綺想とエロスの漫画史

08 『幽☆遊☆白書』論【前篇】——冨樫義博のダークフェティッシュなゴシック美学

後藤 護

黒い龍とおさなごころ

1988年生まれの筆者は冨樫義博をどう受容したか?

『HUNTER×HUNTER』(1998年連載開始)の世代になる。連載第一話から読んでいて、キメラアント篇でのカイトの生首には——60年代生まれの『デビルマン』世代にとってのヒロイン美樹ちゃんの生首くらいには——ショックを受けた。主人公ゴンの兄貴分的キャラ・カイトが久々に登場するや物言わぬ生首にされ、敵方の実験材料に……夕方に読んでひどく気が沈んだのを覚えている。ネフェルピトーのあまりの凶悪な強さに、戸愚呂100%を見た静流のように「あかんわ ありゃ人間じゃ勝てん」(『幽☆遊☆白書』12巻)と絶望したのにくわえ、友情・努力・勝利というジャンプ三大要素をどう加減乗除しても算出されないダークさに怖気づいたものだ。他のジャンプ連載陣にはない「猟奇」と「狂気」を束の間見せてくれたのが富樫先生だった。

とはいえ、冨樫義博の名を知るより前に、つまり『HUNTER×HUNTER』よりも先に筆者は冨樫作品に出会っていた。小学生になるかならないかの頃に見た、『幽☆遊☆白書』のアニメ放送である。『幽☆遊☆白書』原作のドンピシャ世代は僕よりちょうど10歳くらい上のお兄さん世代なのだが、黄金の幼少時代に見ていたアニメのせいか、『HUNTER×HUNTER』よりも後追いで読んだ『幽☆遊☆白書』原作のほうに不思議と心惹かれるものがある。90年代に仙台市で見ていたアニメが再放送だったのかよく分からないが、覆面をつけた戦闘美少女がじつは若返った幻海師範だったとか、心優しき蔵馬がモクモクと煙に包まれて残酷で艶やかな妖狐に変身するさまをアニメーションで見ながら、当時の小学生は「エロティックとはメタモルフォーズの理論である」(澁澤龍彥)に早々触れることになり、妙にときめき、うずうずしたものである。

とりわけアニメ版第58話「究極奥義! ほえろ黒龍波」の記憶は鮮烈だ。マンガ史上もっとも厨二病くさいとも評される飛影の必殺技「邪王炎殺黒龍波」(このおさなごころを刺激する響き!)が丸々一話堪能できる回で、その「黒さ」に筆者は陶然とし、以後この技名を何度叫んで右手を突き出したか分からない。ちなみに筆者は36歳になった今でもたまにやる。おさなごころを取り戻した筆者は、思わず原宿のブランドjouetieと幽白のコラボした飛影Tシャツを購入したほどである【図1】。

図1 jouetie×『幽☆遊☆白書』コラボの飛影Tシャツ。原宿ブランドらしいストリートなワイドシルエットのサイズ感。セーラームーンをアイコンにしたフューチャーファンクの登場以来、日本のオタクカルチャーは海外のサブカルチャーによる「第三の目」(エドワード・ヤン)によって〈異化〉された。オタクVSサブカルチャーの対立図式を無化するリゾーム状のバロック空間が生まれている。

原作をはるかに凌駕するこの気合の入った58話は、のちに『さよなら絶望先生』『魔法少女まどか☆マギカ』などの深夜アニメの傑作を監督することになる新房昭之の若かりし頃の手になるものだったというから、少年は『幽☆遊☆白書』アニメを通じて早々とオルタナティヴな表現に触れていたことになる(そして絶望先生アニメの主題歌を歌っていた大槻ケンヂさんとまさか対談できる日が来るとは)。

のちにドラコニア(龍の国)の人・澁澤龍彥に夢中になった筆者には、少年のころに見た「黒い龍」の記憶がこびりつき、今でものたうち回っている。この龍を鎮めるために、澁澤死去の翌年である1988年=「辰年」に生まれた筆者は邪王炎殺黒龍波を論ずるより他ないのである。戸愚呂100%でもいちご100%でもなく、幼形成熟100%して小学二年生に〈進化〉した私の必殺技論である。しかし「龍」に至る準備段階として、前篇では『幽☆遊☆白書』の「黒さ」に降りてゆこう。

