僕をつくったあの店は、もうない。
都築響一編『Neverland Diner 二度と行けないあの店で』(2021年1月刊)は、100名の書き手が、それぞれのスタイルで“二度と行けない店”について綴った珠玉のエッセイ集です。
そんなネバダイの世界をよりディープに味わっていただくべく、「ネバダイ・オーディオブック」として、本書に収録された100話のなかから作品をセレクトして、朗読版の音声トラックを週イチで無料公開していきます。
朗読者は、女優の冨手麻妙さん、タレント・ナレーターの茂木淳一さん、朗読少女・アズマモカさん。それぞれのスタイルでネバダイ珠玉の一篇を朗読していただきます。
大阪ミナミ・高島田|鵜飼正樹(社会学者/京都文教大学教授)※冒頭文抜粋
市川ひと丸劇団の役者・南條まさきとして舞台に立ち続けていた1982年4月から1983年6月にかけて、関西の劇場で公演があると、よく手伝いとして舞台に出る役者がいた。
その役者は男だったが、舞台ではもっぱら、白塗りの女形を演じた。それも、芝居ではなく踊りで舞台に出ることが多かった。出演はおもに土日だったように思う。正確な年齢はわからなかったが、すでに老境に達していて、70代か、ひょっとするともう80代かもしれなかった。
踊りで舞台に出るといっても、女形の足取りはどことなくピョンコピョンコとはねるようで、そんなに上手でなさそうなことは、入団間もない私にもわかった。一方で、着ている衣装や鬘が豪華で金がかかっていることも、よくわかった。
「太田先生」。その役者は、楽屋ではこう呼ばれていた。
楽屋で「先生」と呼ばれるのは、通常は師匠である座長だけである。しかしこの役者のことは、座長も「太田先生」と呼んでいた。そして、楽屋の化粧前(鏡や化粧品を並べて化粧をするスペース)は常に、座長の隣。つまり、劇団の中では別格扱いだった。ただ、太田先生は、先ほども書いたように、すごい芸があるわけでもなく、座長経験はなさそうだった。
書籍情報
Neverland Diner 二度と行けないあの店で
都築響一 編
体裁:四六判変形/並製/カバー装
頁数:640頁(カラー写真頁含)
定価:3,300円+税
刊行:2021年1月22日
ISBN 978-4-910315-02-7 C0095