採U記

第1回  UFOを呼べるようになる

日下慶太

 これは私がUFOを呼んでいる時に起こった様々な不思議な体験を綴る記録である。私はUFOを呼ぶことができる。UFOを呼ぶためのバンド『エンバーン』のリーダーでもある。興味本位から始まったが、10年ほど続けてみて改めて、このUFOを呼ぶという行為を通して私は神に近づこうとしているのではないかという気になっている。

 性欲の減退とともに聖欲が高まってきた。私は聖者になりたい。聖者となって死にたい。神に近づきたい。その神とは何か。それは漠然とした大いなる存在。自然や宇宙を動かしているエネルギーのようなもの。絶対的唯一神ではない。私は特定の宗教を信じているわけではない。

 私の神に近づこうとする人間の滑稽な行為を読者の方には笑っていていただきたい。私もこの行為を自分を実験台として記しておく所存である。私の書くことや行為や思考は奇をてらっているように思うかもしれないが、私にとってはごく普通のことであり、これから書くことはすべて本当に起こったことである。

新世界

 人生にはスタンプカードがある。彼女ができる・セックスをする・タバコを吸う・海外に行く・結婚する・親になる……そういった経験を一度して、最後に「死ぬ」というスタンプを埋めて人間の一生は終わる。人はすべてのマスを埋められるわけではない。人によってカードも様々だ。私は何か新しい経験をすることを重視するスタンプカードを持っている。スタンプカードの「UFOを見る」というマスは空白のままだった。

 UFOは見たことはなかったが、いるだろうと思っていた。宇宙ははるか広いので、地球と同じような環境で生物が生息可能な星はきっとある。映画『コンタクト』で主人公のジョディ・フォスターがこう言っている。

 「宇宙生物はいるのか分からないけれど、広い宇宙に生きているのが人類だけだったら空間がもったいない。私たちは孤独じゃない」

 2012年から「セルフ祭」というアートイベントに参加していた。大阪の新世界市場というシャッター商店街で始まり、毎年数回のペースで開催されていた。人を傷つけること、近隣に迷惑をかけること、下ネタ以外であれば何をしてもよかった。そして、何もしないという不作為も避ける。

 撮り溜めた写真を展示する、即興で写真を撮る、即興で人の悪口を言う、ヒンドゥーの修行僧サドゥになる、などいろいろとしてきた。次はUFOを呼ぼうと決めた。スタンプカードを埋めるのだ。UFOを呼ぶためにはどうすればいいかといろいろ考えた。UFOを呼んでいる何かを参考にしようと調べると『未知との遭遇』を思い出した。「レミドド(低)ソ」という5音階の旋律を演奏して宇宙人と交信をして、UFOを呼んでいる。不思議な音色であり、確かに呼べそうな気になる。監督のスピルバーグは、音楽のジョン・ウィリアムスに「3音なら信号になる、7音以上なら曲になる」と指示したそうだ。スピルバーグは宇宙人かもしれない。これを最近買ったばかりの篠笛で演奏することに決めた。

 次に衣装である。宇宙人を呼ぶために宇宙人の格好をしようと思った。自分を仲間だと思ってもらうためだ。宇宙人といえばグレイだが舶来のイメージである。日本人古来の宇宙人のイメージとは何かと考えた結果、縄文の遮光器土偶に行き着いた。東急ハンズに週5で通い、頭部のアクセサリと遮光器(メガネ)を制作した。

 本番がやってきた。日が暮れて祭りも終盤に差し掛かってきた頃、商店街の空地でUFOを呼んだ。そこは屋上が抜けていて空が見える。コスチュームを着て、五音階を篠笛で吹いた。しばらく繰り返す。すると、天から何かがふわふわと降りてきた。焼きそばUFOだった。釣り糸に結んで上からスタッフが垂らしているものだ。結び方が甘く、釣り糸から突如外れてUFOは地面に不時着した。

 私はそれを拾い上げて「UFOがきた〜!」と叫んだ。そして、ABBAの『ダンシング・クイーン』をかけて踊った。茶番だった。とはいえ、真剣にUFOを呼んでいた。まぐれで来てくれるかもとも思っていた。やっぱり来なかった。

妙見山

 2015年の秋、『のせでんアートライン』というイベントに呼ばれた。大阪の北部を走る能勢電鉄が主催するイベントである。そこで何かしないかと誘いがきた。リサーチをすると会場の一つである妙見山という場所には星の王様が降りてくるという伝説があった。UFOを呼ぶしかない。妙見山は「妙なものが見える山」ではないか。

 能勢妙見山は北極星信仰の聖地である。北極星は北の空にありずっと位置が変わることがない。故に、旅人に北極星は北を示す星として目印にされてきた。北極星を中心に星は回っている。北極星は宇宙の中心、万物の中心として、北極星とそれを補佐する北斗七星を信仰する。それを「北辰信仰」ともいう。太陽信仰が昼の信仰だとすると夜の信仰である。世が乱れる時に北辰信仰が現れるという。坂本龍馬が修行した千葉道場は北辰一刀流である。『北斗の拳』は暴力が支配する世紀末に、胸に北斗七星の傷があるケンシロウが現れ世界を救う。まさに、北辰信仰である。

 混沌とした減災にこそ北辰信仰を。私は「北極星祭り」というものを企画した。能勢電鉄に乗って妙見山へと巡礼し、山頂でUFOを呼ぶ。しかし、山頂には『能勢妙見山』という日蓮宗の立派なお寺がある。お寺の方が納得してくれなければ実現は難しい。しかし、お寺も意図を汲み取ってくれたのか、無事OKということになり開催の運びとなった。