冨樫義博のゴシック美学

『幽☆遊☆白書』は『ドラゴンボール』『スラムダンク』と連載時期が重なっていた、いわゆる「ジャンプ黄金時代」の代表的作品であり、老若男女に知れ渡った国民的人気作品である。とはいえ、他の作品にはないこの「黒さ」は何なのだろう。『ドラゴンボール』の天下一武闘会をダークに染め上げた、暗黒武術会篇で『幽☆遊☆白書』の人気は絶頂に達したというから、やはり「暗黒」は一つキーワードなのである。

まずもって闘技場の造形が、そそり立つ男根(しかも包茎)に取り囲まれた、有機物と無機物が混ざり合ったH・R・ギーガーの美学なのである【図2】。

図2 有機物(男根)と無機物(メタル)の融合した暗黒武術会の闘技場はギーガーの暗黒美学に基づいている。包茎を差別しない悪魔的恋(いと)しさとせつなさと心強さ(冨樫義博『幽☆遊☆白書 9巻』集英社、1993年2刷、114-115ページ)。

冨樫義博がもっとも好きな映画は『エイリアン』で敬愛するアーティストはギーガーであるから、子供たちは知らぬ間にギーガーの暗黒美学に接していたのだ【図3】。

図3 H・R・ギーガー「エロトメカニクスⅤ」(1979年)。金属ヴァギナに金属ペニスが挿入された異形の建築物。このギーガー美学は暗黒武術会の闘技場に引き継がれ、90年代キッズたちを暗黒啓蒙した(『HR・ギーガー Arh+』TASCHEN、2007年、83ページ)。

この暗黒の建築物に呼応するように、戸愚呂チームの「黒さ」には陶然とさせられた。とりわけ全身黒服に身を包み、口元を覆う鋼鉄のマスクを装着し、美しい黒髪をなびかせながら蔵馬を蠱惑しかつ挑発する鴉(カラス)は、その名がE・A・ポーのゴシック詩「大鴉」を響かせる漆黒のダンディーであった。二人の関係がいわゆる腐女子に当時大受けしただろうことも想像に難くない【図4】。

図4 蔵馬のヘアチェックをしたのち、「やはり私は五人の中でお前が一番好きだよ」と鴉が囁きブロマンスを予感させる(『幽☆遊☆白書 10巻』集英社、1993年、151ページ)。

戸愚呂チーム唯一の人間であった謎のギャンブラー左京、そして彼の「賭け」に乗る黒眼鏡の戸愚呂弟の二人が並ぶ姿もおさなごころにグッときた。自らの死に場所を探しているような二人の破滅の美学は、少年には分からない「大人」が語る言語で、その謎めいたヒエログリフはいまだに解読できないままだ。「あんたには美学がなさすぎる」(左京)といって卑劣な手段を弄した主催者・豚尻の頭を戸愚呂がデコピンで吹き飛ばし、「オレは品性まで売った覚えはない」(戸愚呂弟)と言って自らの兄を殴りつけ木端微塵にする黒いモラルから、逆説的に真の悪役には高潔な魂のステージが求められると知った【図5】。

図5 幽助との神聖なバトルにしゃしゃりでる野暮極まりない兄を、余裕の片手パンチで粉砕する戸愚呂弟の粋(スプレッツァトゥーラ)にマニエリストの貫録を感じる(『幽☆遊☆白書 12巻』集英社、1994年10刷、44ページ)。

地上と魔界を繋ぐトンネルづくりに暗い情熱を傾け【図6】、崩れゆく暗黒武術会場とともに死んでいく左京の意地(言うまでもなく「粋」の語源だ)にこそゴシックの名を与えたい。

図6 魔界と人間界をつなぐトンネルをつくり、世の中に渾沌をもたらす黒い情熱に突き動かされるギャンブラー左京。猫を解剖していた左京少年のサイコパスぶりが大人になって「黒い脳髄」(ヴィクトル・ユゴー)に至り、血で血を洗う暗黒武術会の開催に至る(『幽☆遊☆白書 11巻』集英社、1993年、34ページ)。

