交差点を曲がると、そこに数羽の蝶がいた。車の進行方向に蝶が飛んでいる。スピードを出すと蝶を轢いてしまうのでゆっくりと車を進めた。蝶は道を外れることなくずっと飛んでいる。そして、目的地の大石神(おおいしがみ)ピラミッドに辿り着いた。蝶は目的地まで私を誘導していた。
蝶は道を外れることなくずっと飛んでいる。そして、目的地の大石神ピラミッドに辿り着いた。蝶は目的地まで私を誘導していた。
鬱蒼とした森の入口の前に鳥居がある。鳥居を潜り、山道を少し歩くと大きな石が現れた。
森のエネルギーを吸い込んだむき出しの巨石がいくつか転がっている。石のそれぞれに解説が添えられている。
石の上に登ると突然、頭上に光が差した。そして、私のシルエットを浮かび上がらせた。耳を澄ませると、「ウゥーン」という小さな振動音が鳴っている。遠くから聞こえるようでもあり、地面から聞こえるようでもある。ここには人工的なものなど何もない。
石の近くに生える木には六芒星が刻まれている。キリストの墓が近くにあるからだろうか。ここの場所の地名は戸来(へらい)という。
ピラミッドの入口にあった看板を要約する。
ピラミッドは、エジプト、メキシコだけにあるとは限らない。茨城県磯原町にある武内家の文庫に秘蔵されている神代史(竹内文書)によると、わが国にはエジプトのピラミッドよりなお古い数万年前のピラミッドが7基あるとされた。 ピラミッドの権威者酒井勝軍は、『鏡石』『方位石』また頂上の巨石が西側の稜に正しく、北極星に向かい南北を差すなど、ピラミッドの条件に合うという。
酒井勝軍の説では、エジプト、メキシコのものと違って平面基礎から築きあげたものではなく三角形や神備型とした山の頂上にあり太陽石がおかれその周囲に、『磐境』列石が配置されていること、大石神のピラミッドは十和利山の二つを結ぶことで成立ったものであるという。ここ大石神も神都として大いに栄えたところとされたが長い年月の間の天地大異変により、神都の面影はなく無残な残骸となっている。
ピラミッドから東へ6kmほど行くとキリストの墓がある。奥がキリストの墓、手前がキリストの弟イスキリの墓である。竹内文書によると、ゴルゴダの丘で磔にされたのは身代わりになった弟のイスキリであり、キリストは日本まで逃れ、当時神都として栄えていたここで106歳まで生きた、とのことである。
まさかとは思うが、墓の前にはエルサレム市より友好の証として寄贈された石碑がある。とんでもないホラ話ならエルサレム市は無視するはずである。ここの地名も戸来である。
キリストの墓から西へ20kmほど移動すると迷ヶ平という場所にやってくる。キリストの墓と迷ヶ平の間に大石神ピラミッドがある。
売店の入口に看板が飾られていた。この地の伝説が方言で書かれている。こちらも標準語にして以下に要約する。
大昔、ここには一里四方もある大宮殿が建っていて、とても栄えていた。赤毛や、赤い顔の大男や大女が住んでいた。聞いたことのない言葉を話していた。ここにしか生えていなかった黒いツツジはこの人たちが持ち込んだものだ。キリストのようなものもいた。ブナの原生林が広がり、細い木でも大人が2、3人で囲むほどの大木だった。たくさんあったブナの大木は太平洋戦争の資材にするということでたくさん伐採されてしまって、今はその原生林はない。
竹内文書には「5万年前に迷ヶ平に天磐船に乗った神が降り立ち、そこに神都を開いた。しばらく、ここは世界の中心であったが、1万年前の火山の噴火により文明が失われた。」と書かれている。
真偽のほどはさておき、ここには確かにただならぬ雰囲気を感じていたことは事実である。私がこの知識を入れる前に、ただ車を運転していた時から。
迷ヶ平、大石神ピラミッド、キリストの墓の他に、十和田湖東南部には、十和利山、ドコノ森の石板、以前紹介した、黒又山、大湯ストーンサークルと、日本有数のミステリースポットが狭いエリアに密集している。
20 F7.1 ISO 3200 / SONY ILCE-7M4 + DT 16-35mm F2.8 SAM
仕事をしていた三戸と、このあたりは車で1時間圏内である。何より迷ヶ平の一部は三戸町でもある。UFOを撮るしかない。仕事を終えてホテルに戻り、機材を揃えて夕方に大石神ピラミッドへと向かった。
ピラミッドの頂上付近は、木が覆い茂り、視界が開けていない。何より熊が怖い。ピラミッドには登らず、全体が見える場所でUFOを待つことにした。ピラミッドの東にちょうどいい牧草地があった。見晴らしがよく、森までも距離がある。もし熊が森から出てきたとしても、車に入ればいい。森林香を炊き、熊鈴をつけ、radikoで阪神ー巨人戦を聞く。佐藤輝明のタイムリーで初回に先制をした。
