僕をつくったあの店は、もうない。
都築響一編『Neverland Diner 二度と行けないあの店で』(2021年1月刊)は、100名の書き手が、それぞれのスタイルで“二度と行けない店”について綴った珠玉のエッセイ集です。
そんなネバダイの世界をよりディープに味わっていただくべく、「ネバダイ・オーディオブック」として、本書に収録された100話のなかから作品をセレクトして、朗読版の音声トラックを週イチで無料公開していきます。
朗読者は、女優の冨手麻妙さん、タレント・ナレーターの茂木淳一さん、朗読少女・アズマモカさん。それぞれのスタイルでネバダイ珠玉の一篇を朗読していただきます。
松屋バイトで見た13の景色|徳谷柿次郎(編集者) ※冒頭文抜粋
人生で一番しんどかった仕事は牛丼チェーン「松屋」のアルバイトだった。
20歳前後の頃、「松屋」で深夜アルバイトを始めた。一般的な人生のレールから大きく外れ始めたタイミングで、昼間の明るい時間帯に人と会いたくない、もっといえば地元の友だちと会うのを避けたい。泥まみれのコンプレックスを抱えて、誰も自分のことを知らないインターネットにもっとどっぷり浸っていたかった時期だ。
場所は大阪の十三駅。阪急系列のターミナル駅として機能しているこの土地は、駅前に「しょんべん横丁」といわれる飲み屋ゾーン、当時も現在でも絶対にアウトな「名案内コナン」の風俗案内所、鉄腕アトムとサザエさんの磯野波平を勝手に合わせた謎キャラクター「鉄わん波平」、女性の脱ぎっぷりに独自通貨のお札で花束を作るおじさんがいるストリップ劇場「十三ミュージック」など、雑多で自由な昭和の欲望を抱え込んできた。そして今もなお、その欲望がこぼれ続けている特異な土地ともいえる。
◎日商40万円の人気店舗とカオスな土地の洗礼
十三店で働き始めてから予想を超えるトラブルやアクシデントに巻き込まれることが増えた。そもそも昼間帯の希望を出したにもかかわらず、人手不足を理由に深夜帯へのヘルプ出勤が発生。さらに売上が圧倒的に高い店舗のため、死ぬほど忙しい。日商は約40万円。12~13時のランチピークタイムだけで300人をさばくことも珍しくなかった。
この多忙加減は経験しないとわからないし、飲食バイトの世界にもよるかもしれないが、うまい、やすい、はやいの三拍子カルチャーをライバル店舗「吉野家」が掲げていることもあって、客が牛丼屋に求める基準は爆上がり。自分ではコントロールできない他者の意思に翻弄され続ける“戦場”に近い感覚だ。
忙しい時間帯は基本4人体制。それでも接客を一歩間違えれば、カオスな土地・十三の洗礼を受けることとなる。
一例を紹介したい。
書籍情報
Neverland Diner 二度と行けないあの店で
都築響一 編
体裁:四六判変形/並製/カバー装
頁数:640頁(カラー写真頁含)
定価:3,300円+税
刊行:2021年1月22日
ISBN 978-4-910315-02-7 C0095