 しかし、どうやってUFOを呼ぶのか。肝心なところは空白のままだった。考えあぐねていると、妙見山にUFOが来る夢を見たと仲間のDが言った。山頂にまばゆい光が現れる。その光は「七つの子を祀れ」と語った。七つ、それは北斗七星のことではないか。偶然にしてもできすぎている。彼の夢を再現することにした。私は何かにすがりたかった。UFOを呼ぶと言い出したものの、焼きそばUFOしか呼んでいない。まったく自信がなかった。

撮影:槻木比呂志

 UFOを呼ぶためには妙見山への敬意が必要だ。巡礼をしなくてはいけない。能勢電鉄の発着駅、川西能勢口から妙見口まで行き、妙見山の麓の村にある吉川八幡神社を参拝し、ロープウェイに乗り、リフトに乗って、山頂の能勢妙見山へ。そこで住職から祈願を受けた。そして、会場へ。

 会場は能勢妙見山の境内の高台である。南側が開けており、大阪平野が一望できる。きらびやかな光の群れ、その上空に動く光がある。それは伊丹空港に着陸する飛行機であった。さらに奥には関西空港に離発着する飛行機の光が、さらに奥には和歌山と淡路島が見える。

撮影:槻木比呂志

 能勢妙見山の「矢筈」の紋章(上の北極星祭りのポスター参照)に倣い、16の頂点に16人を配置した。能勢妙見山の副住職、吉川八幡神社の神主、真言宗の僧侶である友人、シンガー、ダンサーなど。真ん中に私が立った。そして、指揮をとった。

 16の頂点が順番に音を鳴らしていった。夜空に音が溶けていく。はじめからUFOを呼ぶのではない。まずはUFOを呼ぶためのウォーミングアップだ。

 温まってきたところでUFOを呼び始めた。僧侶はお経を唱え、神主は祝詞を読み、シンガーは奇声を発し、別のシンガーはウィスパーボイスで宇宙語をささやき、ダンサーは不思議な踊りを踊っている。私は「七つの子を祀れ」とマントラを繰り返した。

 会場には50人ぐらいの客がいた。みんな固唾を飲んで見守っている。果たしてどの方向に出てくるのか。見晴らしがいい南側には寒気を吸った青黒い夜空に星が光っている。異変はない。出るとするなら北極星の付近かと北を見るが大きな杉の木々が邪魔して見にくい。北辰信仰であるならば北の方角は空けてほしいものだとマントラを唱えながら私は思った。

 曲という曲はなかった。みんなでまとまって練習する時間はなかった。何より私は曲など作れない。ただただ各自に自由に演奏してもらうしかできなかった。声は大きくなってもはや叫びになった。大きな声であればあるほど宇宙に届くとみんな思っていたかのようだった。しかし、UFOは現れない。想いは宇宙に通じず、空回りしている。11月の山頂は寒い。客のテンションは下がってきた。巡礼し、神社にも寺にも挨拶をし、祝福を受けた。Dの夢にも従った。しかし、現れる気配はない。私の北辰信仰が一夜漬けだからだろうか。みんなの想念が足りないからだろうか。

撮影:槻木比呂志

 会場にいる人の力を借りようと、観客それぞれに宇宙に向かって大声でUFOを呼んでくれとお願いした。能勢電鉄の社長が「UFOきてくれ〜!」と絶叫した時、きらりと何かが光ったような気がした。社長の声はやはり宇宙人にも重要なのか。それとも、いちばん大きな声だったから反応したのか。それはよく私たちが見る光ではない。目を閉じて瞼を押した時に見える黒い斑点のようなもの。暗闇の中で暗く光る光。しかし、一瞬のことであった。気のせいかもしれない。周りを見ても異変に気づいている人はいなさそうだった。

 最終のロープウェイの時間があるため、予定通りに終わらなくてはいけない。UFOが出るまで粘りたいがそれは許されない。最後の曲に移った。「五音階」をキーボードで演奏した。私と神主が一緒になってキーボードを演奏する。その不思議な音色は夜空に溶けていく。祈りを込めて鍵盤を押した。これが最後の切り札だった。しかし、UFOは現れなかった。星の王様のような巨大な光が山頂を包み込むような展開を期待していたが、そうはならなかった。

 「UFOを見れた人はOK。見れなかった人は焼きそばUFOをお渡しします」と言って北極星祭りを締めた。ほとんどの人が焼きそばUFOを取りに来た。

 UFOは来なかった。ライブが終わった後、反省会がはじまった。みんな晴れない気持ちである。

 「お前が『焼きそばUFO』で保険かけるから来なかったじゃないか」と言われた。確かにそうだ。私は逃げ道を用意していた。反省である。しかし、しかしである。「タテの信号のような、四つ目の何かが光ってたような気がした」と私が言うと「おれも見た。会場が盛り上がっている時にずっと光っていた」と真言宗の僧侶が言った。「同じ光を見たと」Dも言った。つまり、奇妙な同じ光を何人かがみていたということだ。UFOを呼ぶことができていたのだ。

 ここから私の本格的なU活(UFO活動)が始まる。
 
 

日下慶太

日下慶太

KEITA KUSAKA
コピーライター・写真家・コンタクティ・シーシャ屋スタッフ
1976年大阪生まれ大阪在住。自分がどこに向かっているかわかりません。著作に自伝的エッセイ『迷子のコピーライター』(イーストプレス)、写真集『隙ある風景』(私家版 )。連載 Meet Regional『隙ある風景』山陰中央新報『羅針盤』Tabistory『つれないつり』。佐治敬三賞、グッドデザイン賞、TCC最高新人賞、KYOTOGRAPHIE DELTA award ほか受賞。