僕をつくったあの店は、もうない。
都築響一編『Neverland Diner 二度と行けないあの店で』(2021年1月刊)は、100名の書き手が、それぞれのスタイルで“二度と行けない店”について綴った珠玉のエッセイ集です。
そんなネバダイの世界をよりディープに味わっていただくべく、「ネバダイ・オーディオブック」として、本書に収録された100話のなかから作品をセレクトして、朗読版の音声トラックを週イチで無料公開していきます。
朗読者は、女優の冨手麻妙さん、タレント・ナレーターの茂木淳一さん、朗読少女・アズマモカさん。それぞれのスタイルでネバダイ珠玉の一篇を朗読していただきます。
ずっと、チャレンジャー。|中尊寺まい(ベッド・イン) ※冒頭文抜粋
あの頃の私、22歳。とにかく、家を出たかった。
家庭にこれといった大きな問題があったわけではない。母子家庭ながら、周りの大人たちのおかげでひもじい思いをしたことは一度もなかった。ひとりっ子だったし、なんだかんだ欲しい物は買ってもらえていたし、おやつとかお菓子とか、生まれてこの方分けたことなんてないし、ふかひれの姿煮を白いごはんにのせてクチュクチュして食べさせてもらっていたし。父がいなかったからといって、それを悲観したこともなかったし、家族と大きな喧嘩をしたこともなかった。ただ、その分ずっと家族に気を遣っていたから、そんな中途半端にお利口な自分と付き合っていくのが、もうだるくなっていた。
とにかく家を出たかった理由にはもうひとつある。大好きな彼と同棲がしたかった。彼は売れないアングラバンドマン。私は彼のファンだった(彼には私以外に8人の女がいた。その中から一人に絞られ、本命に成り上がったという優越感に浸りまくっていた。まったく汗顔の至りである)。その彼が「一緒に住まないか」と言ってきたのだ。正直、舞い上がっていた。
どうでもいい部分だけ要領のいい私はテキトーに就活をし、テキトーに就職先を見つけた。ちょっと格好いいことを言うようだけれど、食っていけて趣味のバンドが出来れば、本当にそれでよかった。これで文句はないだろうと母を説得しようとしたが、甘かった。
「同棲?相手は?バンドマン?稼ぎはあるの? 大体バンドマンってフリーターでしょ? そんなんじゃ、何かあった時、あなたが養うってこと? あなたもいつまでバンドやる気なの?」
いままでもずっとそうだった。母は昔から過干渉気味で子離れできていなかった。母ひとり子ひとりでは仕方ないことなのかもしれない。大人になってもお互いが妙な距離間で依存し合っていた。延々と続く母の話をうんうんといつも通り聞いて「でも、ごめんね」と言って半ば強引に家を出た。はじめて親に逆らった瞬間だった。
住む場所は昔から決めていた。サブカルに憧れ、濁りきった青春を過ごした私にはこの一択しかなかった。絶対に中央線沿いに住むのだと。できれば、中野か高円寺がいい。
と言いつつ、駅近辺の高すぎる賃料を見て早々に諦めた私たちは新井薬師の物件に目を付けた。中野駅から歩いて15分、家賃10万の2DK。私はなんとか“中央線”という肩書きを手に入れた。
その彼とよく行った店がある。中野ブロードウェイの地下にある「チャレンジャー」という店だ。
書籍情報
Neverland Diner 二度と行けないあの店で
都築響一 編
体裁:四六判変形/並製/カバー装
頁数:640頁(カラー写真頁含)
定価:3,300円+税
刊行:2021年1月22日
ISBN 978-4-910315-02-7 C0095