日活アクション的な意匠も、アクチュアルな政治的危機意識もいっさい姿を消し、それに代わって田舎の(その当時の流行語でいうならば)「土俗的」な光景が、戯画化されたナショナリズムの舞台として選ばれる。肛門愛から屍体愛好症、人肉嗜食まで、ありとあらゆる倒錯行為がグロテスクに前傾化される」(四方田犬彦『漫画のすごい思想』潮出版社、2017年、114ページ)。

『性紀末伏魔考』でまず注目しなければならないのは、各作品の扉絵に描かれた、肛門に頭が埋没したウロボロスの姿であろう【図2】。

図2 宮谷一彦『性紀末伏魔考』(青林堂、1973年)120-121ページ。「人力死行機」で自らの精液で自らの尻に卵を宿した男の顛末を考えると、地面に敷き詰められた卵は単性生殖の欲望(ナルシシズム)の象徴であろうか。

これは宮谷のナルシシズムを強烈に提示した自己言及的なイメージであり、三島由紀夫にそっくりの作家を登場させたのちの『肉弾時代』でも繰り返されることになる。いわば宮谷はすでに時代の潮流を見ているのではなく、おのれを見ているだけなのであった。「穴好人の子息 初夏の陽ざしぽかぽか」(初出『ヤングコミック』1971/7/14)で自らの肛門を手鏡で覗き見る少年は、己の肛門期固着が昂じて、最終的に脊椎が湾曲していき頭が肛門にめりこんで、ウロボロスの輪にメタモルフォーズする【図3】。

図3 宮谷一彦「穴好人の子息 初夏の陽ざしぽかぽか」、『性紀末伏魔考』118-119ページ。首吊り自殺した美しい母親の肛門を覗き込むと黒ずんでいて、ショックを受けた少年は、自らの「素敵なお尻の穴」に埋没していく。

「エロティックとはメタモルフォーズの理論である」という澁澤龍彥の言葉、それから「私の感ずるところでは、エロチスムはマニエリスムの本質に触れている」というジョルジュ・バタイユ『エロスの涙』の言葉に鑑みると、ウロボロスに変容する怪物人間を自画像に選び取ったこの時期の宮谷こそがもっともマニエリスムに接近した時期だと断言できる。

とりわけ印象に残る作品は二つあり、一つはマンガ史上初めて男性同士のフェラチオを描いたとされる「緑色なる花弁」(初出『タッチ』1971/9)である。背中に巨大なこぶのついたハンチバックの下僕と、その主人である美少年の二人が、家を出るとその役割を交換させる。「彼らはジャン・ジュネの『女中たち』のメイドと貴婦人のように、対立する階級に属しているものの、その役割を遊戯的に交換し、つねに危機的な日常を過ごしている。死への欲動と世界終末への期待を描ききった漫画として、この作品には三島事件の強い残響を認めることができるだろう」(四方田犬彦「漫画に何が起こったか」、『1968[3]漫画』筑摩書房、2018年、25ページ)。

世界終末への期待——このマンガのラストで、美少年はハンチバックの男のこぶをナイフで引き裂く。するとその中から、彼の「弟」と思しき醜い人間が内臓をまき散らしながら露出してくる【図4】。

図4 宮谷一彦「緑色なる花弁」、『性紀末伏魔考』92-93ページ。

大量の血は突如舞い上がり、緑色の花の咲き乱れる地のはるか彼方へと魔術的引力に引っ張られるかのように消えていった【図5】。

図5 宮谷一彦「緑色なる花弁」、『性紀末伏魔考』94-95ページ。

「緑色の花」とは? そもそもコブに詰まっていた者の正体とは? 宮谷の駆使するグロテスクで謎めいたイメージ群は、もはや『性蝕記』で見られた「女性器を花に見立てる」といった安直なメタファーの約束事に回収されるものではなくなりつつあり、前篇で語ったバタイユの「低級唯物論」を地でいくものになっている。迸る血も、おぞましいコブも、飛び散る内臓も、ひたすらにショック・バリューの探求であり、驚愕と畏怖と恫喝を狙った議論を寄せ付けない反則技なのである。バタイユの『眼球譚』において目と卵とキンタマがメタファーでつながっていると解釈したロラン・バルト、そのバルトを「内的体験」の欠落した頭でっかちとして熱い口吻で批判した中条省平の心意気で以下の文章をお読みいただければ、バタイユ思想とは何か、「緑色なる花弁」の激発力の正体とは何か判明するかと思う。

