僕をつくったあの店は、もうない。
都築響一編『Neverland Diner 二度と行けないあの店で』(2021年1月刊)は、100名の書き手が、それぞれのスタイルで“二度と行けない店”について綴った珠玉のエッセイ集です。
そんなネバダイの世界をよりディープに味わっていただくべく、「ネバダイ・オーディオブック」として、本書に収録された100話のなかから作品をセレクトして、朗読版の音声トラックを週イチで無料公開していきます。
朗読者は、女優の冨手麻妙さん、タレント・ナレーターの茂木淳一さん、朗読少女・アズマモカさん。それぞれのスタイルでネバダイ珠玉の一篇を朗読していただきます。
失恋レストラン|吉井忍(フリーライター)※冒頭文抜粋
中国人と結婚し、日中間を行き来する生活を続けていた。数年前の冬、東京から北京に戻ると、夫の様子がおかしい。トイレが長い、目を見て話さない、年末に予約していた熱海旅行をキャンセルしたいと言い出す。日本文化センターの図書館から日本語の雑誌をわざわざ借りてきて、テーブルの上に目立つように置いている。その特集記事が「離婚」。「なんで?」と聞くと、「君、興味あるかと思って」。いや、ないです。
1週間ほどしたある日曜日、夜9時ごろ。大気汚染物質PM2.5の濃度が高く、こういう日は早めに寝るに限るので、私はベッドに寝転がりながらノートパソコンで天気予報を見ていた。明日月曜日の予報は「強風」。夫は当時、勤め先(アップル)までエクササイズを兼ねて自転車通勤をしていた。
北京で言う「強風」は、かなり強い。市内のPM2.5が残らず吹き飛ばされ、数時間後には日本の田舎よりも青い空が広がるくらいだ。そんな日のチャリ通勤は危ないと思い、私は隣の部屋にいる夫に声をかけた。「明日は風が強いってよ。バスにした方がいいんじゃない?」
返事はない。さらに2回ほど声をかけたが全く反応がないので、私はベッドから起き上がり、隣の部屋に向かった。夫は椅子に座り、MacBookを前にヘッドフォンをかけ、一心不乱に会社支給のアイフォンを覗き込んでいる。微信(中国版LINE、ウィーチャット)をしているようだ。
その姿を見て、悟った。女かあ。
書籍情報
Neverland Diner 二度と行けないあの店で
都築響一 編
体裁:四六判変形/並製/カバー装
頁数:640頁(カラー写真頁含)
定価:3,300円+税
刊行:2021年1月22日
ISBN 978-4-910315-02-7 C0095