そしてあれだけ幽助を苦しめた戸愚呂弟が、バトル漫画の「強さのインフレ現象」の宿命でのちのちB級妖怪の烙印をコエンマに押され、「戸愚呂じつは弱え」とネットでは議論を呼んでいるが、そのような見方自体がZ級読者の証拠であり、戸愚呂はその美学と高潔さをして「S級キャラ」なのである(黒眼鏡キャラとしての戸愚呂の革命性は『日本戦後黒眼鏡サブカルチャー史』で深掘りする)。

あまりにも有名な戸愚呂の黒眼鏡とマニエリスティックな筋肉描写には、紛れもなく『ターミネーター』のシュワルツェネッガーからの影響が見られるが、マンガ史的に見れば宮谷一彦、ふくしま政美の肉弾劇画、およびその少年誌的な発現である『北斗の拳』の系譜の、過剰と誇張の過密な描線を受け継いだとも言える。だが一方で、大友克洋や楠本まきのような余白をいかしたスタイリッシュかつゴシックなページフェイス作りにも富樫は天才を発揮した。仙水篇で蟲寄市が黒い半円球に包まれる描写は大友の『AKIRA』そのものだし【図7】、コミックスの合間を縫うようにして挟まれたカットには楠本まきの美学に接近するものが多い【図8】。

図7 『AKIRA』を思わせる黒い半円球。荒俣宏『帝都物語』や永井豪の伝奇ロマンものにも通じる、都市を魔の力で暗黒に染め上げるサブカル的想像力の変遷が気になる(『幽☆遊☆白書』集英社、1993年、176-177ページ)。
図8 楠本まき風のスタイリッシュなゴシック美学。幽助がサングラスをかけたサービスカットが多くみられる(『幽☆遊☆白書 9巻』集英社、1993年2刷、110ページ)。

とりわけコミックス最終巻に掲載された登場人物たちのイラストは、富樫ゴシックの極北と呼べる美しさで、ギュスターヴ・モローや天野喜孝を思わせる耽美幻想派の風情さえある【図9・10】。

図9・10 コミックス最終巻の巻末に添えられた23枚のイラストはどれもため息が漏れるほど絶品。とりわけ飛影を描いたものは天野喜孝(すなわちファイナル・ファンタジー)のデカダンス美学に接近している。最後の一枚では「睡眠薬と屋上 どっちにしようかな♡」と発言する人物が描かれ自殺がほのめかされ、国民的人気マンガの掉尾を飾るにはユーモアがブラックに過ぎる。冨樫義博の連載終盤の精神的疲弊のすさまじさを物語る(『幽☆遊☆白書 19巻』集英社、1994年、ページ付なし)。

富樫本人は『パタリロ!』の影響を公言しているが、魔夜峰央が耽溺したビアズレーのことを考えると冨樫義博のゴシックでデカダンな描線も腑に落ちるところが多い。加えて仙水篇で戸川純の名前が言及されるが、2017年に戸川純のバンド「戸川純 with Vampillia」のイラストも富樫は手掛けていて、「ヴァンパイラ」の響きに引っ張られたところもあってゴシックで耽美的なテイストあふれるものだとつけ添えておこう【図11・12】。

図11・12 冨樫義博の描いた戸川純 with Vampilliaのイメージ画。樹が死ぬ前に『ヒットスタジオ』の戸川純を見たかったと仙水に漏らすのにくわえ、『HUNTER×HUNTER』のコミックスの合間にも、クラピカがイントロドンで戸川純「玉姫様」と回答する三コマ漫画があった。冨樫義博が戸川純ファンであることは疑いなく、ダークな者同士の引き寄せの法則を感じる(戸川純事務所のXポスト〔2017年1月1日〕より)。