私は、マニエリスムという言葉が暗示するわざとらしい技巧を考慮に入れたくはない。……私がいま語っている画家たちの本質的な特徴は、約束を嫌うということだ。このことのみが、彼等に、エロチスムの熱っぽさ——というのは、エロチスムの発散する呼吸できぬほどの熱っぽさのことだが——を好ませるのである…… 本質的にいえば、私のいま語っている絵画は、沸騰している。それは生きており……燃えているのであって、判断や分類の要求する冷ややかさをもってそれについて語ることは、私にはできない……。

G・バタイユ、森本和夫訳『エロスの涙』(現代思潮社、1976年)、194ページ。

「緑色の花」について、①宮谷が緑色を好んでいたこと、②COM増刊号の『性蝕記』インタビューでオスカー・ワイルドの「緑・毒・ペン」に触れて緑は狂気の色であると述べていること、➂『緑色研究』で名高い歌人・塚本邦雄に「例外的な天才」と評されたこと、など綜合するとそれらしい答えを出すことはできる。しかし宮谷は「わざとらしい技巧」を超えた、「沸騰している」激飢餓(げきが)家なのである。こうした「判断や分類の要求する冷ややかさ」をグロテスクに溶解してしまう激情が宮谷のエッセンスであったことは間違いない。

ただ、呪われたダイダロスもまた鎌首をもたげている。「人力死行機」(初出『プレイコミック』1971/7/10)では、手淫の上下運動で天空に浮かび上がる呪われた「独身者機械」(ミッシェル・カルージュ)が考案されている【図6】。

図6 宮谷一彦「人力死行機」、『性紀末伏魔考』126ページ。寺山修司の演劇作品『人力飛行機ソロモン』のタイトル引用からも分かるように、『性紀末伏魔考』は寺山的なグロテスクな土着イメージに支配されている。

バタイユ的エロスの「熱っぽさ」に突き抜けていきそうで、「ダイダロスの機械-芸術の輪郭づけようとする攻撃」(ホッケ)の冷たさにそれは阻まれているのだ。バタイユで「緑色なる花弁」は説明できても、「人力死行機」は説明できない。宮谷のキャリア史上、ディオニュソスとダイダロスの格闘がもっとも烈しく行われたのが『性紀末伏魔考』であった。

「蛍雪時代」——バタイユ的エロスの行き着いた迷宮

駕籠真太郎論でも確認したように、ディオニュソスの生成とダイダロスの輪郭付けが衝突するとき「迷宮としての世界」が生まれる。おそらく宮谷一彦のエロスの迷宮がもっとも複雑骨折(?)したものとして、「蛍雪時代」(タッチ、1971/12)をあげることができる。この不思議な物語は、包帯でぐるぐる巻きにされた男が真っ白い背景の中で目覚めるシーンから始まり、肉体を失って観念のみの存在になった彼は、最終的に「これこそ僕(僕の観念)が遂に到達し得た究極の肉体(肉体の観念=観念の肉体)」と称するおぞましい自画像=毒虫に変貌する【図7】。内容とそのエッセンスを四方田犬彦が見事に抽出しているので引用しよう。

図7 宮谷一彦「蛍雪時代」、『性紀末伏魔考』208-209ページ。「あらゆる事物を吸収するばかりか、みずからの映像までをも吸収してしまうため、けっして見定めることができないブラックホールに似た存在として、宮谷一彦はある畏怖の感情とともに漫画史に記憶されている」(四方田犬彦『漫画のすごい思想』115ページ)。