20 F7.1 ISO 3200 / SONY ILCE-7M4 + DT 16-35mm F2.8 SAM
西純矢と菅野の息詰まる投手戦が続いているが、針葉樹の森のすぐ上で複数の光が動いている。左下を拡大する。
20 F7.1 ISO 3200 / SONY ILCE-7M4 + DT 16-35mm F2.8 SAM
写真左の飛行機(オレンジの点線)の右上に2本の光が出ている。2本の光が直角になっている。直線なので人工衛星の可能性が高いが、こんなに同時に出てクロスするものだろうか。垂直方向の光は途中できらっと光っている。
20 F7.1 ISO 3200 / SONY ILCE-7M4 + DT 16-35mm F2.8 SAM
岡本にタイムリーを打たれて巨人が逆転した。気分を変えようと逆側の方向にカメラを向けた。すると、強く明るい光が出た。右の方にもうっすらと光がある。
20 F7.1 ISO 3200 / SONY ILCE-7M4 + DT 16-35mm F2.8 SAM
さらにその20分後、周りを明るく照らす大きな光が出た。先ほどのものよりは白い。しかも回転しながら進んでいた。回転の軌跡も撮れている。しかし、これは一戸のものとそっくりだ。きっと国際宇宙ステーションだろう。あまりにも光の質が似ている。大山が2ランホームランを打ち、逆転勝ちを収めた。試合が落ち着いたところで、謎の光の出現も落ち着いたので、帰路についた。
二日後、迷ヶ平へと向かった。以前はなかった風力発電のプロペラが立っていた。光が点滅して撮影に影響する。何より、ここにあった霊力が失われているように思えた。場所を急遽変更し、十和田湖へ向かった。
20 F7.1 ISO 3200 / SONY ILCE-7M4 + DT 16-35mm F2.8 SAM
十和田湖の周回道路から左へ外れて、山道を上ると「瞰湖台」という十和田湖全景が見ることができる高台があった。車を停めてスタンバイをした。
雲台にカメラを取り付けていると、左の山から光が高速でシューンと飛んで消えた。まるで私がここに来たことに怯えて、逃げたかのようだった。それは機械ではなく、生物的な動きと光であった。ここに住む精霊か、十和田神社の神様だろうか。先程の光が再び出ないかと待ち構えていたが、すぐに雲が出てきて撮影が難しくなった。
二日後、仕事を終えた私は、大湯へ向かった。以前、大湯の道の駅でUFOを呼んだこともあって、何人かの友人ができた。そこで知り合った諏訪さんと妻のエイコさんが営む『yuzaka』 というゲストハウスにチェックインをした。
久しぶりということで何人かの友人がyuzakaに駆けつけてくれ、話が盛り上がり、UFOを見に行こうということになった。ここから10分ほどで大湯ストーンサークルに到着する。
草原の中に縄文の建造物が並ぶ場所で、UFOを呼んでみる。縄文の夜空のようだ。縄文の人々もここから星を眺めていたと思うと、夜空で昔と繋がったように思えた。ここにUFOが来たら最高であるが、そうはうまくいかない。
20 F7.1 ISO 3200 / SONY ILCE-7M4 + DT 16-35mm F2.8 SAM
街灯が明るかったため、道を挟んだ場所にあった小さな社付近に移動した。ここは浅間神社といって、知られざるパワースポットであり、UFOも何度か出たそうだ。
かつての道の駅でのように、みんなで輪になって「エン バーン」と声を出す。「ヤッホー UFO」と空に向かって叫ぶ。すると、ピカっと空が光った。UFOが呼応している。
しばらくU活を続けたが、雲が出てきて気配がなくなった。もうすぐ日付も変わるので、最後にみんなでがんばってから帰ろうという話になった。地面に寝転がって空を見上げていたみんなは起き上がって背中についた草を払った。
エイコさんが「ヤッホー UFO」と叫んだ。すると、ピカッと光った。また叫ぶと、またピカっと光った。彼女は裸足になってずっと熱心にUFOを呼んでいた。UFOが見たいと今日一番思っている人だ。そういう人に合わせてUFOは出る。人間の思いに呼応したことが今まで何度もあった。光が一瞬すぎて撮影はできなかったが、この光は、きっとUFOだ。
十和田湖で見た光もUFOだ。そして、妙見山、唐人駄場、今帰仁、天狗高原、出雲、そして、大湯の道の駅で見た光は、明らかに人工衛星のものではなかった。私がUFOと思ったものはすべてが人工衛星ではない。私は絶対にUFOを見ている。
追伸
後日の衛星情報チェック
衛星予測があるといえばあり、何ともいえないところである。
右の小さな光の予測はあるが、中央の強い光の予測は見当たらなかった。
こちらは予測にしっかりとあった。国際宇宙ステーションだった。