採U記

第3回  足摺岬の遭遇

日下慶太

    GWに家族でキャンプに行こうと高知を目指した。車が渋滞するので早めに家を出た。明石海峡大橋を運転していると、ボンネットがいつもよりも浮いている途中の淡路島のパーキングで止まって確認をした。ボンネットのロックはしっかりとかかっている。気のせいだろうか。。風が強かったからだろうか。コーヒーでも買いに行こうとすると、鍵を車に入れたまま車をロックした状態で閉めてしまった。鍵が出せない。JAFを呼んだ。2時間のロスである。

    淡路島を越え、鳴門海峡を通過し、徳島から西へ向かった。うどんに目もくれず香川県を横切り、川之江ジャンクションで南下し、高知道に入った。車はあまり混んでいない。四国山地のど真ん中を突き進む。トンネルがしばらく続く。太平洋まであと何個とトンネルの入口に表示が出ている。ちょうど真ん中あたりだったろうか。ボンネットが浮きあがってきた。そかなり浮き上がっている。とはいえさっきチェックしたから大丈夫だ。そう思っていたら、ボンネットがメリメリと浮き上がり、外れて右に飛んで行った。風に乗って転がっていくボンネットがサイドミラーに映る。幸いにして車は付近にいなかった。

    すぐに路側帯を見つけて車を止めた。高速道路の緊急連絡先を調べてケータイで電話した。「はあ、なんですか?」とのんびりとしたおっさんが出た。私は大変だというのにどうしてこんなにのんびりしているのだ。事情を話そうとすると、「ケータイやと場所がわかりませんので、高速道路に設置している電話を使うてください」と話も聞かずに言われる。まさにその路側帯に電話があったので掛け直すと、今度はおっさんはきちんと聞いたろやないかと言うモードになっている。ボンネットが飛んで行ったことを報告した。「そこはトンネルから出てすぐで、他の車から追突されるかもしれませんので、近くの『大豊』というサービスエリアに移動してください」と指示された。10kmほどある。ボンネットが取れたままだが大丈夫かと思ったが、車はなんなく動いた。サービスエリアはGWで駐車場には車がいっぱいだった。ようやく空いている場所を見つけて車を止めた。ボンネットがとれた車は注目の的だった。私はマッドマックスの主人公のようにワイルドなふりをした。

    しばらくすると高速の係員と警察がやってきた。係員は途中でボンネットを回収してきて、今のところ、被害は出ていないという。ただ、これから破片を踏んでパンクをするなどの被害がありうるかもしれないため、もし何かあったら連絡するとのことだった。このまま、この車で走っていいかと聞くと、ダメだという。整備不良にあたるため法律違反で、レッカーで移動するしかないと。車は問題なく走れるのに。無念である。

    車は3ヶ月前に購入したばかりだった。ランドクルーザー70のボディに60のフロントをつけたリメイク車である。60のクラシックな丸目で、ボディは新しいというものだ。ただ、フロントを改造しているが故に、ボンネットも鉄製のものではなくFRPを使っていた。その強度がなく、スピードを出すごとに劣化し、今回剥がれ落ちたのだ。明らかにディーラーの落ち度だ。電話をすると「今から車を持ってきます!」と言われた。大阪からGW中で渋滞の中だ。5時間後にディーラーはやってきた。ステップワゴンに乗り換えて、サービスが終了したサービスエリアを出発した。予約していた仁淀川沿いのキャンプ場に入った。外は真っ暗だ。暗闇の中、キャンプを設営する。BBQをする。

    一夜明けて、四万十を目指そうとしている時だ。長女が突然吐いた。車に酔ったのだろうか。しばし休憩したが嘔吐が止まらない。どうも熱がある。病院に行った方がよい。しかし、GWでどこも閉まっている。市営の救急病院を見つけてそこへ行った。ノロウィルスと診断された。暗中BBQをして生焼けの鳥を食べてしまったのが原因だ。それもこれもボンネットが飛んで到着が遅れたのが原因だ。もっと明るければきちんと肉の色を確認できたものを。

    予定を変更して急遽、宿毛市内のホテルに泊まって安静に過ごした。一晩寝ると長女はなんとか元気を取り戻した。何も見ることができないまま土佐清水に住む友人Aと合流した。Aの案内で土佐清水を巡る。連れて行ってくれたのは辿り着いたのは「唐人駄場遺跡」という奇妙な名前の場所である。そこには巨石群があるのである。