交通事故で肉体を完璧に毀損し、不死の精神だけになってしまった主人公が、想像力によって思うがままに世界を創造することに成功する。彼は無限の快楽を求めて自在に自分の身体を改造し、究極的に何十ものペニスと肛門をもった、巨大な昆虫の幼虫のごとき存在へ変身する。いうまでもなくこれは、手塚治虫の『火の鳥・未来編』の主人公、無限の生命を得て、地球上の生物たちの栄枯盛衰を見とどけるまでにいたった〈神〉の、グロテスクなパロディである。

四方田犬彦『漫画のすごい思想』114-115ページ。【図8】
図8 手塚治虫『火の鳥 2未来篇』(小学館クリエイティブ、2013年)より。手塚創刊の『COM』でデビューした宮谷一彦は、ことあるごとに「マンガの神様」を冒瀆する。

観念だけの存在になる、ということは「観念的戦闘左翼」を自称した宮谷が攻撃対象を見失って右も左もわからない世界に迷い込んだことを意味する(右翼の大物の娘・直江と結婚したのはこの作品が発表された年である)。サルヴァドール・ダリの「大自瀆者(Le Grand Masturbateur)」【図9】を参照したと思しき、ペニスと肛門を繋ぎ合わせた自慰にふけるグロテスクな怪物の自画像(例のウロボロス像の戯画化)は、ある意味で自己懲罰的ですらある。

図9 Salvador Dalí, Le Grand Masturbateur (1929). どろどろメルトダウン・カルチャーにおいてダリは重要な位置を占める。

ナルシシズムの象徴であったはずのウロボロスも、手塚治虫が生命賛歌として描き上げた『火の鳥 未来篇』も、そして「死にまで至る生の称揚」をことほいだバタイユ思想すらも、ここではすべてが嗤いの対象としてコケにされている。不信、懐疑、倦怠、自己愛、自己憐憫、絶望のアマルガム……宮谷の陥った狂気の質を、ホッケが見事に言い当てている。

ディオニュソスは狂気Maniaの神、過剰の、セックスの神であり、メランコリーの、死の神でもある。神と人間の子であるディオニュソスは[中略]矛盾と変身の神、無限のメタモルフォーズの、現存在の謎めいた無定形の、絶望とその陶酔のうちなる超克の神でもある。ディオニュソス的人間は、ニーチェによれば、〈ハムレットと相通ずるところ〉がある。両者とも事物の本質を認識しており、行動することに嘔気を催す。〈残酷な真実〉の認識にたいしては〈もはやいかなる慰めも役に立ちはしない〉。芸術のみがかろうじて救いとなりうる。しかも〈恐怖の芸術的訓致としての崇高と不条理の嘔気からの芸術的解放としての滑稽と〉が。

グスタフ・ルネ・ホッケ、種村季弘訳『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術』(平凡社、2012年)、348-349ページ。

「出口なし」の状況に気づき、「行動することに嘔気を催す」に至った宮谷の陥ったサトゥルヌス的憂鬱、そしてディオニュソス的狂気は、エロスのいやはてである「現存在の謎めいた無定形」、全身でオナニーと肛門いじりに耽るグロテスクな毒虫にメタモルフォーズする——マニエリスム理論家エマヌエーレ・テサウロが語るように「狂気とは、ある事物を他のものに変容させる能力の譬えにほかならない」。ある朝目覚めたら昆虫に変身していたグレゴール・ザムザに対して、彼は自分に羽根がついていることを知らなかった、と言ったのはナボコフであったが、宮谷の描く毒虫にはそのような外部への脱出可能性、希望の想像力は介入の余地もない。頭部と尻尾がおぞましく結ばれた、「出口なし」の狂気の迷宮。