とにかく相矛盾する二つの系統(肉弾マンガと耽美マンガ)を統合したところに冨樫義博の独自性を見てよいと思う。

そしてやはりアニメ版『幽☆遊☆白書』ED曲である、高橋ひろ「アンバランスなKISSをして」に、小学生であった筆者がどれほどウットリしたか告白しなければならない。

「割れた鏡の中 映る君の姿/泣いている 泣いている/細い月をなぞる指」

というリリックに始まるこの曲に暗黒のフラジリティー(儚さ)を感受し、窓辺で頬杖をついてメランコリー(ないし手淫)に耽っていたら、隣の家のおっさんが屋根の上で雪かきしていて、目が合った。雪かき中の転落事故というデスな殺傷力のニュースが東北に冬の到来を知らせる。両親が短大出で文化資本ゼロ、周りはズーズー弁の田吾作だらけの山形県の寒村のさくらんぼ農家の倅である野生児たる私は、プールの更衣室で勃起したペニスにどれだけ重いものをひっかけられるか競い合いに参加させられ、スカムなガキ大将に100レベルまで育てたポケモンをヘッドロックで締め上げられ無理やり奪われるという野卑なゴート族に囲まれた少年時代を過ごした男であり、生き延びるには耽美的ポーズがどれだけ危険なことであったか想像してみてほしい。なぜこのようなヒルビリー・エレジーを披露したかと言えば、富樫先生は私と同郷の山形県の出身で、山形大学のセンパイでもあるからだ。

やりすぎなくらいに耽美的な作風のこの楽曲が、『幽☆遊☆白書』に重ねてそれほど違和感がないということは、逆説的に富樫ゴシックの耽美性を証明するものだろう。耽美的であることは全く恥ずかしくない。美しいものを愛するあなたは、誇るべき「精神の貴族」だと若い世代に伝えたい。「ゴシックであること」は出自や階級に一切関係ない。「あんたは由緒正しき百姓の血筋よ」と後藤栄子(筆者の母)に言われた私もまた「大地の貴族」(中沢新一、が言ってそう)なのである。

冨樫義博の残虐行為展覧会

良いことを言ってしまったので、バランスをとって悪いことを言おう(?)。ゴスバンドのジョイ・ディヴィジョンに「残虐行為展覧会(Atrocity Exhibition)」という楽曲があるように、残虐はゴシックのキーワードでもある。冨樫義博の「残虐」と「猟奇」が爆発するのは、先述したようにネフェルピトーによってカイトが生首にされ、ポックルが脳みそをいじくられる『HUNTER×HUNTER』のキメラアント篇であるのだが、『幽☆遊☆白書』にすでにその萌芽がいたるところに見られる。

物語後半の「魔界の扉篇(仙水篇)」でそれは顕著だ。元霊界探偵であった仙水忍がみずから廃業するきっかけとなった、デカダンな金持ち人間たちが低級妖怪を呼び寄せて拷問・惨殺に打ち興じる地獄絵図がまずそれ【図13】。

図13 妖怪より遥かに残虐でデカダンな人間たち。仙水の正義感にひずみが生じた瞬間(『幽☆遊☆白書 14巻』集英社、2001年37刷、170-171ページ)。

仙水はこれを目の当たりにして、妖怪より人間がひどく劣っていると考えるに至り、魔界の扉を開いて人類に阿鼻叫喚の地獄を味わわせて絶滅させようとする。人間の歴史における目を覆いたくなる残虐行為のグレイテスト・ヒッツたるビデオテープ「黒の章」なども出てくるが、これはクローネンバーグ『ビデオドローム』などにも見られる80年代の都市伝説的なスナッフ・フィルムの影響もあるだろう。

蔵馬の残虐さが黒光りするのも仙水篇だ。戸愚呂弟にブッ飛ばされて粉々の肉塊になったはずの戸愚呂兄がじつは生きていて、再び相まみえるのだが、倒し方がじつに粋なのである。蔵馬の呼び寄せた邪念樹という妖異植物に取り込まれた戸愚呂兄は、植物がつくりだす蔵馬の幻影と血みどろの戦いを続けねばならないのだが、肉体の再生能力のせいで自ら死ぬこともできず、永遠の苦しみを味わう。蔵馬の決めゼリフは、万死に値する鬼畜に対しても「死ね」と言ってはいけないことになっている令和SNS社会のノンセンスなルールをブレークスルーする可能性を示すものだ——「お前は死にすら値しない」【図14】。

図14 「死ね」と言ってはいけない時代に蔵馬の「お前は死にすら値しない」はルールに背くことなく反逆する、極めて知的なマニエリスム的戦略となり得る。カール・クラウスが言うように「検閲官にもわかるような諷刺なら禁止されてもやむを得ない」。令和のカウンターは弾圧する側をはるかに上回るウィットと知性が求められる(『幽☆遊☆白書 15巻』集英社、2001年33刷、202-203ページ)。