    青い服の女性と比べてもらえばわかるだろう、山頂にある巨大な石たちを。巨石の組成は全く違うのだそうだ。つまり、1つの大きな岩が砕けたのではない。火山の石でもない。誰かが置いたのだ、では、誰がこんな巨石を置いたのか。縄文時代に。 解説が客観的ではなく妙にスピリチュアルである。

    長女も元気を取り戻し、岩の上まで登れるようになった。まるで、もののけ姫のサンとモロの君が話していた大岩のようである。岩の上からは太平洋が見える。

    巨石群を下って西に広場が広がっている。中央上に見えるのが先程の巨石だ。広場のまわりも不思議な石で囲まれている。この広場のちょうど真ん中にテントを張った。ここで夜を過ごすのだ。UFOを見るためだ。ここにはたくさんの目撃談がある。しかも、巨石があるところはUFOが出やすいと聞く。

    テントを張ったところで、近くにあるホテルの風呂へと行く。足摺岬の先っぽの絶景が見える露店風呂で、黒潮はどこにあるんだと海を遠く眺めていると、見たことあるような人が風呂に入ってきた。会社の先輩Tさんに似ている。私の職場は大阪である。そんな人が足摺岬の先端に来ることはあるわけはないが、あまりに似ているので声をかけてみるとやっぱりTさんである。お互い全裸である。奥さんが高知の人だそうで、実家に帰るついでに足摺岬まで足を伸ばしにきたとのことだ。とはいえ高知市内までおよそ3時間だ。こんな偶然あるものだろうか。

    テントに戻るともう夜だ。BBQをして夜が更けて行く。子どもたちは寝静まり、妻と友人のAちゃんと大人3人であれやこれやと語っていた。上空は満点の星空。天の川まで見える。時折光る物体が星空を横切る。「UFO!」と思ったら飛行機である。何体も現れるがすべて飛行機である。やがて地表付近にふわふわと光る物体が現れた。光はやさしくやわらかく点滅をする。「ついにUFOが出た!」と思ったらホタルだ。なかなかUFOは現れない。じゃあUFOの話をしようじゃないかということになった。

「私、UFOに乗ったことがあるの」とAがコズミックなカミングアウトをしてくれた。Aが小学校高学年の頃である。夜寝ている頃、突然外が明るく光った。とても明るいのに一緒に寝ている妹はずっと寝ている。体を起こして光の方を見ていると心に何かが呼びかけた。

「こっちへおいで」

    すると、Aは宇宙船の中にいた。中には目が大きくいわゆるグレイのような宇宙人がいた。宇宙人はAちゃんに語った。

「今から手のひらにチップを入れるからな。左手の真ん中に入れとくわ」

    そこには、Aが図画の授業でさしてしまった鉛筆の芯が残っていた。

「この隣に埋めとくな。 また3年後に取りにくるわ」

    そう言ってUFOは去っていった。目が覚めるとAはベッドの上だ。Aは手のひらを見た。手のひらには何も異変がない。何もなかったのだろうか。ただの夢なのであろうか。妹に聞いてみると、きのうは何にもおかしなことはなかったと言う。ただの夢かと思ってAはしばらく普通に過ごした。そして、3年後。寝ている時に外がまぶしく光った。

    Aはまた宇宙船の中に入った。

「約束通りチップ取りにきたで。ほな」

    宇宙人は去っていった。翌朝、Aは手のひらを見た。左手の鉛筆の芯がなくなっていた。私は鳥肌が立った。空を見上げた。しかし、UFOは現れない。

    私は座る位置を変えて、今まできた方向とは逆の巨石があった方向に向き直した。しかし、こちらの空もUFOは見えない。今度はぼくがUFOのことを語り出した。私が詳しい人に聞いた話である。

    地球というのは宇宙の中ではとても遅れてるねん。ピラミッドを逆にするとそのいちばん下が地球人でその上にははるかに進んだ次元の宇宙人たちがたくさんおるねん。地球人は石油とか原子力とか低レベルのエネルギーを使っていて、原始人が火を使ってるような感覚やねんて。しかも、ずっと戦争してるし、殺し合ってるしって、とても野蛮らしい。宇宙の中では厄介者で、地球は宇宙のスラムみたいやねんて。誰か宇宙人が行くとなると「 みんなが、えー、大丈夫?」ってなるんやって。