たしかに宮谷一彦が情念型の、実直にバタイユ思想を生きた男であったならば、ここでジ・エンドであろう。種村季弘が言うようにバタイユ思想は年を取るとやれなくなる「絶滅への渇望」(ニック・ランド)であり、割腹した三島由紀夫が正しく認識していたように、バタイユ思想は華々しい死をもって完了する(なお私がここで語っているのは「60年代バタイユ」であり「学者バタイユ」ではない)。死ねないのだとしたら、アンフォルムな生と快楽の追求はどろへどろ状の「蛍雪時代」の化け物にぐずぐず滞留し、みじめに生き続けるしかない。「性葬者」で腹にためらい傷を残しておめおめと生き延びた主人公は、宮谷一彦の自己認識であり、その成れの果てがあの幼虫だった。宮谷は「バタイユを生きた」のではなく、正確には「バタイユを生き損ねた」と評価するべきではないか。しかしこの挫折こそが、すなわち「マニエリスムとは狂熱の追求なのだ!」というバタイユ的生を裏切ることで、宮谷はホッケのいう「二重の顔」をもつマニエリスムへの道を開いた。

根源的であると同時に作為を凝らしているようなものが発現してくる。すなわち、マニエリスムの秘密の一半をなす、誇張と省略の得意な相互干渉であり、激情と冷たさ、陶酔と慎重、情熱と計算、貪欲と節制、暴露症と秘文字法、露骨と謎めかし、破廉恥と沈黙、生の享楽と死の不安、淫蕩と神秘思想、悪魔憑きと敬虔主義、共感と自己中心主義、過剰と無気力、精神錯乱と論理癖、神の希求と反-宗教性、伝記的自己-顕示と謎めいた自己-韜晦、グノーシス的猥雑と恋愛的貞潔、審美的主観主義と極端な形式崇拝などの結合である。……こうしたタイプの問題的人間こそは、矛盾形容の相反の、一身併合の、まさに化身であるように思われる。

ホッケ『文学におけるマニエリスム』408-409ページ。

「激情と冷たさ」「露骨と謎めかし」「性の享楽と死の不安」「過剰と無気力」「精神錯乱と論理癖」などなど、ホッケのリストする矛盾対立のほとんどに宮谷があてはまることがわかる。このようなパラドックスを孕んだ問題的人間にしかマニエリスムは胚胎しない。

「生戀」——耽美幻想(塚本邦雄)の彼方へ

燃え尽き、バタイユを生き損ねてなお、宮谷は生き延びた。『とうきょう屠民エレジー』では哀愁漂う中年男性たちの人生を、まだ二十代であったはずの宮谷が見事に描き切っていて、「晩年の思想」(花田清輝)として高い評価を与えることができる(BSマンガ夜話でも夏目房之介はこの作品集を最大に評価したいと語っていた)。そのあと、台頭するニューウェイヴ大友克洋への逆張りとして、やや無理をした感は否めない作品『肉弾時代』が続き、「〈馬鹿〉バロック」(呉智英)と呼ぶべき過剰な肉体描写を達成した(本作を宇田川岳夫は最大に評価している)。

ただ、私が高く評価したいのは『ガロ』に1977年から6回にわたって連載された「生戀」なのである。連合赤軍あさま山荘事件を下敷きに、軽井沢の別荘での妻(西山直江がモデル)との隠遁生活を描いた、私小説ならぬ私マンガである。第一話を掲載した『エロマンガ・マニアックス』(太田出版)の編者が語るように、「ネームを含めた作品全体から匂い立つ淫靡なエロチシズムは、直情的なエロ劇画の比ではない」。

ある意味で、宮谷一彦が吹っ切れた作品に思える。宮谷はこのとき30代を超えている。20代の宮谷作品を覆っていた熱っぽさや脈打つ血気、気鬱症と剥き出しのニヒリズムが、一気に凍ったオブジェクティブなエロティシズムになる。暴力性・流血性よりも耽美性・幻想性に重きが置かれているのは、バタイユから塚本邦雄への関心の推移を物語っている(宮谷のこの路線は塚本邦雄および三島由紀夫に捧げられた『孔雀風琴』にのちに続いていく)。

