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2022.10.20

甘くて甘くて、怖い雲|平松洋子(エッセイスト)

文:平松洋子  朗読:アズマモカ

僕をつくったあの店は、もうない。

都築響一編『Neverland Diner 二度と行けないあの店で』(2021年1月刊)は、100名の書き手が、それぞれのスタイルで“二度と行けない店”について綴った珠玉のエッセイ集です。

そんなネバダイの世界をよりディープに味わっていただくべく、「ネバダイ・オーディオブック」として、本書に収録された100話のなかから作品をセレクトして、朗読版の音声トラックを週イチで無料公開していきます。

朗読者は、女優の冨手麻妙さん、タレント・ナレーターの茂木淳一さん、朗読少女・アズマモカさん。それぞれのスタイルでネバダイ珠玉の一篇を朗読していただきます。

甘くて甘くて、怖い雲|平松洋子(エッセイスト) ※冒頭文抜粋

「おみせやさんごっこ」は少女の遊びで、男の子はいやいや引きずりこまれるものだった。姉が弟にエプロンをさせ、魚屋さんの役どころをあてがう(昭和三十年代は童謡「かわいい魚屋さん」がずいぶん愛されていた)。最初は強引なコスプレを恥ずかしがっていた弟も、すっかりその気になっている姉に煽られ、だんだん調子がでてくるという筋書き。
「へい、らっしゃい!」
 弟が利いた風な口をきくと姉は悦に入って、おもちゃのまな板の前に正座してプラスティックのタイとかブリをぎこぎーこ、包丁で切ったつもり、売ったつもり。受け取ったつもりの魚を、弟は新聞紙で包んだつもり。
「オマケしときます、ごじゅうえんでいかがですか」
 愛嬌たっぷりに場を盛り上げるのである。
 八百屋さんごっこ、パン屋さんごっこ、駄菓子屋ごっこ、お風呂やさんごっこ、いろんなバリエーションがあるから「おみせやさんごっこ」は飽きなかった。おなじきょうだいでも、兄ならフンと鼻で笑って相手にしてくれないが、弟や妹ならどんな役を振ってもついてくる。私には妹がいたけれど、弟がいる子をひそかにうらやんでいた。後年、エロの匂いがふんぷんと漂う谷崎潤一郎の初期短編『少年』を読んだとき、あっ「おみせやさんごっこ」が属していたのはこの世界だったと思い当たってぞくぞくしたのだが、ないものねだりもまたエロの匂いを増幅させるのである。
 初めて店に出入りしたのはどこだったろうと考えていたら、「おみせやさんごっこ」で遊んだ畳の上だと思い至った。ヴァーチャルな経験であっても、あの遊びが少女にもたらした緊張感と晴れがましさはぶっちぎりだった。わけもわからず、しかし、社会のすきまに自分を押し込めて一丁前を演じるおしゃまな昂奮と刺激。背伸びをさせて未知の世界へ誘いこむ場所が「店」だということを、少女たちは知っていた。

NeWORLD · 甘くて甘くて、怖い雲|平松洋子(エッセイスト) 朗読=アズマモカ
書籍情報

Neverland Diner 二度と行けないあの店で
都築響一 編


↑書影をクリックして詳細へ

体裁:四六判変形/並製/カバー装
頁数:640頁(カラー写真頁含)
定価:3,300円+税
刊行:2021年1月22日
ISBN 978-4-910315-02-7 C0095

アズマモカ

azumamoca
YouTubeに朗読動画を投稿する10代の朗読少女。
好きな作家は最果タヒ。某2次元アイドルに夢中。
小説、短歌、絵本などの文学から、漫才、円周率、Amazonレビューなど幅広いジャンルを読み漁っている。

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