    ほんでな、これはぼくの仮説やねんけど、宇宙を日本とすると、地球は西成やねん。あそこはいっつも喧嘩してるし、ホームレスの人、アル中、シャブ中の人も多い。でも、そんな人を助けようと、坊さん、シスター、学者、ボランティアの人たちが来る。それが宇宙人やと思うねん。

    ふと巨石があった山の方を見ると、光る物体があった。星かと思ったが、星よりも白い光が同じ場所をぐるぐると小さな円を描いて回っている。山の向こうは海だ。民家や人工的な光などあるわけがない。まるで正解!とばかりにUFOが出ている。

俺「あれ、そうちゃう?」
A「そうやんね、あれ、なんか動きが違うと思っててん」
嫁「うそやん」

    光は消えた。

俺「信じへんから消えたやん」
嫁「ぜったい気のせいや」
俺「円盤さんがどっか行ってもうたやんけ、あーあ」
嫁「円盤さんってなんやねん」
嫁「UFOのこと」
嫁「だいたいその円盤さんって言い方が気持ち悪いねん。変な新興宗教みたいやねん。
    ほんでそんなんをSNSであげんな。気持ち悪い。」
俺「ちゃんねん。円盤さんはな、絶対的な神様みたいなんじゃなくて、
    ちょっと偉い人、うーん、そやな、えべっさんみたいなもんやねん」

    また同じ場所にUFOが光りはじめた。これも正解なのだろう。

嫁「あ、UFOや」

    大人3人が揃ってUFOを見たのである。酔ってはいない。ぼくと妻は下戸なんで完璧にシラフである。ずっと見ていられる。かれこれ30分はUFOをみんなで見ていただろうか。光は時折、消えたり、白・赤・緑・黄色と色を変えたりした。そろそろ寝ると二人は寝た。ぼくはずっとUFOを見ていた。消える気配が一向にない。写真を撮ろうと思ったが撮ると消えてしまいそうなのでやめておいた。

     用を足そうと立ち上がって南の空を見ると10体ほどのUFOがいる。一直線になったり、Wになったり、消えたり、ついたりしている。先程のUFOとはまた光の質が違う。小さく弱い光だ。これはすごいな。えらい体験やわ。ボンネット取れたけど来てよかった。これも、円盤さんを見るための試練やったのかもしれへん。そんなことをつべこべ考えていると、眠気がおそってきた。ぼくはテントに入った。

    寝袋に入り、あとひと波眠気が来ると眠りに落ちる時に体が熱くなってきた。「うーんうーんうーん」という音がする。ここには人工的なものがまったくないのにおかしい。すごく近くで音がする。知人がペルーのUFOの映像を見せてくれた時に鳴っていたUFOの音と似ている。UFOが外に来ているのだろうか。怖くて目が開けられない。

「乗るか?」

    何かが呼びかけた。

「ええんですか?」
「ええよ」
「帰ってこれますか?」
「帰ってこれる 帰ってこれる」

    安全を強調したかったのか二度繰り返した。

「ほな乗りますわ」

    すると、体が熱くなり、まるで幽体離脱をするかのように上へと体が上がっていった。

「でも、戻ってこれへんかったらどうしよ、家族もいるしなあ」

    そう思ったとたん。すべては消えてしまった。音は何もしなくなった。嗚呼、ぼくは信じ切れなかったのだ。朦朧とした頭で後悔しつつ、うつらうつらと寝てしまった。

    その翌日、次女が吐いた。その翌日、妻が吐いた。その翌日、私が吐いた。家族全員がノロウイルスにかかった。

 
 
 
 

日下慶太

日下慶太

KEITA KUSAKA
コピーライター・写真家・コンタクティ・シーシャ屋スタッフ
1976年大阪生まれ大阪在住。自分がどこに向かっているかわかりません。著作に自伝的エッセイ『迷子のコピーライター』(イーストプレス)、写真集『隙ある風景』(私家版 )。連載 Meet Regional『隙ある風景』山陰中央新報『羅針盤』Tabistory『つれないつり』。佐治敬三賞、グッドデザイン賞、TCC最高新人賞、KYOTOGRAPHIE DELTA award ほか受賞。