主人公=宮谷は独白する。「葬る…時期がやって来た…終った私は手を引かねばならない…おぞましい野心の滾るルーレットに賭けた時代を 非合理な自意識への熱狂と…あるかナシかの才能と自己の破壊活動のままに犯してきた罪を…チップにすり換えて」。葬られた「非合理な自意識への熱狂」? すなわちバタイユから完全撤退することによってこの作品は成立している。『とうきょう屠民エレジー』で、燃え尽きていく時代の狂熱、自らの喪失されていく活力や若さを、どんづまりの中年男性のドン・キホーテ的悲哀にかこつけるような、その枯れた老人趣味は、後ろに手を回して散歩する若者のようなあざとさを残していたが、ここでは青年と中年の狭間の30代にふさわしい表現を見つけているとわたしは思う。

「風は表層のゆるやかな感情なのだろうか…」という主人公の独白に顕著な、エーテル体が充満したエアリアルな空気感に山は包まれていて、それまでの宮谷作品の都市の非情さや過密とも、村落共同体の怨念めいた土着世界とも切り離されている。つねに地上から数センチ浮遊しているような微熱を帯びている。

第一話には、とりわけ目を引くイメージが五つある。まず扉絵の、裸で宙に浮かんでいる男のヴィジョンである【図10】。

図10 宮谷一彦「生戀」、山田裕二+増子真二編『エロマンガ・マニアックス』(太田出版、1998年)35ページ。

高山宏『庭の綺想学』(ありな書房)表紙に選ばれた建石修志の裸で仰向けに宙に浮いている少年を思い出させる【図11】。

図11 マニエリスム画家・建石修志による高山宏『庭の綺想学』(ありな書房)表紙。

錯綜混迷を極める地上から離脱する「浮遊する世界」をマニエリスムの特徴としたホッケの洞察も思い出され、最初のページからこれは建石のような硬質で玲瓏な耽美幻想の世界に足を踏み入れたことが予告される。「「死して成れ」を会得しない限り、お前はこの暗い地上の憂鬱な客に過ぎないのだ」というゲーテの引用は、宮谷がサトゥルヌス的憂鬱を抱え込んだ土星の星の下に未だあることを物語る。

二つ目は、窓の露をぬぐう手の、異様に克明な主観ショットである【図12】。

図12 宮谷一彦「生戀」、山田裕二+増子真二編『エロマンガ・マニアックス』(太田出版、1998年)36-37ページ。

ヘンドリック・ゴルツィウスのユダの手のデッサン【図13】のように、手(マヌス)を語源とするマニエリスムにとって、手を描きこむことはエッシャーの「手を描く手」式の自己言及(セルフ・リフレクション)的な行為なのだ。扉絵に続いて、「超(ウルトラ)-主観主義的マニエリスム」(ホッケ)の内省的世界に入っていくことが冒頭から予告されている形になる。

図13 Hendrick Goltzius, Goltzius’ rechterand, 1588, Haarlem, Teylers Museum. ホッケ『迷宮としての世界』でもセレクトされた一枚。

三つ目は、裸の妻の後ろ姿を眺めながら、それを水滴状のフォルムに還元してしまうところ【図14】。

図14 宮谷一彦「生戀」、山田裕二+増子真二編『エロマンガ・マニアックス』(太田出版、1998年)48-49ページ。

ここには情念先行のバタイユ的「アンフォルム」の不定形のエロスよりも、明晰でカチっとした「フォルム」への関心が見られる。種村季弘が指摘したように、『エロティシズム』を翻訳した澁澤龍彥がバタイユから関心を失っていったのは、バタイユに幾何学的想像力=フォルムが欠落していたからであるが、宮谷も同じ軌道を描いているように思える。

