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2024.04.12

03 濡れていた尻

中山信一

「あーやだやだ、ほんとやだ」

独り言が止まらない。なぜなら今日は人生初の胃カメラ&大腸カメラ検査の日だからだ。個人のイラストレーターとして活動している僕は、健康診断や人間ドッグも当然ながら自分で行かなくてはならないわけだが、とにかく僕は病院に行くことが苦手で、もっと言うと注射も苦手だ。毎回採血の時、看護師に「チクっとしますねー」と言われ「はい」と、さも慣れた様子かつ平然とした顔で腕を差し出しているが、心の中では

「うおおおお俺の腕に細い金属が入っていくう! うおおおお血が抜かれていくう! こえぇー!!」
とジョジョの奇妙な冒険の言い回しのような口調で、手汗をぐっしょりさせながら絶叫している。そんな注射ですら苦手な自分の中で“できれば生涯逃げ切りたいことランキング”第1位が胃カメラ検査なのだ。このエッセイを読んでいる人の中にも胃カメラを経験した人がいるかもしれないが、経験した人に感想を聞くと「地獄だった」「嗚咽が止まらなくて辛すぎた」「鼻水と涙が止まらなかった」などそれはそれはおぞましいエピソードの数々で、僕は胃カメラの話を聞くたびに「無理だ……逃げよう」と心の中で既に白旗を揚げていた。20代~30代前半は若さもあってそんな胃カメラ検査からも無縁な生活を送れていたのだが、いよいよ40代が目前に迫ってきたこともあり、またストレスからか胃痛もよく起こすようになってしまった自分の身体。家族や周囲の友人からも「1回人間ドッグに行ったほうがいいよ」「健康第一だぞ」と言われ、僕はついに決心して胃カメラ検査を受けることにしたのだ。とはいえ嗚咽しまくりの地獄検査は避けたい……可能な限り安心かつ楽な胃カメラ検査はないかと調べたところ“鎮静剤で眠ったまま胃カメラ検査”という、ほぼ眠った状態で検査を受けられる方法があることを知った。鎮静剤の検査はいわゆる一般的な喉の局部麻酔ではなく、注射による麻酔でほぼ眠った状態で痛みもほとんど感じることなく検査が可能らしい。

「こ・これしかないっ……!」

僕は藁にもすがる思いでその眠ったまま検査ができるという病院に電話し、検査を申し出た。すると

「一度、検査の説明と下剤をお渡しするのでご来院ください」
とのこと。病院に行くと院長である先生から麻酔についての丁寧な説明があり、見るからに不安そうな僕を和ませるかのように

「安心してください、皆さんほぼ気づかないうちに検査が終わって目覚めますから」と言うではないか。

加えてその病院は大腸カメラも得意ということで先生と相談した結果、胃と一緒に大腸も検査する流れになった。

「眠ったまま? 喉やお尻から長い管を入れてるのに? 気づかない? 本当? 本当にそんなことってある?」
と猜疑心あふれる気持ちをグッと堪えながら冷静に先生の説明を聞き終えると、

「ではこのあと下剤の説明をしますので」と言われ別室に通された。

通された部屋でしばらく待っていると、看護師がなにやら大きな銀の袋を持って僕のところにやってくる。

「中山さんですね、これから下剤の説明します」
と言って、バサッと持っていたその大きな袋を僕に差し出した。「え?」と、自分がイメージしていた下剤とはだいぶ異なる大きさに困惑していると、看護師は続けて

「こちら下剤の粉が入った袋ボトルになります。2リットルの水を入れてよく振っていただき、検査当日の朝5時から全て飲みきってください」

「……」

「2時間ほどかけてゆっくり2リットル飲んでもらうと6回~8回くらい便意をもよおしますので」

「……」

「下剤はポカリスウェット風の味です」

「……」

「ポリープが検査で見つかった場合、1箇所の切除ごとに追加料金が発生するシステムになります」

「……」

「カード決済が不可なので、多めに現金のご用意をお願いします」

「……」

僕はただただ話を聞くことしか出来なかった。

てっきり薬のような粉末を飲んで便を一度だして終わりかと思っていた。が、よくよく考えたら確かにそんな簡単に腸内が綺麗になるわけもない。朝5時から2リットルの下剤を飲み、トイレに6~8回、そこから麻酔して検査、しかも課金アプリのようにポリープがあればあるほど加算されていく料金システム。なんだか眩暈がする。そもそも一体いくら持っていけば良いのか……未だかつてこんなに持ち出すお金の額に悩む日もない。健康だと思って少額にするわけにもいかず、かといって大金を持っていくとめちゃくちゃポリープがでてきそうで怖い。というかなんでそもそも現金決済なのだ!! あとなんだポカリスウェット風って!!と、色々な感情が頭の中を駆け巡ったものの、ひとまずその日はずっしりと重い下剤をリュックに入れスゴスゴと帰宅した。