これはルールに反していない、がしかし華麗でインテリジェンスあふれる反抗的スタイルであることは間違いなく令和にこそふさわしい。

とどめを刺すのは「血が噴き出す寸前の 真赤な肉の切れ目が好きで 悲鳴を聞くと薄く笑うそんな子供だった」(「それぞれの一年 飛影 後篇」、『幽☆遊☆白書』18巻収録)とのたまう飛影である。魔界の三大勢力の一人である軀(むくろ)の直近兵士になった飛影であったが、彼女の忌まわしい過去が「SPECIAL DAY」(19巻収録)で明らかとなる。奴隷商人・痴皇によって0歳で腹を改造され性奴隷とされた軀は、そのトラウマ的体験に日々煩悶し、逆境をバネにして誰にも負けない強さを獲得した。しかしなぜか彼女は痴皇を殺さない。殺意に駆られると、幼少期に愛情を注がれたという疑似記憶が発動するようにブレインウォッシュされていたからで、飛影はそれを突き止める。そして『幽☆遊☆白書』で最も残虐なシーンが現れる。寄生植物のヒトモドキと融合し、植木鉢に植えられたすっ裸の痴皇が姿を現すのだ【図15】。

図15 軀を性奴隷として弄んだ幼児嗜虐者・痴皇をあえて殺さず、痛みと苦しみを半永久的に与え続けるダーク・マクドナルド的なハッピーセット。まさに「お前は死にすら値しない」(『幽☆遊☆白書 19巻』集英社、1994年、104-105ページ)。

宿主が傷つくと植物の再生能力で傷は元通りになるため、宿主の脳を破壊しない限り半永久的に痛みと苦しみを与え続けることができる夢の玩具だ。飛影は「気が済めば殺したらいい」「ハッピーバースデイ」と言って不敵な笑みを浮かべ、軀にプレゼントする。軀は優しい彼氏に慰められたような笑顔を浮かべる。猟奇の極み。

このように、蔵馬と飛影の二人は、永久に死ねない相手に対して、永久に痛みと苦しみを与え続けることができる悪魔の発明を行った。冥府の神タルタロスによって車輪上で刑罰を永久に受け続けるイクシオン【図16】のように、これら独身者機械(マシン・セリバテール)は痛みと苦しみを原動力として回り続けるだろう。

図16 冥府の神タルタロスによって車輪上で永劫回帰的な拷問を受け続けるタルタロス。ミシェル・ド・マロル(1655年)によるバロック的明暗対比が恐怖を増幅する。蔵馬と飛影の拷問的想像力はこの末裔に位置する。

その「人でなし」(ポストヒューマンの訳語)の永久運動に生ぬるい人間性の入り込む余地などない。ブラックユーモアの達人・筒井康隆の影響を受けた冨樫義博はやはり「黒い」。

以上、『幽☆遊☆白書』におけるゴシックでブラックなテイスト(暗黒、耽美、残虐)を確認した。これを前提として、後篇ではいよいよ飛影の「フラジャイル」(松岡正剛)な闇の力、ならびに邪王炎殺黒龍波について小学二年生のように論ずる。最後に、「もうすぐ地獄のフタが開く」とは蟲寄市に魔界の扉が開きかけたときに飛影がもらした言葉だが【図17】、これはまるでG・R・ホッケのマニエリスム美学書『迷宮としての世界』に三島由紀夫が寄せた惹句「地獄の釜びらき」を残響させている。

図17 地獄の釜が開かれる……。『ベルセルク』の「蝕」にも通じる闇のヴィジョン(『幽☆遊☆白書 15巻』2001年、33刷、64-65ページ)。

三島はこう続けた。「マニエリスムの再評価は、われわれがデカダンスの名で呼んできたものの恐るべき生命力を発見し、人類を震撼させるにいたるであらう」。後篇では、黒い龍はゴシックを越えてマニエリスム的地下世界の具現であることが確認されるであろう。

後藤 護

後藤 護

暗黒綺想家。blueprintより新刊『悪魔のいる漫画史』が刊行(表紙画:丸尾末広)。『黒人音楽史 奇想の宇宙』(中央公論新社、2022年)で第一回音楽本大賞「個人賞」を受賞。その他の著書に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン、2019年)。未来の著書に『博覧狂気の怪物誌』(晶文社、2025年予定)、『日本戦後黒眼鏡サブカルチャー史』がある。著者近影は駕籠真太郎による。