四つ目は倒立した樹木人間【図15】。

図15 宮谷一彦「生戀」、山田裕二+増子真二編『エロマンガ・マニアックス』(太田出版、1998年)38-39ページ。

フェリックス・ラビス『放蕩娘』(1943)のシュルレアリスム絵画【図16】や、岡井隆『マニエリスムの旅』表紙に描かれた血管人間を思い出させ、宮谷のヴィジュアル・ストックの豊富さを例証している。

図16 Félix Labisse, La Fille prodigue (1943). この一枚はバタイユ『エロスの涙』にも選ばれているので、宮谷が目を通した可能性が高い。

最後はハサミ、女、死神、薔薇、注射器、椅子のコラージュ【図17】。

図17 宮谷一彦「生戀」、山田裕二+増子真二編『エロマンガ・マニアックス』(太田出版、1998年)50-51ページ。宮谷マニエリスムの最高到達地点を示す傑作見開き。

天地をグリッドで構成された幾何学的空間(扉絵の空間と同質のもの)であり、女をハサミで切り刻む暴力的なイメージでありながら、ここには静謐な美がみなぎっている。ニュートン・デカルト的にグリッド化された世界像を否定し、それを歪めていくのがバロックの猥雑な力であったが、むしろ猥雑さを幾何学的に冷たく囲繞するのはマニエリスムへの傾斜であり、のちに連載で見るひさうちみちお「帽子屋と迷路」の幾何学狂いの系譜に連なる。

『性蝕記』『性紀末伏魔考』にもこうしたシュルレアリスムふうの手法は用いられていたが、どこか暗く、肉体同士がじめっと絡み合って、怨念と腐敗臭がこもっていたが、それが一気にカラッと乾いて、「優美と秘密」(ホッケ)の世界に向かった。もはや肉弾も流血もない。歌人の塚本邦雄の短歌結社の名を借りると「玲瓏」たるクリスタライゼーションされた世界なのである。

主人公は山の中に籠った理由を、以下のようにモノローグする。「いつからか私は病んでいた 平癒の見込みもしれない程に 生はたえず不安にいろどられ ゆえにあの甘美な安息は獄の内でしか味わうことができなかった…」。この山の獄にて、サトゥルヌス的憂鬱者・宮谷は「光輝く意識的な孤立」(オリーヴァ)にいよいよ到達する。

世の中に対して孤立した態度を取ることだけがマニエリスム芸術家にとって唯一の防御手段となった。光輝く意識的な孤立、それはすなわち、プロモントの心気症然り、あるいはまた、ブロンツィーノやパルミジャニーノの疲労感漂う奇抜さ然りである。自分では世の中に生気を吹き込めぬと悟ったとき、彼らは作業の過程で隠喩を盛り込み、作品に緊張と歪みを充満させる。それに命を捧げてもあらゆる葛藤を直ちに解くことが許されぬというならば、それこそ最初の防御手段とは孤立しかありえない。

アッキーレ・ボニート・オリーヴァ、平井敏晴訳「裏切者のイデオロギー」、後藤護+高山えい子編『機関精神史5号』(2023年)、142ページ。

30代の宮谷は、自らの傷ついた魂を守るための孤絶の技術として、バタイユ的「低級唯物論」ではなく、耽美幻想の凍った隠喩とエロスを選びとった。世界はダイレクトではなく、「生戀」の主人公が曇ったガラス越しに世界を眺めるような、玻璃質でフラジャイルなものに変貌していく。そのようにしてしか、もはや宮谷は世界をまなざすことはできなかったのだろう。こうして極まった耽美幻想は、バンドデシネのようなアート漫画『孔雀風琴』で十全な完成を見ることだろう。

後藤 護

後藤 護

暗黒綺想家。blueprintより新刊『悪魔のいる漫画史』が刊行(表紙画:丸尾末広)。『黒人音楽史 奇想の宇宙』(中央公論新社、2022年)で第一回音楽本大賞「個人賞」を受賞。その他の著書に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン、2019年)。未来の著書に『博覧狂気の怪物誌』(晶文社、2025年予定)、『日本戦後黒眼鏡サブカルチャー史』がある。