そして検査当日。緊張してうまく寝れなかったのか朝5時よりも少し早めに目が覚める。そしてまだ夜が明けたばかりの青白いリビングで一人、2リットルのポカリスウェット風下剤ドリンクを用意し、ものすごい嫌な気分でそれを飲み始めた。味は確かにポカリスウェット風だが全く美味しくない。むしろ一瞬ポカリスウェットが顔を出して「お! ポカリか?」と喜んだ瞬間、「残念~!! 下剤だよ~ん」と憎たらしい苦い下剤が後から現れる感じで、逆にムカつく。そしてなにより2リットルは多すぎる。どんな美味しい飲み物でも2リットルも飲めば気持ち悪くなるだろうに。

その後、なんどもため息をつきながら苦行のようにゆっくり時間をかけて下剤を飲み続け、看護師の言う通りトイレに8回ほど行き、朝8時頃ようやく全ての下剤を完飲した。

「あーやだやだ、ほんとやだ」

この時点でもう若干の寝不足と下剤2リットルの飲み疲れ、8回連続トイレ篭り、加えて前日からの食事制限で僕はまるで駄々をこねる子供のように「やだやだ」が止まらない。

とはいえなんとしてでも人生初の胃カメラ&大腸カメラ検査をクリアしなければ……心を奮い立たせ、前日熟考に熟考を重ねATMから引き出した5万円を手に僕は病院に向かった。

到着し受付をすませると、すぐに更衣室に通され看護師に「こちらにお着替え下さい」と診察着のようなものを渡された。よく見るとズボンのお尻部分に大きめの穴があいている。いつもならここで多少ドギマギする自分だが早朝からの疲弊のせいか、もうその頃にはお尻に穴が空いてる程度では何も思わなくなっていた。そしてそのまま先生と看護師が待つ検査室に向かい、いよいよ胃カメラと大腸カメラ検査が始まる。

「中山さん、今回が初めてですよね! 緊張せずリラックスしてくださいね~」

先生は相変わらず僕を和ませようと積極的に会話を持ちかけてくれるわけだが、今や尻に穴があいたズボンをはき、さらにそのあと渡された胃カメラ用のソケットを口にはめ、麻酔注射がずらりと隣に並んだ診察台に横たわった自分としては

「ああ、もう好きにしてくれ」
と、なんだか小さな虫になったような気持ちでそっと目を閉じることしかできなかった。

「では最初に胃の検査からして、その後お尻から大腸も見ていきますねー」

そう言うと、小さな虫と化した僕に先生は手際よく麻酔を注射し始める。

「すぐに眠たくなりますからねー、リラックスし……中山さん終わりましたよ~」

「……!!?」

終わった。いや終わっていた。しかも気づいた時には自分は既に検査室にはおらず、なぜか別室の一人用ソファで休んでいるではないか。

「??」

麻酔もまだ効いているのかやや朦朧とした状態でソファでそのまま休んでいると、検査をしてくれた先生から検査結果の報告で別室に呼ばれた。

「はい、中山さんこちらが胃と大腸のデータになります。きれいでしたよー」

「……」

「ポリープなども見当たらないですね! また数年に一度、定期的に来ていただければ大丈夫だと思います」

「……あ、ありがとうございました」

そうして結局、人生初の胃カメラ&大腸カメラ検査を無事終えることができたわけだが、そんなことよりも麻酔のトリップっぷりが凄すぎて言葉がでない。

「俺の身に一体何が起きたんだ……」

フラフラしながら部屋を出ていき曖昧な記憶の中、着替えのため更衣室で診察着を脱ごうとした時、ふと自分のお尻が濡れていることに気づいた。

「濡れてる……ああ、本当に検査したんだ……」

更衣室で一人、濡れた尻を触りながら謎の達成感にふけっている自分が、流石にシュールすぎる気がして少し怖かった。


中山信一

イラストレーター、ラッパー
1986年 神奈川県生まれ。広告や書籍、アパレルグッズ、絵本などのイラストを手がける他、個展などで作家としても活動。またHIPHOPユニット「中小企業」のラッパーとしても活動しており、2021年7月に初のソロアルバム「Care」をリリース。東京造形大学 非常勤講師。

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